第七十話:混濁、そして解明

『いいかい、さく君』


 肌も髪も白い男の人が、に話しかけてくる。目が痛い。周りの人や物が全て透けて見える。


『君の瞳に発眼した術は、僕の仮説によれば同じ術者と必ず。だから君をこれから東国の更に北へと送り出す。ちょうど風魔一族の残党が奥州にも進出するらしいから、人買いに扮した同志に君は奴隷として連れて行かれ、風魔一族の頭領、風魔小太郎に買われるよう手配する。そして奥州へと行き、同じ発眼者と接触するんだ』


 奥州、奴隷、風魔一族……聞いたことのない単語にただ怯えるしかないに、白い男の人は微笑んでみせた。


『僕にはね、任務で回収しなければいけない者がもいるんだ。その二人は奥州のどこかにいる。そのうちの一人と君は必ず出会う。仮説が間違っていなければね。その者と出会ったら君はそいつを連れて伊賀へと帰投するんだ』


 男の人のぼんやりとした紫色の瞳が細くなり、伸びてきた手がの瞳を塞ぐ。


『今から君の記憶を封じる。だが君と同じ発眼者に出会ったら、僕の指令を思い出すだろう。その時は……わかってるね?』


 言い終わると、男の人の手から強い衝撃が放たれる。その衝撃で、の名前も過去も全てが深く霧がかって、やがて全ての記憶が霧の奥に封じられてしまい――


 ※

 ※

 ※


「……はっ!?」


 息を思い切り吐き出して、さやは目覚める。酸素をむさぼるように激しく呼吸を繰り返す。汗が体中から噴き出てくる。


「おい、目覚めたぞ!」


 さやの寝ている寝台ベットの傍にいた医療班の班員が叫び、その声を合図に澄党ちょうとうの党首や他の班員が寝台へとやってくる。医療班員達は、さやの脈や瞳孔の対光反射を見、そして二の腕に布を巻き、布に繋がった管から送られる空気で布を膨らませ腕を圧迫する。空気を送る楕円形のポンプは豚の膀胱を加工したものだ。

 医療班員は金属製の喇叭ラッパ型の聴診器を布の下に入れ、コロトコフ音を聞き、血圧を測る。


「血圧はやや低いですが正常です。脈も速いですが徐々に落ち着いてきてます」


 だが、目覚めたさやの光る瞳は、焦点が合わずどこを見ているか分からない。そして班員の呼びかけにも応じず、唇を震わせなにか呟いている。


……伊賀……帰投……」


 記憶が子供のとしている――そう判断した党首は、「坂ノ上さや!」とさやの名前を叫ぶと同時に、思い切り頬を平手打ちした。


 頬を張られた衝撃でさやの瞳の焦点が合う。そして周りをキョロキョロと見渡す。自分の存在を確認するかのように。

 隣の寝台で泣きそうな顔でこちらを見ている子供、心配そうに様子を伺う医療班員、そしてさやを真っ直ぐに見つめる澄党の党首を見て、混濁していた意識が段々と鮮明になってくる。


「あ……ここ……」

「ここは月の里の療養所。そして貴女は焔党ほむらとう所属「つちのえ」の忍び、坂ノ上さやよ」


 澄党の党首に自分の名を呼ばれ、さやの意識と記憶は現在へと収れんする。

 そこで自分は横に寝ている子供の記憶に潜入し、その中で白い忍びを確認したことを思い出す。


「私……記憶抽出、成功、しました?」


 たどたどしく問うさやに、党首は片目を瞑って「成功よ」と微笑んでみせた。そして抽出された記憶が描かれた紙を見せる。

 そこには、確かに自分と子供に禁術をかけた白い忍びの男の顔が詳細に映し出されていた。筆で描かれた肖像画とは比べものにならない程精密で、細かい顔の造形がはっきりと分かる。

 こうして改めて見ると、男は思っていたより若い。恐らく紫月とそれほど変わらない歳だろう。

 そこでさやは、自分の周りに紫月がいないことに気づく。


「紫月は? どこにいるんですか?」


 ※

 ※

 ※


 火の一族の屋敷の地下にある独房。何らかの罰を犯した者を収容するための場所である。

 紫月はそこに入れられ、身体がなまらないように片手で腕立て伏せを行っていた。


 ここに入れられて一日が過ぎた。まださやが目覚めたという報告は来ていない。心配ではあったが、医療班がさやの様子をずっと見てくれている。何かあったら彼らならきちんと対処してくれるはずだ。


 紫月が独房に入れられたのは、澄党の尋問担当忍を殴り、鼻の骨と頬骨を骨折させる重傷を負わせてしまったからだった。


 子供の記憶抽出には成功したが、さやは意識を取り戻さなかった。そんなさやを見て尋問担当忍の男は、「「つちのえ」のひよっこが色気づくからこうなるんだ。最初から俺がやっていればこうはならなかったのにな」と鼻で笑いながらさやを侮辱した。

 その言葉を聞いた途端、紫月は拳骨を男に喰らわせていた。男は鼻血を出しながら脳震盪のうしんとうを起こし気絶したが、紫月は反省などしていない。むしろもっと殴ってやれば良かったとすら思う。


「おいひのえ! 大人しく座っていろって何回言わせるんだ!」


 見張りの男が、ひのえこと紫月に注意する。紫月は腕立て伏せを止めて、不機嫌そうにどっかりとあぐらを組む。


「ったく、お前も変わったな。前はそんなに感情的じゃなかっただろ」

「…………」


 そうだろうな、と紫月は思う。さやと出会う以前なら、怒りのままに朋輩を殴るなんて短絡的な事は起こさなかっただろう。一人前の忍びは感情に溺れてはならない。紫月は、自分では感情をコントロールできているつもりだったが、意外とそうでもなかったらしい。未熟だな、と思う反面、それだけさやが自分にとって大事なあるじなんだと改めて思った。


「そのお前の大事なお姫さんがよ、目が覚めたらしいぜ」

「! 本当か!?」

「ああ。だから独房入りは終わりだ。あの子の所に行く前に、ちゃんとうちの党首に拝謁してこい。それから、澄党の党首にもきちんと頭を下げるんだぞ」


 見張りの男が、独房の鍵を開ける。紫月はすぐにでもさやの所に行きたい気持ちを抑えて、焔党の党首が待っている広間へと足を運んだのだった。


 ※

 ※

 ※


「あら? 紫月君じゃない。独房入りはもう終わり? こちらとしてはもっといてくれても良かったのよ? なんならずーとあそこに住んでれば?」


 療養所にて、澄党の党首が棘の含んだ言葉を紫月に投げかける。部下が重傷を負わされたのだから当然の対応だ。


「申し訳ありませんでした」


 紫月が平伏し謝罪する。三つ向こうの寝台には、紫月に殴られた尋問担当忍がいた。包帯まみれの顔から怯えたような視線を向けてくる。紫月はそちらにも頭を下げる。別に悪いことをしたとは思っていなかったが、ここに来る前、焔党の党首に散々小言を言われ、相手に謝罪してくるようにとキツく命じられたので仕方なく頭を下げた。


「紫月、大丈夫?」


 寝台の上から、さやが心配そうに紫月に声をかけた。まだ顔色はよくないが、目つきも声音もしっかりしている。


「……私は大丈夫です。それよりそちらはどうなのですか?」


 紫月が問う。するとさやは隣の寝台の子供と目を合わせて、「あ、あのね……」と声を潜める。


「記憶の抽出は成功して、今澄党が記憶の複製と解析を行ってる」


 澄党の党首のテーブルには、白い忍びが描かれた紙が何枚も乗っている。月の里と同盟を結んでいる他の忍び里に配るために複製コピーしているのだ。

 他にも水の一族の忍術開発班が、子供に天恵眼がかけられた時の映像を見て術の詳細を解析しようとしているが、こちらのほうはなかなかに難航しているようだ。


「あ、この子の名がわかったよ。この子は「さく」っていうみたい」


 子供、もといさくという少年は、照れるように身動ぎしてみせる。記憶が戻って名前が分かったのか。


「さやちゃん、そんなことより報告すべきことがあるでしょう?」


 澄党の党首に叱られ、さやははっとし、居住まいを正して咳払いをした。


「えっと、朔君の記憶に潜入して、術の成功例のこの子がどうして伊賀から出されたのかが分かったの」


 朔の記憶を見たさやは言う。この子は白い忍びに、同じ天恵眼の発眼者――つまり自分を見つけ出す為に伊賀から放たれたことを。

 記憶では、白い忍びはと言っていた。だから記憶を封じ、北上する風魔一族の残党に奴隷として朔は買われ、奥州へとやってきたのだ。もう一人の天恵眼の持ち主であるさやの居場所を、術の共鳴によって知るために。


「本来なら、同じ天恵眼の発動者――つまり私と出会ったら、記憶が復活するはずだったんだけど、その目論見は失敗したみたい。足を撃たれたせいか、原因は分からないけど」


 紫月の眉間のしわが深くなる。紫月もさやと共に記憶に潜入していたのだから、この朔という子供が伊賀の忍びではないことは分かっている。しかし天恵眼同士が引かれ会うことは知らなかった。その性質を利用して、白い忍びがこの子供を放ったのも。

 しかし記憶の戻った子供は、こうして月の里に保護されているし、足も怪我しているので外部と接触することはないだろう。


「問題は、白い忍びは私の他にって言ってたの。その一人が誰か分からなくて……」


 さやの言葉に、紫月は思わず澄党の党首と目を合わせるが、彼女はどうやらそのもう一人が紫月である事を知っているようだ。焔党の党首も知っている。知らないのはさやと朔だけだ。

 知らせるべきか? と紫月は思ったが、焔党の党首からは口外しないよう言われていた。さやに伝えるには党首の許可がいる。それに未だに紫月は自分が伊賀から狙われる理由が分からない。


「さや様、それだけ分かれば十分です。貴女はまだ病み上がりです。今はゆっくりと休んで下さい」


 紫月がさやの肩を掴み、強引に寝台に寝かせる。さやはまだ納得していないようだったが、紫月はさやの顔まで掻い巻きかいまきを掛けてやり、そのまま療養所を出て行った。


 天恵眼の解明は澄党に任せておけば良い。問題は、さやと朔の安全の確保だ。伊賀側が朔の位置を分かっているかは不明だが、あの白い忍びなら、朔が月の里にいることをなんらかの術で知ってもおかしくない。そしてここに、探しているさやがいることも。


 自分のことはともかく、さやを渡すわけにはいかない。月の里だけではなく、奥州出羽全ての忍びの里に通達し、警備を強化するよう上に進言しないと。


(伊賀の白い忍び、お前にさや様は渡さない)


 拳を握りしめ、紫月は再びそう決意する。先ほどから発生しているこめかみを襲う頭痛を無視して、紫月は火の一族の屋敷へと歩を進めるのだった。

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