第1章 旅の始まり

第1話 プラタナスの事務所

日没にちぼつに骸骨が踊るらしいぜ。すげぇんだ、黄金なんだってよ」


 大興奮してそう告げに来たのは、チビで鈍臭い、虚言癖のブギだった。私の脳内では、燃え盛る火の中で回転する女学生の骸骨が再生されていた。




 ときは今から28年さかのぼる1949年の8月。夏休み真っ只中だった。

 

 児童保護法が施行されてから1年半余り、孤児院は「養護施設」と名前を変えた。孤児や保護児への過度な虐待が是正され、やっと軌道に乗ってきた頃だ。


 そこは東京都江東区の養護施設『しあわせの村』だった。


 長屋がズラッと並ぶ住宅街の一角に、その施設はあった。都心に近い割に敷地は広く、近所にも走り回れる空き地があった。そのため、多少の衣食不足や体罰に目をつぶれば、そこそこ居心地が良かった。

 

 私たちは、別れのときを1ヶ月後に控えていた。


 養護施設『しあわせの村』は年少者の保護に力を入れるため、12歳以上の子供を他所へ移す取り組みを始めていたのだ。2学期が始まると同時に、私たちは別々の施設へ送られ、バラバラになる予定だった。


 裏庭のプラタナスの木陰が、私たちのお気に入りだった。低木の茂みに囲まれて、外から見えにくくなっていたのだ。この場所を私たちは「事務所」と呼び、喫煙や悪巧わるだくみの相談に利用した。

「事務所」というのは、「暴力団事務所」になぞらえた言葉遊びだった。





「また言ってるよ」


 呆れ顔で札束を数えているのは、リーダーのたくみだ。今村も「もう慣れっこだ」と同調した。


「最初は『ヨダレを垂らした凶悪な人面犬』だったか。先週は『斧を持った女のミイラ』と戦ったんだったな。で、今度は『踊る黄金の骸骨』か。」


「今度は本当なんだってば!」

ブギが必死で訴え、助けを求めるように私の顔を見た。





 ブギ、というのはあだ名で、彼の本名は笠置潔かさぎきよしと言った。

 少し前に流行った流行歌『東京ブギウギ』を歌う女性歌手と同姓だったことから誰かがそう呼び始め、一気に広がった。彼自身もこのあだ名を大変気に入っていた。

 学校の徒競走でドベになった罰として「何かしろ」と言われたときも、調子良くこの曲を歌ったほどだ。



 今村は女子だったが、同年代の男子の誰よりも背が高く、喧嘩っ早かった。そして、駆逐艦「夕立」の乗組員だった父親をとても誇りに思っており、ときどきひとりで会いに行っていた。


 「女のくせに」と思ったことは無かった。彼女の存在は余りに異質過ぎたからだ。真っ黒に汚れた顔でモンペを履いており、男に混じって喧嘩するせいでよく「反省小屋」に閉じ込められていた。 

 彼女には右手の小指が無く、そのことを揶揄からかわれると、相手が誰だろうと癇癪を起こして向かっていくのだった。


 そんな性格なのに、彼女は私たちに対して、自分を「クララちゃん」という可憐な愛称で呼ばせようとした。私たちは常々「絶対にお断りだ」と言い張っていた。

  


✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎



「まぁ、聞くだけ話を聞こうよ」

私は少年誌を閉じ、脇に押しやりながら助け舟を出した。


「仕方ないな。話せよ」

匠が許可した。ブギの話はこうだった。




 昨夜、ブギはいつものように厨房の小窓から抜け出して、近くの闇屋へ食料や煙草を買い出しに行った。この闇屋は、表向きには普通の瀬戸物屋だったが、裏では砂糖や石鹸などの禁制品の密売で利益を得ていた。


 闇屋に着いたとき、店主と客が何やら話し込んでいた。客は千葉県からやって来ているようだった。

 近くへ寄って耳を澄ますと、こんな話が聞こえて来た。

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