第40話 国賊

 勲とリリーは、私たちに風呂を貸した後、自分たちの寝室を明け渡してくれた。今村とブギは、「こんなフカフカの寝台は初めてだ」と大興奮し、2人仲良くそこに寝入った。


 匠と私は、リリーが寝台の横に並べてくれたマットに横になった。


 布団に入った後も、私はなかなか眠れなかった。

 匠も同じだった。矢田部勲の出現を手放しで喜んではいない風で、眠れないのか何度も寝返りを打っていた。



 

 下弦の月が寝室の出窓から部屋を照らし始めたとき、私は身体を起こした。ウトウトしかけていたが、何故か急に頭が冴えてしまった。

 月明かりで時計を確認すると、午前1時。殆ど寝た気がしない。


 そのとき、寝返りを打ってこちらを向いた匠と目が合った。ちょっと気まずい。


 私は尋ねた。

「眠れないのか?」




 私たちは、今村とブギを起こさないように寝台から出窓によじ登り、月明かりの下に並んで座った。


「いい話じゃないか。また妹と暮らせる」


 私が言うと、匠は「うん……」と奥歯に物が挟まったように答えた。らしくない。


「不安なのか? それとも何かあるのか?」


 私が尋ねると、匠はまた歯切れ悪く答えた。

「オレはずっと父親のことは忘れたことにしてた。それなのに、本当に良いんだろうか」


「いいに決まってるだろ」

 私は熱を込めて答えた。


「これは、言ってみればお父さんが君に残した財産みたいなもんだ。大手を振って受け取ったらいい」


「その父をさ……オレ、ずっと軽蔑してた」


 私は言葉を失った。「なんで」と訊ねて良いものか迷っていると、匠は自分から話し始めた。




 匠が最後に父と会ったのは、5年前、7歳のときだった。子煩悩な父で、匠はよく膝に乗せてもらい、「飛行機ごっこ」をした。


 曲がったことが嫌いで頑固なところがあったが、妻子にはとても優しかった。匠は父を心から尊敬し、将来は父のように法律に携わる仕事に就きたいと思っていた。


 父の出征が決まったとき、千人針を縫う女たちの隣で、匠は妹の面倒を見ながら父に手紙を書いた。「正義を貫くお父ちゃんを誇りに思います。お勤めを果たして、元気にお帰りください」と。



 半年後、匠の家に戦死公報が届き、一家は悲しみに暮れた。


「鷹取二等兵 変死」


 そこにはそう書かれていた。少佐だった夫が最下級の兵卒として亡くなったことに、母は首を傾げた。そして、葬式のときに近所の物知りのお爺さんに尋ねた。


 それが間違いだった。

 お爺さんは言った。


「おそらく国賊として処刑された、ゆぅことやないか」


 程なく噂が広がり、匠たち遺族も国賊と罵られ、隣組で村八分にされた。配給の列に並んでも米をもらえず、たちまち鷹取家は困窮した。


 尋常小学校2年だった匠も、学校で手酷い扱いを受けた。匠の言を借りると「自分で言うけど、元は人気者だったんだぜ。それがめっきりさ」ということだ。


 教師や友人から掌を返され、集団から理不尽な虐めを受ける。そんな恐怖と屈辱を早い段階に知ったことが、匠の「強気を挫き弱きを助く」価値観を決定づけたようだ。


 あるときは5、6人の級友に取り囲まれ、目が開かなくなるほど殴られた。あるときは、教師に衣服を剥ぎ取られ、皆の見ている前で泥を食わされた。


 母は熱心な仏教徒で、どんなときも「和」を重んじるよう匠に言いつけていた。しかし、一家は寺からも除名されてしまった。


 それでも母は、父を信じていた。何をされても決してやり返さず、心を穏やかに保つよう子供たちに説いた。そうすればいつか、自分たちを理解してくれる人が現れると。


 しかし、匠は大好きだった母の言いつけを守れず、たびたびいじめっ子を叩きのめした。特に、母や妹を侮辱されたときは我慢出来なかった。


 そのせいで「鷹取の息子は父親に似て反社会的」「母親の躾が悪い」と噂され、匠たち家族は日増しに追い詰められていった。


 そして、とうとうその日が来た。


 大阪大空襲の日、匠たちは防空壕に入れてもらえなかった。既に壕の中は人が鮨詰めで空気が薄く、皆押しつぶされて窒息しそうだった。

 迫り来る大火を背にして、母親は地面に額を擦り付けた。やっと匠と百合子だけは入れてもらえたが、母は壕の外で焼け死んだ。


 匠はそこまで淡々と語っていたが、急に顔を歪めた。


「近所のおばちゃんに言われた。『可哀想やけど、アンタらのお母ちゃん殺したんはお父ちゃんやねん』って。オレには分からんかった。お母ちゃん殺したんは誰や? ホンマにお父ちゃんなんか? ちゃうやろ。戦争や。隣組や。そやけど誰も『ちゃう』ゆぅてくれへんかってん。そしたらやっぱり、悪いのはお父ちゃんなんやろかって……」


 封じ込めたはずの記憶を蘇えらせたからか、感情的に吐露する匠の口調に過去の言葉が戻っていた。それに自分で気がついたのか、匠は口籠もって俯いた。


「お父さんのせいじゃなかった。キミのお父さんは立派に戦ったんだ」

 私がそう言うと、匠は頷いた。


「ああ。だけど、そのときにオレ、決めたんだ。もう父のことは忘れる、今までの名前は捨てるって。名乗った途端に石が飛んでくる、そんな呪われた名前はもう要らないと思った。その原因を作った父のことも……」


「仕方ないさ。きっと僕だって、誰だってそうする。それで自分を責めることなんて無い」


 私はそう言ったが、匠は首を横に振った。


「父の名に恥ずかしいことばかりして来ちまった」

「これからやり直したらいい」


「聞けよ。オレが何をして来たか、全部話すから。それでももし、オマエがそう言ってくれたなら……」


 私は頷いた。流れ星がひとつ、私たちの頭上を通過して行った。

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