第58話 地獄への飛翔
ケルツァークの格納庫に警報が鳴り響く。その瞬間、思わず強張る自分が情けない。
「前線に展開中の第二艦隊所属部隊から入電。運命の三女神隊の出現を確認、HQは作戦の第二段階Bプラン発令。全部隊、ただちに出撃せよ。繰り返す、作戦は第二段階Bプランに移行。全機出撃せよ」
ヘルメットの内側に取り付けれたスピーカーから発令所のオペレーターの声がする。一度大きく深呼吸をして気持ちを落ち着け、マスクを口元に寄せる。
「バンシー1より各機、聞いての通りだ。若干早まったとはいえ、想定の範囲内だ。全機、発進シークェンスを開始する。外部電源外せ!」
タービンが回り、電源車からの電源ケーブルが抜かれて自機発電に切り替わる。エンジン出力を少しずつ上げていくと自動でキャノピーが閉まり、微速前進。滑走路へ続くタキシングウェイを進んでいく間も、しんと静まり返った無線回線が隊員たちの緊張を物語る。滑走開始位置に五機すべて揃っても、無言のままだ。
「ケルツァークコントロールよりバンシー隊各機、気候条件に問題なし。全機発進を許可する。Good Luck!!」
「バンシー1、了解。全機、離陸後は高度3万まで上昇。その後は背中のブースターを点火し、最大加速でエンヴィオーネ上空へ向かう。敵の迎撃部隊が基地手前200kmでブラックドッグ隊及びアカーテス隊と交戦中だが無視しろ。オレたちの目標はあくまで運命の三女神隊…いや、ハッツティオールシューネのデータのみだ。全機、滑走開始」
スロットルレバーを押し込むと二基のエンジンが咆哮をあげ、アフターバーナーが炎を噴き出す。速度が700ノットを超えたところで機首を上げ、離陸。機体が完全に地面から離れたのを確認し、フルスロットルのまま仰角40度で高度を上げていく。高度3万で機首を水平に戻し、やや速度を落として飛行していると後続も同じ高度まで上がってきて楔形陣形を形作る。
「バンシー1より各機、これより最大戦速でエンヴィオーネに向かう。…だが本作戦に際し、基地司令から伝えられた上層部の考えってヤツを教えてやろう。お偉方がオレたちに求めたものは二つ、ひとつはハッツティオールシューネの詳細なデータ、もうひとつは試作型ゼルエルの実戦データだ。そのふたつを得るためなら、今回のバンシー隊の生還率は二割でも構わない…と、言われたよ」
五機しかいないバンシー隊で二割、つまり一機が生き残ればいい…ということだ。しかも先述した条件と照らし合わせれば…。
「それってつまり…このゼルエルさえ生き残ればいい、ということですか?」
ファルが恐る恐る口にしたそれこそが、上層部の冷静な分析から導き出された妥協点ということになる。
「ああ、そういうことだ。国民の血税を注ぎ込んで開発されたミカエルは全機未帰還でも問題なく、ゼルエルの情報収集ユニットがハッツティオールシューネのデータを収集して持ち帰ればその時点で任務達成。めでたし、めでたし…と、上の連中は考えてるんだとよ」
そんな、とファルが短く言葉を零す。だが他の誰も何も言わない。運命の三女神の実力を鑑みるに、それも已む無し…いや、むしろそれが出来れば御の字じゃないかと納得しているのだ。
「だが、お偉方は何も解っちゃいない」
大体弾も悲鳴も飛び交わない安全な会議室のイスにドカッと座って葉巻を吹かしてるような連中に、オレらの生き死にについてとやかく言われたくない。連中が何を知っててそんなことを言うのか、理解に苦しむ。
「オレたちがこのミカエルとどれだけの死線を潜り抜け、どれだけの戦場でコンビネーションを研究してきたかを上の連中はまったく知らない。オレたちは死なない。たとえ三女神を相手にしようと、これまでの戦闘を無傷で潜り抜けてきたオレたちなら必ず生き残れる。特別なことは何も言わない。いつも通り相互援護を厳に、エレメントを組んでパートナーを生かすことだけを考えろ。そうすりゃいつの間にか終わってるさ」
そうだ、何も変わらない。戦う相手が変わろうと、オレたちのすることはいつもと同じだ。
「お前らの誰も死なせはしない。みんなで一緒に、このケルツァークに帰ってくるぞ!」
全員から了解、と返事が帰ってくる。やれやれ、やっと少し調子が戻ったか?
「頼りにしてますよ、隊長。今回は独りで心細いんですから」
そう言いながらすぐ左に機体を滑り込ませてきたのはチサトだ。
「こっちはいつも通り頼らせてもらうぞ、バンシー3。一人減って身軽になった分、機敏な動きに期待してるからな」
「うっわ、ひっど…。ファル聞いた? 隊長ってばあんたが機動に関わるくらいに重いって言ったわよ?」
おおっとそう来るか。予想もしなかった…いや、しようと思えば出来た切り返しに思いつくままを口走る。
「アホか、手綱引かれてたお前がその首輪を外されたんだからいつも以上に自由に戦えるだろって言ったんだ。お前の本領を見せてもらうぜ」
「手綱を引いてた…って、私がですか?」
「あ~、それは一理あるかもですね。これまで私はあの子の操り人形でしたから」
予想外に上手く話がそれたな…。それに通信回線が賑やかになって重苦しい空気が少しずつ和らいでいく。
「操り人形って…人聞きの悪いこと言わないでください! 私がいつあなたを…」
ファルの反論を「でもま、せっかくこうして首輪が外れて別々に飛ぶんだし…」と遮るチサト。
「あんたのことも、隊長と合わせてしっかり守ってあげるから安心しなさいな」
その声は笑っていた。顔は見えずとも、脳裏に浮かぶその笑顔に緊張がほぐれるのを感じる。
「よし、それじゃ無駄話はそこまでだ。全機ブースター点火、作戦空域まで突っ走るぞ!」
「「「了解!」」」
今回の装備には機体背面、エアブレーキを覆うようにスクラムジェットブースターが追加されている。機体の設計限界まで加速させるため、主翼と同じくらいの補助翼が左右に伸びている。最初にこのユニットを見た時は無人偵察機と見間違えた。スロットルレバーをセンターに戻し、ブースターとの連動スイッチを入れる。そしてもう一度レバーを前方へ押し込むと、さっきまでとはまったく違う加速を感じた。
Gで体がシートに押し付けられ、肺が押しつぶされそうな息苦しさが襲う。空の上では景色の変化は乏しいが、まるで意識そのものが機体の遥か後方へ置いてかれそうな錯覚を覚える。ガタガタと激しく振動するコクピットで速度計を確認するとマッハ3近くまで達していた。なるほど、これならあっという間にエンヴィオーネ上空に到達出来る。油断すれば吹っ飛びそうな意識を必死に繋ぎ止め、北の空を目指す。
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