番外編②
【B視点】いい婦妻の日ss
・SideB
あたしは夢を見ていた。
脳の大半は就寝中に休んでるから、夢って気づくことはなかなかないんだけど。
これは何度も見ているやつだから、既視感に意識が半覚醒になってんだと思う。
行ったこともない砂浜にあたしは立っていた。
夢特有のぼやけた景色だから輪郭はつかみづらいけど、それでも海辺にいるってことだけは分かる。見たことがある場所だから。
とある楽曲のMVが印象に残りすぎて、そこの風景を中途半端に再現した空間なのだ。ここは。
それくらい、あたしの脳内には鮮烈に刻まれてしまってるんだろうね。
太陽が水平線へと沈んでいって、金色に染まりつつある空の下。
潮風に長い髪と白いワンピースをなびかせて、あたしは波打ち際を裸足で歩いている。
西日に当たる肌にちりちり、眩しさと熱を感じる。
寄せては返すさざ波に、夕日が反射して海面が黄金の輝きにゆらめいている。
照らす陽に向かって一直線に伸びる、まばゆい海の道を眺めながら歩きつづけていると。
やがて、誰もいないと思っていた渚に人の気配を感じるようになる。
はるか先に、海辺に近づいてくる人の姿。
黄昏時だからほとんどシルエットでしか視認できないけど、誰がそこにいるかは分かっている。
あいつに来て欲しいと、あたしが無意識に呼び出したから。
好きな曲。好きな景色。そして好きな人。
潜在的な願望が、この夢にはすべて反映されている。
あいつの影は、波打ち際でぴたりと足を止める。
まるで背景の一部と同化するように、背を向けたまま微動だにしない。
あたしが近づくまで待っているように。
そうじゃないのは何度も見てきたから知っている。
手を伸ばして掴もうとした瞬間に、夢が途切れてしまうからだ。
この恋は叶うことがないと。現実であたしが決めつけてしまっているから。
手を取って、共に進むことはできない。
だけど、恋人になった今であれば?
夢の続きを、見ることはできるか?
でも、そんな無粋なことはしない。ここはあたしの好きで創られた世界だ。
下手に改変すれば、もう来れなくなってしまうかもしれないから。
だから、あたしはいつも通りあいつの傍まで近づくと。
隣に並ぶように、その場にたたずむ。
仮初めの、二人だけの世界。
日が暮れればかき消えてしまう、はかなくわずかな間。
これまでは胸を刺すだけの苦しい時間だったけど、今は違う。
目が覚めれば、至福の日々が待っているのだから。
幸せなひとときだと思えるようになった夢の世界で。
あたしはずっと、あいつの隣で静かな潮騒に耳を澄ませていた。
「…………」
セットしておいた、スマホのアラームに起こされる。
隣のあいつを起こさないように、あたしは手早く音を切った。
朝なんだけど、まだこの時間帯は薄暗いなー。
そうだ、今日一日はあいつの代わりに手料理を振る舞う約束だったんだ。
わざわざシフトにも休みの希望を入れて、朝からにしたかったんで仕事帰りにそのまま泊まっていって。
体を起こして、あっという間に奪われていくぬくもりにあたしは身体を縮こまらせた。
うう、もう11月だからさすがに朝は冷えるわ。
まだ吐いた息が白くないことにうへーとなる。これより寒い日が待ってるなんて。
体温のこもったおふとんにもぞもぞ帰りたくなるのを、あたしはぐっとこらえた。
ぐぐっと組んだ両腕を天井へと伸ばす。
きっと、世の奥様方もこんな感じなのかな?
たった一日だけど、新婚さんみたいな気分に口元がほころんでいく。
さ、やりますか。
あいつの朝は早い。
たぶんこの後30分も経たないうちに起きて、朝ランに出発するはずだから。毎日の予定なんだって。
あたしはあくびを噛み殺しながら着替えに取り掛かった。
朝ってほんと、マッハで時間が溶けていくからね。
「ただいま」
「おかえり」
ひとっ走りしたあいつが帰ってきた。
朝ラン後はできるだけ30分以内に食事を取ったほうがいいということで、帰るタイミングに合わせてあたしは食卓にご飯を並べ始めていた。
米かパンか。
聞いたところ、予想通り前者と返ってきたのできっちりお米も炊いて。
実家にいたとき以来だなあ。こうしてちゃんとした時間にご飯食べるのって。
「……込んでる」
あいつが驚きの声を上げた。
一汁三菜みたいに気合い入れなくてもいいよと言われたけど、毎日ならきついけど、今日は特別だから。
ご飯。小松菜たっぷりの味噌汁。大根おろし付きの塩ジャケ。おつけもの。
使っていい食材の中から、朝ごはんっぽいものをセレクトして作ってみた。
うちでは毎日お母さんがこんな感じのご飯作ってて、あたしはその手間隙も知らずにばくばく食ってたんだよなー。
今になって親の苦労が身にしみてくる。
毎日お弁当ありがとうって言いつつ、休日は食事当番を請け負う父さんの気持ちがやっと分かったわ。
「いただきます」
あいつと向かい合って手を合わせて、箸をつける。
「味の好みとかあったら言ってね」
味噌汁のお椀に口をつけたあいつを、どきどきしながら見つめていると。
「……うん。ちょうどいい」
「いぇい」
あたしはちょっと大げさに喜びを表した。
続けて飲んでいるので、お世辞ではないっぽい。出汁パック買っといてよかった。
「実家に戻ったみたいだ」
「あたしもそう思う」
一人暮らししてからこういうの、しみじみくるんだよねー。
「ご飯のかたさはどや?」
「少し固めのものが好きだから、これでいい」
「よし。一致。気が合うね」
「白状すると、どちらが好きってことはなかったんだが親戚の家で出てくるご飯は柔らかすぎて、その、な」
「わかるわー。年取ると柔らかくないと食べないのかな」
ちなみに、うちは両親ともども柔らかいご飯が好き。
たまに粒がくずれたべちゃつき白米とか出ると泣きたくなるけど、好みがあるからしゃーない。
そういう日はお茶漬けにしてごまかすのだ。
「ごちそうさまでした」
食べ終わるのを待って、二人で片付け始める。
空の食器だけが残されると達成感が湧いてくるよね。
ジャーにはまだご飯が半分以上残ってるけど、こっちは夕飯用。保温にするのを忘れずに。
洗い物はあいつがやってくれるということで、お言葉に甘える。
代わりにあたしは洗濯物を干してくることにした。
あ、下着類は自分でやるからってことで上着とパジャマだけね。
「今日のご予定は?」
一通りの朝の支度が終わって、歯磨きを終えたあいつへ尋ねると。
「ウォーキング……いや散歩に行くか」
「丸一日ステイホームでもいいけど」
あたしは横でずっとアプリの漫画読んでるから。おうちデートも嫌いじゃない。
「一緒にどこかへ行きたい気分になった」
「おやおや」
それでお散歩ってことは、なるべくお金がかからないデートを選んでくれてるのかな。
「じゃ、のんびり行こう。天気もいいしね」
そんなわけで、いつものジョギングコース周辺を一通りぐるっと歩き周ることにした。
商店街はもう気が早いものでクリスマスムード一色だけど、河川敷や公園では天然の秋が迎えてくれる。
桜はもう葉が9割方落ちて、新芽となるぼこぼこがむき出しになった枝が伸びている。
イチョウは今が見頃。
真っ黄色に色づいて満開のごとく覆い茂っている様は、通りすがりの人がスマホを構えるほどだ。
あ、転がった銀杏は踏まないように。
文字通りの鼻つまみ者になるので。
公園の花壇には、モ○ゾーの色違いみたいなもふもふに固まった真っ赤な庭木が植えられていた。
立て札にはコキアと書かれている。
てか、紅葉前はまじでモ○ゾーじゃんこれ。
意外なとこでは、ご家庭の柵にツルを絡めて花開く西洋アサガオかな。
朝顔なのにこの品種は秋に咲くんだね。探すとあちこちで見かけるし。
「いいねえ。れっきとした秋だねえ」
偶然見つけた石焼き芋店に並んで、二人揃ってほかほかのサツマイモを頬張る。
うん、昔はあんまり良さが分かんなかったんだけど今の焼き芋って美味しいね。
蜜がびっちり詰まってて、ねっとりしてて、甘みがすごい。香りもそそる。
「…………」
あいつは無言でもくもく齧っている。
夢中になるほど美味しかったのはいいけど、そんながっつくと喉に詰まりますぜ。
「何年かぶりだけど、たまにはいいものだな」
あっという間にぺろっと平らげて、あいつは満足そうに持参してきたお茶を啜った。
「小さいときは丸ごといっことか無理だったなあ。切って親と食べてたわ」
「ああ、確かに」
「イモ焼くだけなら簡単じゃーん、って落ち葉集めて燃やして新聞紙でくるんだサツマイモぶちこんだことあったよ。結果はお察しだけど」
「……どうなったんだ?」
「炭のカタマリになりました」
あいつが背中を丸めて吹き出した。
む、意外とこういうので笑い取れるのか。
「カチンコチンで見る影もなかったけど、割るとうっすらイモっぽい表面は残っててね。水分全部飛んでたけどちゃんと焼き芋の味はしたよ」
まあ、ほとんど食べられるとこ残ってなかったけどね。
「マシュマロあたりにしておけば無難だったのに」
「君言うようになったねえ」
過ぎ去りつつある秋を満喫しつつ、あたしたちはまったり気分で散歩から帰宅した。
なんか芋が昼飯代わりになっちゃったので、お昼はトーストとカップスープで軽めに。
午後はお互い、別々にのんびりと。
レポート書いたり、筋トレやったり、再放送のドラマ観たり、買い物行ったり。
そうして布団と洗濯物取り込んでるうちに、陽はすぐに落ちてしまった。
5時に差し掛かる頃には、もう真っ暗。
冬に向かうこの時期は日照時間の短さもあって、一日を速く感じるよね。
「お腹空いてる?」
お昼あれだけだったし、まだ6時前だけどあたしはそれなりに空腹を覚えている。
「まあまあ」
あいつはそう言ったけど、あたしより筋トレしててエネルギーは使い果たしているだろうから、だいぶ空いてるはずだ。
じゃ作るからーと言って、あたしは手早く夕飯の準備に取り掛かった。
んー、朝は和食でいったからちょっと国籍を変えてみるかなあ。
あたしは得意料理に決めた。
得意といっても調理が簡単だから、自炊めんどいときに作りまくって覚えただけだけど。
そのために、さっきこれを買ったのだから。
「できたよー」
課題に取り掛かっているあいつに呼びかける。
やがてキッチンから運ばれてきたメニューにほう、と感心の声が上がった。
「天津飯?」
「ご名答」
あまり食べたことがないであろう料理名だ。
中華料理作れるってすごい、とあいつは褒めながらずっと料理をガン見している。
や、これ中華もどき料理だけどね。
「めちゃくちゃ簡単だよ。ご飯盛って焼いた卵かけて片栗粉とめんつゆとごま油の餡ぶっかけて、仕上げにカニカマ盛り付けるだけだし」
ほんとは彩りにグリンピース添えるんだけど、あたしは嫌いだから緑っぽい野菜を代わりに添えている。
今日は、朝茹でて残っていた小松菜があったのでそれをてっぺんに。
汁物は、夜用にちょっと多めに作っていた味噌汁が残っていたのでそれを温めて。
あとは主菜の味付けが濃いので、箸休めにほうれん草の胡麻和えを。
「……美味しい」
レンゲで一口すくって、あいつが吐息まじりに感想を述べた。
そのまま他には目もくれず一心不乱にレンゲをかちゃかちゃ動かしてるもんだから、気分はまるで子供の好物を引き当てたお母さんだ。
「気に入ったみたいだね」
「実は初めて食べた」
「……まじか」
確かに、この子中華料理屋とか行くイメージないけどさ。
卵がふわふわで本当に美味しい、と料理上手なあいつからお墨付きをもらったのであたしはほくほく顔でいた。卵料理好きなのかな?
「そんなに気に入ったのなら、またいつか作ってあげようか?」
「是非」
そんな身を乗り出して言うことかな。食いつきぶりにちょっとビビったぜ。
「その気になったらリクエストしてね」
口約束じゃ、あたしが忘れてるかもしれないからね。
「やっぱり、いいな」
びっくりする速度で完食して、熱いお茶を啜ったあいつがぽつりと漏らす。
んー? と剥いた柿をつまみつつ続きを促すと。
「自分のために温かいご飯を作ってくれる人がいるということは。幸せだなと」
「一人暮らしするようになってわかるんだよねー」
買い物をしているとき、あたしはちらっと見てしまったのだ。
少し羨ましそうに、家族連れを目で追っているあいつの姿を。
今日みたいな休日は、特に寂しさを覚えていたのかな?
サ○エさん症候群とはよく言ったものだよね。
「お前は、いい奥さんになれるよ」
急にそんなことを真顔で言い出すもんだから、あたしはお茶がむせて咳き込んでしまった。
「そんなに驚くことか?」
むせながら、あたしは何とか返事をする。
「嫁ぎ先にお褒めいただけるとは光栄ですわ」
なんて、これは100パー本気だけどね。
重いと言われようが心に決めた人だから。
あいつはそこまで将来のビジョンは見えてなかったのか一気に赤面して、口元を押さえる。
自分がすごいことを言ってしまったと気づいたようで。
「……いつか、な」
「うん、いつかね」
「今から、長いな」
「きっと来るから」
互いに待ち望む未来を思い描いて、そっと小指を絡める。
まだ一緒には住めないけど、来週からはちょっと距離が縮まるんだ。
物理的に近づくその日を待ち遠しく思いつつ、あたしはあいつと食後の片付けに取り掛かった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます