第六十八話:記憶潜入、開始
とりあえずさや達は実験室の中に入り、そこで子供の記憶を抽出することになった。
水の一族の「
「今回はさやちゃんの熱意に負けて仕方なくやってもらうけど……こんなことはもう二度とないからね」
澄党の党首が眠たげな目をつり上げて、きつくさやに言う。さやはその言葉を聞いて、自分がどれだけ非常識なことを言ったかを再確認させられる。同時に、自分の無茶な要求を飲んでくれた目の前の女性の器の大きさを知り、
「まあ、
党首は片目を瞑ってそう呟く。
子供は車椅子から寝台に移され、
「記憶に潜入する前に、この子とさやちゃんの脳波を比べてみたいの。だからさやちゃんもその兜を被って」
さやは言われたとおり膏薬を額に塗ってもう一つの兜を被り、子供のすぐ隣の寝台に横になった。
脳波を調べられるのは、さやにとっては初めてのことではない。最初は何をされるか怖かったが、注射と同じですぐに慣れた。
さやは、頭の中に脳という臓器があることは知っていたが、その臓器の活動によって引き起こされる波のような信号があることは里に来て初めて知った。そしてそれを測定できるのも。
さやが寝た寝台の傍にも術式が描かれた桶があり、兜から伸びた紐が繋がっている。桶に張られた水は不純物が少なく澄んでおり、ここに脳波の波形が映し出される。
「じゃあ、始めるわよ。あまり緊張しないでね」
党首がまずはさやの兜に手を当てる。さやの頭部に痺れが走り、少し頭を引っ張られるような感覚が襲う。すると桶の水が蠕動し始める。
ざわざわと水が揺らぎ、いくつもの波紋を描いていく。そうして暫くすると蠕動が収まり、一定の波紋が水面に規則的に描かれていく。これがさやの脳波だ。
次に党首は子供の脳波を測定する。緊張している子供のは少し時間がかかったが、桶に規則的な波紋が走り、こちらの脳波の検出も成功した。
「うーん……」
「やはり、似ているな」
党首のみならず他の忍びや紫月も、二つの桶を見比べて唸る。細部こそ違えど、水面に描かれる波紋は二人とも酷似している。これは、二人の脳波の波長が似ていることを表している。
生まれた土地も年齢も性別も違う、ましてや血縁関係にもない二人の被験者の共通点を一つ見つけた。脳波が似ているから術が発動したのか、術が発動したから脳波が似ているのかは分からない。
しかし、良い
潜入するのはさやだが、それを手助けし、上手く
「さやちゃんと、この子の状態は常に見ているわ。もし危険だとこちらが判断したらただちに術を中断し、うちの尋問担当忍に変わってもらうから。よろしい?」
「はい」
さやは両手と両足首に、金属製の輪を付けながら頷く。手足にこれをつけることで脈拍も測定できる。
子供の方にも同じ物を付けるが、拷問器具にも似たそれを付けられて、子供は泣きそうな顔でこちらを見る。さやは大丈夫だよ、という風に両手を上げて頷いてみた。兜の下の顔の緊張が少しほぐれたようだが、やはりまだ子供は体中に力を入れてガチガチになっている。
党首が睡眠導入剤を子供に注射しようとするが、注射器を初めて見た子供は激しく抵抗した。
「大丈夫! 痛くないから! 少しチクッとするだけだから!」
党首やさやが言っても、子供はいやいやと涙を流しながら身体を動かす。仕方ないので紫月や他の忍び達が手足を押さえ、その隙に党首は腕に針を刺す。うわーん! と泣きながら叫ぶ子供は、次の瞬間には薬剤によってあっという間に眠りにつく。
「……おっかあ……おっとう……」
ひっく、ひっくとしゃくり上げながら父と母を呼ぶ子供を見て、さやの胸は酷く痛んだ。私はこれからこの子の記憶を見なくてはいけないんだ。
子供は完全に睡眠状態に陥る。これで記憶潜入の術がやりやすくなった。さやも睡眠薬を注射し、微睡み状態へと移行する。
「今から二人の精神を完全に同期させるわ。ゆっくり数を数えて」
一つ、二つ、三つ……数えることにさやの瞼は重くなっていき、自分の身体が落ちていくような感覚に襲われる。
そうしていくつ数えたか。さやが意識を手放すと、一瞬ふわっとした浮遊感を感じる。するともの凄い力でさやの精神は引っ張られる。
耐えきれなくなりさやが目を開けると、そこは無数の襖が並んでいる空間だった。
※
※
※
「記憶潜入、成功です」
金属製の兜を被った尋問担当忍が党首に告げる。党首と紫月は、桶に張られた水にさやが戸惑っている映像が映し出されたのを見て、ほっと胸をなで下ろす。
正直、党首は一発で成功するとは思っていなかった。紫月のような熟練の忍びならともかく、さやのような新米がこの術を成功できるとは信じていなく、成功まで何回か挑戦する必要があると思っていた。
しかしさやは無事に子供の記憶へと潜入出来た。やはり似たような脳波の持ち主は比較的簡単に潜入できるのかもしれない。
子供の状態を見ると、脳波が一瞬乱れたが、心拍、呼吸共に正常だ。
「今のところは、異常なし、か」
だが本番はこれからだ。記憶を読んで抽出するのは、多かれ少なかれ対象に負担がかかる。それを軽くできるか重くできるかは、さやにかかっている。
紫月はさやと同じ金属の兜を被り、尋問担当忍と共にさやを支援する。紫月が選ばれたのは、さやを案内するには気心の知れた者の声のほうが負荷が少ないと党首が考えたからだ。
紫月の額の裏が熱を持ち、意識が薄くなっていく。半覚醒状態で、紫月はさやの精神に同期していく。
その様子は、全て水鏡に映っている。ゆら、と水が揺れると、さやが襖の一つを開けようとしている映像が映される。すると紫月の手がさやの手を掴んだ。
※
※
※
「紫月!?」
さやは、自分の手首を掴んでいる褐色の手を見てそう問う。だが腕は途中で途切れており、さやは思わず叫んでしまう。
「身体の全部を持ってくるのは出来なかったようです。腕だけですが、貴女を
「聞こえるか、さやとやら」
紫月と尋問担当忍の声がさやの頭の中に響いた。きょろきょろと辺りを見渡すが、紫月の腕以外誰もいない。それでも声は聞こえてくる。
「記憶への潜入は成功した。あとはこちらの指示通り動け」
「いきなり深く潜ろうとしては駄目です。まずは浅く潜ります」
紫月と尋問担当忍に導かれ、さやは指定された襖を開けた。
するとさやの足元が崩れ、重い液体の中にその身が沈んでいく。まるで水練の時のようだ。息を止めて、身にかかる水圧を感じて、ゆっくりと潜っていく。
ふ、と息を吐くと、それは気泡となり上がっていく。手を振ると、一つの映像に指先が触れる。さやはまずはこの記憶を見ようと、身体をその映像の中へと侵入させた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます