第137話 私闘

「アレクトより全部隊へ緊急連絡、停戦命令です! 戦闘停止…繰り返します、即時戦闘を停止せよ!」


 突如響いた緊急無線。停戦命令? 意味を理解する前にとにかく敵機から距離を取るべく旋回する。


「こちらブリュンヒルデ1、どういうことだ!? 停戦だと?」


「たった今、ルシフェランザ連邦最高評議会による緊急の会見が開かれたようです。傍受した音声をオープン回線に繋ぎます」


 オペレーターの声も動揺していていまいち信用していいのか判断がつかなかったが、アトラクナクアと三女神も加速を緩めていて襲い掛かってくる気配が消えた。本当に…戦争が終わるのか? そう思っていたら通信回線に聞き慣れない女性の声が流れてきた。


「…この連邦に生きる皆さん、私はルシフェランザ連邦最高評議会議長、ファリエル・セレスティアです。今日は私から、大切なお話があります。既に五年もの長きに渡り、隣国フォーリアンロザリオ王国と私たちは戦争状態にありました。互いに多くの命を奪い、奪われ…悲しみは憎しみに、憎しみは怒りとなって皆さんの心に深い闇を刻み付けていることでしょう。しかし私はこの連邦を統べる者として、その悲しい連鎖を断つべく、ここに戦争終結へ向けた協議のため、全軍へ停戦命令を発するに至りました。戦場で戦う、フォーリアンロザリオ軍及びルシフェランザ軍全将兵に告げます。私の声が届いているなら、どうかその手に持った武器を捨て、皆さんの故郷へ帰ってください。これ以上の戦いに意味はありません。ルシフェランザ連邦最高評議会議長、ファリエル・セレスティアの名において命じます。ただちにすべての戦闘行為を停止し、兵を退きなさい」


 努めて穏やかに、聞いている者を諭すような優しい声。ファリエル・セレスティア…以前にティニから名前を聞いたことがあった気がする。ルシフェランザ代表から停戦の申し入れがあった…と言うことは?


「…終わった、の?」


 後席からティクスの呆然とした声が聞こえる。確かに今の今まで戦ってた身としては俄かに信じ難い話ではあるが…。


「そんな…なんでよ、あたしはまだ敗けてない! このままでなんか終われない!」


「やめなさいラケシス、ファリエル様の決定は連邦の意思。地上施設も半分近くが制圧されてるし、航空戦力も七割以上喪失…このまま戦い続けても時間の問題だわ」


「苦しい御決断を…ファリエル様は、選ばれたのですね」


 三女神の声が聞こえる。彼女たちがこんな風に言うってことは、やはり戦争は終結の時を迎えたらしい。それならこれ以上ここに留まる理由は無い。一度深呼吸をして緊張し切った心と体を緩ませる。


「アレクトより全作戦機に告ぐ、本国より作戦中止の命令が出た。空軍機はグリーダースへ、海軍機は海上の母艦へと帰還せよ。尚、損傷により基地へ帰還が難しい者は海上にて機体を放棄、救助を待て」


「…ブリュンヒルデ1より各機、どうやら聞いた通りらしい。戦闘停止、母艦に戻ろう」


 二人から了解の声、緩やかな弧を描き東の空を目指す。長かった戦争も終わり…そう思うとどっと疲れが押し寄せ、体を重くさせる。帰ったらまず寝よう、そうしよう。

 だがその時、突然アラクネシステムがアラートを鳴らした。


「何故だ、私はまだ戦える! ファリエル様を、あの方を御護りするのが私の役目だ!!」


 アトラクナクアが停戦命令を無視して再加速、こちらに攻撃を仕掛けようと迫ってきていた。オレは慌てて二機に散開するよう指示を出す。


「ディーシェ!? 戦争は終わったわ、これ以上の戦闘はあの方の御意志に背くことになる。退きましょう!」


「おお!? やるのかい大将、付き合うぜ!」


「え? まだ戦いますの?」


 慌てて止めようとするアトロポス、便乗しようとするラケシス、戸惑うクロートー。なんなんだこの状況…。加速するラケシスに対しアトロポスが進行方向上にバルカン砲を発射し、危うく被弾しそうなところを急制動で間一髪回避するのが見えた。


「ファリエル様からの命令はあらゆる指揮権の上位に存在する。それを聞き入れないなら我が軍の兵ではないと判断し、私が『断ち切る』わよ? 即刻戦闘停止、ケリオシアへ撤退…い・い・わ・ね?」


「わ、わわ…解ったよ姉さん」


 ラケシスとクロートーはとりあえず指示に従い撤退するらしい。だがアトラクナクアは一直線に突撃してくる。停戦命令が出ている以上、こちらから攻撃するわけにも行かない。あくまで敵からの攻撃に対する正当防衛ならばまだ言い訳も出来る。


「オルトリンデ1、ヴァルトラオテ1、回避に専念しろ。戦争は終わってるんだ、全速離脱!」


 そう言いながらもゼルエルとハッツティオールシューネでは向こうに最高速度の面で分があるのは知っている。スロットル全開で逃げたとしても追いつかれるのは解っていた。


「貴様等さえいなければぁあああああっ!!!」


「ダメよ、ディーシェ! 撃てばファリエル様の立場を悪くするだけ…解らないの!?」


 バラバラに散開して逃げるオレたちの背後から追ってきたアトラクナクアが獲物と定めたのはオルトリンデ1。あっという間に射程内まで接近され、ミサイルが発射された。相手の発射と同時にチャフとフレアを撒きつつ急上昇して追尾範囲から逃れようとする…が、それはアトラクナクアも予想していたのか更に距離を詰めてバルカン砲の射程にまで迫ってきていた。


「やらせるかぁああああっ!」


 フルスロットルのまま左旋回、アトラクナクアへ向ける。既に敵機からの攻撃は受けているのだから、もはや反撃を躊躇う必要は無い。アトラクナクアが射程に入りミサイルシーカーが重なると同時にヨハネを切り離す…が、角度も悪かったため軽々避けられる。機動が交差し、すれ違った直後に急上昇。


「オルトリンデ1、左へ回避しろ!」


 こちらの指示に従いファルが機体を左へ逃がすとアトラクナクアもそれに追随する。オレは宙返りをしながら機体をロールさせ、二機の位置を確認。アトラクナクアの上空に転位し、そこから急降下をかけた。ロックオンしているほど時間に余裕は無かったし、相手は化け物級のエースパイロットである。バルカン砲だけでは威嚇にさえならないだろう。限られた選択肢の中でこれが最適解であると、瞬間的にそう判断した。急降下すると右主翼がアトラクナクアの左水平尾翼基部へと叩きつけられ、へし折れた尾翼は分離して弾け飛んだ。


「なんだと!?」


「隊長!?」


 エンジンでも潰せれば撃墜まで追い込めたかも知れないが…まぁそんなことになっていればこちらも右主翼を完全に失って墜落していたか。ぶつけた右主翼は歪んで空気抵抗が増したが、なんとかまだ飛べる。


「ファル! オルトリンデ1、無事か!?」


「は、はい! しかし、隊長…」


「オレのことはいい! 他にも停戦に応じない連中がいるかも知れん。お前はヴァルトラオテ1とエレメントを組んで友軍の後退を援護、そのまま母艦に戻れ!」


「し、しかしそれでは隊長が…! 私も残って戦います!」


「オレの撤退命令を無視して、あの時お前は何を失った!?」


「…っ!?」


 ファルは言葉を詰まらせる。勢いに任せてあの時のことを口に出したが、言った後から少し卑怯だったかなと後ろめたさが胸に引っ掛かる。


「大丈夫さ、オレは絶対に生きて帰る。こんなところで死ぬ気は無い。だから…待っていてくれ」


「……了解しました。ですが隊長! 私、待ってますから…必ず帰ってきてくださいね!?」


「ああ、必ず帰る」


「必ず…絶対ですよ!? ずっとずっと、待ってますから!」


 そう言い残してオルトリンデ1はこちらから離れ、先行するヴァルトラオテ1と合流すべく加速していく。さて、ここからだな。幸いアトロポスには戦闘に加わる意思は無いらしい。一対一なら…どうだろうな。

 指示を出している間に回り込んだのか、正面から黒い影が弾丸を吐き出しながら飛んできて一瞬後には手を伸ばせば届くんじゃないかと錯覚するほどの距離ですれ違う。


「貴様等にどれほどの覚悟があると言うのだ。唯あの御方の…ファリエル様の御為に全身全霊を捧げ、御守りするための一振りの刃たれと自らに課して生きてきた。その私が敗れるなどあり得ん、この連邦が敗れるなどあってはならん! ファリエル様の御身に降りかかる火の粉は…すべてこの私が振り払う!」


 すれ違った直後にお互い急旋回を始め、ドッグファイトに突入する。複雑な螺旋を空に描き、体に激しいGが襲い掛かる。アトラクナクアは右主翼と左尾翼、上部垂直カナード翼を損傷している影響なのかそれほど圧倒的な機動性…という印象はもう感じなくなっていた。これなら戦えるかも知れない。


「悪いなティクス、もう少しだけ…付き合ってもらうぞ」


「はぁ、最後の最後であれを相手に戦うなんて…因縁ってホントにあるのかもね」


 言われてみればそれもそうだ。二人して思わず苦笑が漏れる。だが望むところだ。ルシフェランザ最強のパイロットであろう相手、あの宣戦布告同時攻撃の時に家族を失った原因を作った相手。だからこれはオレ自身のための戦いってことになる。なら尚更、ファルたちを帰しておいて正解だったな。私闘に巻き込むわけにはいかない。

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