第八十九話:閨にて
「お待ちしておりんした」
木村八郎が、
間近で見る八郎の顔は、意外と幼く見えた。
「あんたみたいな美人、今まで抱いたことがねえ。今日は朝まで付き合ってもらうぜ」
「あい。楽しみでござんす」
衣擦れの音が、
甘く鼻にかかったような喘ぎ声を、お千代は愛撫されるたび吐息を漏らすようにあげる。房事の授業で習った通り、鼻にかかったような高い喘ぎは、男を興奮させるらしい。しかし上げすぎても駄目。さりげなく、自然に喉から漏らすように出す。
阿国はこの数日間で散々聞いた姐の喘ぎ声をよそに、香炉の様子を伺う。床の間に置かれている銀梅花の象られたお千代の香炉からは、
(あの男は、いつあの香炉を使う?)
屏風に開けられた僅かな穴から、阿国はお千代と八郎の睦み合いの様子を見る。お千代は紅い肌小袖が乱れて、白い肢体に絡まっているように見える。全裸より女を色っぽく見せるため、女郎は床入りの際全ての着物を脱ぐことはあまりしない。
木村八郎の方も上半身裸で、着物の裾から褌が見える。その褌が膨らんでいるので、そろそろ本番に移行するだろう。
す、と八郎が着物の袂からあの青磁の香炉を取り出す。阿国は顔をしかめるが、お千代は何も知らぬという風に、「旦さん、それはなんでござんす?」と問うた。
「この香炉は
「……へえ、九十九神でありんすか。旦さんはどうやってこの神様を手に入れたのでおざんすか?」
「こりゃあ太閤様から下賜された代物よ。こいつはこの香を好むんだ」
そういって八郎は袂から阿国に見せた香木を出し、枕元に香炉を置いて蓋を開け、中に入れた香木に火を付ける。途端、香炉から細い煙が発生し、胸が苦しくなる甘い匂いが広がっていく。阿国は思わず口と鼻を覆う。
(酷い匂い……!)
麝香と蕃茘枝より甘ったるく、そして嗅いでいると頭がぼんやりとしてくる。阿国はなるべくこの煙を吸わないようにしながら、お千代の様子を伺う。
お千代は一瞬だけ眉を顰めたが、すぐになんともないという風に八郎の首筋にしがみついてみせた。
最低限の空気を吸う呼吸法でなるべくこの煙を吸わないようにするが、少しずつお千代の感覚が侵されていく。
頭の片隅がぼう、として、手足がひんやりと冷えていく。身体に挿れられた八郎のものが動くたび、感覚が鋭敏になっていき、強い快楽がお千代を襲う。今までの男からは感じたことがないほど強いそれは、お千代をあっという間に絶頂へと導く。
達する直前、お千代は見た。青磁の香炉から煙が逆に吸われていったのを。
(なぜ……? あの香炉は……)
達してしまい、体中が酷く重くなったのを感じながら、お千代はとろんとした目で木村八郎を見る。
「なんだ? もう気をやったのか? 噂の淫魔様もたいしたことないな」
嘲笑う八郎へ、お千代は無理やり唇を奪う。その舌技は、まだまだ余裕があることを示していた。
「へっ、そうこなくちゃなあ。そうでないとこいつも喜ばねえ」
再び身体を貪る八郎に反応しながら、お千代は青磁の香炉が、ちりり、ちりりと鳴いているのを確かに聞いた。
口当てをした阿国も、その音を聞いた。座敷であの男が言っていた香炉が鳴くというのは本当のようだ。
(やはりあの香炉に仕掛けが……。念のため毒消しの香を焚くか、それと、も――)
阿国の視界が揺れる。なるべく煙を吸わないように努力していたのに、煙の毒が体中にまわったようだ。
解毒剤を取り出そうとしたが、手が震えて上手く袂から取り出せない。
やはり、あの香木は毒だ。死に至らしめることはないだろうが、明らかに人体に悪影響をもたらす。
(ね、姐さん、は、あたしが、守る、ん、だ――)
後で怒られてもいい。屏風から飛び出してあの青磁の香炉を取り上げようと腰を浮かした時、お千代と目があった。
お千代はぎこちなく微笑みながら、唇を動かす。
に、げ、な、さい、と――
姐さん、と手を伸ばしたところで、阿国の意識は完全に途絶えた。小さな体は床に転がり、阿国の目からは涙が流れていた。
※
※
※
「なんだ? この禿、屏風の裏にいたのか」
屏風から身体をはみ出して倒れた阿国を見て、八郎は興ざめといった風に動きを止めた。
「……あっしからの言いつけを果たせるように、床入りの際はこの子はいつも屏風の裏に待機しておりんした」
お千代は酷くだるい身体を動かして、阿国をそっと抱いて屏風の裏へと寝かせ、脱いだ小袖をかけてやる。
阿国の目尻に浮かんだ涙を拭ってやりながら、守ってやれなくてごめんね、と心のなかで呟く。
阿国を寝かしつけていたお千代の肩を八郎が掴み、強引に身体を抱いて褥の上に置いた。
「きゃっ!」
「そのガキのせいで興が冷めちまった。仕切り直しだ」
木村八郎はお千代の乳房を強く揉む。痛みさえ感じる乱暴な行為だが、不思議とお千代の身体は反応してしまう。
八郎に激しく抱かれながら、お千代は、あの香炉がやはり煙を吸っているのを確認する。お千代が感じれば感じるほど、香炉はちりり、ちりりと鳴く。まるで嬉しそうに。
途切れそうになる意識を必死で保ちながら、お千代は浅黒い肌を持つ男のことを思い出していた。
八郎ほど上手ではないが、とても誠実にお千代を抱く不器用な
(ひのえ。あっしは、もう、駄目かも、しれんせん……)
何回目かの絶頂を迎え、八郎がお千代の中で果てる。お千代の身体の感覚はもうほとんどなく、意識は海で揺蕩うようにぼんやりとしている。
「ほう。まだ意識を失わないかい。やっぱりお前はただもんじゃないな」
八郎の言葉も、今のお千代には頭の中に入ってこなかった。だが、自分はまだいける、というふうに、八郎の背中へと手を這わせる。八郎は復活した逸物をもう一回挿入する。
青磁の香炉から、相変わらず甘く苦しい匂いが漂っている。煙がまるでお千代の精気まで吸うかのように、香炉の中へと逆流していった。
「いい……! いい女だな。お前は」
前後に激しく動きながら、八郎が呟く。下で動きに翻弄されながら、お千代は薄い意識の中でその言葉を聞いた。
「精気を吸うだけじゃ気がすまねえ。お前を俺の女にしてやるよ」
耳元で囁かれたその言葉を、お千代は理解することなく気を失った。
意識が途切れる直前、ひのえ、とお千代は声にならない声で、今はここに居ない良人の名を呼んだのだった。
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