第六十九話:記憶の抽出
さやの視界に何色もの光の洪水が走り、奔流が収まると、そこはどこかの宿場町であった。
人数は三〇人程の町だろうか。意外と人の往来が多い。遠くには山が見える。
「恐らくここは鈴鹿峠にある町ですね。あの山々は鈴鹿山脈です」
腕だけの紫月がさやにそう告げる。鈴鹿峠……畿内から東国への東海道の本道として有名な場所だ。
あの子だ――そう認識した途端、視界が乱れ、元に戻るとそこには
なぜ? 私は鈴鹿峠に来たことなどないのに!?
「お前の記憶が小僧のと混じり合っている。お前の記憶を引き剥がせ。対象のだけに集中するんだ」
尋問担当忍の叱るような声が聞こえた。子供の記憶と自分の記憶を分離させようと、さやは深呼吸し、記憶を頭の奥に押しやった。長く息を吐くと父と自分の姿は消えて、目の前には祠の銅像に手を合わせている子供とその両親らしき姿が現れた。
祠の中には烏帽子を被った人物の銅像が祀られている。
ここが鈴鹿峠だとしたら、あの銅像は鈴鹿権現だろうか? さやは伝承でしか聞いたことがないが、鈴鹿権現は東海道の守護神であり、ここを通る旅人が深く信仰している神だ。
子供達は鈴鹿権現の銅像を綺麗に磨き、団子などをお供えする。この子の家族はもしかして、この銅像の守り人も兼ねているのだろうか?
「この記憶はあまり関係ないですね。他の場所に潜りましょう」
紫月に言われ、さやはその記憶から抜け出し、再び記憶野の中を潜っていく。両親と旅籠で働く子供、神社へと参詣する様子、他の子と井戸で遊ぶ記憶……さやは襖を開けていって、子供の記憶を一つ一つ確かめるが、今のところ有益な情報は得られていない。
深度が下がるにつれて、さやにかかる水圧が強くなっていく。嫌な記憶ほど深く、手の出しにくい場所にある、と紫月と尋問担当忍に言われ、さやは深く沈んで、どんどん重たくなっていく手足に力を入れてかき分け、一つの襖を見つけた。
が、さやはその襖から嫌な気配を感じ、開けるのを戸惑った。
「どうした?」
尋問担当忍がさやに問う。
「ここから、嫌な気配を感じます。とても重くて、禍々しい感じが……」
さやが両腕を掻き抱きながら答える。この襖の奥に収められている記憶は、子供にとって思い出したくない嫌な記憶の可能性が高い。もし開けたら、子供は酷いフラッシュバックに襲われるだろう。
「いや、そこにこそ欲しい情報があるかもしれん。注意して襖を開けろ」
「でも……」
「命令だ。やれ」
淡々と命じてくる尋問担当忍に反感を抱きながら、さやは襖の把手に手をかけるが、どうしても開けるのを躊躇してしまう。
すると紫月の手がさやの手と重なる。紫月はさやと共にこの襖を開けてくれるようだ。
「この先にあるのは、恐らく酷い記憶です。映像に付随した感情も襲ってきます。覚悟は宜しいですか?」
紫月がさやに問いかける。自分がどんなものを見るのか、そして襲ってくる感情に耐えられるのか不安だったが、今の任務は子供の天恵眼に対する記憶の抽出なのだ。志願した以上さやがやらなくてはいけない。たとえ子供に負荷を強いろうとも。
さやは黙って頷いて、一気に襖を開ける。
途端、ぶわっと強い風がさやを襲う。同時に、血の匂いと、倒れている子供の両親らしき男女を視認したとき、さやの脳内に子供の恐怖と悲しみの感情が流れ込んでくる。
両親が倒れているのは、宿場町ではなくどこかの林のようだ。近くに鈴鹿権現の祠がある。
父と母を殺したのは、白銀の髪を靡かせ、薄く笑っている白い男。その男は怯えている子供の顔を手で掴む。頭部に強い衝撃が走ったかと思うと、子供の意識が途絶える。
暗転。次に目を覚ましたとき、子供は薄暗い部屋の中にいた。
どこかの倉庫らしきその部屋には、同年代の子が何人もいて、すすり泣きの声があちこちで聞こえる。
ここはどこだろう? おいらはどうしてこんな所にいるんだろう? おっとうとおっかあは?
不安で張り裂けそうな心を抑え、子供は膝を抱える。そのうち扉が何回か開いて、二、三人づつ大人にどこかに連れて行かれたかと思うと、空気を切り裂くような悲鳴が響く。
一体何が? と怯えていると、また扉が開いて別の子が連れて行かれる。開いた扉の後ろに、動かなくなった子を麻袋に入れている大人の姿を見てしまい、子供の恐怖が更に高まる。
――怖い、怖いよう……
子供の感情を、さやは全て感じていた。恐怖と寂しさとが入り交じったそれは、さやの心を何本もの刃で突き刺してくる。悶絶する痛みに苦しみながら、さやは自分が耐えないと子供にこの痛みが逆流してしまうと感じていた。だから私が我慢しないと。
そうしているうちに、部屋の中は子供一人だけになった。寂しくてボロボロと涙を零す子供を、大人達が無理矢理別の場所に連れて行く。
『やあ、君が最後だね』
連れて行かれた場所には、床に不思議な文様が描かれている。大きな円が描かれた傍には、絶命した子供が二人
恐怖が最高潮に達する。子供は部屋の中心に描かれた円の中に入れられ、白い男は左手に梅の花が描かれた刀を持ち、右手をこちらへと近づけていき――
「ここだ! この記憶の視覚情報を増幅!」
尋問担当忍が叫ぶと、視界が鮮明になっていく。白い男の顔や部屋の床に描かれた文様などがはっきりと見えてくる。
さやは、脳の内側を無理矢理いじくり回されるような酷く不快な感覚に襲われ、「ひっ!」と小さく悲鳴を上げる。
だが、耐えなくては。この感覚を子供に感じさせてはいけない。負荷は最小限に収めなくてはいけない。そのために私は立候補したんだ。
だが、記憶が鮮明になるにつれ、それに付随する感情まで増幅される。悲しみ、怒り、寂しさ、恐怖――負の感情がさやを苛む。
四年前、三鶴城で会った時の白い忍びと、子供に術をかけた男の顔が重なり、同一人物であることを知ると、さやの負荷は限界に達し、甲高く叫んでしまった。
※
※
※
「ああああ!!」
子供が悲鳴を上げ、身体を大きくのけぞらせる。脳波を映す水鏡は激しく蠕動し、脈拍もめちゃくちゃだ。
党首は急いで術を中止させ、子供とさやの頭の兜を取る。
上半身を起こした子供は荒い呼吸のまま目を光らせる。突然襲ってきた吐き気に身を捩らせ、子供は床に吐瀉物をまきちらかす。
吐いて幾分か楽になった子供の隣の寝台には、さやが寝ている。しかし術が中断されても、さやの意識は戻ってこない。
「おい、どうなっているんだ!? さや様が目を覚まさないぞ!」
紫月の怒鳴り声に、党首他医療班がさやの状態を確かめる。脈、瞳孔、呼吸、脳波を確認した党首は、「……大丈夫、気を失っているだけ。ちゃんと生きてるわ」と紫月に告げた。
「それより、記憶の抽出の方はどうなってるの?」
尋問担当忍は、術式が書かれた桶の水に、特殊な繊維で織られた紙を浸す。するとその紙に、さやが子供の記憶から抽出した白い忍びの詳細な顔が浮かび上がってくる。もう一枚紙を浸すと、今度は子供が術をかけられた時の映像が浮かぶ。
「抽出成功」
「これが、伊賀の白い忍び……」
紙に描かれていたのは、さやの瞳に禁術をかけ、坂ノ上家の宝刀の一振りを奪っていき、三鶴城にて戦った、髪も肌も白いあの忍びだ。
抽出されたその男の肖像を見て、紫月は拳を握る。
――やっと、捕らえたぞ
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