第119話 曲芸

 な、何が起こった? 制空権をほぼ確保しようかというぐらい優勢だったEエリア上空に、北から光る何かが飛んできたと思ったら…Eエリアから友軍機の反応が無くなった。途端に通信回線は既に反応の消えた部隊へ現状報告を求めるオペレーターの声で大混乱だ。案の定、それに対する返事は来ない。


「ティクス、一体なんなんだありゃ?」


「待って、今解析してる。…出た!」


 ブリュンヒルデに搭載されたセンサーであの光の正体を解析して…結果が判明したんだろうが、その先に続く言葉が聞こえてこない。


「おい、どうした? ありゃなんだ!?」


「え、あ、ごめん。でもこんなものが…うん、間違いない。あの光、中心温度は摂氏4000度…中心から半径500m以内は超高温の電子レンジだよ。この熱量と衝撃波の照射源…ここから北北東900kmに荷電粒子砲がある!」


 荷電粒子砲? なんだよ、それ…。単語は聞き覚えがあるが、実用化してるなんて聞いたことが無い。空想の産物だと思っていたが…。


「ふふ、うふふふ。如何ですか、フィリル様。タチバナ重工の建造した荷電粒子砲『オロチ』の威力は! 原発八基をジェネレーターに直結して生み出される膨大なエネルギーを制御し初めて放たれるあの輝きこそ、連邦の明日を照らす希望の光そのもの。さぁ、あの光に抱かれて蒸発する前に…わたくしの許へ!」


 ロックオンアラートが鳴り響き、大気摩擦に赤く輝く弾丸が翼を掠めて後ろから追い抜いて行く。弾丸の間をすり抜けなんとか射線上から離脱する。だがそれと同時に今度はミサイルアラート…地上からか!


「ブレイク・スターボード!」


 後ろから聞こえた相棒の声とほぼ同時に右旋回、ミサイルが主翼のすぐ先をすり抜ける。その隙にまた後ろにクロートーが回り込んでくる。さっきからこれを何度繰り返したか解らない。サイコ娘でもエースパイロットであることは事実ってことだ、くそったれ。


「こんなとこで、足止め喰らってる場合じゃねぇんだよ!」


 クロートーにぶつけるつもりで機首を急激に起こしながら急減速。


「コブラ!? くっ…」


 ぶつかってはお互いひとたまりもないのは解っている。当然避ける。だがそれでいい。こちらを追い抜かせた後で今度はこっちが追いかける。


「特殊機動をこのハッツティオールシューネ以外でやってのけるなんて…。ですが、それだけでは…!」


 何を考えるでもなく、直感が操縦桿を動かした。クルビットが来る…その予感は的中し、三女神が得意とする自機後方への攻撃手段「運命の輪」を仕掛けてきた。だが彼女の回転方向とはズレた位置に機体を滑らせたため放たれた弾丸がこの翼を捕らえることは無い。


「邪魔だ、墜ちろ!」


 クルビットは意表を突いて攻撃するという意味では確かに効果的だが、ハッツティオールシューネの持つ空力特性をもってしても回転が終わるまで機体のバランスを保つにはかなり神経を使う。本来の航空機ではあり得ない飛行を行うのだ、下手をすればすぐに失速して機はコントロール不能のきりもみに陥りかねない。そして今まさにクロートーは回転を終える直前の一番無防備になる瞬間…すばやく兵装切替スイッチを動かしてミサイル攻撃をFCSに指示する。ミサイルシーカーがクロートーを囲みロックオン、発射スイッチを押し込むと同時にウェポンベイから飛び出したミサイルが深紅の翼を喰い破る。


「きゃああっ! メーデー、メーデー、メーデー! こちらクロートー、コントロール不能! 脱出致します!」


 クロートーのキャノピーが切り離され、イジェクションシートがコクピットから射出される。多分この基地に予備機を何機か持ってきているだろうし、てことは補給から帰ってきたらまた戦うかもなのか…と精神的にどっと疲れを感じたが、とにかくもうこの機体だって燃料も弾薬もほとんど残っていない。


「こちらブリュンヒルデ1、S3エリアにてクロートー撃墜。これより補給のため一時帰投する」


 戦闘開始から四時間半…ここに来てようやく一つ障害を取り除いた。だがアラクネの知らせる戦況を見る限り、これだけでは友軍が有利になったとは思えない。地上では前進しては押し返されを繰り返しているし、空だって酷いものだ。さっきの攻撃でEエリアに展開していた部隊は壊滅、補給に戻っていた部隊が助かった程度だろう。母艦を目指して東へと向かう。




 奇跡だ。ぼくがまだ飛んでいる。さっきまでEエリアにいたのに、アトロポスに追いかけられてNエリアまで飛んできたのが幸いしたのか…。でもそのせいで燃料はもうほとんど空で、CAUTIONを通り越してDANGERと表示されている。ミサイルも尽きた。被弾していないのがせめてもの救いか。だが状況は最悪だった。


「私にここまで追われて生きてるなんて、さすがはヴァルキューレといったところかしら?」


 アトロポスを甘く見ていた。もうこんな状態では母艦に戻れるかどうかさえ危うい…。


「ふふ、なんだか飛ぶのも辛そうね…。今に楽にしてあげるわ」


「くそ…!」


 ぼくはここまでなのか? 脳裏にふと、かつて共に地獄のような時を生きた少女の姿が浮かぶ。彼女の名を心で呟いたまさにその時だった。レーダーが全速力で近づいてくる友軍機の反応を見つけた。


「アトロポス! ヴァルトラオテ1より各機、女神には近づくな。返り討ちにされるわよ!」


「あら? もうちょっと楽しめる相手の登場かしら?」


「ゲルヒルデ1、ここは俺らが引き受ける。後退しろ!」


 上空から急降下でアトロポスに微塵の迷いも無く喰ってかかるカイラス大尉とアトゥレイ中尉に少しばかりの感動を覚え、直後「了解、すまない」と反転してその場を離れる。でもどこへ行けばいいのか…。母艦へ帰るだけの燃料は無い。


「こちらエインセル9! ゲルヒルデ1、空中給油を行う。待ってろ、今行くからな!」


 そう言われて辺りを見回すと、増槽タンクを主翼や胴体の下にくっつけた一機のヴァーチャーⅡがぼくを追い抜いていった。主翼の下の増槽タンクからは空中給油用のブームが垂れている。ぼくは急いで給油用プローブを展開し、左主翼側のブームに接続する。かなり助かるのは確かだけど、ここは最前線の真っ只中。大丈夫なのか?


「接続を確認した。給油を開始する」


「だけど…ミサイルも無いんだ。母艦に戻るから必要分給油したら帰艦するよ」


「そうしてくれ。こっちもヒヤヒヤもんなんでな」


 巡航速度で飛行しながらなので燃料の回復は遅いが、着実に燃料ゲージが戻っていくのを確認する。


「おい、ヴァルキューレがあんなとこで休んでやがるぜ!」


「ここが最前線だって忘れてんのか? 丁度いい、ミサイルは無いが墜としてやろうぜ!」


 低空を南へ飛んでいたのだが、敵機に発見されたらしい。他のゲルヒルデ隊の機はみんな補給へ帰したばかりだからまだ前線へは帰ってこないだろう。ぼくはせめてとECMを最大出力で展開する。


「な、なんだ? FCSがいきなり…!?」


「くそ、照準が合わない…どうなってやがる!?」


 敵機は戸惑いに攻撃の機会を失い、ぼくらを素通りしていく。燃料が帰艦に最低限必要な量に達すれば…気持ちがかなり急いている。まだ給油は終わらないのか? 先程の敵機が反転して再度攻撃を試みる。


「畜生、やっぱりFCSがバグってやがる!」


「こうなりゃ目測だ。下手な鉄砲数撃ちゃ当たるさ! ターゲットはほとんど動いてねぇんだ!」


 くそ、そう吹っ切れられると怖いんだよ。ぼくは前を飛ぶ空中給油機が左旋回を始めたのに気付いて、慌てて左旋回をする。そっか、向こうも戦闘機なら普通の空中給油機よりも機動性はある。回避機動だって不可能じゃないか。燃料が帰艦に必要最低限に達するまであと少し、逃げ切れるか…。


「ち! こいつら、ブーム繋いだまま旋回しやがった!」


「くそ、俺が行く!」


 一機は回避出来たが、後続の機がエインセル9に銃撃を浴びせた。


「ち、畜生! まだ飛べるぜ!」


 給油機は片方のエンジンをやられ、片肺飛行に切り替える。ぼくはそれだけで済んだかと思ったのだが、数秒後に機体から火が噴き出した。


「もういい! 脱出しろ!」


「あんたの機体に飯を喰わせてやるのが俺の仕事だ! あと少し、あと少しだろう!?」


 こっちが減速してブームを外そうとしても、向こうも減速して給油を止めさせない。


「浅かったか…。だがこれで終わりだ!」


 再び弾丸を受けて右主翼からも火が出る。


「もういいんだ、やめろ! 死ぬ気か!?」


「まだだ! あと少し…よし、これでいいだろう!」


 燃料計にはここから母艦までの最低限の燃料に少し余裕を持たせた量が示されていた。


「ああ、有難う。もう充分だ。離れるよ!」


 ブームを外して給油機から離れる。エインセル9のパイロットも炎上する機体からイジェクションシートで脱出した直後、機体は炎の熱で脆くなった右主翼内のフレームが無残に折れてしまった。燃料を満載していたせいで爆発も派手だった。ぼくは追撃してくる敵機をアフターバーナー全開で振り切り、空母へ向かう。

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