第9話 妹とのお話

「ねぇ、お兄ちゃん。本当に入ることになっちゃったの?」

「入部届けは書いていないし一応、正式には入っていないことになるんじゃないか?」


 どうせ勝手に書かれているんだろうけど。……俺の人権どこ行った。

 いつかと同じく巨大なクッションにごろんと寝転がりながら夏海が俺の方を見てくる。キュッと引き締まったお腹がでていて形のいいへそが覗いていた。誰かが見ていたら目をつぶさなければならない、そう思いながら「腹しまえ」と声をかける。


「へぇ~」

「へぇ~て、・・・・・・ていうかお前なんでここいんだよ。お前今日レッスンじゃないのか?」

「今日は先生の都合でお休みぃ~」

「おい、その語尾やめろ。語尾のび男みたいじゃねぇか」

「は? だれ?」


 あ、知らんよな普通。やべ、興味もたれたらどうしよう。俺、いや、親父が殺しに行くぞ。大丈夫だとは思うけど。


 そんな心配をよそに特に興味がなかったのか夏海は鼻歌を歌いながら足をばたつかせた。俺のベッドがそれに合わせて振動し、パンツは見えるか見えないかぎりぎりを攻めている。く、くそっ。見えない。

 ………いや別に、妹で欲情はしないからね?


「ま、いいや」

「あそ。じゃ、帰れ」

「そうそう! なつみ今日、カップラーメンじゃなくてチャーハンがいいな。お願い、お兄ちゃん!」

「何がそうそう! だアホ。接続詞大丈夫かよ。……知らん。帰れ。家だともっとうまい飯食えるだろ」


 夏海が床を這うようにしてすがってくる。かわいいから対応に困る。あ、俺足臭くないかな? 

 だがそう思っているときに限って言われるのだ。

 

「お兄ちゃん、ちょっとかぐわしい匂いがするよ」

「・・・・・・ッ!!」


 ・・・・・・ああ、死にたい。


 よよよ、と膝から崩れ落ちていると夏海は立ち上がって電子ピアノの電源を入れた。最初音が出ない鍵盤を押して「やっぱ軽いな」とつぶやく。

 そして俺にすがるような目を向けて、逸らした。俺も気づかなかったふりをして手元を見る。


 俺はコンビニ弁当の上ブタを開いた。パキッと乾いた音が鳴り、暖めた証拠である煮魚の良い香りが漂ってくる。

 久々のカップラーメンじゃないご飯! 

 俺がごくりと喉を鳴らすと夏海が振り返っていた。


「どうでもいいことだけど、お兄ちゃんは電子ピアノばっかりでいいの?」

「ん? あ、ああ。家ではこれだけど駅ピアノとかちゃんとしたピアノだし。アプライトでもいい音は出るんだぞ。それに」

「それに?」

「今日、音楽室でピアノ弾いたし」

「・・・・・・は?」

「スタインウェイだったんだぞ? たかが一学校にすげえよな。ってお前、目、・・・・・・目やばいぞ?」


 どこかで見たなぁ~。デジャヴって本当にあるんだな。怖いなぁ~。

 現実逃避していると夏海が満面の笑みで問いかけてくる。


「それでお兄ちゃん、何を弾いたの?」

「は? 別に普通だよ。特になんに――」

「な に を 弾 い た の ?」

「バラ3です、はい」


 俺が答えると今度は夏海の目が別の意味で大きく開いた。その茶色の目に俺の姿が大きく映されている。まさに驚愕といった感じだ。

 それを見て何を言いたいのか察した俺は軽く笑って頭を横に振り夏海の明るめな茶色の髪をすくようになでる。


「……お兄ちゃん、何とも無かったの?」

「ああ、別に大丈夫だ。特になんにもないよ、別に」

「・・・・・・ほんとう? 手が止まったりとか――」

「ねぇから安心しろバカ。どっかのアニメの主人公かよ」

「だって――」


 夏海が上目遣いで俺を見てくる。こんなときにアレだけどくそ、かわいいな。


 実際、夏海が心配するようなことはもう俺の中で割り切っていることだしそこまで気にするようなことじゃないのだ。

 ―――ただ確執かくしつが残っただけ。


 重苦しい空気が充満し始めたときピピピッと音が鳴る。夏海はソレを聞き勢いよく振り返った。

 鳴っているのは夏海のスマホ。夏海はすぐに内容を確認しに行く。そして何度か画面をスクロールすると夏海の顔がゆがんだ。


「あ、……やばい。練習のことバレちゃった」

「お前・・・・・・今日無いって言っていなかったか?」

「そうだけど、・・・・・・あ、また。ゴメン帰るね」

「はぁ、じゃあな」


 二度目の着信音で焦ったのか夏海はそのままかばんを背負って走っていく。ガチャっと玄関が開く音がして、しばらくして閉まる音がした。


 俺は慌ただしいと思いながら、つけっぱなしで音が出るようになっている電子ピアノの電源を落とす。そのまま安っぽい椅子に座った。

 スカッと空気が抜ける音がして安い皮のカバーが尻につく。


 本当にたいしたことじゃないのだ。


 ただちょっとやっちゃって家を追い出されて生活することになっただけ。家に一人にさせてしまった夏海には申し訳ないけど俺的にはまったくもって問題ない。

 

 俺はそんな現実に苦笑をしてため息をついた。そして切り替えるために頬を叩く。


 気分転換に何か動画でも見ようかとスマホを開くとメッセージが届いていた。

 

『今日、来る?』


 時間は2時間ほど前の16時。頬が苦々しげに歪むのが分かる。だが2時間前なのでいないだろうとわかると頬が緩むのもわかった。


「ピアノ、弾きにいくか」


 春先だが冷える。は夕方にいるはずだから会わないで済むしな。夜中も弾いていいピアノはあるので俺はそこに行くことにした。

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