第10章 鷹取敬介

第39話 戦友の息子

 全て話し終えたとき、勲はまた涙していた。


「戦後、命からがら帰国したオレは、リリーと一緒に大阪行きの列車に乗った。でも、鷹取家は焼けて無くなっていた。近所の人に聞いたら、奥さんは亡くなって、子供たちはどうなったかわからないと言う」


 話し続ける勲と、勲の目を見てじっと傾聴する匠。固唾を飲んで見守る今村、ブギ、私。

 リリーがまたココアを作って来てくれたが、この状況で飲んでいいのか迷って、誰も手をつけていなかった。


「オレとリリーは手当たり次第、大阪の孤児院を訪ね歩いた。キミのその顎下のホクロを目印にしてな。1ヶ月が過ぎた頃、やっと茨木寮を見つけた。……監獄のような酷い孤児院だった。キミはとっくに逃げ出した後だったよ。そこにいた子供たちに聞き込みをして、キミが『匠』と名乗っていたことを知った。さらに、『汽車を無賃乗車する方法を知りたがっていた』と。その子たちの予想だと、東京に行ったんやろう、と言うことだった。」


 ブギが横から私を突ついて来た。ココアを指差している。飲みたいなら飲めばいいのに。

 勲の話は続く。


「オレたちは早速東京に帰ってきた。でも広い東京の、どこを探したら良いのか全く分からなかった。毎日キミと百合ちゃんを訪ね歩いたが、一向に見つからない。そもそも本当に東京にいるのかどうかすら怪しい。途方に暮れていたんだ。東京近辺の施設への訪問は続けていたが、正直なところ、半分諦めていた。」


 ゴクッゴクッと、ココアを一気飲みする音が部屋に響いた。ブギがついに我慢しきれなくなったらしい。そんなブギを、今村が白い目で見ている。

 構わず、勲は感無量で匠の手を取って言った。


「それがどうだ。自分から来てくれたなんて、オレには運命としか思えないぜ」


 ココアを飲み終えたブギが、口周りを舐め回しながら差し挟んだ。

「オレの勇気に感謝だな。ここに一番乗りしたのはオレだもん」


「黙れよ」と今村が冷たく言い放った。


 勲は匠の手を握ったまま頭を下げた。


「鷹取さんが亡くなった原因の半分はオレのせいみたいなもんだ。ずっとキミに謝りたかった。申し訳ない。……オレだけ生き残ってしまった」


 勲の膝が微かに震えている。少し離れたところで、リリーが心配そうに見守っている。

 匠は、感涙するでもなく、困惑するでもなく、じっと勲を見守り続けていた。いきなり聞かされた父に関する情報を、頭の中でまだ整理出来ていないのかもしれないと、私は思った。


 ふと、匠は口元に笑みを湛えた。仲間が意気消沈しているとき、いつもそうするように。


「それは父が選んだ道で、おじさんが責任を感じることじゃありません。きっと軍法会議に掛けられたのがおじさんじゃなくても、父は同じことをしたんじゃないでしょうか。そんな気がします」


 打ちひしがれる中年男を慰める小学生という、奇妙な図が出来上がった。これではどちらが大人だかわからない。


「父の分も生きたらいいです。それが父の望みだったはずです。オレもおじさんに会えてよかったです。真実を教えてくれて、ありがとうございます」


 匠は、不自然なほどに淡々としていた。そんな匠に、勲はこう言った。


「君さえ良ければ、ここで一緒に暮らさないか? 百合ちゃんもきっと探し出そう。オレと、リリーと、4人で暮らさないか」


 今村とブギが、「わぁ!」と歓声をあげた。ここなら食べるものに困ることは無さそうだし、オマケに匠の念願通り百合子と暮らせるようになるのだ。

 もっと喜ぶべきところなのに、匠は相変わらずクールな微笑みを浮かべたまま口を開いた。


「ありがとうございます。でも、ご好意に甘える訳にはいきません。自分で何とかやっていきます」


 ブギと今村は一斉にブーイングした。

「何でだよ? いい条件なのに」

「格好つけてる場合じゃないぞ。こんな機会は2度と無いぞ」


 静観していた私も口を挟んだ。

「矢田部さん、匠は今、混乱しているようです。答えを待ってやってくれませんか?」


 匠が「心外だ」という顔で主張した。

「混乱なんかしてない。もう決めたんだ」

「いいや、キミは今、混乱している。答えを急ぐな。」


 匠は本気で怒っていた。

「オレの問題に口出しするな」


「口出しなんかしてない。最終的に決めるのはキミだ。キミらしくない愚かな選択をしないように意見しているまでさ」


「うるさいな、史人はいちいち」


 匠は私を睨んだ。でも、「愚か」という言葉に反論しないところを見るに、自覚はあるのかもしれない。


 やりとりを見ていたリリーが、初めて口を開いた。


「敬介クン、イキナリ言ワレル、混乱スル。少シ、考エル時間、必要デス。」


 匠は、何か重大なものを心の奥に封じ込めて、2度と開かないようにしているようだった。

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