第26話 テルニーア・シャリオ

 洗い物もあらかた片付き、なんとなくその場から移動する気にもなれなくて厨房で話を続ける。


「ホンット、エリィ姉の無茶苦茶っぷりさえ予想出来てりゃお前をこんなとこ預けなかったんだが…」


 お兄ちゃんはティニがよっぽどエリィさんにこき使われているように見えるのか、申し訳無さそうだ。確かにちょっとキツかったりもするけど…。


「ううん、ここに来てなかったらずっと駅で座り込んでたよ。ここでの生活だってまだ一日しか経ってないけど楽しいし…レヴィアータと比べたって、全然マシだよ」


「どういう街だった? レヴィアータは」


「つまんない街だよ。お兄ちゃんたちも空から見たんでしょ? 基地があって、海辺には軍隊の港もある。そのせいで戦争が始まってからは街中軍服を着た人たちでいっぱいだし、学校の男子はそういう話しかしないし…。戦争好きな男子にとっては遊びやすい街だったかも知れないけど、ティニにとってはもう最ッ低」


 そう、玩具屋さんにも本屋にも軍事モノが増えたし、そういうのが嫌いだったティニにとっては正直居づらい街だった。柄の悪い軍人さんたちが通うのか知らないけど、酒場も増えて子供には住みにくい街…。


「ただちょっと小高くなった小さな丘にはあんまり人も来ない原っぱがあってね、そこはお気に入りだったの。嫌なことがあったり、なんとなく家にいたくない時はよくそこに行ってたなぁ」


 思えばあそこはどうなっただろう。ティニがあそこから離れたのは爆撃が終わってからだから、爆弾が落ちて消し飛んだなんてことは無いはずだけど…。いつかまた、あそこの原っぱで寝転がれるかな。そんなことを考えているとお兄ちゃんが「家にいたくない時ってお前、なかなか複雑な環境にいたんだな」と意外そうな声で言ってきた。複雑な環境、か。そうかも…。


「血が繋がってても、全部が全部円満な家庭…ってわけじゃないから。ティニの家族はお父さんとお母さんと、お兄ちゃんと弟が一人ずつの五人家族だったんだけど、ティニだけみんなから気味悪がられてさ」


「気味悪い? 何かやらかしたか?」


「知らないよ。兄弟よりテストでいい点とっても褒めてもらえないしさ。だからここに来て正解だったよ。ここなら頑張れば頑張っただけ褒めてくれるもん。エリィさんもサガラスさんもちゃんとティニを見てくれるし…。そういう意味でもお兄ちゃんたちに感謝しないとかな? レヴィアータを壊してくれたから、ここに来れたんだもんね」


 無意識に口から出た言葉。そうだ、レヴィアータを壊してくれなきゃティニはずっとあそこから抜け出せずにいたんだ。でも胸の奥がチクチクして、目の奥がチリチリと熱くなる。なんでだろう、涙が溢れてくる。


「あはは、はは…は、ひっく、はは…ひっく。あれ、おかしいな…。嬉しいんだ、ティニはあそこから抜け出せて嬉しいんだよ? なのに…なんで……泣い、てんだろ」


 涙で歪んでいく視界の中に、お兄ちゃんの困ったような悲しそうな表情が見える。こんなことで困らせたくないのに…くそ、止まれ。止まれよぉ!


「あは、あはは…あんな奴らのために、流す涙なんて…ひぐ、無いんだ。ひっく、ちくしょう、止まれってば…」


 両手で拭っても拭っても溢れる涙は止まらず、頬を伝い床へ落ちる。


「今が幸せなんだ。ティニは、幸せなんだ…。あんな…テスト頑張っても、ちっとも褒めてくれない…ティニに興味持ってくれない、奴なんか…死んじゃって、清々した…ん、だ?」


 まともに見えない状態で必死に目を拭っていると、背中から押されるような圧迫感の後に前からも何かにぶつかった衝撃を感じる。


「家族を失って…辛くない奴なんかいない。たとえ不仲だったとしても、な。だから無理すんな」


 お兄ちゃんの声がすぐ近くから聞こえる。そこで初めて、自分が抱き締められていることを理解する。


「う、うあぁ…」


 なんでだろう、それまで必死に抑えていたものが…もう我慢出来なかった。視界の歪みは一層酷くなり、涙は止まるどころか洪水のように溢れ出す。


「うわぁああぁあぅえぅぅ、ううぅうぅぅぅぅ…」


 声を上げて泣き崩れそうになって、それだけは嫌で、お兄ちゃんの体に顔を押し付ける。


「お前は偉いよ。努力したじゃないか、振り向かせようって頑張ったんだろ? しかも家族を失ったら、すぐに自分の足で生きようとしてる。お前は立派だ。さすがは『戦車シャリオ』って名前を背負ってるだけあるぜ」


 大きな手が、ティニの髪を撫でる。ずっと欲しかった温もりがここにある。とても心地よくて、心が無防備になっていくのを感じる。



 どれだけの時間そうしていただろう。やがて腕の中の少女は泣き止み、不規則な呼吸も徐々に落ち着きを取り戻し始める。


「落ち着いたか?」


「う、うん…。ご、ごめんね。服汚しちゃった」


 言われてふと自分の服を見れば…涙なのか鼻水なのかよく判らんものでドロドロだ。


「あ~、まぁこの程度気にすんな。軽い訓練でもこれ以上に汚れることはざらにある」


 改めて視線をティニに向けると、大きな目の周りを真っ赤に泣き腫らして…なんとも酷い顔だ。口に出したらさすがに空気読めってなるので言わないが…。バンシーもこんな顔なんだろうか。


「…そっか、こんな顔か」


 ふと考えてみれば、「死を告げる」って考えるから難しくなるんじゃなかろうか。「死」なんて形の無いものを表現しようとするからわけが解らなくなる。だったら「死」をオミットして、単に「告げる」とか「宣告する」って考えれば…。そうすれば「死」を直接イメージさせるものではなくなるはずだからティクスの要求も満たせられる、か。告げる、宣告する…何かその絵を見る者に強く訴えかけるようなデザインならいいわけだから…。


「え? な、何考え込んでるの?」


 ティニが上目遣いにオレの目を覗き込んでくる。思えば日中、こいつはオレと言い合った時…「命懸けの戦いで、必ず生きて帰ってきてくれるなんて約束出来ないでしょ?」とかって言った時、オレに向かって人差し指を立てたよな。あれって良くないか?


「ねぇ、お兄ちゃん?」


「ティニ、お前借りるわ」


 オレの発言に、ティニはきょとんとしながら「ほえ?」とかなんとかティクスみたいに間の抜けた声を零した。だがそんなことは構わず、オレは立ち上がると厨房を出て階段を駆け上り、相棒のいる部屋のドアを開ける。


「おいティクス、よさげなアイディ…あ?」


 部屋中央の円卓には資料や下書きの紙が散乱している。それはいい、だが肝心の相棒の姿が無い。どこへ行ったのかと視線を左右へ振ってみればすぐに見つかった。ベッドの上でスヤスヤと寝息を立ててやがる。


「…本気でこいつは協力する気があるのか?」


 二、三発殴り飛ばしてやろうか…。ベッドの横に立ってその穏やかな寝顔を見ていると微笑ましさよりもそういう黒い感情が先行する。


 だが、まぁいいか。デザインの立案には複数人いた方がいいがアイディアはもう浮かんだのだ。それを描く作業だけなら一人でも充分だ。オレは円卓の上に散らばった紙の中からまっさらな紙を探し出し、そこにさっき思い描いたものをそのままにペンを走らせる。


 初めから絵として完成させる必要は無いのだし、それをするのは本国のエンブレムデザイナーの仕事だ。円の中心に少女の胸像、その表情は真っ赤に腫れながらも尚涙を浮かべる赤い目に青白い肌。そしてエンブレムを見る人間に対してビシッと立てられた人差し指を向ける…うん、こんなもんだろ。


 ふと時間を確認すると既に日付は変わっていたが、なんとか基地に戻ればエンブレムの案として提出出来そうなレベルのものは出来たし、任務完了だ。溜まった疲れを体外に放出するが如く、肺の中の空気をすべて吐き出す。


「お兄ちゃん、終わったの?」


 さっき部屋に入ってくる時に開けっ放しにしたらしいドアの陰からティニが顔を覗かせる。


「ああ、おかげ様でな」

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