第3羽 新時代

「どういうことですの!」


 甲高い声が響き、食堂がにわかにざわざわし始めた。食券販売機のある入り口とは反対側、テーブル席の中程でちょっとした人だかりができ始める。


「あの声はナスカやな。うちらも行ってみよか。」

 シャイニングスタァに押されてウイングノーツも人だかりに混じる。

 そこには、両手をテーブルについて立ち上がっている濃紺の髪の美少女と、同じテーブルに腰かけたままの明るい青色の髪の美少女。両者ともノーツがテレビで何度も見た顔だった。


「落ち着け、ナスカ。君の声はよく響く」

 座っている方のトリ娘、トーワが口を開いた。前回のトリ娘コンテスト滑空部門で三連覇を果たした、この学園の生徒会長だ。


 言われた濃紺の髪のトリ娘、ナスカは周りをちらっと見て、ゆっくりと席に座った。テーブルにあったお茶を手に取り一口飲んでから、話し始める。


「…お見苦しいところをお見せしてしまいましたわ。引退、という言葉に少々驚かされたものですから」


 引退という言葉に周りがざわめく。ノーツもスタァも目を丸くした。


「ああ、丁度人も集まっているようだから改めて言っておこうか。――私は、次回のトリ娘コンテストを最後に以降の大会には出場しないことにした」


 トーワの発言にざわめきが大きくなる。三連覇を果たしたばかりの学園のエース『ミス・トリ娘』がどうして? ノーツも思わず隣のスタァと顔を見合わせた。スタァの顔も困惑している。


「もちろん、出場しないといっても、卒業を待たずにこの学園を辞めるわけではないからその点は安心してほしい」

 そうトーワが続けても、周りのざわめきは止まない。だが、学園を辞めないと聞いてほっとしているような顔をみせる者も見受けられた。


「…理由を伺ってもよろしくて?」

 ナスカが説明を促す。


「もちろん。私は、私が入学前から目標と決めていた滑空部門三連覇を成し遂げた。それを達成して思い至ったことが、大会の、トリコンの基盤強化だ。」

 トーワは集まった面々の顔を見渡しながら話し始めた。


「皆も知っての通り、トリ娘コンテストは琵琶湖の大自然の中を独力で飛ぶ競技だ。自分の限界と戦うこともさることながら、その大自然、とりわけ刻々と変わる湖上の風と戦わなければならない。……だが。」


 一度言葉を切るトーワ。


「昨今の大会で、空中で骨折して墜落する者、不自然な姿勢で着水して負傷する者が続出している。

 このトリ娘コンテストが継続、発展していくためには、安全面の対策とその指導徹底の強化が必要だ」


 トリ娘コンテストでは、滑空部門でもディスタンス部門でも、湖面から10メートルの高さにあるプラットホームの上から飛び出して離陸する。これは、トリ娘の古来の生態がムササビのように高所からの滑空を主としていたことに由来している。

 このため、飛ぶ前から何らかの不調があったり、そもそも一定の体力や頑強さが無い者が飛んだりした場合、危険性が非常に高くなるのだ。飛んだ瞬間、翼にかかる揚力と風の力に耐え切れずに翼が折れ、真っ逆さまに墜落したトリ娘が過去何人もいた。


 「そこで私は現生徒会長として、出場するトリ娘のメディカルチェックや安全装備の監修など、大会前に学園側からできることを企画、推進していきたいと考えた。三連覇に至るまでの経験や知識、選手の立場からの見方も活かせると思う。

 既に次回の出場は決まっているため、それを終えてからこの活動に専念する。その際、審査し判断を下すのが同じ一選手であるのは公平性にもとるので、次回を最後に今後出場しないと決めた。これが引退という言葉の意図だ」


 会長の決意に静まり返る食堂。

 しばらくしてナスカが口を開いた。

「素晴らしいお考えですわ。ただ、そうは申しましても、貴女がいなくなりますとこれからの大会が少々寂しくなってしまいますわね……」


 そのナスカのため息を吹き飛ばすかのように、トーワはハッ、と笑った。

「それなら心配には及ばないよ、『女王クイーン』ナスカ。次に続くべき者なら既にいる。

 私のいた滑空部門なら『トリックスター』ハマー。『求道者』ミモアグルーヴもいる。今年から入学したばかりの君の妹だっているじゃないか。私の記録なんかそのうち簡単に抜かされてしまうさ。いや、そうやって新しい時代を作っていってもらわないと困る。」


 次々と出てくるテレビで見た強豪たちの名前。そして視線を向けながらトーワが一人一人名を挙げる先にその本人がいるのを見て、ウイングノーツは興奮を抑えながら生徒会長の一挙手一投足に注目していた。そのトーワは一通り周りを見回したあと言葉を続ける。


「そして、ディスタンス部門はまず君だ。優勝5回の『女王クイーン』ナスカ。そしてここ2大会君に代わって王座に着いた『鉄の娘アイアンガール』ソラノセプシーと、『浪速の旋風かぜ』フーシェ。それ以外にも、」


 取り囲んだトリ娘たちを見回すトーワの目が、ノーツの目と合って止まる。ふっと表情を和らげたのも一瞬、すぐにトーワの目線は隣へと移っていった。


「まだ名も知られていない1年生や、ここにいる皆、そして大会での優勝を志す全てのトリ娘がいる。その者たちが心置きなく自らの持てる力を最大限発揮し、大会をさらに盛り上げられるような環境を作ること。それが今後の私の戦いだ。

 だから、大会に出場する皆は気にせず練習に励み、これから私の分まで、――いや。私以上に飛んでほしい!」


 そこでトーワは言葉を切って、自信ありげな笑みを浮かべた。

「先程は新しい時代、などと言ったが――当然、私も4連覇を逃すつもりは全くない。時代を作らんと思う者は挑んでこい!そして大会を、これまで以上に皆で盛り上げていこう!」


「「はい!」」


 最後の言葉に、その場にいた全員がつられて大きな声で応える。それらの瞳は、先程の心配そうな様子と打って変わって輝き、決意に満ち溢れているようだった。


 これが生徒会長、今の絶対王者。これがスカイスポーツ学園。そしてこれが、これから一緒に学び競うトリ娘たち。ウイングノーツは、体がぞくぞくするのを感じていた。


「…さて」

 トーワが言葉を切って、周りを見回しながらニヤッと笑った。

「そういえば今日明日は、S定食の日ではなかったかな?数量限定、注文してない者はここに立ったままでは食べそびれるぞ」


 その一言をきっかけに、集まっていた群衆が雪崩を打って食券販売機の方に動き始めた。


「っしゃ!ウチが先や!」

 小柄なトリ娘が先頭を駆け出していく。

「フーシェ!走るんじゃない!」

 誰かが叫んだが、その声も券売機へと我先に急ぐ群衆の中に消えていった。


 残されたのは、呆然と立つウイングノーツと、それに付き添った形のシャイニングスタァ。そして座ったままのトーワとナスカだった。二人のテーブルには既に食事が置かれている。


「S定食って……一体何なんですか……?」

「ああ、静岡(Shizuoka)を代表するローカルレストランチェーンから提供された、SSSスカイスポーツ学園スペシャル(Special)仕様のハンバーグ定食だ。熱狂的なファンが多くてね、提供される日はすぐに完売してしまう。君も今度食べてみるといい。今日編入してきた編入生…で間違いないかな?」

 独り言のようなノーツの問いに、箸を取り上げたばかりのトーワが答えてくれた。


 ウイングノーツも、改めてトーワに向き直ってお辞儀する。

「はい!ウイングノーツといいます!これからよろしくお願いします」

「うん。頑張ってくれたまえ」


「――ほな、うちらも行きまひょか」

 スタァに促されてノーツは券売機に向かった。残念ながらS定食は既に完売だったが、通りがかった人にオススメされたクリームパスタを注文することにしたのだった。


 ◆


「……全く。人騒がせな話でしたわ」

 2人だけが残った先程の席では、クリームパスタをフォークで巻きながらナスカが愚痴をこぼしていた。

「いや、あれだけの騒ぎになったのは君のせいだろう」

 味噌汁のお椀をテーブルに置いたトーワが苦笑しながら切り返す。


「引退、などという言葉を突然言われて驚かない方はいらっしゃいませんわ」

「それはすまなかった。……しかし、かえって大勢の前で宣言できたことで変な誤解や憶測を産まなくて済みそうなのは幸いだったかな」


「あの場を皆の士気を上げる形にしてまとめたのは流石でしたわ。でも本当におやめになるなどと宣言してよろしかったんですの?」

「私がやりたいことはやりきった。……あとは次に任せるさ」


 少し遠い目をしたトーワの顔を、怪訝な顔をしたナスカが覗き込んだ。

「……誰を見ていらっしゃいますの?」

「さてね。よりも先に、琵琶湖横断フライトを見せてくれることを期待してるよ、ナスカ」

「当然ですわ。あそこまでおっしゃったからには最後のフライトで無様な姿は見せられなくってよ、トーワ会長」

「ああ。もちろんさ」


 配膳口から料理を受け取ったトリ娘たちが思い思いのテーブルにつき始める。賑やかに会話が弾む中、スカイスポーツ学園の夜は更けていった。


 ◆


 翌朝。


「準備はええどすか?ほな、そろそろ行こか」

「はい!」

 シャイニングスタァの後について、真新しい制服に身を包んだウイングノーツが歩き出す。


 いよいよ初日。昨日の食堂の騒ぎに参加したおかげで既にここの一員かのように錯覚してしまいそうになるが、まだ教室にも行っていないほやほやの編入生なのだ。


「それで、どこのクラスになったん?」

 歩きながらスタァが話しかけてきてくれる。


「1ーA、担任はいぬい先生だと聞きました」

「乾センセか。確かワスターはんのトレーナーも兼任してはるセンセやな」

「え、トレーナーはみんな先生と兼務なんですか?」

「いいや、どっちかいうたら彼女のほうが特殊やな。あんさんが今日会うちゅう青葉はんや、うちの担当をしてる九重ここのえはんみたいに、ほとんどのトレーナーは専任の人たちやで。」


 雑談をしているうちに、二人は職員室の入口に着いていた。ノーツはここで始業前に担任の乾先生と落ち合うことになっている。地図は昨日もらっていたので一人でも来れたのだろうが、来たばかりで勝手が分からないだろうとここまでスタァが案内してくれたのだ。


「ほな、おきばりやす〜」


 自分の教室へと向かうスタァに軽く手を降って見送っていると、ノーツの後ろから声がかけられた。

「いいわよね、彼女」


 驚いて振り向くと、背後の廊下にアイボリーのブラウスを着た女性が立っていた。羽が無いのでトリ娘ではない、普通の人間だ。


「成績優秀、物腰も柔らかい上に飛ぶ技術と飽くなき探究心もある。うちのワスターにも見習ってほしいところいろいろあるのよ。素質はあるのに本番に弱いというか何かあともう一歩なのよね……」

 『うちのワスター』と言うということはつまり。


「あ、ごめんなさい。あなたがウイングノーツさんね。担任のいぬい美也子みやこです。これからよろしくお願いします。」

「こちらこそよろしくお願いします!」

 挨拶を返すノーツ。


「では早速だけど教室に向かいましょう」


 乾先生に連れられて、1年生の教室に向かう。まさに次の世代を担うであろうトリ娘たちが集う学年だ。


「みなさん、おはようございます」


 挨拶しながら乾が1ーAのドアを開ける。


「おはようございます」


 続けて軽く頭を下げながらノーツが教室に入ると、部屋中の目線が一斉に彼女に注がれた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る