3-7話  異変の始まり

 莉子りこぎくと共に旅館の個室温泉に来ていた。利用中は他の客が入ってくることはない。二人はシャワーで、を洗い流している。


 莉子はちらりと日菜菊を見た。


 莉子は幼馴染と付き合い始めてからずっと思っていたことがある。日菜菊は本当に拓海たくみなのだ。喋るときの癖も、食事をするときの仕草も拓海そのものだった。違いは肉体だけだ。


 だから、日菜菊とも一線を越えることに抵抗はなかった。むしろ、ことに楽しみを覚えた。腕の中で乱れる日菜菊を愛おしいと思ったし、そのとき拓海はどうなっていたのだろうかと想いを馳せた。


(拓海とヒナをこんな風に同一視できる人、私以外にいるかな?)

 その点について、莉子は少し自信を持っている。


 シャワーを終え、二人は湯船に浸かった。川と隣接していた温泉とは違い、温度はまばらではなく、熱い。


「ふ~!!」

「いいお湯!!」

 二人でそんなことを言いながら入浴を楽しんだ。


 先ほどの一件で、日菜菊と拓海の考えにも変化が生じたのか、日菜菊はいつもより多めにスキンシップをとってくる。もちろん、温泉を楽しむ時間なので、エスカレートしていくようなことはなかったが、日菜菊の方が接する時も変な遠慮をすることはないという気持ちが伝わったのなら良かったと、莉子は思った。




 温泉を出ると、ちょうど夕食の時間だった。旅行の醍醐味の時でもある。日菜菊と莉子は準備をして食堂に向かった。


 食堂には莉子たちの他に、家族連れがいた。父、母、姉、弟の4人構成で、川にも来ていた家族連れだった。莉子と日菜菊は家族連れに挨拶をし、席についた。


 刺し身や鶏肉の料理、山菜などが既に食器に用意されている。宿のおかみさんがご飯と汁物を持ってきてくれた。それを合図に夕食がスタートした。


「美味し!」

「ん~!!」

 莉子も日菜菊も思わず声が出てしまう。家族連れも称賛の声を上げていた。


 ある程度食事を勧めていると、おかみさんが追加の料理を持ってきた。川エビの刺し身だ。あまり普段聞くことのない料理だが臭みもなく、ご飯によくあう。莉子も満面の笑みで食べていたが、ふと日菜菊を見ると、日菜菊も惚けた笑顔で料理を口に運んでいた。


 川エビの刺し身だけでなく、出来上がった料理が次々と運ばれてきた。まさに今作ったのだと分かる温度で出て来る料理などもあった。何の出汁を使っているのかスープも美味だ。


 最後はデザートとしてゼリーが来た。中には本物の果物の欠片も含まれていて、食感が気持ち良い。


「「ごちそう様でした」」

 莉子と日菜菊の声が揃った。


「おそまつさまでした」

 おかみさんが食後のお茶を机に置きながら言った。


「凄い美味しかったです」

「旦那さんが作られているんですか?」

「そうですね。作りながら出しているからこの規模のお客さんの数じゃないと成り立たないのだけれどね」

 確かにこの宿の部屋数は少なかった。だが、その分、訪れた客の満足度は上がるのではないかと莉子は思った。事実、この夕飯だけでも凄い満足感が得られている。


「そういえば、他に男女のお客さん、来てないですか? 最初に宿に来た時にすれ違ったのですが」

「ああ、あのお二人? 夕食は遅めでいいと聞いているのだけれど、まだ帰って来ないのよ」

「え……?」

「ちょっと心配ですね」

 あの二人は神社で何かを調査しているようだった。その後に何かあったのだろうかと莉子は思った。


「ごちそう様です!」

 家族連れの弟が元気な声で言った。『はいはい』と言いながら、おかみさんは食後のお茶を持って家族連れの机の方に移動していった。


「莉子、どう思う?」

 日菜菊が聞いてきた。ヴァンパイアにまつわる神社ということだったが、訪れたときに、持ってきた魔具は邪悪な気配を感知していない。


「怪しい力は検知できなかったよね」

「だったよね。怪異絡みの事件じゃないのかな」

「でも、もしかしたら感知できなかったということの方が問題なのかも……」

 本当にヴァンパイアが封印されていたとしたら、何らかの力の痕跡が在る方が自然ではないか。莉子は少しそう思った。


「もう一度調査に行ってみる?」

「でも、熊が出る、とか言ってたよね……」

 確かにあの男女はそう言っていた。だが、どうにも取ってつけたような何かの言い訳のような気がしてならないと莉子は思った。


「何にしても、一度部屋に戻ろっか?」

「うん、そうだね」

 莉子と日菜菊はおかみさんに挨拶をし、部屋に戻った。




 部屋に戻ると、あれこれ考える前にまず夕飯の写真のアップロードでもしようかと思い、莉子はスマホを手に取った。


「あれ?」

「どうしたの?」

「電波が、入らない……」

「あれ、私のも……」

 莉子と日菜菊のスマホは圏外を示すマークが表示されていた。怪異研究会と異世界組のグループに何度もアップロードをしたし、メッセージも見れたので、この地域に電波が来ていないということはないはずだった。


「ちょっと……嫌な感じだね」

 日菜菊が言った。莉子は鞄から先ほど使った呪視の環を取り出した。


「やっぱりちょっと調べようか」

「そうだよね」

 莉子は他にも使えそうな魔具がないかと鞄を持ち、日菜菊も外出をする準備を始めた。




 その直後、大きな悲鳴が聞こえた。


「きゃあああああああ!!!」


 莉子と日菜菊は顔を見合わせ、部屋を飛び出した。

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