第62話 アトロポス

「さて、それじゃ私はもう一個の方へ向かうとしますかね。往くわよ、アトロポス」


 愛機にそっと語りかけ、スロットルを最前位置まで押し込む。荒々しくも力強い唸り声を上げて、アフターバーナーが鋼鉄の翼に音速を軽く超えるスピードを瞬時に与えてくれる。ホント、この反応速度は惚れ惚れするほどに素晴らしい。


「ラケシス、クロートー、そっちの三機は任せる。私は降下中の二機を追うわ」


 二人にあえてそう告げたのは、何も二人に自分の行き先を教えておこうと思ったわけじゃない。むしろ聞いて欲しい相手は敵の方。こちらの出方は教えた…さぁ、どう対処してくれる?


「バンシー1よりバンシー2、『長女』がそっちに向かうぞ。警戒しろ。バンシー3、準備だけしとけ」


「バンシー2、了解。バンシー4、そっちは危険と判断した場合はマタイの放棄も許可する。自機の安全を優先せよ」


「バンシー4、了解」


 それほど大きく動くことはなし、か。今まではこちらの一言一句に慌てふためいて自滅する雑魚ばかりだったけど、なるほどエース部隊、さすがに落ち着いてるわね。


「バンシー5、チェック・シックス。ラケシスが接近している、喰いつかれるな! バンシー3、カバーしろ!」


「こちらはもたせます、バンシー3はクロートーを…!」


「機体性能を過信しない! こちらバンシー3、バンシー5のカバーを優先する!」


 クロートーと一対一で互角にドッグファイトを繰り広げる敵の隊長機、ラケシスに背後を奪われながらも被弾することなく回避し続ける新型とそれを援護する三番機。連携も完成度が高い。


「こいつ、ちょこまか動き回りやがって!」


「ラケシス姉さま、後方に敵機。狙われてますわ」


「わぁってるよ、んなこたぁ! それよりも、なんであんたはたかだか一機相手にそんな手間取ってんのさ!?」


「あ、いえ…その、憧れの殿方に背中を追いかけられるなんてシチュエーションが…甘美過ぎて…」


「あ~もう、姉さん! こいつ使えねぇってボスに言ってよ! マジ死ねし!」


 そんな悪態が無線に響く。とはいえミコトの操縦技術はミレットに負けず劣らず特筆すべきものがある…のだが、ミレットの不満には頷ける部分もある。確かにミコトは敵機を振り切ろうともせず、まるで戯れ合うようにループを描くばかりだ。


「クロートー? ラケシスがキレちゃってるからそろそろお遊びはヤメにしてくれない? 先に言っとくけど、遊び半分でやっててどうなろうと私はフォローしないわよ?」


「う~、名残は尽きませんが…仕方ありませんわね」


 やれやれ、まったくこの娘は…。ミレットも癖が無いなんて言えないが、正直ミコトの扱いにはほとほと困る。他所の部隊で馴染める場所が無かったというのも、きっとこの部隊に流れ着いた原因のひとつなのでは無かろうか。

 まぁいい、余計なことは考えない。遊び半分というか、よほどのヘマをしなければ決して遅れを取るような相手ではないのだ。私は意識を前方の敵機に集中させる。


「まずは小手調べってね」


 敵機との距離は既に中射程空対空ミサイル「エキドナ」の射程内だ。兵装切替スイッチでエキドナを選択すると同時に多標的同時攻撃モードをFCSに指示、前方の二機をロックオンする。


「アトロポス、フォックス1!」


 機体中央のウェポンベイから二本の長槍が解き放たれ、獲物を追って加速を始める。




 ミサイルアラートがコクピットに鳴り響き、反射的に座席の後ろへ視線を投げる。後方から迫る真紅のハッツティオールシューネと二発のミサイル。


「バンシー4、ブレイクしなさい! アトゥレイ、回避タイミングは私が指示する。進路このまま!」


「あいよ!」


 バンシー4は編隊を解いて回避機動を取り始めるが、私たちは垂直降下のまま地上を目指して加速を続ける。だが如何にミカエルが高性能機で、最も速度の出る急降下中だと言ってもミサイルを振り切るほどではない。しかも条件は迫るミサイルとて同じなのだ。ただ違うとすれば、ミサイルの軌道修正能力など高が知れているという点だ。フォーリアンロザリオのルカとルシフェランザのエキドナ…そのふたつの中射程ミサイルに性能的な差異などほとんど無い。


「ブレイク・スターボード、ナウ!」


 前席のアトゥレイにそう言い放つと同時に後方のランチャーからチャフとフレアを三発ずつ放出する。加速のついた状態から急減速・急旋回、強烈なGに体が押し潰されそうになり、口から思わず呻き声が零れた。


「い…っけぇぇぇええええ!」


 アトゥレイの雄叫びに似た声が聴覚を劈く。ブラックアウトしそうだった意識があまり嬉しくない形で繋ぎ止められたかと思えば、機体の前方にはエンヴィオーネの市街に聳える高層ビルが迫っていた。


「な…」


 何を言う暇も無く迫る巨大な壁に全身が強張るのを感じた直後、アトゥレイが強引に操縦桿を動かして機体を地面と垂直に立てることでビルの外壁を這うように通過した。


「あ、危ないじゃない! 何考えてんのよ、バカ!」


「うっせぇ! こうでもしなきゃああなってたっての!」


 ああなっていた、というのはどういう意味だ? だがその答えはコクピットに響くロックオンアラートと共に知らされることになった。


「二段構えでいったのに避けてくれるとは、嬉しい限りだわ」


 振り返ればすぐ後ろにアトロポスが迫っていた。そしてその向こうで爆炎をあげるビルを見て、アトロポスの言う「二段構え」の意味を悟った。私たちにエキドナを撃った後、こちらが回避機動で減速したところを狙って短射程空対空ミサイル「エウロス」による追撃を放っていたのだ。エキドナはチャフとフレアに惑わされて地上へと突き刺さったに違いないが、アトゥレイのビルを盾にするという判断が無ければエウロスの回避が出来なかったということか。

 奥歯がギリッと音を立てて軋む。後方から迫っていたミサイル、二発目のエウロスを完全に見落としていた…それが悔しくて自分に腹が立つ。何をしている、カイラス・ヴァッサー。相手はひとつのミスが死に直結する、空の支配者なのだ。自分自身に喝をいれ、頭を切り替える。


「アトゥレイ、マタイによる対地攻撃は断念するわ。ただちに全対地兵装を放棄、情報収集行動を開始する!」


「了解! ついてこれるか、女神さんよぉ!」


 対地ミサイルを狙いもつけないまま切り離すと、アトゥレイはいつも通り考え無しの最大加速。しかもさっきので味を占めたのか、地上から聳え立つ高層ビルの脇を狙って駆け抜ける。その様はさながらアルペンスキーかジェットコースターのようだ。

 後席に乗るこっちとしては気が気じゃないが、後方のアトロポスも平然と後ろをついてくる。それどころかこれだけ無茶な機動を繰り返しているにもかかわらず一度もロックオン状態から脱出出来ていない。


「くっそ、振り切れねぇ!」


「機体性能はあっちの方が上、悔しいけど…パイロットとしての腕も比較にならないってわけね」


 予想通りの展開とはいえ、やはり悔しさが込み上げてくる。ミカエルのセンサーはハッツティオールシューネの挙動を事細かに記録し、機体各所に設けられたカメラで映像としても記録している。これが我が軍の未来を明るく照らしてくれるものと信じなくてはやってられないが、その前にこの空を生き抜くことを考えなくてはならない。


「うわっ!?」


 アトゥレイが短い悲鳴と共に機体を急旋回させた直後、機体が激しく揺れる。だが機体に深刻なダメージは無い。


「どうしたの!?」


「ビルの屋上に設置された高射砲が水平射撃してきやがった。くそ、対空レーダーまで搭載してるタイプだ」


 その砲弾が至近距離に着弾した衝撃か。被弾しなかったのはよかったが、その結果が招いた状況は決して喜ばしいものではなかった。回避に気を取られ、気付いた時にはアトロポスが絶好の攻撃ポジションに回り込んでいた。


「しまっ…!」


「バンシー2、進路そのまま! 駆け抜けて!!」


 聞き覚えのある声が通信回線に響く。


「姉さん、緊急回避!」


「え?」


 敵の切羽詰った声が聞こえたかと思うと、屋上に高射砲が設置されているビルのひとつが突如爆炎に包まれて崩落を始める。アトロポスは落下してくる瓦礫の雪崩に突っ込みそうな位置にいた。


「くっ、このくらい…!」


 アトロポスは機首を思い切り振り上げると、機体全体をエアブレーキとして速度を急激に落として瓦礫の落下ポイントの数m手前で踏み止まった。それでも細かな破片が降っていそうだったが、その後の機動を見るに大きな損傷は無いらしい。

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