絶望で奴を染めましょう
帝国剣聖ノ会、絶望の剣聖クラトニックが長い国外任務を終えて、剣鬼騒動を聞きつけ、帰り道に立ち寄ったファーレアに到着したのはすべてが終わった後だった。
「大量虐殺というわけかね、フフ、絶望的じゃないか!」
クラトニックはそう言って、壊れた街並みを右から左へと舐めるように眺める。
「クラトニック様、遥々ようこそ。ジェントル様がお会いになるそうです」
「ほう、それでは敗者の顔を拝みにいこう。どんな絶望的言い訳をしてくれるのかな♪」
クラトニックがジェントルの病室へやってきた。彼女は部下を持たない遊撃の上級騎士だ。
病室にはジェントル率いる第9騎士団の騎士たちが数名見張りをしていた。
クラトニックが入ってくるなり、ビシッと拳を天へつきあげる。
「これはこれはジェントル・ディアスモート、こんな無様な姿になるとはね、びっくり仰天」
「クラトニック殿……」
「君は剣鬼に敗れたと思っているのだけど、その推測は間違いないかねー?」
街道で無惨に死にかけていた彼は、第九騎士団に命を助けられたのだ。
「……あれは、剣鬼などではありません」
「? 言ってる意味がわからないよ。言い訳ならもっとわかりやすくしてくれないかな、ジェントル」
クラトニックは手でファーレア全体を示すように言う。
「町の惨状を知らんわけじゃなかろうね、君」
「これは堕落した剣聖の仕業であって、アガサ・アルヴェストンがやった訳ではないのです、クラトニック殿」
「ほう、第9騎士団が情報操作したと? 何と卑劣な!」
クラトニックはケラケラ笑って糾弾しはじめる。
元からこういう性格だと知っているジェントルは、表情ひとつ変えずに、ただ見つめる。
「なんて絶望だよ、君たちは正義を執行する立場にありながら、民に嘘をついたのだ!」
「クラトニック殿、今はあなたの余興に付き合っている暇はありません」
「フフ、まあ、それもそうだね」
クラトニックは飽きたように言う。
「これまでに雷神の剣聖が敗れ、共鳴の剣聖が死亡し、幻の剣聖が消息を絶ち、炎輝の剣聖が殺され、稲妻の剣聖と凍圧の剣聖は一晩でダブル斬るされちゃって、オキナ君は行方不明とね? 君もまた腹に穴をあけられた。フフフ、なんて体たらくだ、なんという絶望的失望集団なんだ! 世間の剣聖へむける羨望は地に堕ちたよ! たったひとりの騎士学校の生徒相手に、最強を自負する大人が寄ってたかって挑んでいるのに、返り討ちにあっているのだから!」
「その件については吾輩は返す言葉を持たない」
「だろうね、敗者だもん」
「クラトニック殿、ひとつ忠告を」
「いらないよ」
「聞いてください」
「聞くだけならいいよ」
クラトニックはその艶やかな紫色の髪を手で払って、細い腰に手を当て「さあ、どうぞ、喋りな、敗北の剣聖ジェントル」と冷やかしかながら先を促す。
「アガサは剣聖より高い次元にたどり着いた剣士です。どうすれば、あの純度の剣を手に入れられるのか定かではありませんが、我々とは見ている世界、感じている情報が、言葉通り桁違いなのは確かな事実であるでしょう」
「それが敗北の理由かな? 負けて刺されて感じたことかな?」
「はい、彼は無想を知っている、そう感じたのです」
「無想の境地かぁ、すべての剣士が目指すべきとされる場所にいるってことだ」
クラトニックは自分の身体をだいて、熱い吐息をはきだす。
「クラトニック殿、死にたくなければ逃げるべきです」
剣聖が絶対に口にしてはいけない忠告。
第9騎士団がざわめきたつ。
ジェントルを慕う者たちは、とても悔しげだ。
「ねぇ、ジェントル、君はまだ剣聖の誇りを持っているの?」
「失ってしまいました。ですが、このまま終わる気はありません。私は無想を見てしまった。私もあそこに行ってみたくなったのです。彼のあの表情をすこしでいい、一瞬でいいから曇らせてみたいのです。天空の強さに、我が生涯をかけて指ひとつでもいいから届かせてみたい」
「そんな強いんだぁ……まあ、いいや、そう言うなら好きにすれば」
「クラトニック殿は?」
「私は剣鬼を絶望で染めるよ」
楽しそうにクラトニックは言う。
「実質的な序列一位として、これが最後の戦いになるだろうね、私が負ければ帝国剣聖ノ会はただ1人の剣士に敗北したことになる。でもさ、それってすっごく絶望的じゃない?」
負ければ敗北の絶望に堕ちる。
勝てば剣鬼を絶望に落とせる。
どちらに転んでも絶望をこよなく愛するクラトニックには利しかない。
「最後……? なぜ、ですか? まだ、剣聖全てが負けたわけではないはずです」
「皇帝陛下のお達しだよ。もし10人挑んで10敗しようものなら、もう何の言い訳のできないでしょ? だから、ここで打ち止め。六位の子さえ残せば、まあ、ぎり勝算残せるじゃん? だから、それで負けてないって言い訳するんじゃない?」
戦わなければ負けたことにはならない。
序列六位。クラトニックは彼女なら剣鬼相手にも間違いなく負けないと考える。
ゆえに帝国剣術の名誉は護られる。
「それじゃあね」
クラトニックは瞳の色を紫色から、濃い赤色に変貌させて、爪を黒く鋭く変化させきると「皇帝陛下へバンザーイ」とおちゃらけて言って部屋を出ていった。
「フフ、みんなビビちゃってさぁー。やんちゃな剣鬼におののいてるけど……誰も本物の絶望なんて知らないんだよね」
暗い廊下で美しき剣士は剣を抜く。
赤い刀だ。それで空間をひと斬りすれば、次元に裂け目が生まれ、その先にまったく違う景色が現れた。
「私はね、この世界に絶望してるんだ。私より強い生物なんていないと知っているからさ」
ファーレアの宿屋から、次元を跨いで繋がれた門の先には血溜まりの河があった。
そこは人類の生存領域からはるか離れた暗黒の世界のひとつだ。
吸血鬼の死体が4つ横たわっている。
クラトニックによってバラバラにされ、心臓を壊され、殺された者たちだ。
「クラトニックお嬢様、剣鬼アガサが現れました。帝都です」
騎士が血の河から出てくる。
男はどうみても人間だ、
ただ、そんなまともな印象は、血を前にしてすこしずつ変貌する姿をまえに消え失せていく。
普段はうまくカモフラージュして人間社会に溶け込んでいても、いざ大量の血を前にしてしまうと、瞳は赤く染まり、牙は鋭く、爪が尖って黒くなってしまう。
それが吸血鬼というものだ。
「もう帝都ついたんだー。凄いなァ、ちょっと帝国離れてるあいだに、あっというまに有名人になっちゃってさ」
「行かれるのですか?」
「もちろん。皇帝陛下との約束の件もあるしねぇ……。ふふ、それに最強の種族として、脆弱な人間に本物の強さを教えてあげないとじゃん? 最強を錯覚してしまったあわれな剣鬼に絶望のプレゼントだよ」
剣を極め、圧を極め、血の術を極めた。
混沌より生まれて300年。
混乱渦巻く帝国へ帰還した真実の怪物が動きだした。
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