4章 友より、ただ一人だけの……家族、より

20話 つかぬ足、漂う心

 全長一キロ、直径六百メートルの、地球を時速約三万キロの速度で周回する、黒い円筒。

 地球上のどんな兵器より破壊力がありそうな、金属製の質量の塊。


 その進行方向、筒でいうなら蓋の方と表現していいかもしれない。そこの、貯金箱の硬貨を入れるスリットのような一文字の開口部へ、大きさのスケールを例えるなら放り投げられた……ピーナッツじゃなくて……米粒、よりは大きいか……まあ、シャトルがスローモーション映像の如く飲み込まれていく。


 シャトルは後ろ向きのまま開口部に侵入して、低軌道ステーションから吐き出された時とは逆に、リニアの、磁力の作用で捕まえられ、ほどなくしてその動きを完全に止めた。


 極短い振動。機体が地に足をつけた感触。次いで、体がつんのめった。また台車か何かの上に載っているのかもしれない。後ろ側へ引っ張られていく。


 窓の外はまた無機質な景色だったけど、冷たさよりも安心感が胸に湧いた。宇宙空間に比べれば、どんな所でも暖かさを感じるかも。


 移動も終わり、飛行機の乗り降りのそれと似た、移動式の通路がやってきて接続された。

『馬鹿野郎諸君、オレの仕事はここまでだ。あー、まだシートベルトは外すなよ。ポップコーンの気分を味わいたいなら、別の所でやってくれ』


 すっかり影の薄くなっていたアカデミーの人が、座ったまま声を張り上げて、

「えー、皆さんここからは私の指示をよく聞いてください。今から接続された通路を通ってアカデミーへ入ります。通路は空気で満たされているので、安心してください。ですが」


 シートベルトを外す。と、徐々に座った姿勢のままで体が漂い始めた。椅子の端を掴んでそれをこともなげに引き戻すと、

「ご覧のとおり、この区画は無重力です。……正確には『無』ではありませんが、もう上下はないものと思ってください。

 ですが、だからと言って自由自在に動き回ってもらっては困ります。安全対策は取っていますが、それでも事故が起きないとは保証できません。ですから、ここからは必ずどこかを掴んでください」

 椅子についた取っ手を、解放された通路に取り付けられた手すりを、指さす。


「そして、『下』も決めます。ここの床と同じ、廊下からずっと続いている黒い面が『下』です。では、シートベルトを慎重に外して、着いてきてください」


 一同ははしゃぐこともなく、淡々とシャトルから出ていく。大抵は『下』に体を押し付けて着実に歩いていたけど、レオンは慣れたもので水平にすーっとすべっていた。


 わたしは椅子の取っ手で感触を確かめたけど、足がブーツ部分と密着していないせいで、これは苦戦しそうだなと、「よいしょ」

「ふぇっ!? ちょっ、ちょっ、ちょっと!? ミコト!?」


 突然腰に手が回されて、体が中空に浮いてしまった。

 ていうか、ていうか、ていうか、くっついてる! 密着してる! 


「行くよっ」

「ちょっ、どこ持って……! わっ! わっ! わっ!」


 当たり前みたいにミコトは掴んだ取っ手を使って、無重力らしく宙を滑り出した。

けど、わたしが慌てたのもあって――どこにも手足がつかないなんて初めてなんだから、しょうがないじゃない! それだけじゃないけど!――足をばたつかせたから、

「あーっと……マリ、落ち着いて」

緩く回転して、天地が入れ替わってしまった。ミコトが椅子を掴んで止める。


「ミコト! 歩けるから! 自分で歩けるから!」

「大丈夫だよ。重心合わせてあるから、頭をぶつけるのは僕だし」

「そうじゃなくて!」

 確かに人間の重心はおへそのあたりにあるから理に適ってるけど! 宇宙服ごしだけど! だからってぴったりくっつくことはないでしょ!


「友達は助けなさいって」

――――

「……お爺さんが?」

「うん。マリ、動きづらそうだったから……迷惑だったかな?」


「…………っとにもう……いきなりだったからびっくりしただけ。……ほら、じっとしてるから……いいんでしょ? 任せて」

「うん」くるーりと、また世界が回る。さっきよりもじっくり味わえた。酔いそう。


 改めてミコトは宙に滑り出す。例の通路に出て、手すりに沿って進んでいく。無重力というのは抵抗のない水中のような、爽快感のないスケートのような、不思議な感覚だ。


 ……手持無沙汰だ。いやそのなんていうか、当然の成り行きというか、合理的な判断として……不可抗力ということで……わたしはミコトの腰に手を回した。


「うん、その方が安定感が増すね」

「そう、ね。……ねえ、その、ミコト。友達は、まだ早いって言うか……もっとお互いのことをよく知ってからで……でも、そう遠くないって言うか……うん、そう遠くない……と思う」

「うん、そっか……僕頑張るよ」

「う、ん…………――――――――っ!」


 違う、そうじゃない。わたしはそんなこと望まない。


 ヘルメットの中で顔を動かす。やっぱり、ミコトの顔は見えなかった。だけどきっと、いつものように微笑んでいるのだろう。

 すぐそこに、ポリカーボネイトが隔てたところに、あの柔和な笑顔があるのだろう。


――わたしと友達になりたいから、頑張るって意味だろう。今のは。


 やめて


 そう言えたら、どんなに楽か。幾重もオブラートに包んだって、刃物は刃物だ。他人を傷つける勇気も、自分が傷つく勇気も私にはない。


「まただ」

 バイザーに映った顔が、呟いた。

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