第24話 外泊許可

「ただいま~」


 結局ヴァイス・フォーゲルに戻ったのはお昼も過ぎた午後二時頃。


「おっそ~い! お昼までに戻ると思ったから送り出したのにさ~」


 ドアをくぐってカウベルの音色の次に聞こえたのはエリィさんからのそんな言葉。でも言葉ほど不満ってわけでも怒ってるってわけでもなさそう。


「開口一番になんだその言い草は…」


「だってさ~、今日普段よりもお昼の客入りがよくってさ~。つっかれちゃったわ~」


 カウンター席でぐったりと脱力しているエリィさんの格好は…なんていうか、女としてどうなのかと思うくらいにだらしなかった。お客はもうみんな帰っていて、その場にいなかったからいいものの…。


「あら、ティニ。その服買ってもらったの? 可愛いじゃない」


「うん。他にも色々買ってもらっちゃった」


 あの時最初に手にとったタートルネックの服にズボン、ボロボロだった靴も新しいのを買ってもらった。


「おかげで散財したぜ。埋め合わせ、期待出来るんだろうな?」


「なぁによ~、ケチくさい男はモテないわよ? この御時勢、軍人さんは高給取りでしょ?」


「勝手に決め付けんな。どこの組織でも金は上の方でせきとめられるんだよ」


「あら、そうなの? …ていうかそれより、一人足りない気がするのは気のせいかしら?」


 エリィさんは左手を額の前で水平にし、大袈裟に探している仕草をしてみせる。


「ああ、ティクスは車の中で寝てる。ちょいと脳みそがオーバーヒート起こしたみてぇでな」


 お兄ちゃんは右手の人差し指を頭の横でクルクルと回した後でパッと開く。…ティニが変なこと訊いちゃったせいで、お姉ちゃんが調子悪くなっちゃったんだ。そう思うと気が重くなった。


「何よそれ? あの子そんな子だったかしら?」


「まぁ問題ないとは思うが…確か二階は民宿だったっけ? 一部屋貸してくれないか、どうせ空いてんだろ?」


 お兄ちゃんの言葉にエリィさんは「その『どうせ』ってのがなぁんか癪だけど…」と苦々しい顔をしたけど、結局今日だけ一部屋を無償で貸すことでティニの衣服代+ボディガード代をチャラにするって方向でまとまった。


「それじゃ、オレはティクスを運んで…ちと許可を取り付けてくるか」


 面倒臭そうに頭を掻きながらまた店の外へ向かうお兄ちゃんに、「許可?」と訊くと「大人の事情ってヤツさ」って苦笑いを浮かべた。




 体が重い。まるで深い海底に沈んでいるような錯覚に囚われる。真っ暗闇の中で体が宙に浮いているようにも感じるのに、押しつぶされそうなくらい重く感じる。嫌な感じ…最近はあんまりなかったのにな、この感じ。


「…ん、んん」


 だるくて仕方ないけど、手足を少しでも動かさないと自分という存在すらあやふやになってしまいそうな不安感がこみ上げてきて、もぞもぞと体を動かす。


「ティクス?」


 自分を呼ぶ声が聞こえて、鉛みたいに重たい瞼をこじ開けて自分自身を無理矢理覚醒させる。突然視覚に突き刺さる光に一度は開けた瞼を閉じかけるが、細めた目が慣れてくるとそこには見慣れた幼馴染がいた。


「フィー君…」


「起きたか。まったく、こっちの作業も手伝わないで四時間も寝こけやがって…いいご身分だなぁお姫様?」


 意地悪を言われてるのは解るのだけど、それに対し反発する気力はまだない。とりあえず今の状況を把握しようと辺りに視線を走らせる。車のシートで寝たはずだけど、シートなんかよりずっと寝心地がいい…ベッド?


「えっと…ここって?」


「ヴァイス・フォーゲルの二階。民宿用の部屋を一部屋借りた。一応ノヴァ司令にも外泊許可取り付けておいたから、今夜はここで厄介になろうぜ」


 上体を起こして、もう一度辺りを見回す。私はベッドに寝かされていて、フィー君は部屋の中央にある円卓に資料を広げ、その脇に置かれた椅子に腰掛けている。民宿? 外泊許可?


「じゃあ、今日はここでエンブレムを煮詰めることが出来るんだね?」


「そういうこった。いっや~、今度のボスは話が解る人間で助かるぜ。まだ基地施設も充分に機能してないことも幸いしたな。こっちの方が資料も豊富だし、明日にはデザインの原案上げるって言ったら了承してくれたよ」


 ボーっとしていた頭が少しずつハッキリしてくる。


「じゃあ、ホントに今夜仕上げないとね。何かいいアイディアは浮かんだ?」


「この状況見れば、訊かんでも解るだろうが…」


「あぅ…そうだったね、ごめん」


 ベッドから出て、フィー君の許へ歩み寄る。何枚か下書きみたいなイラストが描かれたものもあるけど、気に入らなかったのかどれもバッテンで潰されている。


「…ティニが心配してたから、後で顔見せとけ」


 あ、そっか。ティニちゃんとの話の途中で発症しちゃったんだもんね。まずったなぁ…。


「うん、解ったよ」


「ウェルトゥの話したんだって? 無理に話さなくたっていいのにさ、要領の悪いアホめ」


「うぅ、酷い言われようだよ…」


 そう返してあげると、フィー君はまたくっくっく、と意地悪く笑う。


「それで…わだかまりは解けたの?」


「ああ、まぁな。結局あいつはオレらが軍人で最前線で戦う人間だから、あんまし深いつながりを持つのを避けたかったんだろうよ。戦争の二文字が嫌でここに来たような奴だからな」


「大切な人が命懸けの戦いをしてる、危険な目にあっていつ死んじゃうか判らない。失うのは悲しいから、だったらそういう危険なことをしてる人に近寄りたくない…ってこと?」


「そういうことだろうな。まったく、存外に面倒臭かったぞ? あいつ納得させるの」


 円卓の上に置かれたポットからティーカップに紅茶を注ぎながら、溜息を吐くフィー君。


「それも仕方ないよ。私はティニちゃんの気持ちも、解らなくないなぁ」


「いつだったか、お前にも似たようなこと言われた気がするしな。『大切な人を失いたくない』、『危ないところになんか行かないで』…とかなんとか」


「あはは、そんなこともあったっけね。でもその気持ちは、正直今でも変わってないよ。出来ることなら戦場になんて行きたくないし、行って欲しくもない。だけどそうも言ってられないから…」


 そこまで言って、ふとこの場の空気が湿っぽくなってしまっていることに気付く。…まずい、この雰囲気はとてもまずい。とても作業が捗る空気じゃない。


「さ、さぁて! 民宿ってことはお風呂も使っていいんだよね? ちょっとゆっくり体の疲れを取ってくるよ」


 しまった、ちょっとあからさま過ぎる空テンションだったかも…。でもフィー君はいつもの呆れ顔を浮かべている。


「なるほど、手伝おうという気は無いわけだな。後で覚えとけ?」


「あ、あうぅ…ち、違うよ!? ただやっぱりああいう寝方をした後って体も頭も上手く機能しないから、まずそれを解消してから…」


 わたわたと無意味な身振り手振りを交えながら必死に弁解を試みるけど、フィー君は「解ったから早く行ってこいよ」と呆れ顔。でもその口元にはうっすら笑みが浮かんでいる。どうやらまたからかわれたらしい。なんか心にモヤモヤしたものを残し、私は部屋を出る。思えば外泊許可はもらっているにしても、準備なんて何もしてないんだけど…。


「とりあえず、エリィさんに訊けばいいか」


 時間は夕飯には少し早いくらいの午後六時過ぎ。今なら下の喫茶フロアにいたとしてもまだお客の対応に追われているってことはないかな? ティニちゃんに心配させてごめんって言っておきたいのもあるし…。そう考え、話し声が聞こえてくる階段へ向かった。

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