第35話 穏やかな時

 前回お兄ちゃんたちがヴァイス・フォーゲルを訪れてから二週間余りが過ぎた。店で過ごす時間はあっという間だ。気付いたら一日が終わってる。そんなこんなで、ふとカレンダーを見たらそれだけ時間が経っていることに気付いたわけだけど、気付いてしまうと逢いたくなってくる。


「ふぅ…」


 切なさからか、無意識に溜息が零れた。今は戦争中でお兄ちゃんたちは軍人だ。忙しいだろうし、そう簡単に基地から出てこれたらそっちの方がおかしいってことも解ってるけど…。そこでまた口から溜息が零れ出る。


「解ってはいても、さぁ…」


 目の前に置かれた昼食を見つめながら、また溜息。溜息を吐くと幸せが逃げると言うけど、出ちゃうんだからしょうがない。黙々と昼食を口に運び、飲み込む。なんだかひどく味気ない。せっかくお昼休憩をもらったのに頭の中をぐるぐるするのはそんなやり場のない切なさだけ。これじゃ午後のテンションを維持出来るわけがない。なんとかしなきゃいけないのに、下がった気分はなかなか高められない。


「ティニ~、もうそろそろ下りてきてくれないかしら~?」


 エリィさんの呼ぶ声が聞こえ、ハッと時計を見上げるとティニがお昼休憩に二階のダイニングへ上がってきてから一時間近く経っていた。


「あわわ、今行く~!」


 今の今まで持て余していた昼食を慌てて口の中へ放り込み、流し台に食器を置いてダイニングを飛び出す。上手く飲み込めていなかったのか、何かが喉に引っかかってむせそうになりながらエプロンを着て喫茶フロアに辿り着くと見慣れないお客がいた。


 ヴァイス・フォーゲルに来るお客はある程度決まっている。毎日同じ時間に来ては同じ料理を注文する人もいるし、そんな人たちぐらいなら一週間もウェイトレスしてれば覚えてくる。カウンター席に座っている人も、その向こう側のテーブル席にいる人たちも見慣れない。だけど…カウンターに座るメンバーのうちの二人には見覚えがあった。


「お兄ちゃん、お姉ちゃん!」


 ティニの声に気付いて、二人が微笑みかけてくる。


「よぅ、頑張ってるか?」


「久し振り、ティニちゃん」


 二人の服装がこの前と違う。同じデザインで暗いグリーンで統一された服…レヴィアータにいた頃、街でよく見かけた軍人が着ていた服と似ている。フォーリアンロザリオの軍服、なのかな。戦争と縁の無い場所へ…そう簡単に縁は切れないみたい。その現実を突き付けられることに抵抗が無いわけじゃ無かったけど、それでも二人と逢いたかったのだって間違いない。


「ほい、愛しいお兄様とお姉様のご来店なんだからもてなしてあげてね」


 突然すぐ隣やや上からエリィさんの声が降り注ぎ、目の前には紅茶が四つ乗せられたトレーを突き出される。反射的にそのトレーを受け取り、お兄ちゃんたちが座るカウンターへ足を進ませる。


「へぇ、隊長の妹さんですか? 可愛いじゃないですか」


 お兄ちゃんの右隣に座る、艶のある黒髪を肩につくぐらいで切り揃えた女の人がティニを見てそう表情を緩ませる。誰だろう、この人? お兄ちゃんたちと同じ服を着てるから、同じ軍人さんなのは判るけど…。


「妹では無いんだがな、この近くの駅で拾ったんだよ。戦災孤児っぽかったからな」


「戦災孤児? ということは、ルシフェランザから?」


 柔和な表情を見せてくれる女の人の更に右隣、長い銀髪の女の人はちょっと警戒してるみたいに見えた。まるでお人形みたいに綺麗だけど、冷たそうな人だなぁ。


「少し前になるが、レヴィアータに空爆やっただろ? あの時の被災者だそうだ。まぁこの外縁地域にいるうちは国がどうこうってのは無しにしようぜ。ここは永世中立国の領内なんだからな」


「そうよファル、そういうこととやかく言うのは心狭いわよ? 私はチサト、よろしくね」


 チサトさんはなんだか雰囲気としてはお姉ちゃんに近い感じがする、人懐っこい笑顔を見せてくれた。


「チサトはいつも一言多いです、まったく…。シルヴィです、よろしく」


 やれやれって顔をしながら頭を下げるシルヴィさん。ティニよりいくつか年上なんだろうけど、それほど離れている風でも無さそう。こんな人でも軍人になって戦争やってるんだ…。


「みんなバンシー隊のメンバーでね、今日は半日休暇なの」


 お姉ちゃんがティニから紅茶を受け取りながらそっと教えてくれる。


「あ、本当にバンシーって名前になったんだね」


「今日には機体も届く。本当なら半日休暇なんて余裕かましてないで訓練にあてたいところなんだが…」


 お兄ちゃんが溜息混じりに紅茶を口に運ぶと、お姉ちゃんとチサトさんが顔をしかめる。


「え~、あの訓練はもう嫌だよぅ…」


「相方にボコられる身にもなってください…」


 話が見えないので、テーブル席の方にも紅茶を運びながらお姉ちゃんに訊いてみると、どうやらその戦闘機は二人乗りだから、同じ機体に乗るペア同士で対戦させるというスタイルで訓練をしていたみたいだった。


「大体、私は援護機動が得意なんです。シングルで戦うなんて状況になったら逃げますよ。しかも自分の手の内なんてほとんど全部見せちゃってるファルが相手ですよ? 無理ですって」


「私もフィー君に勝つなんて、どうやったって無理だよ…」


「必ずしも勝つことが目的ではないんだから、それが訓練を嫌がる理由にはならないんじゃないかな?」


 愚痴を零す二人に横槍を入れたのはテーブル席に座る黒髪の…男、だよね? 落ち着いた雰囲気の人。


「ペアを組むパートナーが敵と対峙した際にどういった行動に出るのか、それをお互いに把握することで実戦の際に適確且つ迅速な指示をWSOが出せるようにする…それがあの訓練の目的なんだから」


「そうは言ってもねぇイーグレット、ことごとく撃墜されてちゃモチベーションも下がるってものよ?」


「解る、解るぜその気持ち…」


 チサトさんの言葉に共感したのは、イーグレットと呼ばれた人の向かいの席に座る真っ赤な髪を炎みたいに逆立てた男の人。疲れ切ったようにテーブルに突っ伏している。


「ホント、何度やっても勝てねぇのは心折られるよな。こっちだってパイロットとしての腕に関しちゃそこそこ自信持ってんのにさ」


「あはは、アトゥレイ中尉とカイラス中尉のペアもほぼワンサイドゲームだもんねぇ」


 苦笑いを浮かべるお姉ちゃんに、「当然です」と優雅に紅茶を飲む青い髪の女性。


「アトゥレイの機動は無駄が多過ぎる。やたらとアフターバーナーを噴かすし、音速突撃による一撃離脱以外のレパートリーが乏しい。バカのひとつ覚えみたいに突っ込んできて…あんなんじゃ新型の性能を活かす前に墜とされるのは火を見るよりも明らかよ。少しは学習したらどう?」


「うっせ、俺はあれで今まで生き残ってきたんだぜ?」


「今まではそれでもよかったかもね。でも今度の機体でそんな楽観的なことは言ってられないわ。あんな危なっかしい機動は改めなさい。B分隊を預かる分隊長としての命令よ」


「た~いちょ~、これって職権濫用って言わないんスかねぇ」


「諦めろ、アトゥレイ。カイラスの言ってる内容自体間違っちゃいないんだ。むしろそうしたパイロットの粗を探して正すのもこの訓練の目的のひとつだしな」


「イーグレット少尉はその辺り、メルル少尉とちゃんとやってるもんね」


 紅茶の注がれたカップを口元に運ぼうとした女の人がメルル、という名前に顔を上げる。華やかさを感じる朱色の綺麗な髪は少しウェーブがかかっていて、セミロングで切り揃えている。


「イーグレット少尉の機動はその時の状況で考えられるルートの中で最適且つ最短を常に選ぶから、予測もしやすいわ。実戦で使う場合の善し悪しは別としてね」


「手厳しいね。だけど確かに、実戦で役に立つかどうかは自分でも感じてる部分だ。善処するよ」


「メルルはいいわね、私もあんたんとこみたいな素直な相方が欲しいわ」


 そんな冗談を交えて談笑しながら、ティニの軍隊に対するイメージからしたら随分平均年齢の低そうな一団はお茶や軽食を時折頼んでは訓練のことや各々の過去についてなどの話をしていた。

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