第4話 赤いスカート

 馬子にも衣装、というやつだ。


 顔や手足の汚れを落とした今村は、意外にも色白だった。長いまつ毛につぶらな黒曜石の瞳、薄桃色の唇。髪をとかし、ピッタリした白いブラウスと赤いスカートに身を包んでいる。いつもダボっとした服を着ているから気がつかなかったが、思っていたより華奢だ。動くたびに、膝丈のフレアスカートがフワリと揺れる。


 認めたくなかったが、私の目には十分魅力的に映った。彼女が姿勢を正して黙ってさえいれば。


「あいつ、なんでこんなときに限って見つかるんだよ、ウスノロ」


 ガニ股で腕組みして悪態をつくその姿は、さながら完成度の高い女装のようだ。


 匠が裏庭の時計を見上げながらつぶやいた。

「もうかれこれ40分、反省小屋から出て来ないな」

 

 匠が顔を上に向けると、顎の下に特徴的な並びの4つのホクロが出現する。それが見えるたびに私は、雑誌で見た南十字星のようだと思った。とても珍しいので、たびたび見入ってしまうのだったが、このときはそれどころではなかった。



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『反省小屋』というのは、施設の裏庭にポツンとある古い納屋だ。小窓がひとつしかなく、中はじめっと薄暗い。当然照明器具も無い。

 納屋の中央に、ポツンと木の椅子がひとつ置いてある。問題を起こした子供がそこに座らされて事情を聞かれたり、体罰を受ける。そのため、『反省小屋』は子供達からたいそう恐れられていた。

 そして私たちは4人とも、この『反省小屋』の常連だった。



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「余裕を持って時間を組んであるけど、何か起きたら間に合わなくなるよ」


 私がそう言うと、

「ちょっと小窓から見てくる」

 と今村が歩き出した。私と匠は急いで今村を止めた。


「今見つかったらまずいよ」

「そうだ、もしブギが全部ゲロってたらどうする? その場でオレたち全員御用だぞ」


 今村は悔しそうに唇を噛んだ。



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 煙草は、私達4人が協力して入手し、施設の中で売りさばいていた。


 いくら闇屋とはいえ、昼日中に子どもに禁制品を売るようなことはしない。だから仕入れに行くのは決まって夜だ。


 もともと、深夜に抜け出してコソ泥のような真似をしていたのはブギだった。


 ブギは1945年3月の東京大空襲で家族を失ったあと、数ヶ月間浮浪児を経験した。終戦直前の7月にに遭い大怪我をして保護された。それから、かれこれもう4年も施設ここに収容されている古参だった。


 施設で出される乏しい給食は、あっという間に体格の大きい子に奪われた。ブギはひもじさから、近隣農家の軒先に干してある芋や野菜を目当てに抜け出すようになったのだ。そしてあるとき、たまたま深夜に抜け出しているところを、入所して半年目の今村に見つかった。


 今村は一昨年、1947年の秋に収容されていた。親父さんが生きているが一緒に暮らせない状態にあり、警察に保護されて連れてこられたそうだ。


 ブギの不正を見つけた今村は、「黙っててやるからアタシの分も取ってこい」とブギを焚きつけた。


 ちょうどその頃、つまり1948年春、匠が収容された。彼は入所早々に脱走経路を思案していたところ、ブギと今村の悪事に気がついて目をつけた。

 

 そして3人は悪の組織となった。


 深夜に抜け出して農家で食べ物を漁っては、施設内で密売するようになった。匠は、盗みを野良犬の仕業に見せかける術を心得ており、バレたことは一度もなかったという。



 とはいえ、普通の孤児は自分の小遣いなど持っていない。密売相手は、街での恐喝やスリを常習としている不良連中だった。


 苦労して盗み集めた食料を、ときには体格の小さい子にタダで配ってしまうこともあり、3人が手にする利益は微々たるものだった。



 その年の夏に、新入りの私がそこへとして入るようになってから、悪の事業が本格化した。



 当時、日本全体が食糧難、物資難に陥り、配給分だけで生きていくことは不可能だった。その上、様々な生活必需品が禁制品とされ、人々は闇市を利用せざるを得なかった。そんな人々の困難に付け込むように、闇製品は正規品の何十倍もの値段で売買されていた。


 そんな闇製品を扱う闇屋に、匠や今村やブギは、頻繁に出向き、禁制品を手に入れられるようになったのだ。

 仕入れの金は私の実家から調達していた。

 

 私は都内でもそこそこ名の知れた家に生まれたが、親との折り合いが悪かった。それで全寮制の学校に預けられたのだが、反抗心から物品破壊を続けたせいで3度退学になり、2度の転校を経て、施設に送られていた。実質厄介払いではあっものの、毎月生活に困らないだけの小遣いは送ってもらえていた。


 とはいえ、浮浪児上がりの連中がウヨウヨいる施設で、私のような軟弱なインテリ崩れが金を持っているとどうなるかは、言うまでもないだろう。

 

 何度目かの、いわゆる恐喝を受けていた最中、割って入ってきたのが匠だった。匠は私を助け、金の管理を申し出た。


 彼はほんのひと握りの駄賃だけで、実に熱心に私の財布を守った。寝巻きや風呂の中にまで肌身離さず財布を持ち歩き、チョロまかすことも一切無かった。そのくせ、年下の子が靴を失くして買ってもらえないと知るや、すぐ私に打診してきた。


 匠にはそういうところがあった。仕事熱心で、自分には大した得も無いのに、弱者を全力で守ろうとするところだ。

 それが彼の弱点でもあり、大人になってからはそのために墓穴を掘ることになったといえる。



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「とにかく、ここでブギが解放されるのを待とう。行くのは最悪、今日じゃなくてもいい」


 匠はそう言って今村をなだめたが、本当は一刻も早く行きたかったはずだ。

 

「置いていくしかない」

 と私が言った。


 匠と今村が一斉にこっちを見た。私はもう一度言った。


「もしブギがゲロってた場合、明日には僕たちへの監視の目がもっと厳しくなっているはずだ。行くなら今しかない」


 数秒の沈黙のあと、今村が応じた。


「……そうだな。あいつ、喋っちまいそうだしな。……うん。大先の言うとおりだ。行くなら今だよ」


 匠は、悔しそうに反省小屋と庭の時計を交互に見ていた。そして口を開こうとしたとき、なんと反省小屋の扉がガラガラと開いた。


 指導員の佐々木と田辺に連れられてしおらしく出てきたブギは、隙を見てこちらにアメリカ式のピースサインをした。

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