第221話 擬装
女王殺害のニュースは大々的に報じられ、既に国葬も執り行われた。これまで国の方針をほぼ一人で担ってきた女王の喪失は政治的な大混乱を招いている…が、街を歩いてみると国民の間にそれほど大きな混乱があるかと言えばそうでもない。全体的に湿っぽい雰囲気はあるけどそれは女王の死に起因するわけではなく、ただでさえ回復の兆しの見えなかった不景気に、終戦記念日に起こった武装蜂起が拍車をかけるのではないかという不安からきているようだった。
「国の政治よりも自分たちの生活が優先…ま、それが現実ってことよね」
「そりゃそうさ。国のために戦おうって戦場に飛び込んだ志願兵だって、数週間も前線に立てば戦う理由は自然と別のものに切り替わる」
行き交う人々は一様に私たちに視線を浴びせてくるので、内心冷や冷やしながらもフィンバラの街並みを歩く。
「別の理由?」
「色々あるだろうけど、多くの場合は死線を共に潜り抜け、互いの命を預け合う戦友に少しでも長く生きて欲しい…仲間のために戦うようになるんだよ。それが結果として自分を助けることにも繋がるからね」
「国なんかどうでもよくなるってこと?」
私が戦場に立ったのは今回の決起が初めてだ。それも一日だけだから、戦場に立つ兵士の心境を本当の意味で理解したとは言い難い。隣を歩く連れは私の言葉に首を横に振った。
「さすがにそこまでではないかな。自分たちの寄って立つ国家という存在の大切さは忘れない…けど、人間は自分の手に余る巨大な目標よりも、自分でも多少なりと寄与出来る身近な目標を優先処理しようとするものだよ」
「なるほどね。……あのさ、いくらこんな格好しているとはいえ…こんなに堂々と歩いてて大丈夫なの?」
私の不安な声に、そこかしこに過剰とも思えるぐらいにフリルがあしらわれたドレスを纏い、原形を忘れそうになるほどの…舞台メイクみたいな化粧を施されたイーグレットがこちらを振り返ってきょとん顔を見せてくる。これがグリフィロスナイツで女王の懐刀だった人物と同一とは誰が想像出来よう。確かに変装としてはこれ以上ない出来栄えではあるけども…。
「大丈夫なんじゃないか? 現にこの一週間ばかり出歩いていても平気じゃないか。これで当然って顔をしていればいいんだよ」
そうは言うけども、私は未だに違和感を拭い切れない。今までウィッグを付けたことなんて無かったし、カラーコンタクトだって初めてだ。異物が眼球に張り付いていると思うと、正直あまりいい気分じゃない。ふと目の前に立つ彼に目を向ければ、彼の付けているやたらとボリューミィなウィッグと、二次元の世界でならたまに見かける不自然なぐらい長いツインテールが似合い過ぎてて…違和感仕事しろと言いたい。その視線に気付いたのか、そのやたら長い髪を撫でてみせる。
「…まぁ、最初はぼくも驚いたけどさ。慣れれば気にならないよ」
無表情ではないが、何を考えているのか解らないいつもの表情。この仮装パーティーのような衣装は彼の元部下が軍から退役した後に開いたブティックで借りたものだ。
…あの時、土煙に飲み込まれた私とイーグレットが飛び込んだのは果てしなく続く縦穴。最初なんのための空間なのか理解出来なかったが、そこはトンネル内の空気を循環するために設けられた巨大な通気口だった。
片方が匣庭と接続されているためか、匣庭に近い奥側を整備する際の点検通路としても使用されていたらしい。ひとまず土砂に埋もれて圧死する危険からは逃れられたことへの安堵で呆然とする視線を、微かに上へと流れる風につられて遥か上方へ向けるが、漆黒の闇に吸い込まれて行方の解らない階段が円筒形の外壁を蛇のように這っていた。それから二人で階段を延々と上り続け、疲労と空腹と渇きとでへとへとになった頃にようやく最上部まで辿り着いた。
随分と久し振りに出た外の世界は夜の闇と静寂に包まれ、葉擦れの音と微かに聞こえる漣の声が湖畔から程近い場所であることを教えてくれた。動きたくても動けず、地面の上で横になって肺に新鮮な空気を取り込む。ふと一人分の足音が遠ざかっていく…が、そんなことは気にならないレベルに蓄積された疲労のせいで動かせるのは眼球程度だ。しばらくすると足音が戻ってきた。
「…エルダ」
ほぼ闇と同化したイーグレットが隣で膝をつき、右手を背中の後ろへと差し入れて上体を持ち上げる。ふと目の前に差し出されたのは、大きな葉っぱを器用に折りたたんで作ったコップに汲まれた水…それを水と認識した瞬間、今の今まで動かなかった両腕がそのコップを掴んで口へと運ぶ。
「最初の一口は飲んじゃ…って、そうもいかないか」
土煙と埃にまみれながらここまで来たのだ、最初は口の中を濯ぐのが先だと言いたかったのだろうけど無理な話だ。
渇き切った喉を一刻も早く潤せという本能の叫びに体は制止が効かず、彼の汲んできた水はあっという間に食道を通って体内へと注ぎ込まれた。最後の一滴まで飲み干そうとコップを掴んだまま体を反らして天を仰ぐ。ひとまず喉を潤せたことで安心した体が、今度は喉の奥に張り付いていたであろう埃を排出しようと咳き込んだ。
「焦って飲むからだ、大丈夫かい? …また汲んでくるから、待っててくれ」
私の背中を少しさすると私の両手から葉っぱのコップを取り上げながら立ち上がり、再び漣の聞こえる方へと歩き去る。数m離れただけで姿が見えなくなる…夜の森であの黒はまさにステルスだな、と上手く働かない頭がそんなことを考える。おそらく足音を立てて歩いているのだってわざとそうしているのだろう。自分はここにいる、と私に示しているのだ。もしかしたら周りに女王のシンパや軍の人間がいるかも知れないリスクを考えていないわけは無いだろうが、暗殺者としても過ごしてきた彼の方が今の私よりは周囲の気配を感じ取れるだろうとは思う。
それから二度、イーグレットには水を汲んできてもらって少しずつ体も落ち着いてきた。彼は纏っていたマントを外して私の体をそれでくるむと、背中と膝の裏とをそれぞれ手で支えて抱きかかえる。
「君は少しでも寝ててくれ、夜が明けないうちに少しでも移動しておきたい」
そう言いながらも歩みを進めるイーグレット。肉体的なダメージを驚異的な速度で自動修復する体を持つ者であるということは知っているが、疲れを知らないわけでは無いはず。現に平然と歩いているように見えて膝が笑いそうになる時がある。
「移動って、どこへ?」
「ん~、終着点も中継点も着いてからのお楽しみってことにしておいてくれ。安心して、あてが無いわけじゃないんだ。あと二、三回ぐらいは犯罪に手を染めるだろうけどね」
「…女王を裏切った、あなたに協力して…れるよ、な…」
ふと急激な睡魔が呂律を危うくさせる。視界が歪み、彼の歩みに合わせて上下する振動で頭が前後にぐらぐら揺さぶられる。
「ほら、肉体的にもう限界だろう? 次に目が覚めたら牢屋の中…なんてことにはさせない。だからおやすみ、エルダ」
背中を支えていたイーグレットの右腕にぐいっと上体を持ち上げられ、頭が彼の肩の上に導かれる。やや不穏な台詞が聞こえたような気もするけど、彼の言う通り体はとっくに限界だった。体を包む黒い守護騎兵のマントに飲み込まれるように意識が暗転し、眠りの深いところまで一気に落ちていくのを感じた。
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