第169話 暗躍

 鉄臭い血の臭い、転がる女性士官の胴体と頭…やれやれ、自分でやったこととはいえ最悪な気分だ。軍刀を一度振って付着した血を振り払い、鞘に納める。以前昇格祝いにと言われてルシフェランザ軍のレイシャス・ウィンスレット大佐からもらった軍刀…デイジー隊のエンブレムが雛菊と刀だったからと、彼女の部下であるミコト・タチバナ大尉が用意してくれたものらしい。デザインも好みだったから帯刀させてもらっていたのだけど…血を吸わせてしまった。


「いつまで寝てんの、大尉」


 口に貼られたテープを乱暴に剥がすと、呻き声が聞こえてきた。


「…メファリア、准将?」


「スタンガンは効くのね。とはいえ常人だったら死んでそうな出力っぽいけど…」


 首元にわずかに残る焦げたような火傷痕を見てそう思う。手足の拘束を解いてやったら、粘着剤の付着してた辺りをさすりながら上体を起こした。


「これはもう、状況開始…と思っていいのかしらね?」


 以前カイラスを通じて渡された指令書のカードを取り出す。


「……そうだね。その指令書の中身は大体察しがついてるだろうけど、すぐにルシフェランザへ渡って欲しい。彼女たちとの合流以降はあちらの指示に従ってくれ」


「あなたはどうするの? ここも安全とは言えなさそうだけど…」


 私がこのタイミングで国を離れるのは…後でカイラスにどんだけ恨まれるか解らないけど、まぁ基地内で女性士官を斬り殺したとあってはとんずらしたい気持ちの方が断然強い。


「ぼくも一旦ここを離れる。でもひとつだけ用事を済ませた後はフィンバラに戻ってくるつもりだ。やるべきことが…ぼくがやらなきゃいけないことがある」


 黒い瞳…いつも表情に変化が乏しく何考えてるのか解らない「見た目は少年兵」が、その時の眼には強い意志が宿っているように見えた。


「そう、じゃあ私は行くわ。幸運を」


「幸運を」


 立ち上がって敬礼してくる大尉に私も敬礼で返し、会議室を出る。まずは…着替えるか。返り血をびっちゃり被った上着を脱いで脇に抱え、自室へ急ぐ。…多分替えはあったはず。ふと視界の端に映った滑走路、そこを滑走する四機のミカエルⅡ。背面追加ブースターに増槽を二個抱えた姿…海でも渡るつもりか? 今日は明日の式典のために式典会場に最も近いこの基地は飛行訓練をすべて取り止め、会場上空でリハーサル飛行をしているケルベロス隊とオリオン隊にトラブルが発生した時のために滑走路を空けておく予定だった。


「…スクランブルの警報も無かったし、スクランブルって装備じゃない。まったく、とんだ七周年記念日になりそうだわね」


 さっき取り出したカードを割り、中の指令書を取り出して内容に目を通す。




 ルシフェランザ連邦のケリオシア地方北方にある都市、ニザヴェリル。ルストレチャリィ地方との境にある町だが、ここはかつてフォーリアンロザリオ軍が、ケリオシアに拠点を置く運命の三女神隊との戦闘をなるべく避けたかったがために南方からの侵攻を重視したことや、ルシフェランザが絶対防衛拠点のひとつと定めて大掛かりな対空防御システムを整備していたおかげで、先の大戦においてもさほど大きな被害を受けなかった稀有な土地である。

 遥か昔には巨大な火山があったこの土地は、山そのものの大部分を吹き飛ばすほどの大噴火の後に死火山となり、直径約50km深さ500mの大カルデラを残した。人々はそこに町を築き、火山の残した鉱物などを採掘しながら発展させてきた。しかし採掘量にもやがて陰りが見え始め、一度は完全にゴーストタウンと化してしまう。そこで連邦が新たな政策として打ち出したのが、カルデラ全体にソーラーパネルを敷き詰めるというメガソーラー計画だった。莫大な予算を投じて建設された190万㎡にも及ぶ、国内どころか世界中探し回っても類を見ない規模の太陽光発電所は、実に3万世帯分を賄える電気量を生み出すに至っている。

 パネルの設置面積を確保しつつ斜面が作り出す影で発電効率の低下を防ぎ、加えてパネルの冷却装置と蓄電池を収容するためという目的でカルデラの底から480mの位置に巨大な「蓋」とそれを支える無数の柱を建設し、その上にソーラーパネルを敷き詰めるという構造でそれは造られた。


「つくづく…ここを設計した方々には、本当に感謝せねばなりませんね」


 おかげでかつて鉱山の町として栄えたカルデラの底には広大な空間が出来、私たちは人目にも衛星の眼にも触れることなくこんなことが出来ている。


「随分と時間をかけてしまいましたが、ようやく形になりました。一番艦から三番艦まではいつでも飛べる状態に御座いますわ…理論上」


 長年に渡りこの計画に携わってもらっていたミコト。最後になんとも頼りない言葉が付け足されたが、何度もシミュレーターでテストした結果飛べると判断出来るまでに至ったのだから充分だ。


「試験飛行なんて出来ませんものね、致し方ありません」


「現在は燃料や弾薬他補給物資と艦載機を積み込み中、それもあと半日ほどで完了致します。その後各部の最終確認を致しますが、明朝にはすべての準備が整います。いよいよ悲願を叶える時ですね、ファリエル様」


 目の前にはもはやその全体像を一目では把握することの出来ないほど巨大な翼が、空へと舞い上がるその時を静かに待ち続けている。


「多くの方々に御尽力いただいたからこそです。ミコト、あなたにも心よりの感謝を…」


 すると彼女はニコッと愛らしく微笑み、そして首を横に振った。


「いいえ、わたくしこそファリエル様に感謝を申し上げます。ともすれば凡庸に終わったであろうわたくしの人生に、これほど特別な意味と価値を与えてくださいました。此度の計画が如何なる結末に終わろうとも、ファリエル様と共に歩み、同じ未来を夢見ることが出来て…わたくしは幸せで御座います」


 そんな彼女の笑顔を見てから、もう一度眼前に佇む巨大な翼に目を向ける。本当に、私はいい友人に恵まれたものだ。こんな私の…途方もない夢物語に付き合わせているというのに、それを幸せと言ってくれるのだから。ふと近づいてくる足音が聞こえ、右に顔を向けるとディーシェが小走りで駆け寄ってくるのが見えた。


「どうかしましたか?」


「協力者から連絡がありました。動き出したようです」


 明日は七回目の終戦記念日…まぁ動き出すならこのタイミングだろうとは思っていた。こちらに準備が必要なように、あちらにだって準備ときっかけは必要なのだから。


「ミレットたちには?」


「伝達済みです」


「よろしい、ならばこちらも準備を急ぎましょう」


 右の掌で空を払う仕草をするとディーシェとミコトが頭を下げ、それぞれ別の方向へ駆けていく。私も…きっと来てくれると信じている客人を迎える準備に向かうとしよう。

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