第二十八話:さやの里での日々

 紫月が坂ノ上家の神楽舞について調べてくる間、月の里に残されたさやは、火の一族に身柄を預け、お千代が監視兼護衛係として紫月の代わりにさやに付く。


 さやは火の一族の屋敷にて、まだ忍びとして独り立ちしていない子供達と大部屋で寝起きすることになった。

 里には四つの一族の屋敷の他、水田や鍛冶場に鋳造場、機織り小屋、洗濯場に浴場といった施設が建ち並んでいる。里の一番奥には、上役と里長が住んでいる大きな屋敷がある。さやが出入りできる区域は限られており、単独行動も禁止されていた。さやはまだこの里の正式な住人ではなく、あくまで火の一族が預かる客人であり、禁術の検体扱いである。


 紫月が任務で里を出た後、早速上役達と焔党の党首によって、さやの天恵眼てんけいがん(仮称)の性能実験が行われた。

 紫月から実験結果を記録した紙束は提出されていたが、上役達はそれを確認するため、寺院にて果心居士が施したのとほぼ同じ実験をさやに課した。

 視認限界距離や透視の精度、視界の認識範囲、更にあらゆる状況下での術の精度を図る。そこで天恵眼は動体視力も向上させることが新たに分かった。


 さやにとって、それらはたいした苦ではなかった。実験は果心居士のとそれほど変わりなく、いつも通り天恵眼を発動し、見えたものを報告すれば良かった。実験のしすぎで酷い頭痛がしたり、目が乾きやすくなっても、清眼膏せいがんこうを注したりお千代から貰った頭痛薬を飲めば治まった。


 辛いのは、術をかけられた時のことを精細に思い出し、何度もあの時のことを話さなければいけなかったことだ。


 三鶴城が落城し、母と離され、目の前で乳母と護衛の忍びの者を殺され、全身が白い忍びに術をかけられた時のことを、具体的な状況や白い忍びについて何度も何度も質問され、さやにとって思い出したくもない辛い記憶を無理矢理ほじくり返され、三鶴が滅んでしまった事実を何度も説明させられた。それはさやの心の傷口をぐりぐりと塩をつけ拡げられることと同義である。一種の精神的拷問を受けていたさやは、何度目かの質問で耐えきれなくなり、上役と党首達の前で吐いてしまった。

 清められている広間に吐瀉物をまきちらかされ、党首達は眉をひそめた。流石に酷だと感じたのか後ろに控えていたお千代が進言し、その詰問は終わった。


 吐瀉物を雑巾で拭きながら、さやは真っ青な顔で瞳を光らせる。

 呼吸が荒くなる。過呼吸で目の前が白くなっていき、手足が冷たく痺れていく。さやはこのまま死んでしまうのではないかと思うほど苦しんだ。見かねたお千代が麻袋を持ってきて、それで口と鼻を塞いでゆっくり呼吸するよう促すと、さやの視界は元に戻り、手足の痺れも治まってきた。


「大丈夫かえ?」


 お千代が心配そうに背中をさすってくれながら問いかけた。さやは何度も頷きながら、お千代の顔と亡き母の顔を重ねてしまい、瞳に涙が浮かんできてしまった。

 泣きたくない。涙を見せるのは弱い証拠だ。泣いても怒られるだけ。弱くてはいけない、強くならなければ。弱くては坂ノ上の姫として失格だ。さやはお千代から顔を背け、涙をこっそりと拭った。


「……辛いときは思う存分泣いたらええよ」

「…………」

「泣くのは悪いことじゃありんせん。誰だって悲しかったり辛いときは泣くもんでありんす。あっしだって涙を流しんす」

「お千代さんが?」

「ええ。袖にこっそりと塩や白礬ミョウバンを忍ばせてね、こうやって目に入れれば……」


 お千代は着物の袖で目元を隠したかと思うと、次の瞬間に目からボロボロと涙を零して見せた。目を真っ赤にし、鼻まですする。ぎょっとしたさやに、お千代は目元を拭い笑って見せた。


「女の涙は、殿方を落とす立派な武器になりしんす。さやさんも覚えておいて損はないよ」


 お千代は妖艶に笑って見せた。紫月にもそれは効くのだろうか、と考えたところで、可笑しなことだと呆れてしまった。お千代が自分を慰めるために嘘泣きを披露したのだと感じ取り、お千代の優しさに、また涙が溢れてきてしまった。


 ※

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 ※


 実験が終わると、さやは髪を数本と、血を提供しなければならなかった。

 さやの元にやってきた医療班の者達は、細い筒に針が刺さっている妙な道具を携えて、さやに袖をまくって二の腕を出せと言ってきた。


(まさか、腕を切り取られる!?)


 怯えるさやに、医療班の班長らしき男は、「なにも取って食おうと言うんじゃない。少しチクッとするだけだ」と宥め、さやの腕を取り、肩の辺りを紐できつく縛る。腕を指で撫でてくる彼らが一体なにをしようというのか分からなく、さやは叫び出したいのを堪えていた。恐怖でまた天恵眼が発動してしまい、男の持っている筒状の道具を透視してしまった。

 よくみると、筒の中は空洞で、底板を引っ張って移動できるようだ。そして筒に刺さっている針は、先端が斜めに切られ、中に同じく空洞がある。

 その針をさやの肌に刺し、男が筒の底板を引っ張ると、なんとさやの血液が針の空洞を通して筒の中に移動していった。


「ええ!?」


 太い針を刺された痛みを忘れて、さやは驚きに声を上げる。さやの血をある程度吸い取った後、男は針を肌から抜き、別の容器に血を注ぐ。容器には液体が満ちており、筒の底板を押すと、今度は筒の中の血液が針の空洞から出て行った。液体は血が混ざると色を変えた。

 刺された痕を血が止まるまで綿で押さえるよう言われながら、さやは不思議な道具から目が離せないでいた。そんなさやの様子を医療班の者達は、まるで化け物を見るように眉をひそめている。


「本当に目が光っている……」

「あれが、千里を見通し全てを見透かす禁術か……」


 男達のヒソヒソ声も、好奇心旺盛なさやには届いてなかった。さやはあんな細い針の中に空洞があることに驚き、それが血を吸ったのが不思議でしょうがなかった。一体、あれはどういう原理で動いているのか。


 現代で言う注射行為が行われたのは、一六五六年、イギリスの建築家で天文学者のクリストファー・レンが犬に静脈注射を行ったのが初めである。注射器に動物の膀胱を使い、針はガチョウの羽軸を使って行われた。人間への注射はJ.DメジャーとJ.Sエルショルツが行ったが、明確に人間に対し効果の出る皮下注射は、一八四四年フランシス・リンドが中空針で最初に成功させたと言われている。

 しかし、生物に薬剤を注入するという行為は、古代ギリシャ人やローマ人の間で毒蛇の噛み痕などから既に知られており、針の先端に薬剤をつけて何度か肌に刺して薬剤を体内に入れるという行為は、現在でも注射器が手に入らない発展途上国や緊急事態に行われたりする。


 月の里では、簡易的ではあるがすでに注射の技術を開発していた。忍具制作班と医療班の研究のたまものであるそれは、当然機密扱いであり他里に漏らしてはいけない。しかしさやの瞳は忍具などの構造を簡単に見抜いてしまう。だから彼女の行動は制限されていた。特に鍛冶場や鋳造場、忍具制作班の場所には近づいてはいけないし、見ることも禁止されている。そのための監視にお千代がついている。

 お千代は天恵眼を必要時以外に発動しないようさやに言い聞かせていたが、さやとて天恵眼を完全に制御出来るわけじゃ無い。悪意はなくとも感情が昂ぶると勝手に開眼してしまう。


 さやの禁術のことは里中に知られ、千里先を見通しあらゆるものを透視する禁術だと噂が拡がり、さやは奇異な目で見られることになった。

 禁術の唯一の成功例であるということで、食事や排泄回数、体温、脈拍数などの詳細な健康状態や罹病歴、両親の食べ物の好みや体質、生活習慣などを根掘り葉掘り質問され、全て記録されていた。

 四六時中監視状態というのは三鶴城に居た頃も行われていたので、それはそこまで気にしなかったが、流石に排泄回数まで記録され、その時の排泄物の様子まで聞かれるのは恥ずかしかった。


 大部屋で大勢の子供との食事は慣れるしか無かった。

 階級や年齢によって献立や時間は違い、さやは一番下の、まだ忍びになれていない子供達と食事をとっていた。ひえあわなどの雑穀米や麦飯に黒ごまを混ぜたものと、汁と山菜や野草の漬物に豆腐などのほんの少しのおかずは、質素だが育ち盛りの子供向けに栄養のバランスが考慮され、更に労働や鍛錬で身体を酷使するため味付けがとても濃かった。冬の厳しい奥州では料理の味付けは濃く、茶も濃茶が主だが、月の里のは少し濃すぎるようにさやは感じた。

 味付けよりさやが驚いたのは、時折にわとりの卵が膳に並ぶことだった。


(鶏の卵を食べるの!?)


 この時代、鶏は時を告げる神聖な生き物として敬われており、平安時代に伝えられた「日本霊異記」によれば、「鳥の卵を食べれば祟りが起きる」などと記述があり、殺生は禁忌の仏教においては、卵を食べるのは殺生にあたることとされていた。特に六四六年に肉食禁止令が出てから、それまで行われていた養鶏が中止になった。

 再び養鶏が本格的に行われるのは江戸時代以降であるが、一五四三年、カステラなどの卵を使った南蛮菓子が伝来し、卵は生き物ではないから殺生に当たらないという考え方が徐々に広まり、卵売りなども現れた。だがやはり卵は高級品であり、庶民が食べられるものではなかった。


 月の里では鶏を何羽も飼っており、時を告げる者としてと、食用としても飼っており、生まれた卵を茹でて食べたり卵料理や鶏肉が膳に並んだりした。卵はタンパク質が豊富で、タンパク質は忍びに必要な筋肉をつけるのに不可欠である。鶏肉を中心とした獣肉も時折並ぶのは、植物性タンパク質より動物性タンパク質の方が筋肉をつけるのに少量の摂取でよく効率が良いからだ。ただ、あまり獣肉を食べ過ぎると体臭がキツくなるので、週に一回ほどしか出なかったが。


(罰が当たるんじゃないだろうか)


 さやは周りの子を見渡したが、皆特に気にすることもなく、ゆで卵に塩を振って食べていた。うずらの卵なら食べたことがあるが、鶏のは初めてだ。しかし残すことは許されない。さやは他の子と同じく、ゆで卵に塩を振って恐る恐る口にした。


 食べた感想は、意外と美味しかった。もっと血なまぐさいかと思っていたがそんなことは無かった。同時に鶏肉も口にしたが、あまり獣臭くなくさっぱりしていた。

 三鶴みづるでは、たまに父が家臣を連れて狩りを行ったりしていた。そこで狩られた鳥やウサギ、鹿などが膳に上がることがあったが、さやは獣肉の独特の臭いと味があまり好きではなかった。現代のように畜産は発達していない。動物は餌によってほぼ味が決まる。何を食べているか分からない狩りの獣肉は味が安定しなかった。


 そんな中で、きちんと餌が管理された鶏の肉は、獣臭くなく美味しかった。あまり食べると血が濁ると聞かされていたので、膳にはそれほど上がらなかったが、さやは未知の食材を美味しく頂いた。


 夕餉ゆうげの後は、浴場で湯に浸かる。これにもさやは驚いたが、忍びはこまめに身体を洗い体臭がしないように勤めなくてはいけない。それに温かい湯に浸かることで、体温が上がり免疫力が高まると体力がつく。月の里がある弥陀ヶ原みだがはら湿原は水が豊富であり、毎日湯を沸かすことができた。

 各一族の党首と上役と里長は、それぞれの屋敷にある内湯に入る。他の者は階級順に浴場にて湯に浸かる。この時代にしては珍しく男女に浴場は別れている。数年前まで混浴であったが、そこで淫らな行為に耽る不届き者が数名現れたことで、今では完全に男女別に別れているのだ。


 さやは一番下っ端なので、浴場の湯張りや湯を湧かしたりといった雑用をこなさなければならなかった。上の階級の者が入り終わって、やっとさや達の番だが、他者に肌を見られるのが嫌なさやは、ここでも我慢するしかなかった。

 湯帷子ゆかたびらを着て薬草の匂いがする湯に浸かるが、湯帷子を着ている者は少なかった。さやは身体を両手で抱きながら落ち着かずキョロキョロと周りを見渡したが、湯煙が充満し薄暗い浴室では、他の子はさやのことなど気にしていなかった。


 そうして湯に浸かり、日が落ちると大部屋で皆と寝るのだが、さやは大勢の者の前で仰臥することは出来なかった。もうこれは三鶴からの逃避行で身についてしまった習性だ。さやは掻い巻きを身体に巻き、部屋の隅の壁にもたれかかり目を閉じた。いつもなら宝刀を抱いて寝るのだが、宝刀は里の見張りの者から紫月へと移っている。

 なんとなく手持ち無沙汰のままさやは眠りに就く。しかし夢をみることはなかった。場所が変わっても、これから先自分は身体の芯から熟睡することはなく、父と母の敵を討つまで夢を見ることも無い。


 ※

 ※

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 毎日の実験が終わると、さやは屋敷の掃除や洗濯などの雑用を与えられていた。母から裁縫や兵糧の作り方などの家事は習っていたのだが、掃除と洗濯はやったことがなかった。特に洗濯は完全にやりかたが分からない。


 洗濯場へ行き、籠一杯に入ったふんどしや肌袴、腰巻きといった下着を洗うのがさやの役目だった。ツンとした異臭を放つ下着を前にさやは眉をひそめたが、果心居士達と共に腐敗した死体を埋葬したときの肉が腐る強烈な臭いに比べれば、この異臭はたいしたことない。だが、やはり最初は汚れたふんどしに触るのを躊躇った。


 盥に昨日の浴場の残り湯を張り、竈や屋敷の囲炉裏の灰から取れる灰汁や、無患子むくろじの皮の粉やエゴノキの実の皮を洗剤代わりとし、布をこすって洗うが、さやは何度もふんどしや腰巻きを破いてしまった。その度に周りの者から怒られてしまう。

 仕方なく周りの者のやり方を見ていると、手でもんで洗うのは絹織物だけのようで、他の麻や木綿などで出来た敷き布や着物は足で踏んで洗っていた。盥に洗濯物を入れ、豪快に足で踏むことで汚れが落ちていく。さやは少しだけ躊躇ったが、草履を脱ぎ袴の裾を上げ、盥の洗濯物の上に立ち同じように足で踏んでいく。何度か水を取り替え、水の汚れが少なくなったところで、ゆすいで洗濯物を絞り、しわを伸ばしピンと棒に張られた弦に干していく。それを何日も繰り返していくと、足や手の指にあかぎれが出来て痛かった。

 洗濯係は女の仕事のようで、女達は歌を歌いながら洗濯をしていた。


 羽黒に月山、湯殿山

 日輪沈んでお月様

 月が満ちて星光り

 ツクヨミ様が微笑んで

 眠りに就いたら、日が昇る


 不思議な歌だった。月山が月を司り「過去」を意味するなら、羽黒山は日輪に喩えられ「現世」を意味し、湯殿山は星に喩えられ「未来」を意味し、この三山で過去・現在・未来に見立てられ、生まれ変わりの山として崇められているらしい。

 最初は恥ずかしくて歌など歌えなかったが、そのうち歌に合わせて足踏みしたほうがいいと考え、小声でこっそり歌ってみた。小声でも女達には聞こえていたらしく、さやが顔を上げると女達は微笑んでくれた。そのときさやは自分が里に少しだけ受け入れられたと感じ、歌を歌いながら洗濯をこなしていった。


 こうして紫月が任務に出ていた約十四日程、さやは朝に月の里から見える雲海に感動し、術の実験を行いながら洗濯や掃除といった雑用をこなし、空いた時間に鍛錬や勉学、アクリの世話をして過ごしていった。


 ※

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 とある新月の日。この日は朝から調子がおかしかった。下腹部がズキズキと痛み、なんだか頭がぼーとしている。最近徐々に気温が下がり寒くなってきたから、風邪でも引き始めたのかと思った。

 実験の方も記録が芳しくなかった。天恵眼は肉体や精神の状態にも大きく影響される。さやは調子が悪いことをお千代に告げ、早めに休むことにした。


 いつも通り壁にもたれかかって寝ていると、股間の辺りに違和感を覚えた。腰巻きになにかついている。さやはまさか粗相をしてしまったかと顔を青くしかわやへと急いだ。

 三鶴城の厠は、旗指物はたさしものを刺した甲冑のままで入れるように、天井が高く広く、刀を置いておける場所まであったが、ここの厠は三鶴城の半分ほどの広さしかなかった。

 寝間着の裾を開き、腰巻きを外して見て、さやの顔が更に真っ青になった。


 腰巻きにべっとりとが付いていたからだ。

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