第十三話 民間のまじない

 気笛きてき、というのは朱氏しゅし伶世れいせいの治世で始まった才子さいしとまじないの新たなる在り様の一つだった。官吏ばかりが才を使おうとするから軋轢が生じる。伶世はそのように考えたのだろう。民間にも広く、才子の存在が受け入れられることを願って伶世は様々なまじないを世に送り出してきた。

 竹のように見えるこの笛は実は才子の織り上げた料紙で成り立っており、原理は伝頼鳥てんらいちょうのそれと大きく異ならない。才の有無に関わらず効力を発するが、使用は一度に限られる使い捨てのまじないだ。料紙の種類や才子の才量によって価格が変動し、市井でも広く流通しているが、文輝ぶんきが義姉であるこう玉英ぎょくえいから渡されているのは高額な気笛にあたる。

 このまじないであれば一吹きで大人二人程度を軽々と運ぶことが可能な風切鳥ふうせつちょうを編み出すことが出来るだろう。矢薙やなぎは地を這う怪異だ。中空を舞えば当然それ以上の追撃からは免れる。玉英がこのような窮地を察して差配したのかどうかは不明だが、今、文輝と子公しこうを救えるものがあるとしたら、それは多分気笛だけなのだということを二人ともが察していた。

 土石の濁流が石段を滑り落ちてくる。九十九折つづらおりを必死に駆けている子公の右服うふくの襟首を掴んで、そうして文輝は子公の体躯を中空へと放り上げた。それと同時に気笛にひゅっと息を吹き込む。音がするや否や気流が絡み合い白色の鷲の姿を形取る。顕現した風切鳥は文輝の意思に従う。宙に浮いた子公を器用に背に受け止めると、山肌から跳躍した文輝の腕を脚で捉えて中空高く舞い上がった。矢薙の追撃は文輝の読み通りそこで終わる。二、三度現場の上空を旋回すると、標的を失った矢薙がずるずると四阿あずまやの方へ後退していく。石段の不自然な隆起と門番の不在の大まかな原因はこの怪異によるものだろう。そこまでを結論とし、信天翁あほうどりに会うのは事実上不可能だという解を得て文輝は風切鳥を城郭まちの中心部へと向けて飛翔させた。

 風切鳥の背に跨った子公が沢陽口たくようこうを見下ろしながら言う。


「黄老師せんせいのなさることは本当に無駄がない」

「……お前、俺以外には普通に敬意あるのな」

「何を言う。貴様にも敬意を持っているだろう」


 でなければ今頃こうして言葉を交わしていまい。言った子公の声音は硬質一辺倒だったが、その分真実味を帯びている。青東国せいとうこくの貴族というのは気位が高い、という評は西方大陸まで遠く聞こえ来る。文治国であるがゆえに学があり、弁舌に長けているのが常だとも聞いた。その中で、子公がどの程度の位階の貴族だったのかは文輝が知るところではない。話したくなればいずれ子公が自ら語るだろう。そう思って二年が経った。文輝は未だ「貴様」呼ばわりだが存在を拒絶されることも無視されることもない。何らかの価値があると判じられている。それだけがわかっていたから、文輝は子公の好きにさせた。文輝が持たない知を持ち、それを適切に采配するのであれば文輝にとってもまた価値がある。

 だから。


「まぁいいか」


 文輝には今「赦す」という概念がある。無礼を不敬を無知を許す心があればこそ、文輝の身は少しずつ昇進した。己の誇りなど些末なものだ。そこに拘泥したところで事態が好転するとい確約はない。なれば、文輝は一つのことを学んだ。目の前にあるものを受け入れ、認め、そうして「赦す」。不如意も不手際も未熟な己自身すらも許して、文輝は前へ進むことを選んだ。

 明日の空を知るものはどこにもいない。

 人は皆、今日だけを生きている。白帝ですら明日の景色など知らないだろう。それをして人の身で未未来を望むなど過ぎたることの最たる例だ。今を生き、昨日を紡ぎ、明日に至る。

 

「怪異というのは実在するのだな」


 白い鷲の背中に跨った子公が沢陽口の上空でそんなことをぽつり呟いた。怪異というのは西方大陸にしか発生しない自然現象である、と子公がかつて語った。四方大陸は天帝――四柱の大神の庇護をそれぞれに受けている。天帝は天龍とも呼ばれ、神の系譜としては至極単純だ。神祖しんそ黄帝こうていの四人の子が四方大陸を黄帝から割譲され、その直系にあたる神々が代々守護を司っている。

 天帝は代替わりをするごとに神としての力を失う、とこの世界で住まうものは皆知っていた。西方大陸の庇護神・白帝はくていは三度の代替わりを経験し、現在は四代目の龍であるというのが世界の通説だ。幼子ですらおとぎ話でその神話を聞く。神としての力を欠けば当然、庇護も弱まり人々の信仰心は薄れる。神などおらずともいい。その感情を断ち切る為に天帝は皆、代替わりの際に天仙てんせんを招き入れた。天仙というのは天に仕える仙であり、人理を越えた立場から天帝の補佐を務める。二十四白にじゅうしはく、というのがそれだ。白帝は自らの権威を保つ為に二十四もの天仙を要した。

 それに引きかえ、子公が生まれ育った東方大陸の庇護神はまだ一度しか代替わりをしていない。六華青ろっかせいと呼ばれる天仙はその名の通りたった六で天帝を補佐する。その大神に守られた青東国において怪異の発生などは迷信や訓話の類程度の認識しかない。

 子公が西白国の民に対して信心が過ぎる、と感じたのは無理もないことだっただろう。沢陽口ほどの城郭ですら家々に護符がある。天災と同様に怪異と遭遇した際の心構えなどが伝わっている、とあればよほどの臆病か、でなければ過ぎた信心であると判ずる他ないのは道理だ。

 西白国さいはくこくの地に流れ着いて四年。子公が怪異と出会ったのは正真正銘、今が最初だ。

 しかもこの天災級の怪異の発現に驚かない筈などないだろう。

 文輝は大鷲の脚にぶら下がりながら、自らの副官が本当に異国の民であったのだということを実感した。

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