第九十話:対決・大型杯

 お千代達が月華楼にて木村八郎を接待している頃、七日町なぬかまちの外れの鉄火場にて、天正骨牌カルタを使った「大型杯ブラックジャック」で、博徒の親分と紫月が争っていた。


 観客席にいるさやは、大型杯ブラックジャックの基本的な規定ルールを頭の中でおさらいする。


 一・骨牌を混ぜ、カードシューを作って、それぞれ二枚ずつ山から場へと配る。親役は一枚は伏せ、もう一枚は表にして見せる。

 二・伏せ札ステイカード表札アップカードの合計点により、もう一枚「引きヒット」か、「そのままステイ」を選ぶことができる。親役は合計点が十六以上になるまで札を引かなくてはならない。

 三・絵札は十、数札は書かれた数そのまま、鬼札エースは一か十一かを選べる。絵札と鬼札はちょうど二十一で「大型杯ブラックジャック」。

 四・合計点が二十一を超えると「超えバースト」で負け、どちらも同じ数だと「引き分けドロウ」。どちらがより二十一に近いかで勝敗が決まる。


 現在、山が少なくなり一巡目が終わろうとしている。今までの戦績は、紫月が三勝ち、十九負け、一引き分けで親分のほうが圧倒的に勝っている。


そのままステイ


 紫月が札の上で手のひらを横に振り、十八で引くのを止める。親分が伏せ札を表にする。合計二十。親分の勝ち。


 観客の破落戸ゴロツキ達はわっと賑わい、さやは思わず口を手で覆う。紫月のコマ札が没収される。


「一巡目は儂の勝ち、だな」


 親分が骨牌カルタを集め、にやにやしながら紫月に告げる。

 だが紫月は悔しそうではない。むしろ何かを掴んだかのように口の端をわずかに上げる。


 す、と紫月がまたコマ札を置いた。二巡目も争う気らしい。


「そうこなくちゃな」


 大型杯の二巡目が始まる。破落戸達は紫月の様子をにやにやと見ている。

 親分が骨牌を混ぜ、山にすると、また紫月と自分に二枚ずつ配る。紫月は刀剣の十と数札の八で合計十八、親分の表札アップカードは十。伏せ札ステイカードは分からない。


そのままステイ


 紫月が手を振って答える。親分は伏せ札を表にする。数札の六。合計十六。十六以下なので親役は規定ルールに従いもう一枚引く。引いた札は九。合計二十五で「超えバースト」。紫月の勝ち。


「やった!」


 さやが思わず喜びの声をあげると、周りの破落戸が睨んできた。さやは居心地が悪そうに肩をすくめる。


「……ふん、まぐれだな」


 親分が場に出ていた骨牌を使用済み札として片付ける。また山から札を配る。今度の紫月の札は二と五。合計七。親分の表札は棍棒クラブの十。


引きヒット


 紫月が告げると、札が配られる。数は九。合計十六。

 微妙な数字だ。親役は十六以上になるのは規定で決まっているので、「そのままステイ」だと負ける。だが「引き」で五以上の札を引くと「超えバースト」で、これまた負ける。今の紫月が勝つには、札を引いて五以下の札が当たるのに賭けるか、それともこのままで相手が二十二以上になって「超え」になるのを待つしかない。


(私だったら、このまま、かなあ?)


 さやはそう考える。紫月は性格的に慎重になる方だと思う。「超え」を覚悟して札を引く可能性は低いとさやは思っていた。だが紫月は人差し指で床を二回叩き、「引きヒット」を選んだ。

 配られた札は、金貨の四。合計二十。いい手札だ。


そのままステイ


 紫月が手を振る。親分は伏せ札を表にする。聖杯ハートの三。合計十三なのでもう一枚引く。五がきた。これで合計十八。紫月の勝ちだ。


 二回連続で紫月が勝ち、観客席はざわついている。紫月のコマ札が増える。親分の顔から笑みが消える。


「ほら、次だ」


 紫月が賭け金分のコマ札を置く。遊戯ゲーム続行の合図だ。親分は使った札をよけながら、新たな札を二枚ずつ配る。

 今度の紫月の札は、三と六。合計九。親分の表札は五。

 当然のように紫月は「引きヒット」を選択。今度は五。合計十四。また「引き」を使う。出た札は三。合計十七。


倍賭けダブルダウン


 紫月がコマ札をもう一枚上に置くと、破落戸達はざわつき、親分は眉をしかめる。

「倍賭け」とは、その名の通り今賭けている金額を倍にし、その代わり引くのを次で最後にするという手だ。

 紫月の現在の札の合計は十七。五以上が出れば「超え」で負けが決まってしまう。オロオロするさやとは対照的に、紫月は無表情で落ち着いている。


「…………」


 黙ったまま、親分は札を紫月に配る。札は聖杯の四。合計二十一。


大型杯ブラックジャックだ!」


 思わずさやが叫ぶ。親分は顔をしかめたまま伏せ札を表にする。国王キングの十。合計十五。もう一枚引く。今度は七。合計二十二で「超えバースト」。紫月の勝ちで、しかも「倍賭けダブルダウン」を使っているので、勝ち額は倍である。紫月のコマ札がまた大幅に増えた。


「俺の勝ち、だな。まだ骨牌は一巡していない。遊戯ゲームは終わっていないぞ」


 破落戸達の刺すような視線もなんのその。紫月はコマ札を置いて遊戯続行を指示する。親分は何か言いたそうだが、黙って札を配り始めた。


 この時から、鉄火場の空気が変わったとさやは感じた。


 ※

 ※

 ※


倍賭けダブルダウン


 紫月の声が場に響く。

 配られた札は国王キングの十。持ち札の鬼札エースと併せて二十一。大型杯ブラックジャック。紫月の勝ち。

 現在三巡目。紫月の戦績は十二勝ち、五負け、六引き分けである。

 紫月は三巡目から「倍賭け」をよく使っていた。なのでコマ札もかなり増えている。親分は紫月を睨んでいるが、当の本人は全く気にしていない。


 次で三巡目は最後だ。親分の表札は鬼札エース。紫月の手札は七と七の十四。


引きヒット


 紫月が静かに告げる。親分は手を震わせながら札を山から引いて配る。刀剣スペードの七。合計二十一の大型杯ブラックジャック。破落戸が激しくブーイングを上げる。そんな中さやは手を合わせながら目をぎゅっと瞑り祈っていた。


「では、儂の札を……」

「待て」


 伏せ札を表にしようとした親分を、紫月は止める。


大型杯賭けイーブンマネー

「あ?」

「大型杯賭け、だ」


 親分が一瞬ぽかんと口を開き、観客の破落戸も静まりかえる。


 大型杯賭けイーブンマネー――手持ちの札が「大型杯ブラックジャック」の時だけ使える手で、相手が同じ「大型杯」の場合、普通なら「引き分けドロウ」だが、この手を使うとこちらの勝ちになる。しかし相手が「大型杯」でない場合、負けとなってしまう。

 今、紫月は全額分のコマ札を置いている。これで負ければ賭け金をすべて失い、情報も手に入らなく、さやもカタにとられてしまう。

 だが、紫月は真剣な眼差しで親分を見ている。視線を受けた親分は唇を小刻みに震わせ紫月を睨んだが、紫月はただ黙って札が開けられるのを待っている。


 親分の太い指が伏せ札ステイカードを開ける。

 騎馬ジャックの十。鬼札エースと併せて最強の大型杯ブラックジャック……になるはずだった組み合わせ。しかし今、「大型杯賭けイーブンマネー」を選んでいるので、紫月の勝ちが決まった。


「やった!」


 さやが喝采を上げて喜んでいる中、破落戸達は怒りの雄叫びをあげる。


「っざっけんな!!」

「こんなのあるわけないだろ!」

「なにかイカサマしやがったな!?」


 怒声を浴びせられても、紫月は冷静だった。


「俺がイカサマ? どこにそんな証拠がある? 逆にこちらはこいつのイカサマを二回ほど見逃しているぞ」


 二回のイカサマを見破られて、親分の顔色は真っ青だ。はらり、と袂からわざと山から盗んだ二枚の骨牌カルタが落ちる。


 紫月は本当にイカサマなどやってなかった。ただ、彼は場に出ている札を記憶し、これから配られる札を予想するカウンティングをやっただけだ。


 カウンティング――大型杯ブラックジャックは十の数札と女王クイーン国王キング騎馬ジャックの絵札は十として数える。なのでこれらの札がどのくらい山に残っているか、場に出た札によって数字を足し引きし、予想していく。

 カウンティングの方法は色々あるが、紫月が選んだのはハイローシステムというものであった。札をグループ毎に分けて数値化し、簡易計算で管理していくやり方である。


「十、鬼札エース」の札はマイナス一。

「七、八、九」の札は±ゼロ。

「二、三、四、五、六」はプラス一。


 例えば、自分の手札が十と絵札なら、マイナス二。合計値がマイナスの場合、マイナスであればあるほど十を引く可能性が低くなるので、「そのままステイ」を積極的に選んで相手の「超えバースト」を待つ。

 逆に手札が二と五の合計七なら、プラス二。プラスであればあるほど十を引く可能性が高くなるので、積極的に攻める。

 大型杯は、十の数値の札がとても重要なのだ。十がどれだけ出ているかで選べる手が決まってくる。


 無論、紫月は大型杯ブラックジャックをやるのは今夜が初めてだ。しかし一巡目でこの遊戯の本質に気づき、カウンティングの方法に到達した観察力の高さ、卓越した記憶力と推理力で次に出てくる目を予想するという、一流の忍びが持ち合わせている能力の高さでこの勝負を計算し、そして見事勝ってみせた。


(……すごい!)


 さやは改めて紫月という忍びの凄さを実感し、そんな忍びを師をして仰ぎ、従者として仕えてもらっていることをあるじとして、また弟子として誇りに思った。


「まだやるか? 何度やっても俺は勝つぞ」


 側にやってきたさやの肩を抱きながら、紫月は親分を見下ろして言った。親分は怒りと負けた恥辱でわなわなと震えている。


「賭けは俺の勝ちのようだ。約束通り――」

「……認めねえ」


 ゆらり、と親分がドスを構えて立ち上がった。配下の破落戸どもも、鎌や匕首あいくちを手に取りさやと紫月を囲む。


「賭けは無効だ! おまえら、やっちまえ!!」

「応!!」


 親分と子分の破落戸どもが、さやと紫月に向かってくる。さやは宝刀を取り出し構えるが、その一瞬前に、紫月が青龍偃月刀せいりゅうえんげつとうを一振りし、親分と子分達を切り捨てる。

 あるものは胴体を真っ二つに斬られ、あるものは右手を失い、あるものは目をぱっくりと斬られた。

 親分のほうは、両の手首をすっぱりと斬られ床に転がり悶絶している。


「うらああ!」


 軽傷の破落戸が負けじと刀を振るうが、さやが宝刀を抜いて一閃すると、そいつの腕が切られ刀が手とともに落ちる。怯んだところをさやは蹴りを入れてそいつを倒した。


「う、うぅ……」


 廃寺の鉄火場は、血と肉が乱舞する修羅場へと化した。破落戸どもを退治した紫月は、手を失った激痛に悶えている親分に刀を向けて、静かに、だが強く問う。


「賭けには勝った。約束通り、木村八郎という男について洗いざらい話してもらおうか」

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