第75話 生還者
綿雲が気持ちよさそうに浮かぶ空をヴァーチャーⅡが二機編隊で飛行する。レーダーに敵性反応は無い、広域レーダーにしても味方の反応が二機ずつちらほらと飛んでいるだけで静かなものだ。
「…リーパー1より各隊、状況を報告せよ」
「こちらリーパー2、敵性反応無し」
「リーパー4よりリーパー1、こちらも同様だ。偵察機一機いやしない」
隊長機からの無線に各分隊のリーダー機が返答していく。
「こちらリーパー6、敵性反応は確認出来ない。海面も見ているけど、見える範囲には何もいないね」
「まぁ敵がいないに越したことは無い。リーパー1よりCP、定時連絡。空には鳥が飛ぶ」
なんとも安直な合言葉だが、担当空域に敵性反応は無いと伝えると帰還命令が返ってきた。
「
「やっと終わりましたか。わざわざ二個小隊飛ばして哨戒なんてしなくてもいいでしょうに…」
「ホントホント、エンヴィオーネが落ちてから目立った反撃も無いし」
哨戒任務が終わり、帰路についた途端始まった無駄話。まぁ最近はあんまり五月蠅くもなくなったけど、少し前だったらCPから怒号が飛んだはずだ。
「目立った反撃が無いから、その準備でもしてるんじゃないか…と考えているんだろ。警戒し過ぎることは無い。油断しててせっかく落としたエンヴィオーネを奪還された、なんて笑い話にもならない」
「その通りだ。まったくその程度も考えられんのか、我が隊は…。リーパー6、君が来てくれて助かる」
「やめてくれ、ぼくはバンシー隊じゃ何も出来なかった。評価に値する人間じゃない」
「そんな、ナハトクロイツ中尉はあの三女神と戦って生還した…それだけでもすごいことですよ」
味方を犠牲にして逃げ帰ってきただけだ、それでもいいなら生還者は他にもいる。何も特別なことじゃない。なのにハッツティオールシューネのデータ収集の功績として中尉への昇格を言い渡された時には思わず耳を疑ったものだ。
「有難う、リーパー9。でも事実は事実だ、それは受け止めなくちゃね。チサト少佐の挺身に、そしてフィリル大尉とティユルィックス中尉の決死の情報収集に報いるためにも…ぼくも強くならなきゃ」
ぼくらB分隊が後退した後の隊長たちの戦いをメファリア中佐やシルヴィから聞いて、強くそう思った。特にチサト少佐の戦死が部隊に与えた衝撃は大きかった。彼女とは一番水と油だったカイラス中尉なんかシルヴィを殴りつけた後、作戦終了が告げられて陽が落ちても屋上から北の空を見つめていたぐらいだ。
『護りたいもの護って死んだんだから、本人は満足なんでしょうけどね。自分が死んでちゃ…半人前よ』
声を殺して涙を流していた彼女が、誰にと言う風でも無く呟いたその言葉はしばらく耳から離れなかった。
「…ま、まぁもうちょっと力抜いていきましょうよ、ね?」
一番近くを飛んでいた分隊が近くに寄ってきて、ぼくを中心に四機編隊を形作る。
「そうです、私たち今でも戦闘では中尉の背中を追いかけるだけで必死なんですから…これ以上強くなられたら追いかけることすら出来なくなっちゃいます」
「私たち間違いなく置いてけぼり喰らうよね、そうなったら生き残れる自信が無いよ」
このリーパー隊はまだ編成されて日が浅く、軍の現状を如実に表した部隊だ。新兵も多く、若い女性パイロットが部隊の半数以上を占める。長期化する戦争に徴兵年齢は引き下げられ、男性の徴兵だけでは現場の消耗に追いつかず、女性の徴兵も本格化してきている。今では中学校を卒業したばかりの女子が軍に徴用されることも珍しくない。彼女たちだって本来ならこんな最前線に送り出されるような人材ではない。まったく嘆かわしい事態だ。
「それより中尉、帰ったらお茶にしませんか? 母が今年採れた新茶を送ってくれて…」
「ア~リ~サ~? 抜け駆けなんて許さないからね?」
「みんなでお茶会だね。中尉、アリサの実家が作ってるお茶はホンット美味しいんですよ。ご一緒しません?」
この三人の口調なんてもう完璧に女学生のそれだ。確かに前線にも和やかな空気は必要だけど、いささか緊張感が無さ過ぎだろう。チサト少佐が作っていた雰囲気とはまた違いを感じるし…あの適度な緊張感と和やかさを作り出していた彼女はやっぱり貴重な人だったんだなってつくづく思う。
「解った解った、ご馳走になろう。だからオープンチャンネルで私語を垂れ流すのは…」
「きゃー! やったね、今日のお茶には中尉も参加決定!」
ぼくの声をかき消す黄色い声に、もはや注意する気にもならない。この第三小隊を任されたのは、もしかして手に負えない彼女たちを押し付けられただけなんじゃ…そんな風に思えてくる自分が悲しくて、雑念を振り払うべく帰路を急ぐ。
意識が覚醒し、ゆっくりと目を開く。薄暗い病室の天井が見えるが、左側の視界が狭い。ああ、そうか…もう無いんだったな。眼球が動く感覚も無い、既に摘出されたか。左腕はギプスで固定され動かないし、右腕が辛うじて動くぐらいでほとんど自由に体を動かせない。
「フィー君?」
ふと聞き慣れた声がする。隣のベッドからか?
「ティクスか、今何時だ?」
「えっと…一時過ぎだね」
一時? この暗さだと午前…だよな?
「お前がこんな時間に起きてるなんて珍しいな、寝てなくていいのか?」
「ここに来てから寝てるぐらいしかすることなくって~って言ってたら完全に生活リズム狂っちゃってさ。全然眠くないの」
首を左へとひねると、ベッドに備え付けられた小さなライトに照らされたティクスが笑顔を見せる。記憶にあるエンヴィオーネでの姿と比べて元気そうだ。
「フィー君はもう少し寝る? 私より重傷なんだから、ゆっくり休んだ方が…」
「嫌ってほど寝てた気がするしな、少しは体も動か…せないから、せめて脳みそぐらいは働かせてやらんと」
視線を天井に戻し、ひとつ深く呼吸する。
「…オレが前回目ぇ開けたのって、今朝か?」
「うん、そうだね。あ、ティニちゃんが明日からこっちに泊まりたいってさ。エリィさんと一緒にホテルにいた方がゆっくり休めるんじゃないって言ったんだけど…」
「ふぅん…あれ、ていうかどうやってあいつこっちに来たんだ? あいつって一応まだ…」
ルシフェランザの人間なんだから、バレたら面倒なことになる。誰かに聞かれるかも知れないと、咄嗟にその部分は口に出さなかったがティクスはちゃんと理解している。
「エリィさんが上手くやったみたい、詳しくは聞いてないけどね」
「あの人はいつも無茶しやがる」
子供とはいえ現在進行形で戦争状態にある敵国の人間をどうやって入国させたんだか…。
「…あ、今朝目が開く前に夢を見た。ウェルトゥがいたよ」
「わぁ、ウェルトゥちゃんか。懐かしいな、何か言ってた?」
「さぁてな…よく覚えていないが、『まだこっちに来るな』みたいな風に追い返されたんだっけな」
もうちょっと別の言い方だったような覚えもあるが、ニュアンスは合ってると思う。
「ウェルトゥちゃんはお兄ちゃんっ子だったからね、心配なんだよ」
「そうなのか? 単にオレが吹っ切れてないってだけじゃないのか?」
開戦の日のことや家族の夢を見るのは、三年経った今でも珍しいことじゃない。それは自分の未熟さの象徴と思っていた。
「こんな話知ってる? 人ってね、眠ってる時に意識だけ魂の源になってる場所…つまり言い方はアレだけど、『あの世』とかって呼ばれる場所に行くんだって。そこで心が背負ってる重荷のいくらかを下ろして、また歩き出す力をもらうんだってさ」
「なんだそりゃ、オレたち毎日のように死んでんのか」
随分と眉唾な話だ、どこぞの法螺吹きが適当こいた与太話だろう。年頃の女子はそういうネタ好きだって話はよく聞くしな。
「死んでるって表現は適切じゃないけど…でもホントにそうならいいよね。死んだ人とも会えるような気がするじゃん。死んでしまったらもう会えないってよりは救いがあるでしょ? たとえ会ってるって実感は無くてもさ」
実感が伴わないのなら「会ってる」と言えるのか甚だ疑問だが、まぁそう思うことで救われる心があるならばそんな考え方もありなんだろうとは思う。
「そこに実感を求めちゃいけないわけか」
「希薄でも実感を伴ってウェルトゥちゃんと夢で再会出来てるじゃん、それ以上なんてフィー君は贅沢だよ」
確かに妙にリアリティを感じる夢で見る時はあるが…起きた時にあまりいい気分じゃないのは感じないはずの臭いまで錯覚するせいだ。人肉の焦げた臭いはそれだけで精神に相当なダメージだ…ということはあえて言わずに話を合わせておいてやろうか。
「…ファルちゃんは大丈夫かな?」
ふとボソッとティクスが呟く。チサトのことか…カイラスとトラブルもあったが、バンシー隊にいい雰囲気をいつも作ってくれていただけに存在感もあったし、その反動で喪失感は大きい。
「ファルちゃん、真面目だから…ペアにあんな死に方されたら、きっと抱え込んじゃうと思う」
「普段がきちっとしてるし芯がしっかりしてる分、こういうケースには脆そうだしな。確かに心配だ」
まぁそれを言うならバンシー隊の面々が今どうしてるのかはみんな等しく心配だが…。元々が小隊規模の部隊だったのに二機撃墜され、指揮官は負傷して内地送還…もはや部隊としては機能していないだろう。原隊へ送り返されたか、人員を補充して新しく部隊を作ったか…普通は前者の方が多いんだが、まぁどっちかだろう。
「でも…これで私たちは退役かな? フィー君は目をやられちゃったし」
戦闘で負傷した軍人はそれ以上の兵役が困難と判断されれば傷痍軍人として大手を振って退役出来る。オレは左目もそうだが、腕や足もやられてる。ティクスの寝てるベッドの傍らには松葉杖が置かれている…ということは、そうした道具を使えば歩けるぐらいには既に回復しているのだろう。リハビリした後は前線復帰させられるんだろうか。今の人手不足じゃあり得る話だ。まぁそれはともかくとしても…。
「オレ個人としては…まだ退役する気は無いけどな」
「ふぇ!? まだ、飛ぶ気でいるの?」
「飛ばしてもらえるならな、軍から要らねぇって言われりゃそれまでだ」
本気で驚くティクスに「どうなるかは解らんさ、とりあえず寝る」とだけ告げて目を閉じる。戦場を離れればそりゃ落ち着いて暮らしていけるだろう。王国政府は徴兵制の度重なる条件改定を行う代わりに軍人への保障を充実させてるし、退役後の生活に困るとは考えにくい。
ただ、それでも…オレはまだ戦場を離れたくなかった。まだやり残したことがある…そんな気がしてならないのだ。それがなんだったか、考える間もなく意識は埋没していった。
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