脱獄の手引き
冷たく硬い優しさも暖かみもない地下牢では、五人の愚者が静まり返っていた。
一時期は騒ぎ立て、仲間割れにまで発展した彼らだが、疲れからは逃れる事もできず体力を回復するために寝る。
人の三大欲求である睡眠欲には、例えどれだけ己を律した僧侶であっても耐え難い物なのだ。
この4年間、己の欲に従ってきた愚者達にその欲を乗り越えるだけの精神力はない。
何とか脱獄を試みようと試していた2人も、睡魔には敵わず固く寝心地の悪い石の上で休息していた。
「起きてください。勇者様方。起きてください」
そんな寝息だけが響く地下牢に囁かれる1つの声。
音一つなく地下牢へと進入してきた黒い服に身を包んだ男は、素早く地下牢の鍵を開けると硬い床で眠る愚者達に声をかける。
しかし、声だけでは起きる事がなく。ぐっすりと眠ったままだった。
(これで起きないのかよ。家畜でも気配に気づいて起きるぞ?)
心の中で毒をつく男は、比較的綺麗な格好をしている愚者の1人を軽く揺すった。
「起きてください。勇者様」
「ん........ん?誰だ貴様は」
自分が牢にぶち込まれていると言うのに、全く焦りのない声で男に語りかける愚者。
自分の置かれた立場を理解していないのか、それとも理解した上でこの態度を取っている大物なのか。男には前者に見えたが、万に1つあれば後者かもしれないと身を正す。
「正教会国の暗部の者です。勇者様方が言われも無い罪で死刑になると聞いて、助けに参りました」
もちろん、嘘である。
男は神聖皇国の暗部出身だし、言われも無い罪なんて無い。全てが事実であり、魔王と言う敵を前に自軍の戦力を削るゴミだ。こんな奴らに敬語を使うことすら惜しいとは思っているが、今後の為にグッと堪える。
愚者の1人をは一瞬、何を言っているのか分からないと言った顔をした後、ようやく状況が呑み込めたのか大きく頷いた。
「なるほど。正教会国は人を見る目があるな。それで、私達を脱獄させ、正教会国に亡命させようと言うわけか........ひとつ聞いていいか?」
「は、はい。なんでしょうか」
「なぜ助ける?貴様も分かっているのだろう?言われも無い罪など無い。暗部の者なら情報の裏付け程度はやるだろう。その過程で私達が黒だということは分かっているはずだが?」
今度は男が固まる番だった。
聞いた話と自分見た感覚では、頭の中はパッパラパーで何も考えていない愚か者だと判断していた。
だから、助けに来たと言えば直ぐに乗ってくると思ったのだ。しかし、目の前でゆっくりと肩を回しながら身体を解す男は、しっかりとコチラを疑っている。
黒い服に身を包んだ男は、彼の評価を1段階上に上げた。
愚者を演じていたわけではなさそうだが、頭の先からつま先まで舐めてかかれば駆られるのは自分かもしれない。精々、舐めるのは頭だけにしておこうと心に決める。
「それは分かっております。ですが、本国の指示は変わりませんでしたので。それに、異能も使えない足でまといは戦場に出ても邪魔になるだけ。ならば、先に消してしまうのも手のひとつでしょう」
全てが口から出任せだが、多少の説得力はあるはずだ。相手が段違いに頭の回る奴ならば、ボロが出るような質問をしたかもしれないが、男もプロである。ボロは出さないし、任務は確実に遂行する。
「ふむ........話が分かるではないか。今はその言葉、信じてやろう」
ほんの少し賢い愚者は、一先ず目の前の黒ずくめの男を信用することにした。
今は逃げなければならない。
自力で脱獄ができない以上、外部からの手を借りる他無かった。
「おい、起きろ。ここを出るぞ」
少し賢い愚者は、未だに眠る四人を叩き起す。
「んぁ........なんだよ。もう朝か?ってぇ........殴られた痣が痛てぇ」
「寝みぃし痛てぇ........口の中切ったのか鉄の味がするな」
「........痛い」
「おはよう。随分と乱暴な起こし方だな。闇の力でも溢れ出たか?」
昨日の殴り合いが響いている3人と、相変わらずの友人。愚者はどこか呆れつつも、楽しそうにそれを眺めた。
「さっさと立て。逃げるぞ。場所は正教会国だ」
「は?何を言ってんだ?」
「私から説明させて頂きます」
「誰だアンタは。まさか、神聖皇国の────────」
「いえ、私は正教会国の暗部です」
男は先程の愚者と同じ説明をもう一度する。愚者も補足に入ってくれたためか、先程よりもすんなりと説明は受け入れられた。
「って事は、俺たちは助かるのか?!」
「やったぜ!!逃げ切った後に龍二を殺さねぇとな!!」
「声が大きい。バレる」
「おっといけねぇいけねぇ」
地獄のそこに居たと思えば、突如として天から垂らされた蜘蛛の糸。砂糖よりも甘いその囁きは、彼らの思考を停止させて蜘蛛の糸に縋りつかせる。
それもそうだろう。死を待つのみと思っていたら、そこに一筋の光が見えたのだ。
死の恐怖を知った今なら尚、その光の中に飛び込みたくなる。
例えこの光が炎であろうとも。
「大丈夫なのかい?随分ときな臭く感じるが........」
静かに騒ぐ3人の横で、耳打ちするように愚者の友人が囁く。
彼もそこまで馬鹿ではない。上手い話には裏があると踏んでいるのだ。
「信用はできない。が、俺達がここから出るのはこの手段しかない。最悪、折を見て逃げ出そう。私とお前ならできるだろう?」
「俺の闇の力を使えば容易いとも。3人は見捨てるのか?」
「状況次第だな」
コソコソと話す2人の会話は、誰の耳にも入ることは無買った。
「では行きましょう。静かになるべく足音を消してください。今や神聖皇国は貴方がたの敵です」
こうして、彼らは神聖皇国の地下牢から脱出した。
しかし、その手引きが全て仕組まれていた事だとは誰も気づかない。
疑いはしたものの、それしか手段がないと割り切っていた彼らもまた、手のひらの上で転がされているのだから。
━━━━━━━━━━━━━━━
神聖皇国の地下牢から逃げ出す五人を見て、上手く大聖堂に紛れ込んだ魔女は静かに微笑む。
「ようやくですね。ここからは上手くやらねば、面倒になりますし。宝物も完璧では無いのが困ったものです」
静かに独り言を呟くと、魔女は風に乗って消えていく。
そこに残されたものは何も無く、魔女の気配を感じ取った者は少ない。
━━━━━━━━━━━━━━━
「脱獄成功です」
「よろしい。では引き続き頼むぞ。失敗は許されん」
「了解しました」
神聖皇国の大聖堂。その一室で、教皇は無事に作戦が動き始めたことにひとまずは安堵する。
「私の代で正教会国との戦争は終わらせる。過去の因縁に決着をつけようぞ」
2000年以上も続いた正教会国との睨み合い。時として戦争した事もあったが、どれもがその国を滅ぼす決定だとはならなかった。
「罪なき人には悪いが、ここで全て消えてもらう。それが例え力を持たぬ女子供でもな」
反乱の目すらも摘むつもりで、教皇はこの戦争に望む。
それが人類の秀では世界の繁栄だと信じて。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます