第八十七話:鉄火場にて

 木村八郎という伊賀の男が月華楼に来ている頃、さやと紫月は七日町の外れにある鉄火場に来ていた。

 廃寺に燈が灯され、そこでは入れ墨を入れた破落戸ゴロツキが賽を振ったり、双六をやったりしている。


「御免」


 紫月が戸を開くと、破落戸達は一斉に紫月とさやを睨む。目付きの悪い男たちの視線を一気に受けて、さやは思わず紫月の背中に隠れる。

 男たちは紫月とさやの格好を頭の天辺から足の先まで舐めるように見ると、卑しそうに笑い、「おいおいお侍さん、ここはあんたたちの帰る城じゃねえよ」と馬鹿にするように言う。


「それとも鉄火場荒らしか?」


 用心棒らしき屈強そうな男が匕首あいくちを持ちながら近づいてくる。盆茣蓙に座っている鉄火場の親分らしき男は、胡座をかいたままこちらを睨んで微動だにしない。


「勘違いするな。俺たちは場を荒らしに来たわけじゃない。無論取り締まりに来たわけでもない」

「じゃあなんだってお武家様がここにきてんだよ?」


 柄の悪い男が紫月に顔を近づけ恫喝するが、紫月は無表情のまま親分の方へ視線を向ける。


「ここに木村八郎という大柄な男が出入りしていただろう?」


 木村八郎の名を聞くと、破落戸たちは眉を寄せお互いの顔を見合わせる。殺気の含んだ視線を浴びながら、紫月はやはりな、と確信を得る。


「その男について聞きたくてここに来た」

「………おい、兄ちゃんよ」


 今まで黙っていた親分が、ゆっくりと口を開いた。


「ここは鉄火場だぜ? 金でも物でも欲しかったら博打で手に入れるのがここの作法だ」

「つまり、博打で勝ったら情報を教えてくれるんだな」


 親分が姿勢を正すと、手のひらで賽子サイコロを振って挑戦的に紫月を見る。紫月はその視線を受けて、破落戸達の間を抜け、親分の前にどっかりと座った。さやもその後ろに控えめに座る。


「ほう、儂とやろうってのかい?」


 親分は笑い、着物の上半身を開ける。そこには立派な入れ墨が彫られていた。

 紫月もイカサマをしないように小袖を脱ぐ。褐色の筋肉質な上半身が現れ、破落戸達の何人かがにやにやといやらしく笑う。


「種目は何にする? 盤双六、丁半、大目小目……」

「なんでもいい。まかせる」


 紫月が鷹揚に言うので、一瞬親分達はぽかんと目を開いたが、次の瞬間大笑いが場に起こる。さやは着物を脱がされないよう、前のあわせをしっかり握りながら、下卑た笑いを起こしている男たちを少しだけ睨んだ。


「なんでもいいとはな。余程勝つ自信があると見た」


 なら、と親分は横に置いてあった箱から、札の束を取り出す。その札には絵や数字が書かれている。さやはあれはなんだろう? と眉をしかめる。


「これは天正骨牌カルタっていう、南蛮由来の遊び札だ。前にここで負けた武家の坊っちゃんが置いていったものだ。京の花街では流行っているらしいぜ。こいつで勝負だ」


 天正骨牌カルタとは、一五七三年から一五九二年の間にポルトガルから伝来したトランプが国産化されたものである。骨牌とはポルトガル語で「カード」を意味する。

 この骨牌が流行った理由として、朝鮮出兵の時、肥前国松浦郡名護屋(現・佐賀県唐津市)が出兵拠点となり、全国から大勢の大名が集結したため、陣中の娯楽として広まったと言われている。


 天正骨牌は刀剣スペード金貨ダイヤ棍棒クラブ聖杯ハートの四種類の紋標スーツがあり、一から十までの数札と、女王クイーン国王キング騎馬ジャック、そして鬼札エースの絵札で構成されている四十八枚の札だ。

 遊び方は「読み」「合わせ」「かう」などがあるが、親分は「大型杯ブラックジャック」という遊びを提示してきた。


「前に来た坊っちゃんが南蛮から聞いたらしい遊び方だ。規定ルールは親役である儂とお前の二人で骨牌を二枚引く。そのうちの一枚を表に、もう一枚を裏にして相手に見せないようにし、札の合計が二十一に近い方が勝ちというものだ。簡単だろ?」


 親分は「大型杯ブラックジャック」の詳しい規定を説明してきた。

 掛け金を決めた後、四十八枚の骨牌を混ぜ「山」とし、親役と子にまず山から二枚ずつ配られる。絵札は十として数え、数札はそのまま書かれた数として、そして鬼札は一か十一として数える。

 遊び手は手札が二十一になるまで骨牌を引くことができるが、二十一を越えると「越えバースト」で負けが決まる。ちょうど二十一になると「大型杯ブラックジャック」、両方同じ数なら「引き分けドロウ」、鬼札と絵札が一番最強で、同じ二十一でもこの役だとかならず勝つ。親役は必ず山から十七以上になるまで札を引かなければならない。

 どちらがより二十一に近づけるかを競う札遊びだ。


 紫月は教本を渡され説明を受けながら、顎に手を当てて何かを思案している。さやは紫月の後ろにつかれたらイカサマをするかもしれないとのことで、親分から上半身を脱ぐか移動かを命じられた。仕方がないので観客の方に移動するが、そこでいきなり尻を掴まれた。


「ひゃん!」


 いきなりの衝撃にさやは顔を真っ赤にして周りを見渡すが、皆さやの様子ににやにや笑っているだけだった。もう一度前を向いて座ろうとしたところ、またしても尻を揉まれた。それもも。


「な、なにをするの!?」


 すぐ後ろの男がにやつきながら手をワキワキと握っている。


「坊主、なかなかいいケツしてんじゃねえか。俺はもうちょっと肉がついているほうが好みだがね」

「そいつに大層可愛がられているんだろ?」

「親分、そいつが負けたらこの坊主もカタとして貰うってのはどうです?」

「なっ!?」


 尻を三回も揉まれた屈辱の上に更に下衆な提案までされて、さやは今度は怒りで顔を赤くしたが、紫月が落ち着け、という風に肩を叩いてきた。

 紫月の目は、大丈夫、俺を信じて下さい、とさやに訴えかけている。


「規定は理解したか?」

「ああ」


 紫月は袋に入った銭を全てコマ札に変え、最初の賭け分を場に置いた。

 親分が見た目にそぐわない優雅な手付きで骨牌を混ぜていく。


(紫月……負けないで!)


 尻をさすりながらさやは心の中で願う。天恵眼が使えれば多少助けになるかもしれないが、この大勢の前で目を光らせるわけにはいかない。なによりイカサマだとバレてしまう。


 綺麗に積まれた山の上から、親分は紫月と自分へと二枚ずつ札を配る。

 伊賀の男の情報を得るための、負けられない勝負が始まろうとしていた。

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