第168話 狼煙
――彼女は記念式典当日、行動を起こすようです。
――時はそこ以外に無かろうしな。構わぬ、今しばらくは協力姿勢を継続しろ。二番機は既に飛べる状態にある。
――確認しています。しかしこの装備は…いささか過剰では?
――その程度の手土産は持たせてやらねばな。子供の使いに駄賃は必要だ。
――了解しました。では一番機のコアユニットを回収するタイミングは如何致しましょう?
――そちらもそろそろ頃合いであろうな、人形共を動かせ。ユニットを回収しろ。
――御意、三番と四番で回収に向かいます。八番は予想される妨害の阻止に、他は回収の補助へ。
――予備案もあるが、可能ならば使いたくない。期待している。
――すべては御心のままに、我が君。
フォーリアンロザリオ海軍第一艦隊は終戦記念式典に合わせて、ホド地方ティンタジェル港の沖合を航行していた。旗艦の空母アレクトに搭載されているローレライが四機、甲板で発艦準備を整えつつある。垂直尾翼にはくびれた六角形状に配置された七つの星が描かれている。
「オリオン1より小隊各機、今日はリハーサルだが気を抜くなよ。ケルベロスも来るんだからな」
甲高いエンジン音を響かせて、カタパルトにノーズギアを接続する。
「ケルベロスって、確かヴァルキューレの一人が指揮官でしたよね? プラウディアで艦隊の防衛にいた…」
「ああ、ヘルムヴィーケ…だったかな。また一緒に飛べるなんて感激だ」
元々構成員のほとんどを空軍から引き抜いたエースたちで構成されたヴァルキューレ隊、彼らの乗っていたゼルエルも元々空軍機として設計されていたのを戦局の変化に応じて急遽海軍機として改修されただけ。終戦後、軍の再編に伴ってゼルエルごと空軍へ移籍となったのは…経緯を考えれば自然な流れなのかも知れない。
「今日はリハーサルが終わったらそのままヴァリアンテ基地に降りるんだったよな? 久々にゼルエルとヴァルキューレを拝めるぜ」
「はは、そいつは楽しみだ。第二・第三小隊の連中に妬まれるな」
飛行展示と言ってもゼルエルを先頭に、ローレライ四機とミカエルⅡ四機の計九機で編隊飛行をするだけだ。アクロバットもやらないし、式典会場の上空を緩やかに旋回…慰霊のスピーチが終わった時点でローレライとミカエルⅡが一機ずつ編隊から離脱する。編隊飛行中に一機だけ離れる…それは仲間の下を離れて天へ昇った御魂を表しており、慰霊飛行の際によく行われる。
「アレクトCDCよりオリオン1、時間だ。行ってこい」
「オリオン1、了解」
アフターバーナーを点火し、カタパルトが機体を一気に加速させて海の上へ弾き飛ばす。今回は哨戒でも無ければ空戦訓練でも無いため、胴体下に増槽を取り付けただけの身軽な姿で空へ舞い上がる。フル装備の時と比べると甲板から機体が離れた瞬間の沈み込みも浅く、高度を上げるのも楽なものだ。3000フィートまで高度を上げる頃には後続も合流し、ケルベロス隊との合流ポイントへ機首を向ける。
「ん…?」
雲の間から見える海上に一隻の船が航行しているのが見えた。普段ならそんなもの気にも留めないが、再び雲に隠れるまでその船の姿をずっと目で追っていた。違和感を覚えたのには、その船が気象観測船のようなレドームを背負っていたからかも知れない。そのような船を肉眼で見たのも初めてだが…やたら高速で航行していたのも印象的だった。急ぎの調査? いや、そもそもああいうのは事前に立てられた計画に沿って運用されるはずで、ある程度出港にも余裕を作っておくはずだろうに…。違和感を残しつつ、とりあえず今考えることでも無いかと今回の飛行目的を果たすべく視線を前方に戻す。
明日はいよいよ終戦七周年の記念日。国中多くの視線が式典へと注がれる。女王陛下も出席される一大イベントだ。だからこそ、エルダが何かしらの行動を起こすならこの機会を逃すとは考えにくい。なのに女王陛下からぼくにはなんの指示も無い。むしろこれはぼくのやろうとしていることが露見していると見るべきか? いや、それなら…。
「とにかく、明日ぼくがどう動くべきか…指示を仰ぐのは間違ってないはず。言いたいこともあるし…」
「大尉、どちらへ?」
廊下を歩いていると背後からイザベラ少尉の声がする。
「女王陛下に謁見を願う」
「式典は明日ですよ? 陛下も御多忙なはずです、十中八九お会いにはなれませんよ」
言われなくてもそんなことは解っている。構わず宮殿に向かおうと基地の出口を目指して足を進めようとした時、全身を激しい衝撃が襲った。
「がは…っ!?」
力が入らず…というよりも全身が痙攣して立っていられない。霞んでいく意識で背後に視線を向けると、バチバチと火花を散らせるスタンガンを握るイザベラ少尉が薄ら笑みを浮かべた顔でぼくを見下ろしている。
「さすがに服の上からの一発じゃ失神させるまではいきませんね。じゃ、もう一発…」
一切表情を変えず、今度はぼくの首にスタンガンを押し付けて電流を走らせる。一瞬焼けるような痛みと銃で撃たれたかのような破裂音の後、意識が強制的に暗転させられた。
気絶させたイーグレットの体を引き摺り、すぐ近くにあった会議室へ連れ込む。ここなら鍵もかかるし、今日と明日はここを使うような会議の予定も無かったはずだ。テープで口元と足首をぐるぐる巻きにし、両手は背中に回してから巻いて固定する。正直テープ如きの拘束力では心許無いが、まぁ贅沢も言ってられない。
「手錠ぐらい調達出来ればよかったんだけど…」
しかしなかなかどうして、こうやって他人を拘束して身動きを封じるのは何度やっても楽しいものだ。終戦後には女性軍人の間でファンクラブみたいなものが結成されていたイーグレット・ナハトクロイツ大尉が、手足を拘束されて芋虫のように床に転がされているのだから。
「さて、三番と四番は予定ポイントへ向かっているし…」
キャペルスウェイト隊のミカエルⅡは八機中四機が燃料と弾薬を満載した状態で待機中…そろそろ出撃させるかな。床に転がるイーグレットの姿ももう少し眺めていたい気もするが、やるべきことはやらねば…。そう思って立ち上がった瞬間、鍵をかけたドアがガタガタと揺れる。今日と明日は会議なんて予定されていない…なら、この部屋に一体なんの用があると言うのか。誰だか知らないが、息を潜めて諦めてくれるのを待つことにする。鍵は手元にあるのだし、普通考えたらあのドアは開けられない…はずだった。
「…ったく、しょうがないわね」
そんな女性の声が聞こえた直後、ドアが突然くの字に歪んで勢いよく目の前まで飛んできた。蹴破った!?
「あらあら、随分楽しそうなことしてるじゃない?」
思わず防御の姿勢を取るべく顔の前で交差させた腕の向こうに見えたのは赤毛の上級女性士官、メファリア・スウェイド准将。一般兵のものと比べると実用性よりも威厳を優先させたデザイン、腰には軍刀を携えている。
「何故、この部屋にナハトクロイツ大尉と二人でいるの? しかもそんな雑な拘束までして、扉には鍵までかけて…秘密の逢引き?」
どうするか、どう言い訳しようにも逃れられる状況じゃなさそうだ。下士官が上官を拘束し、監禁しようとしていた…それ以外にこの状況を説明する術が無い。
「私が質問しているのよ? 答えなさい、少尉!」
あ~、もうしょうがないな。口で説明も出来なくて言い逃れも出来ない、しかし彼女に騒がれても困る。なら選択肢はひとつしか無さそうだ。一度深く呼吸をした直後、腰のホルスターに収められた拳銃を引き抜く。イーグレットに抵抗された場合への備えとして、彼を襲う前に初弾の装填は済ませてあった。
肩と同じ高さで腕を伸ばし照準を合わせようとした…が、気付けば拳銃が…拳銃を握っていた右手が、手首の先から無くなっていた。
「え?」
「遅いわね」
見れば彼女は軍刀を鞘から抜いている。抜刀と同時に右手を切り払ったのだと悟った。鋭く光るその切っ先が閃き、目で追うより早く…ボクの首を切り裂いていた。頭部が胴体から分離され、視界がぐるぐると回転する。やがて床に激突して転がり、噴水のように夥しい血を噴き出す胴体も脱力して床に倒れる様子が見えた。
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