【A視点】裸のお付き合い?(後編)
続・SideA
「天然温泉だって。こんな駅近で掘り当てたとかすごいね」
施設前の立て札を眺めて、彼女は興味深そうに顔を上げた。
行儀よく植えられた椿と松と梅、竹の垣根、サザンカの生け垣をぐるりと見渡して『あんたこういうの好きでしょ?』と得意げな視線を投げてくる。
駅周辺はけっこう朝のランニングで通っているはずなのだが、温泉にはとんと入らないせいだろう。
まさかこういった入浴施設が建っていたとは、気にも止めていなかった。
田園を切り開いて作ったためか見晴らしはよく、駐車場も広い。
休日だからか、かなりの数の車が駐まっている。
入り口には瓦屋根の門が出迎えてくれるのも、和の風流といえよう。
くぐるとゆるやかに店まで続く石畳の坂道、左右の丁寧に剪定された植え込みの笹葉が目を癒してくれる。
なんだかんだで、私は古風の景色に心が浮き立つのを感じていた。
もしやそれも想定して、彼女は提案してくれたのだろうか。
少し年季の入ったのれんをくぐって、私達は館内へと入った。
中は独特の香りが立ち込めていた。
入浴剤ほど鋭さはないが、ほのかに漂う芳しさが安らぎをもたらしてくれる。
一階の雑談スペースは家族連れやお年寄りの客で賑わっており、壁際に設置された薄型テレビからは何も聞き取れない。
観ている人は字幕で内容を追っているようだった。
みんな顔を火照らせていて、姿勢もどこか緩んでいる。
こういった和やかな雰囲気は、入浴後だからこそ出せるものなのだろう。
「さすが温泉。天然の床暖房だわ」
足裏に感じる温みを踏みしめて、受付へと向かう。
最低賃金の引き上げと増税により、カウンターには価格改定表がぶら下がっていた。
土日祝日料金も重なり、ひとっ風呂浴びるのに千円近くするのは気軽には行きづらい金額である。
今日は懐を気にする必要がないとはいえ。
さて手続きを済ませて、脱衣所に入るなり私は隅のロッカーに身を寄せた。
角は大抵取られているものだが、運良く空いている場所があって助かった。
「おう、そんなこそこそ着替えることかい」
隠れるようにして素早く向かった私に、彼女がおいおいと苦笑いを浮かべる。
「……見られるのが恥ずかしいんだ」
ラップタオルを取り出しつつ、私は正直に言った。
実際、修学旅行でも生理中だと嘘を吐いて部屋の浴室で済ませたほどである。
みんな、赤の他人に裸体を晒すのが恥ずかしくないのか。
それが同級生となれば、余計に意識してしまう。
なぜ生まれたままの姿で堂々と談笑できるのであろうか。
「うん。だからここ、湯浴み着で入浴できるよ」
あっけらかんと言い放った彼女の言葉に拍子抜けする。
どうやら手術痕を気にする人や、他人の前で裸になる習慣がない海外客、私のような人前で脱ぐことを恥ずかしがる人の需要を受けて取り入れたらしい。
受付付近で販売しているとのこと。
私は先に行ってていいよと残して、すぐに買いにいった。
脱衣中の場面を見るのも見られるのも抵抗があるためだ。
そこまではよかった。
「その格好でもまだ恥ずかしい?」
かけ湯を浴び、またしても洗い場の隅っこの席を陣取る私の隣に彼女が歩いてきた。
一糸まとわぬ姿で。
写真集のモデルに見劣りせぬ美貌をもつ、それも恋人の裸体。
直視できるはずがない。
恐れ多すぎて、己ごときが見てはいけないという気後れの動悸が胸を忙しなく打ち鳴らしている。
「……逆に、お前は恥ずかしくないのか」
文化祭後の騒動でも語ってくれたように、彼女は同性だからといって過剰なスキンシップは好まない。
それは恋人の私に対しても同様であり、ボディータッチは基本的に控えめである。
親しき仲にも礼儀あり。節度はわきまえるお人柄なのである。
なので裸身になることも好まない傾向にあると思ったのだが。
「うちらこういう仲だし。べつに」
初めて、私は恋人のわかりあえない部分を見た。
だからこそ、ではないのか。
「大丈夫だよ。ムダ毛処理はばっちりだから。脇もVラインもつるつるよ」
具体的に言わなくていい。
最近放置気味で繁茂中にある己の事情を思い出して、余計に羞恥が増してくる。
湯浴み着があって本当に助かった。
黙々とお互い洗髪に集中する。
浴室内には、有圧換気扇のプロペラ音とタイルを打ち鳴らすシャワーの音だけが反響している。
私と彼女では、髪の長さも量も手入れにかかる時間も段違いだ。
私が身体の泡を流している頃でも、まだ彼女は持参したシャンプーを泡立て地肌のマッサージ中といったところ。
次の人がつかえたら悪いので、私は一言入れて近くの内風呂に浸かることにした。
壁に掲示されている案内板には『日替わり風呂』とある。
ちなみに今日は柚子風呂らしい。
確かに、それらしき果実の爽やかさは感じ取れないこともない。
「首まで浸かってるとのぼせますぜー」
入れ代わり立ち代わり上がっていく中、ようやく彼女が身を沈めにきた。
しばし温泉の雰囲気と立ち上る香りに耽っていた私は、ぼんやりと隣に浸かる彼女を見やる。
一瞬で頭の中の霧が晴れた。
「どしたー?」
私は思い切り背を向けてしまった。
至近距離で裸の恋人がいるという状況に、平静が保てなくなっていた。
上気して色づいた頬。憂いを帯びた瞳。けぶる長いまつ毛。しっとりと艶めく唇。
髪を結い上げられてあらわになった、滑らかなうなじ。発光しているのかと錯覚するほどの、まばゆい美肌。
綺麗、が突き抜けて艶かしい、へと移り変わった彼女はあまりにも鮮烈な姿で、視界に入れることができない。
目を凝らすと、たまに他の女性客が彼女に注目しているのが目線で分かる。
否応無しに惹きつけてしまう魅惑に気づいていないとは。
ゆだったの? と心配そうに肩を掴む彼女に、私は熱がこもってるので外に行きたいと促す。
ある意味嘘はついていない。
素早く湯船から上がると、私は先陣を切って露天風呂へと移動した。
「で、どこ行く?」
「ここでいいかな」
私は一人が浸かれる程度の、丸く小さな浴槽がいくつも点在している箇所を指し示した。
いわゆる五右衛門風呂である。
数十センチほど顔を出した、深々と埋まる湯船に体を沈める造りとなっている。
入った人間も当然、肩から上程度しか露出することはない。
お湯自体もぬるめに設定されているらしく、今の私にはうってつけのお風呂といえた。
ここへ訪れてからほとんど目を合わせていない己の態度を失敬に思うが、かといって意識するなと言われても無理な話である。
隣同士で空いていたので、互いに浸かる。
「……わ、悪い。必要以上に動揺してしまって」
向かい合っている今も焦点を合わせることができず、微妙に逸らしつつ私は告げる。
「うん、べつにそれは構わんけど。無理に誘わないほうがよかった?」
「そ、そういうわけじゃない」
あわてて弁明したが、彼女の視点で考えれば私が(意識しすぎて)楽しめていないと映ってしまうのもやむなしであろう。
自分が強行してしまったと、内心後悔しているかも知れない。
「きれい、いや、色っぽい……から。すごく。まともに見られない、だけだ」
私は正直に打ち明けた。
あうあう声を絞り出す私に、視界の端の彼女はくすりと笑みをこぼす。
「あんたは男子中学生か」
「……そう思われても仕方がない」
「ま、いいけどさ。ちゃんと女として意識してくれてるってことだし」
もっと見てもいいのよー、とからかうように彼女が後頭部で両手を組む。
羨ましいほどに細く引き締まった二の腕が現れて、丁寧に剃られた脇の下に目がいって、それ以上私は見つめることができず下を向く。
水面に、化粧を落としたみすぼらしい己の素顔がゆらめく。
視線のやり場がなくなってしまった。
思わず余計なことを考えてしまう。
彼女はいつもと変わらず、接してくれているということは。
私のことは、何も意識していないということなのだろうか。
自分が女としての魅力なぞ微塵もないことは重々承知だが、一人空回りしている現状に複雑な想いが募っていく。
……だめだ、振り払おう。
そういう目で見るために、ここに来たわけではないのだから。
見てごらんよ、と彼女が空を指すので浴槽に頭を預ける。
切り取られた夕闇の空に伸びる、煌びやかな枝葉が飛び込んできた。
紅葉の木だ。
「やっとこの時期に色づくんだねえ。京都とか今すごいっけ」
ところどころ黄色の絵の具をにじませたような、真っ赤に燃え盛る葉は今の空によく映える。
湯けむりに包まれて、鮮やかに色づく木々を眺めていると。
さっきまでのよこしまな感情が浄化されていく気すら感じた。
まもなく11月も終わりを告げて、本格的な冬へと到来する。
それに呼応して、落葉寸前に紅へと身を染めて散りゆく時を待つ様は儚い。
だからこそ美しく感じるのかもしれない。
「9月はお月見で、10月はハロウィン系ならさ。それまで秋の象徴だった紅葉やどんぐりとかは11月のシンボルに指定してもいいんじゃないかと思うんだよ。ちょうどこの時期が見頃なんだし」
11月が不遇の月にあるということを、未だに彼女は気にしているのであろうか。
発言に同意すると。
「なんか、いちばん日本の秋って感じるんだよねえ。11月って。9月はもう実質夏だし、10月もたまに暑いし」
「……秋、好きなのか?」
なんとなくそう思ったので聞いてみると。
「うん。好きだよ。ご飯美味しいし、過ごしやすい季節だから」
「そうか」
付き合ってからのデートを思い返してみると、秋と重なっていたこともあったが自然をめぐる散策が多かった気がした。
温暖化が進む現在では暑さと寒さに1年が塗りつぶされ、春や秋物の衣類が売れなくなっている現状。
特に秋は、秋らしい気候を感じることも少ないまま冬へと移行する年が増えてきたと思う。
自然だけが、自然のままに空気を読んで四季を彩ってくれている。
それを肌で実感したくて、彼女はどこぞの童謡のごとく小さい秋を見つけに出かけていたのかもしれない。
その後は香り高いひのき風呂や疲れをほぐすジェットバスを周り、一通りの露天風呂を満喫したので上がることにした。
着替える私に配慮したのか、彼女は内風呂をまためぐるので先に上がってていいよと言ってくれた。
そこまではよかったのだが。
「…………」
「だから首まで浸かるなゆーたやんけ」
着替えて、2階の食事処へ向かおうとしたタイミングで私は立ちくらみを起こした。
肩から急に力が抜けて、ふらふらと手すりにしがみつく。
体中に燻った火照りが抜けず、じわじわと体力を搾り取っていくような倦怠感に肉体が支配されている。
見事に私はのぼせていた。
というか、私より長風呂だった彼女がまるっきり平気なのはどういうことなのか。
「気持ち悪くない?」
「ない。少し休めば治る」
「先言っとくけど、お腹はまだ大丈夫だから。空いたら言ってね」
というわけで。
私はお休み処のさらに奥、茹だった者専用の座敷へと身体を横たえていた。
そば殻の枕に頭を置いていたはずなのだが、気がつくと首の角度が高くなっていた。
い草の香りと、甘く嗅ぎ慣れた香りが鼻腔をくすぐる。
私の顔を覗き込むように、彼女がほいと買ってきたコーヒー牛乳のパックを差し出した。
「……何故膝枕?」
「他に誰もいないので」
「脚、しびれるぞ」
「寝てる横でスマホぽちぽちしてたら、なんか失礼じゃん」
「それこそ誰もいないのだから、気にする必要は」
「最初は寝てるあんたの横で正座してたんだけど、なんかおく○びとっぽい構図で笑えてきてさ」
いまいち、この人の笑いのツボはよく分からない。
化粧を落としている今は、決して綺麗とは言えない素肌が上から丸見えとなっているので気になってしまう。
「ごゆるりとおくつろぎくださいませー」
が、楽しそうに額を撫でている姿を見ると言葉が出なくなってしまった。
入浴後の彼女の手のひらはすべすべで、柔らかい指が這い回るたびに頭からふやけていくよう。
心地よい感触に、もう少しこのままでいたいという気持ちが強くなっていく。
今はこのひと時に身を委ねて、抱いてしまったふしだらな想いを拭い去ろう。
そう誓って、私は気持ちを逸らすべく彼女と取り留めのない会話を続けた。
だけど、後に知ることになる。
自覚してしまった感情は、もうリセットなど効かないという事実を。
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