14話 空白の意味

「脚、大丈夫?」

「うん、飛行機の中でも休めるし」

「だったらいいけど」

 

 搭乗口前で、わたし達はまんじりともせず待っていた。

 ついに時間が来たけれど、レオンはまだ現れていない。電話なりメールなりできるようにしておけばよかったなと、後になってから気づくパターンだ。


「先に乗っちゃってもいいかなぁ」

 それを許したのは他でもないレオンなわけだけど、そこは人情として待つのが筋でしょ。とはいえ、こうもギリギリだと焦る焦る。

 

 ホント番号も何も交換してないんじゃ、パソフォンだってどうしようもない……そうだ。

「ねえ、番号交換しとかない? はぐれた時とかに連絡着いた方が便利だし」

「え、あ、うん」薄いカバンから出てきたパソフォンは、一、ううん、二世代くらい前のモデルで、色褪せや塗装の剥がれ具合からして、十年単位で使われていそうな代物だった。


「えっと……電源は入ったけど、操作がちょっと解んなくて」

 わたしが画面を見て指示しようとして、ふと疑問が湧く。


「ねえ、ナビとか見てきたんじゃないの?」

「ナビ? ああ、そういう機能も着いてるんだっけ」

「――ミコトこれは……おじいさんの?」

「うん、そのまま引き継いだ」

「えっと……ナビなしで、家から空港まで?」

「そうだけど?」

 ……百キロを?


「二回ね、おじいちゃんと飛行機で旅行に行ったんだ。その時に道憶えたから」

「にっ……!?」

 ミコトを知れば知るほど、自分が途轍もなく不甲斐ない存在じゃないかって思えてくる。


「……えっと、じゃあまず………………ごめん、やっぱりちょっと貸してもらっていい?」

 他人の使う機種、それも古い型の操作なんてすぐ分かるはずもなく。

 ペンダントと違って、今回はミコトも切実に助けを必要としているのが伝わる顔で託してくれた。


 わたしに渡ったそれは、想像よりもずしりとした重さを手に伝えてくる。古い型だからかと思ったけど、お爺さんが職人だったことを考えると仕事場に置いておけるような頑丈なモデルなのかもしれない。


 さて……基本的な機能面はそう変わらないとして、インターフェースやらアプリやらの配置、操作感覚を手早く確認する。


……それにしても、お爺さんは結構厳格な人だったのか、それとも心配性というか過保護な人だったのか。

 男の子だし、こういうのは学校で支給されるタブレットで十分って家も多いだろうけど、まったく操作が掴めないほどっていうのは珍しい気がする。


 一通り操作を確かめ終えて、わたしは電話帳をタップする。

電話するだけなら着歴とかリダイヤルでもいいだろうけど、番号を交換すると言っちゃったからにはこれも必要だ。


 表示された画面はデフォルトであかさたな索引になっていた。どうせだし、とそこから『や』を選んで文字打ちの練習もしてみる。


 や・さ・か


 ……あ、ううん、わたしのこと磨理って呼ぶんだから『ま』に入れた方がいいのか。


――――?


「マリ、どうかした?」

「あっ、いやっ、うん、ごめん。自分のパソフォンいじってる感じになっちゃって、そのまま登録する気になっちゃって。じゃあほら、まずここをタップして……」

 

 何の気なしにタップした『ま』で、わたしの思考は一瞬止まった。

 そして、次には言い訳まで考えて『ら』をタップして……結局、『あ』から順番に全てを見てしまった。


 こんな、他人のプライバシーを覗くのは拙いと思いながら、それをやってしまったわけだけど……わたしは、何も見ていないのだ。


 電話帳は、全て空だった。


……どういうことだろう。

 仕事をしていたからには、どこかの連絡先は絶対あるはずだ。

 ミコトはこれの操作方法が分からないはずだし、だったらお爺さんが自分が消したってことになるけど……。


…………あっ。違う。違う違う、何を考えてるんだわたしは。


 たぶんお爺さんは病気か何かで――死期を、知ってたんだ。

 

 だからミコトが使うように、他人の個人情報を消して……そういう話なんだ。


「……これで、一通り大丈夫?」

「うん、ありがとう。おじいちゃん、受け継いだものを生かしてくれって言ってたけど、これの使い方はあんまり教えてくれなかったから。これで使えるようになるよ。ありがとう」


「お礼を言われるほどのことはしてないから」 

 改まった一言のこそばゆさと、要らない想像を膨らませた恥ずかしさ、そして罪悪感で、わたしはレオンがやってくるであろう通路へ体を向ける。


 ミコトは大げさすぎるくらいに喜んでくれた。そしてあの景色を、遠くを眺めるような目で、おじいさんのパソフォンを見ると、古びたその本体を感慨深げにさすった。

 そんな大事な物の中へ真っ先にわたしの情報が入ったのがちょっと申し訳なくて、一言。


「まだ時間ありそうだし、学校の友達とか憶えてれば登録したら?」

「がっ……――うん」


――錬金術師の性なのか、わたしは自分が分析狂だと思う時がある。

 その時のミコトの笑顔は――どこがどうという根拠は示せないのに――瞬きをするたびにコマ送りされるその表情は、どう吟味しても、わたしの中でその印象は覆らない。


その笑顔は、ひどく悲しかった。


 また、わたしは――胸の奥が軋んで、痛みが走る。逡巡して、けどそれ以上触れてはいけないんじゃないかと思い直して……だから、こっちへどたどた迫ってくる靴音にどれだけ助けられたか分からない。


 音のした通路の方へ目をやると、人影が映る。ぐんぐん近寄ってくると、コートを身にまとって、片手でサングラスを、もう片方で帽子を押さえた、その帽子から真っ赤な何かをはみ出させたレオンだということが分かった。……うん、あの髪、便利。


「はっ、はっ……! よう、待たせたな! はっ……いや、地上で全力疾走はやっぱきついな。トレーニングは欠かしてないんだけどな、これでも」


 そんなレオンは息を整えると、さっそく、

「ま、ミコトに比べりゃこんな距離、なんてことねえけどな」

 らしい口ぶりで相好を崩す。そういえば、マスクは外したらしい。


「待たせた俺が言うのもなんだが、行こうぜ。まず日本から旅立ちだ。忘れもんはないか?」

「うん」「はい」

 

思うところも、心残りもある。けど、ここまで来たらもう退けない。

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