【A視点】ルーキーポリス・ホリデー(前編)
・SideA
1ヶ月の特別教養期間が終わって、ようやく外部との連絡が許された。
女子寮にひとつだけ設置されている公衆電話には、私を含め10人ほどの女性巡査が並んでいる。
入校時はその倍はいたのに。
厳しい訓練と指導に耐えきれず、このひと月で男女合わせてかなりの数の脱落者を目にした。
こっそり持ち込んだスマートフォンがガサ入れで発覚し、退学に追い込まれた人もいたらしい。
持ち物紛失をきっかけに辞めた人もいる。(連帯責任である以上全員で毎日探さなければならないため)
情報流失の危険を考えれば妥当な処置だろう。
「うん……大丈夫だから。もう少し頑張ってみるね」
列の先頭、受話器を耳に当てている女子の声はかすれている。
親らしき人と話しているようで、途中から鼻を鳴らす音が混じるようになった。
スマートフォンを取り上げられ。外部との連絡を遮断された閉鎖空間のなかで、心身ともに鍛え上げなくてはならないことは分かっていても。
規律に縛られ抑圧される日々というのは、過酷なことこの上ない。
女子の涙声に釣られて、何名かが鼻をすすったりハンカチで目元を押さえる仕草が見られるようになってきた。
やっと、電話口で親しい人に近況を伝えられる日がやってきたのだ。感極まるのも痛いほど分かる。
本音を言えば、私も目頭が熱くなりかけていた。
いくら覚悟ができたつもりでも、教室と教場の厳しさは比較にならない。
毎日大声で律される精神的負担は、想像以上に堪えるものがあった。
現場はこれより理不尽だよと教官から聞くたび、やっていけるのかと不安の二文字がよぎったことも一度や二度ではない。
だが、今日の電話の相手は恋人の予定だ。
弱気な姿勢をさらして心配にさせてはならない。毎日の訓練で枯れてしまった声帯だけはどうしようもないが。
あの出発の日、絶対に投げ出さないと堅く誓った。
彼女は信じて待ってくれているのだ。
それに応えて一人前の姿になって、迎えに行く使命を果たさなくてはならない。
「はい、使っていいよ」
「ありがとう」
ようやく順番が回ってきて、なるべく明るい調子を努めるように深呼吸を繰り返して。
そっと、期待に震える指で懐かしき番号につながるボタンを押す。
『もしもし』
1コールで心へと放たれた、久方ぶりの愛しい声が私を迎えた。
「…………」
短い至福のひとときが終わって、静かに受話器を置く。
さっきまでの上ずった気持ちが波のように引いていく代わりに、どっと汗が額に打ち寄せられていく。
文字通り、顔から火が出る勢いで。
いくら久しぶりの電話だからって。後ろに人が並んでいる状況で、堂々と惚気けるなどと。
受話器を耳に当てている途中は、周囲の喧騒が五感から遮断されていた。
彼女の声しか拾えない、無の世界に飛び込んだような錯覚に陥っていた。
それほどまでに、心の大部分を占めていた恋人と離れたぶんの喪失感は大きかったのか。
たった数分間会話を交わしただけで、沈殿していたネガティブな感情が霧散して弾む温かさが代わりに住まわっている。
他者から授かる愛というのは、心の薬だと思う。
真っ赤に染まる顔を隠すように猫背になって、『次、どうぞ』とかすれた声を後続の人に声をかける。
ちらっと目にした先頭の女子は、呆気にとられたかのようにまばたきを繰り返していた。
何か聞きたそうに私を目で追って、順番待ちだったことに気づいたのか機械的な動作で受話器を手にする。
「ひゅー」
やるねえ、と列のどこかで口笛が上がった。
冷やかしの一声に連鎖して、『君彼氏いたんだ?』と好奇の目と意外そうな視線がずらりと放たれる。
初任科生は化粧も原則禁止(というよりする時間がない)のため、素の私しか知らない人間からすれば衝撃を受けるのも当然か。
「なになにー、あつあつじゃん」
列から離れて缶コーヒーを呷っていた一人の女子が、足早に立ち去ろうとする私の横に並ぶ。
他の女子の電話が終わるのを待っている様子だったのに、着いてきて大丈夫なのだろうか。
「ただの野次馬。みんななに話すんだろうって思って、聞き耳立ててただけ」
面倒な人に捕まってしまった。
「そちらはしないのか?」
「土日するからいーわ。こんだけ並んでたら時間全然足りないっての」
女子は質問の返事はそこそこに、彼氏どんな人? と好奇心たっぷりの目で探りを入れてきた。
距離感が近いところがどことなくうちの母親に似ている。
困ったな。なんと答えようか。
「すごく……きれいな人」
「きれい?」
超イケメンってこと? とそぐわない表現に女子の軽快な調子がつっかえる。
安易にカミングアウトできる場面でないことは分かっていたが、性別を誤魔化すようなことも抵抗があった。
なので、曖昧な表現へと逃げる。
「自分とでは月とすっぽんくらい」
「ふうん。なかなか隅に置けないね」
女子はそれ以上は追求せず、話題を変えた。
話し好きでも節度は弁えてくれる人柄にほっと胸をなでおろす。
とりとめのない雑談を交わしながらそれぞれの部屋の前で解散して、入校後初となったガールズトークらしきものは幕を下ろした。
「え、GWどこも行かなかったってマジ?」
短いGWが過ぎ去ったある日のこと。
朝食中にGWの話題となり、自主勉強を選択したと告げると正面に座る男子から驚愕の声が上がった。
校内恋愛は固く禁じられているため異性同士は下手に近づけないが、こうした共有フロアでの会話は認められている。
「どのみち、実家は県外で帰れなかったから」
平日も自習時間はわずか1時間と定められており、これでは暗記の天才でもなければ身につくはずがない。
「そうだけど息詰まらん? 延灯許可願いを出せば深夜までできんだし」
「夜更かしは苦手なんだ」
「でも、1日くらいはいいじゃないの。だいいち彼氏が寂しがるよ」
あの電話の一件以降、何かと話すようになった女子が横から口を挟んできた。
相手がいることを堂々と明かされたことに呆気に取られる。
が、意外にも目の前の男子たちは真顔で鯖の塩焼きを口に運んでいる。
警察官ともなれば、浮いた話になっても動じないものなのだろうか。
「遠距離ってほんと、つなぎ止めとかないとあっちゅうまにさらわれるぜ。俺んとこなんかもう別れ切り出されたし」
「そりゃ、おめーが警察学校のなんたるかを説明してないのがあかんだろ」
「ひと月経てば会えると思ってたんだよ。だからほぼ毎日電話してたのに、そのために電車降りるの面倒だから控えてって怒られてさ。言う通りにしたら寂しいんで別れましょうとかありえなくね」
やはり、そういった事情もあるのか。
振られたばかりだという男子は苦い顔をして、恋愛との両立の難しさを教えてくれた。
会えないのであれば、こまめなやりとりを。会えるときには、目一杯の愛情表現を。
それでも最後は相手の信頼と忍耐力次第だと、肩を落とした男子から力なく告げられる。
「そーだよー。彼氏超イケメンなんでしょ? それじゃ競争率も半端ないでしょ。いっくら君にぞっこんかもしれないとはいえ、狙ってるやつらは星の数ほどいると思ったほうがいいよ。いろいろ溜まってるだろうし」
最後の台詞は余計だ。
「ほんとくそ真面目だなあ、お前。まあ苦手ならその分頑張るしか無いんだけどさ。昇進にも響くし、あんまり成績が悪いと外出もできないしで」
「どのみち赤点だったら強制的に土日勉強づくめだもんなー」
無理はすんなよと励ましの言葉を受けて、黙々と朝食を胃に収めることに集中する。
箸を機械的に動かしつつ、胸の奥に溜まり始めている淀みにちくりと痛みを覚える。
どれだけ、彼女に寂しい思いをさせているのだろう。
電話口では仕方ないねと軽い調子で受け流してくれたが、さらにひと月ほど待たねばならないと告げられた彼女の心境は、いかばかりであっただろう。
GW期間、彼女はどんな風に過ごしていたのだろうか。
インドア派であったから、一人寂しくTVを眺めていたのだろうか。
あるいは、見知らぬ誰かと気晴らしに出かけていたのだろうか。
そんな休みになってしまったのも、すべて己の実力不足にある。
相当な倍率の採用試験をくぐり抜けた身であっても、私は頭の出来は良い方ではない。
人の何倍も勉強して、ようやく平均点の位置に並び立てるのだ。
受験戦争も試験勉強も、ずっと常日頃からの自主勉強で乗り越えてきた。
国民の税金を投じ鍛えられている段階の今であっては、なおさら。
彼らを護るため、中途半端な姿勢では卒業すら許されない。
そのためにはプライベートを犠牲にしてまで、繰り返し脳に叩き込む必要があった。少なくとも私の場合は。
ここでは術科訓練も入ってくるから、さらに日々のトレーニングも気が抜けない現状にあった。
だけどそんな個人の事情など、恋人には知るよしもない。
パートナーの優しさに甘え何も与えていなければ、いずれ愛想を尽かされる。
彼女のいない人生など、想像したくもない。
共にある理想の未来を叶え続けるのであれば、男子の言う通り定期的なコミュニケーションが必須なのだ。
素行、学業、恋愛事情。
3つのわらじを履くことを決意してからひと月後、運命の中間試験が訪れた。
試験結果については上々と言ったところ。
そもそもこの日のために先月から入念に対策を練っていたのだから、赤点では目も当てられない。すべての努力が水の泡だ。
さて、次なる課題は。
長らく待たせてしまった恋人と、初めて過ごす休日となる。
外出許可が認められているとあっても、手続きは面倒だ。
住所を記載した書面を提出のうえ、着いたら学校に連絡する必要がある。
ここでも集団行動となるため、学習室のメンバー全員で外出後、門限までに帰寮せねばならない。
一人でも欠ければ、連帯責任で教場全員に外出禁止令が出される。
警察組織に属しているのに出所したかのようだ。
「そんじゃ。仲睦まじい時間をお過ごしくださいませ」
「ああ。そちらも良い一日を」
ともに闘ってきた仲間に手を振って、入校してからおよそふた月半ぶりとなる外の世界へ私たちは歩み出た。
久々の娑婆の空気はすっかり夏のものに姿を変えており、まとわりつく風がぬるい。そして暑い。
曇り空の6月とはいえ、スーツの己の身には十分な熱気だ。
『そろそろ電車乗る』
『りょ 着いたらまた連絡して』
彼女のLINEへとメッセージを送信し、道路のあちこちに浮かぶ水たまりを突っ切って最寄り駅を目指す。
紫陽花、ラベンダー、垣根に絡まるクチナシの花弁。
あらゆる夏の象徴が、歩くたびに出迎えてくれる。もう、そんな季節なのか。
さて。時間は限られているがその分悔いのない一日を過ごそう。
彼女からのとある報告が脳内にぶり返して、晴れやかな気分に陰りを覚える。
振り払うように、私は歩を進めた。
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