第30話 黒いジープ

「どうしてそれを早く言わないんだ!」


 ブギの話を理解した今村が怒髪天をついた。 


「そっちが『落ち着いてから話せ』とか言って座らせたんじゃないか」


 また言い争いを始めた2人を置いて、私は立ち上がった。全員の視線が私に集まった。


「そのヤクザはきっと『十兵衛あにィ』とかいうヤツだ。なら行き先は明らかだ。僕はノガミに行く。」


 私は今村とブギを交互に見て尋ねた。


「そこで喧嘩してるか? それとも一緒に行く?」


 今村もブギも喧嘩をやめ、固い決意を込めて立ち上がった。すると矢田部が言った。


「上野まで歩いて行く気か? 送るぞ。それに、進駐軍の知り合いが力になってくれるかもしれない」



 私たちはリリーへの礼もそこそこに、庭のオート三輪の前へ走った。荷台に乗らなくてはならないが、問題ない。


 

 そのときだった。



 静寂な森の奥から、車のエンジン音が聞こえてきたのだ。


 私は、オート三輪の前で矢田部が訝しんで眉をひそめるのを見た。それもそのはずだ。こんな未開の場所に車で踏み入って来る者など滅多にいないはずだ。


 異様な空気が流れる中、微かに嫌な予感がした。まさかな、まさかな、と心の中で繰り返した。しかし、道中に残してきたあの地図をヤクザが見つけたとしたら、可能性はある。

 エンジン音はどんどん近づいて来る。


 私はポケットの中で、さっき今村からもらった「武器」を握りしめた。いざというときは戦うつもりだ。匠の仇を討つためにも、親切にしてくれた矢田部夫妻に報いるためにも。


 

 厳つい黒いジープが、私達の正面の木々の隙間から姿を現した。まるで鏡のようにピカピカに磨き上げられた漆黒のジープは、私たちの目の前で停まった。


「よぉ、また会ったな、ボウズ」


 運転席の男がブギを認めて声を掛けた。ブギの言った通り、どう見てもカタギでない雰囲気だ。斜め後ろの席には、確かに今朝会った山中勝四郎が座っている。


 目を見開いて硬直するブギを守るように、私と今村が前に踏み出した。私と今村はポケットにそれぞれ「武器」を隠し、キッと男を睨みつけた。


 今村が叫んだ。


「本庄匠は無事だろうな?! アニキに何かあったら、アタシがタダじゃあおかない!」


 ヤクザ男が、今村を鼻で笑った。


「そいつが噂の女か。匠もいい趣味してるぜ」

「は?」


 今村がヤクザ男を睨みつける。

 こうなったらもう引けない。私も啖呵を切ろうと口を開きかけた。


 するとそのとき、勲がスッと私たちの前に進み出た。驚いたことに、彼は穏和な表情を浮かべてヤクザ男に挨拶した。


「わざわざこんな秘境までお越しいただきまして。私は矢田部という者です。おたくはどなた様でおられますか?」


 ヤクザ男は運転席でふんぞり返ったまま答えた。


「竹中組の安田十兵衛というモンだ。ガキを1匹届けに来た。……おい、さっさと行け、匠。オレがコイツらを全員始末しちまう前にな」


 私は飛び上がるほど驚いた。車が正面に停まっていて、十兵衛の影に隠れて見えなかったが、後部座席に匠が座っていたのだ。


 匠は黙ってジープを降り、こちらへ歩いてきた。私たち3人は皆、思いの丈があふれるようにわっと匠に駆け寄って抱きついた。

 匠は困ったように小声で「心配掛けて悪かった」と言った。


 私たちの後ろで勲が十兵衛に言った。


「こんなところでは何ですので、居間へお入りください。何もございませんが、茶などいかがでしょう?」

「いや、結構。無駄話には反吐が出る」


 十兵衛はそれだけ言うと、ジープをバックさせ、180度方向転換して発進した。


 ジープが森の中へ消えて行くとき、匠が声を張り上げたので、私たちは皆びっくりした。


「十兵衛兄ィ! これまでありがとうございました! 必ず全うに生きてみせます!」


 十兵衛も勝四郎も振り返らなかった。ただ、私には十兵衛が片手を上げたように見えた。

 

 匠は、遠ざかるジープの後ろ姿に深々と頭を下げた。ジープが完全に見えなくなるまで、そうやって頭を下げ続けた。

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