第五章:一五九〇年:九月・月の里

第十七話:神楽舞

 紫月しづきの出身地である“月の里”へ行くために、さや達は会津から阿賀川に沿って北上する。

 こよみはもう九月に突入した。紫月は、本格的な冬が来る前に月の里に到着したいと思っていた。


 山道を抜け、途中米沢の赤湯温泉の近くの旅籠はたごにて旅の一座と合流する。その一座の座長は、紫月と同じ月の里出身の女性の忍びであり、名をお千代ちよという。


「お千代、少し厄介になる」


 お千代は、紅の塗られたまなじりを細め、さやと紫月の顔を見比べた。すると人好きそうな笑みを浮かべる


「ああ、そちらが今のお前さんのあるじかえ?」


 柔らかい語尾で、お千代は紫月に問いかける。紫月は黙って首肯した。

 果心居士かしんこじ達は、この旅籠の近くの宿坊に泊まっている。居士達とは途中まで一緒に北上する予定だが、紫月はさやを連れだし、旅籠にて芸を披露しているお千代に会わせた。

 さやは、お千代の高く結い上げた唐輪髷からわまげと帯に絞めている組紐がとても似合っているな、と思った。あの派手な組紐は名護屋帯なごやおびといったか?


「で、。あっしにこのお姫様を会わせてどうしろというのかえ?」


 お姫様、と言われさやの顔が強ばった。何故この女性は私の正体を知っている!?


「お姫さん、そんな怖い顔しなさんな。ひのえが三鶴の姫さん付きになったのは里の者はとうの昔に知っておりんす」


 三鶴という単語を出されて、さやは思わず辺りを見渡した。が、幸いにも周りの皆は別の部屋で芸の稽古をしていたり出し物の準備をしていたりで忙しく、お千代の声は聞こえていないようだ。

 紫月はこほん、と咳払いし、「今はひのえじゃなく紫月、だ」とお千代に告げる。

「しづき、かえ? いい響きの名でありんすな」


 にっこりと笑いながらお千代は紫月を見返す。その笑みには紫月の朋輩、というだけではなく、どこかもっと親しげな視線が込められているようにさやは感じた。

 さやは、紫月が何故この女性に私を会わせたのか疑問に思い、彼の顔を見上げた。

 紫月は視線を受け、そっとさやの肩に手を乗せ、「俺の主に着物を仕立ててやってくれ」と言った。


「着物、でありんすか?」

「ああ。今は果心居士の従者の一人としてこうして変装しているが、途中から別れて月の里まで行かなくてはならない。険しい山道にも耐えられる着物を仕立ててやってくれ」


 紫月とお千代の視線が、さやに集中する。お千代はさやの頭からつま先までを眺め、にっこりと微笑むと、「あい、わかりんした。お姫さん、こちらへ」とさやの手を引く。

 さやはなされるがまま、お千代に別室へと連れて行かれる。戸惑いの視線を紫月に送ると、紫月は大丈夫だ、という風に頷いて見せた。


 ※

 ※

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 紫月と別れさせられ、さやが連れて来られた別室には、いくつもの行李こうりが置いてあった。

 お千代は行李のうちの一つを開ける。すると色とりどりな着物がいくつも折り重なっていた。


「さて、お姫さん……」

「違う。私はもう姫じゃない」


 そっぽを向いてさやはそう告げる。お千代はあ、っと目を丸くし、口元を覆う。その仕草はとても色っぽい。


「ああ、そうでしたな……。なら、お嬢さん、名は?」

「名、は……さや」


 姓を名乗ろうとして止めた。この女性は私が三鶴の坂ノ上家の姫であることを知っている。恐らく三鶴が奥州仕置きで滅んだことも……


「では、さや、さん。こっちにきなんし」


 さやは少しだけ警戒しながら、お千代の元へ近寄る。お千代は、行李からいくつか着物を取り出しさやの身体に当てる。紅色、若草色、桜色、空色……と色とりどりの着物が床一面に広がり、まるで花畑のようだ。


「これらの着物はね、うちの里で織られた特製な布で作られてありんす」

「特製?」

「詳しくは言えないのだけど、里の女達が織った濡れにくく破れにくい布地を使っているから、とても物持ちがいいのさ」


 その特製な布で出来ている着物は、小袖や打ち掛け、野良着に寝間着、袴と種類も豊富だ。

 さやは、紅色に流水紋と桜が縫ってある小袖を選ぼうとして、手を止める。


 今の私はもう姫ではないのだ。姫でない市井しせいの女がこんな派手な小袖を着るわけがない。

 桜色も好みだが、派手すぎる。母の侍女や下女はどんな着物を着ていただろうか。さやは藍色の小袖と柿色の小袖、二つを手に取り、迷った挙げ句柿色の小袖と、深い紺色の股上が浅い袴を選んだ。


「それにするのかえ? 随分と地味なものを選びんしたな」


 地味だからいいのだ。今の自分は身を隠さなくてはいけない。なるべく周りに溶け込む着物を着なければならない。だから一番地味に見える柿色の小袖を選んだ。

 とりあえず試着しようとして、さやはお千代の方を見た。お千代はここから動こうとしない。肌を他人に見られるのが嫌なさやは、困ったように視線を泳がせた。


「あの、お千代、さん」

「はい、なんですかえ?」

「えーと、少しあちらを向いてくれない?」


 さやは、自分の立っている位置と逆の方を指さした。お千代は一瞬首を傾げたが、すぐにさやの言いたいことを理解し、くるりと後ろを向いてくれた。

 お千代がこちらを見ないことを確認して、やっとさやは着ている作務衣さむえに手をかけた。細く柳の木のような自分の身体とお千代の丸みを帯びた身体を比べて、女っぷりの違いを感じながら、袴を穿き小袖を羽織り紅色の細帯で結ぶ。帯が少し派手かな、と思ったが、これくらいのお洒落は市井の子もやっている。


「着替えた」


 その一言を聞き、お千代はこちらを向くと、さやの姿を見て優しげに微笑む。


「あらまあ、とても似合いんす。お育ちがいいと何を着ても様になるねえ」

「…………」


 なんと言ったらいいかわからず、さやは無言を貫いた。

 その後、お千代は別の行李の蓋をあけ、脚絆きゃはんと手甲をさやに見繕った。長旅には必需品だ。

 軽く丈夫な寒冷地仕様の特製の鉄で出来た脚絆と手甲を付け、桶や藁で編んだしばの円座を持つと、さやは鮎を売る桂女かつらめや柴や炭を売る大原女おおはらめ、もしくは旅の商人の子供に見えた。


「ひの……紫月、これでどう?」


 お千代が紫月の前に着替え終わったさやを連れてくる。紫月はさやを眺めると、「いいんじゃないか」と表情を変えずに一言だけ言う。


「相変わらず口下手でありんすな……」お千代が呆れたように言う。さやはにこにこと笑うお千代と寡黙な紫月は、やはり親しい仲なのでは、と疑った。


「さて、この仕立代はどこに請求すればいいんでござりんしょう?」

「とりあえず里に付けておいてくれ」

「あい、わかりんした」


 お千代が頷くと、姐さん姐さん、と襖の向こうで少女の声がする。「阿国おくに、どうしたんかえ?」とお千代が答える。


「夜の演目、練習しなくていいの?」と阿国と言われた少女が、襖を開けながらお千代に問いかける。さやより二、三年下に見えるおかっぱ頭の子供だ。


「ああ、もうそんな時間でありんすか。紫月、さやさん、これからあっしは一踊りしなきゃいけんせん。宿坊に泊まっているお坊さんも呼んで一緒に見ておくんなまし」

「元よりそのつもりだ」


 紫月はさらりと言う。そしてさやに向かって、「お千代のまいを、よく見ておいてください」と声かけた。


 一体、どういう意味だろう?


 ※

 ※

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 しゃん、と鈴の音が涼やかに響く。


 化粧を施した千早姿のお千代が、五色の紐のついた神楽鈴を鳴らしながら神楽舞を旅籠の庭で披露する。

 お千代は、お付きの少女達の笛やつづみの演奏に合わせて舞う。どうやら天照大神あまてらすおおみかみ天乃岩戸あまのいわどに籠もられたときに天宇受売命あめのうずめのみことが岩戸で舞ったという演目のようだ。


 円を描くように舞うお千代に対し、旅籠に泊まっている客や、従業員達、そして招かれた果心居士達はほう、と感嘆の吐息をつき見とれている。


 さやも、そんなお千代から目が離せないでいた。

 美しい。舞もそうだが、目尻と唇に紅を差したお千代は、まるで本物の巫女のようだ。


「さや様、覚えてらっしゃいますか?」


 お千代の舞に見とれていたさやに、紫月がこっそりと耳打ちする。

 さやは疑問の視線を紫月に向ける。


「坂ノ上家の当主に代々伝わる神楽舞の事です。舞わないと宝刀が当主と認めないという、あの舞のことです」


 そう言われ、さやは、あ、っと声を出してしまう。

 そうだった。今の今まですっかり忘れていたが、たしかに坂ノ上家には、そういう舞が伝わっていた。


 さやは見たことが無かったが、代々当主につくものは、坂ノ上神社にて三振りの宝刀の前で剣舞を交えた独特の神楽舞を舞わないといけない。そうしないと宝刀に当主と認められなく、宝刀が鞘からぬくことが出来ないのだ。

 さやも当主に就くためには、その神楽舞を舞わなければならないのだが、舞を教えてくれるはずだった父は既に亡くなり、「過去」を意味する宝刀も芦澤あしざわ家の雇った忍びに奪われてしまった。

 このままでは、荷物の中に仕舞っている「現在」を意味する宝刀を抜くことが出来ず、自分は当主になれない。


「……紫月は、その神楽舞を知っているの?」

 さやがこっそり紫月に耳打ちする。

「いえ。私も詳しいことは……。ですが坂ノ上神社に行くか、あるいは坂ノ上家の伝承を調べれば分かるかもしれません」


 神楽鈴の音が鳴り響く。さやは眉を顰める。坂ノ上神社は三鶴の領地にあるが、もう焼かれてしまったかもしれなく、もし無事でも三鶴に戻って派手に動けば、芦澤家他奥州仕置き軍に気取られてしまう。

 三鶴城が半焼してしまった今、神楽舞の事を記した書物は燃えてしまった可能性が高い。


「今のところ手がかりはないですが、月の里に行けば坂ノ上家の神楽舞の情報を収集できるかもしれません。なので、今はお千代の舞を見ておいてください。さや様が舞うときの参考になるかもしれません」


 しゃん、しゃん、と高い鈴の音が鳴る。踊りは終盤に入っているらしい。

 女性らしい円を描く舞と、男性らしい力強い剣舞も交えた神楽舞を舞っている父の姿をさやは思い描く。厳つい父が繊細な演舞を舞っている所は想像できなく、やはり力強い剣舞が中心か、とさやは思った。


「…………」


 庭で舞うお千代の姿を、さやは凝視する。見ているうちに天恵眼が発眼したらしく、お千代の身体が透けて見えた。


 手首や足の重心が柔らかく滑らかに動き、その動きを美しく魅せるための足腰の筋肉が発達しており、頭と胸と骨盤の位置が一直線にある。天恵眼は自分の身体の構造は見ることが出来ない。私は、お千代さんのような筋肉や柔軟性を持っているだろうか?


 しゃん、という力強い鈴の音で、はっと天恵眼が治まる。辺りを見渡したが、お千代の舞に皆釘付けで、瞳が光っていたのはどうやら見られなかったようだ。

 そうこうしているうちに、舞は終わり、お千代は客に向かって一礼した。あれだけ踊ったのにお千代は汗一つかいていなかった。


 私もあんな風に踊れたら………。さやはいずれ舞う自分を想像し、お千代のように美しく、父のように力強く舞いたい、と心に強く思うのだった。

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