第152話 福音

 そんなことを思っていたら、背後から突然声を掛けられて飛び上がりそうになる。慌てて振り向くと、つばがとても広い帽子をかぶって目元を隠したワンピース姿の女性と、サングラスにスーツを着たちょっと怖そうな男性のペアが立っていた。


「あれは…結婚式、ですか?」


 さらさらと風を受けて揺れる金髪を帽子と一緒に片手で押さえながら訊ねてきた女性の声は、どこかで聞いた覚えもある声だったけど…誰だったか。それにしても穏やかな声、素敵な人だって直感的にそう感じる。思わず一瞬見惚れてしまい、我に返ってしどろもどろになりながらも肯定すると女性はぱっと表情を明るくした。


「そうでしたか、それは実におめでたい。ずっと長く戦争が続いていたせいか、なんだかそういう明るい話題を随分久し振りに聞いたような気がします。では、是非私からも祝福を…」


「お止めください、ここはウェルティコーヴェンの外縁地域ですよ? 我々がここにいること自体イレギュラーだというのに…無用な接触は避けていただくよう事前にお願いし了承をいただいたと記憶しております」


 ボディガードなのかな? サングラスの男性からそう言われると、女性は心底つまらなそうに「はいはい」と答えて会場の中央に向けようとしていた足を止める。


「まったくもう…何度目でしょうか、自分の生まれを呪うのは……ん?」


 不意にティニと女性の視線が交差する。あれ、やっぱりこの人どこかで…って!?


「ふぁ、ファリエル様!?」


「え? あ、あ~…あらあら、ばれてしまいました」


「な!? だから止しましょうと申し上げましたのに…!」


 慌てた様子の男性をよそに、女性…いや、ファリエル様の方は開き直って「もう身分を隠す必要もありませんね~」なんて言いながら笑顔を零す。ていうか、なんでファリエル様がここに!?


「さて、私のことを様付けで呼ぶということは、あなたはルシフェランザの人間ですね?」


「は、はい…元々はレヴィアータに住んでいたのですが、戦争で家族を亡くしてからはこっちで暮らしてます」


「なるほど。失礼ですが、お名前は…?」


「テルニーア・シャリオ、です」


 ティニが名乗るとファリエル様はニコッと女神様みたいな笑顔を見せてくれた。心臓のバクバクが止まらない。だけどその笑顔がふっと消え、悲しげな表情に変わる。


「テルニーア、戦争で御家族を亡くされたこと…見知らぬ地での暮らしに苦労も小さくなかったでしょう。連邦を統べる者として、お悔やみと謝意を表します」


 そう言って頭を下げようとするファリエル様を「い、いえ! わたしは今幸せです!」と必死で止める。


「辛く感じたことも無かったわけではありませんが…今はたくさんの大切な人たちに囲まれて、幸せに暮らしています。だからその…ファリエル様が御心を患うようなことはありません。戦争だったんです、仕方のないことだったんだって今はそう思ってます。それよりも…その、わたしからファリエル様には一言御礼を申し上げたいと思います。本当に、有難う御座いました!」


 言葉使いとか大丈夫だろうか? なんだか気持ちが舞い上がってしまっていてよく解らなくなっている。頭を下げていると「私が、あなたに何か…?」という声が頭上から降ってきた。


「戦争を終結させたのは、ファリエル様の御言葉だったと聞いています。ファリエル様が戦争を終わらせてくれたから、あそこにいる二人も結ばれたんです。今日のこの日を迎えることが出来たんです。わたしにとってもあの二人は特別な人で…だからわたしも今日を迎えられてとっても幸せです。ですので、戦争終結の決断をしていただいたファリエル様には、いくら感謝しても足りません。本当に、有難う御座いました!」


 もう一度深々と頭を下げ、瞼をぎゅっと閉じてその姿勢のまま固まる。すると頭の上にポンッと柔らかな手が乗せられた。


「…御礼を述べるべきは私の方です、テルニーア。あなたの温かい言葉に今、私の心は救われたように思います。あなたに心よりの感謝を、テルニーア・シャリオ」


 憧れのファリエル様に頭を撫でられ、頭が爆発しそうなくらい熱くなっているのを感じる。ティニが動けないでいると、足音が近づいてきてファリエル様の近くで止まる。


「ファリエル様、そろそろ離れましょう。スケジュールを大幅に逸脱しています。ただでさえ非公式だというのに…」


 さっきいたボディガードの人か。「もうちょっとくらいいいでしょう?」、「いいえ、いけません。限界はとっくに超えています」とかなんとかひそひそと小声で会話するのが聞こえ、やがてファリエル様の手が離れる。


「やれやれ、私はこれで失礼しますね。あなたにも幸多からんことを…。


 離れていく足音を聞きながら、それでも頭を上げることが出来ない。こういうのを畏れ多いって言うのかな。


「やはり自分の足で確かめることは重要ですね、実にいいものを見付けました。さ、視察に戻りましょう?」


「大分予定を押してしまっています。道中はややスピードを上げて走行しますのでご容赦ください」


 そんな会話をしながら車に乗り込み、走り去っていく二人を見送る。なんだかすごいことが次々起こる。長く続いてた戦争終わったと思ったらお兄ちゃんとお姉ちゃんが結婚して、憧れのファリエル様と直接お話までしちゃって…世の中、何が起こるか解らないもんだ。決していいことばかりじゃ無いけど、いいことだって起こる。人生の新たな門出を迎えた二人に向かって駆け寄りながら、これから何が起こるんだろうって胸をときめかせずにはいられなかった。


「お兄ちゃん、お姉ちゃん! すごいの、今すごい人に逢っちゃった!」




 レヴィアータへの帰路に着く車中、ファリエル様は終始上機嫌だった。あの少女との会話がそれほど有益だったのだろうか。だがこの方を御守りする身としては、ああいう行動は極力慎んで欲しいものだ。


「ファリエル様、今回は目を瞑りますが今後ああいった不用意な接触は避けていただきますようお願いします。あの少女は好意的だったからよいものを…」


「何を言いますかディーシェ、自らが直接会って話をすることでしか見えて来ぬものもあるのですよ?」


 私がしかし…と言葉を濁すと、ファリエル様は何かを思いついたように手を叩く。


「あ、そうそう。なんの因果でしょうね? さっきの場所にいた新郎新婦のお二人、プラウディアの空であなたを退けた戦闘機のパイロットでしたね」


「な、なんですと!? あのヴァルキューレが!?」


 無意識にハンドルを握る手に力が入る。アトラクナクアを大破させ、この私に乗機を失う屈辱を与えた相手。あの時、待機していたレイが止めに入らなければ…おそらく命をも奪われていたであろう相手。


「あれではあなたが敗れるのも頷けます。生きて傍らに立つ者の思い、死して尚寄り添う者の思い…それらすべてを力に変えて如何なる絶望をも打ち破る心の刃を持つ者。更にその守護に能力者がついていたとなれば、ね」


 ルームミラーで後部座席に座るファリエル様を見ると、穏やかな声とは裏腹に鋭い眼光を宿し軽く握った拳を顎に当てて考え込んでいる。ぶつぶつと聞き取りにくい独り言を繰り返し、口元に妖しげな笑みを浮かべる。


「…そうね、そうすれば私はあちらに……とすれば全体を大分短縮………ふふ、ふふふ」


 ファリエル様を慕うルシフェランザの国民には見せられない表情だが、この顔をした時のファリエル様は国の統治者として思考を巡らせている時なので声は掛けない。

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