第四章 お貴族様は大変だ
第128話 新製品発売
春祭りの話があちこちから聞こえてくる頃、蓄音器と新しいケースペンダントの発売日となった。
トリセアさんのお店はレンドルクス工房の直営店として、東・藍通り八番にオープンした。
小さい規模ではあるが、東市場の近くなのでとんでもなくいい立地である。
俺が頼んだ商品以外にも、レンドルクス工房自慢の硝子製品が並べられており、なかなか高級感溢れるラインナップ。
木工細工のマーレストさんの妹さん、レリータさんの一家がやっているお店でも同日から寄せ木細工の蓄音器・ケースペンダントが販売開始。
素朴ながらもしっかりした作りの木工製品や、細かい細工の家具などと一緒に並べられている。
南西・茜通り四番のお店は大きめの商店で、木工製品ならなんでも揃うというのがコンセプトらしい。
レリータさんは蓄音器をいたくお気に召されたようで、店の一番いい場所に置いてくれると言っていた。
そして双方の店には、それぞれの店へのご案内ポスターも貼ってもらったのである。
『石細工の蓄音器・身分証入れは東・藍通り八番へ』
『木工細工の蓄音器・身分証入れは南西・茜通り四番へ』
というご案内である。
ネームバリューと今までの実績で多くのお客さんが来るレリータさんの店と、新規店なれど東市場の近くで人通りがこの町一番であるレンドルクス工房直営店でのお知らせなら、どちらも宣伝効果は抜群といえる。
冬の間どちらの工房でもなかなかの量を作成していたこともあり、発売前の七日間くらいで、めちゃくちゃ沢山の魔法付与をする羽目になった。
しかし、どれもこれも素晴らしい仕上がりで、絶対に今までのコレクターにも、初めて手に取る方々にも、満足してもらえるに違いない。
……あれ? どちらの工房からも、これから毎日蓄音器とケースペンダント十個ずつできあがってくるんだよね?
あれ……? 俺、結構忙しいのでは?
まぁ……大丈夫だろう! 初めのうちだけだよ、うん。
いや、燈火の電池とショッパーも近々加わるんだよな?
あれれ……? 俺ってば、めっちゃ働き者じゃね?
……翻訳、だいたい終わらせておいて良かった……
そう、『至れるものの神典』の現代語訳は、なんとか一通り終わらせたのである。
大雪の降った先月は、流石にセインさんも来られなかったみたいだが、今月はきっと来るだろう。
しかし、セインさんにまだ全部は渡せない。
何度も精査した冒頭の十ページ分くらいを綺麗に清書して、渡せるようにしてあるだけだ。
訳していて古代文字の並べ方と現代語の語順が、どうもしっくり来ないところがいくつかあった。
日本語にしてしまうと何とも思わない古代文字の文章が、現代皇国語にするとなんだか違う意味に取られかねない語順になってしまうのだ。
だから、解釈違いが起きにくいように語順を整えるのだが、これがなかなか面倒なのである。
いちいちもって回った言い方をしている古代文には、どうやらその『並び』自体に意味があるものが存在するようなのだ。
それを訳してしまうと、全くその『並び』で現されるものが浮かび上がってこなくなるのだ。
そして、それはやはり『方陣』と『星』に関する記述に多く見られている。
今伝わっている二冊の神典に全く訳されていない箇所があるのは、きっと意味が通らなくて訳せなかった部分もあるのだろう。
それで『意味のない単語』とか『意味のない文字』と、されてしまったのかもしれない。
その『意味がない』箇所も、本当はちゃんと意味があると解っているものに関しては現代語を当て嵌めていっているので、その言葉で本当に正しく伝わるかの確認が必須なのである。
それでもどうしても訳せない単語もあるので、それはそのまま古代文字で書き込んである。現代語訳って、すっげー大変なんだな……
そんなことを考えつつ、俺は木工の専門店であるレリータさんのお店にやってきた。
もっと早く見に来ようと思っていたのに、結局発売日当日になってしまった……
ベルデラック工房に依頼するショッパーのできあがりは、早くても一ヶ月後くらいなので、それまでは俺が作って各店に渡す。
その袋も持って来ているから、ちょっと早めに来たつもりだったのだが……もう店を開ける準備をしていた。
「すみません、レリータさん! 遅れちゃいましたか?」
俺は慌てて走り寄ったが、まだ大丈夫よ、と笑ってくれた。
「新製品が多いからねぇ、春は。だからちょっと早めから準備するだけさ。開店時間は変わらないから」
レリータさんは『気っぷのいい女将さん』って雰囲気で、なんだか凄く頼りになる安心できる雰囲気の人だ。
「そうなんですね。じゃあ、蓄音器を買ってくれたら、ひとつずつこの袋に入れてあげてください」
「あらあら……綺麗な袋だねぇ。これだけでも売れるのに、いいのかい? ただであげちゃって」
「はい。壊したり傷つけたりしないで、持って帰って欲しいですから。蓄音器を買ったお客さんだけにあげてくださいね。でないと数が足りなくなっちゃうから」
こちらの店では基本的にお客さんが買い物用の袋を持ってくるのだが、蓄音器を他のものと同じ袋に入れられて壊れてしまったら……って、壊れないとは思うんだけどね。ちゃんと強化してあるからさ。
でも『贅沢品を買った』感として、ショッパーは有効だと思うんだよね。
特別なものだから、特別な扱いをする。
蓄音器は馴染みのないものだから、特別扱いをして『いいものを買ったんだぞ』と思って欲しいのである。
「そうだ、レリータさんは、どんな音楽が好きですか? 楽団に新しい音楽をお願いするんですけど、家でも聞きたい音楽ってありますか?」
レリータさんは、王都の演奏会に何度も行っている耳の肥えたお客様らしい。
トリティティスさんの楽団の演奏会でも、常連なのだとか。
「あら、嬉しい! そうねぇ……」
……と、教えてくれた曲名は、俺が全く知らないものばかりだった。
取りあえずメモして、トリティティスさんに渡すことにした。
楽団に演奏してもらえれば、知っている曲もあるのかも知れない。十六曲もあったので、順番に少しずつ作っていこう。
そして、俺は人目につかない場所から、東市場近くの雑木林に転移した。
公園内の雑木林で、ここも視線を遮るものが多いので転移にはいい場所だ。
さて、トリセアさんの店に向かおう。
「おはよう、トリセアさん」
「あら! おはよう、タクトくん! いよいよ今日からよ!」
「新規開店、おめでとうございます」
俺は硝子で作った造花のブーケを渡した。
実はでっかい花輪とか贈っちゃおうかと思ったのだが、こちらにはそんな風習はない。
悪目立ちしない方がいいと、テーブルに飾れる籠入りのブーケにしたのである。
「わぁ! ありがとうーっ! 凄く綺麗だわ!」
そう言って、すぐに店頭に飾ってくれた。
会計が出入り口近くにあって、中には硝子製品が並べられている。
蓄音器は会計の店内側、ケースペンダントは会計のすぐ隣の外側にあった。外から選べるようになっているわけだ。
「身分証入れだけ買っていく人が、結構多いのよ。集めているみたいね」
トリセアさんはタセリームさんの所でも売っていたから、コレクターがいることを知っていたんだな。
なるほど、店内に入れてしまうと狭い所で混雑してしまうからか。
それでケースペンダントだけが欲しい人は、店内に入らなくても会計できるようにしたんだな。
俺はトリセアさんにもさっきレリータさんにお願いしたように蓄音器を買った人にだけ、この袋に入れてあげて欲しいとショッパーを渡した。
「えっ! これ、ただであげちゃうの? 絶対に売れるわよ?」
「いいんだよ。これは蓄音器のための特別な入れ物なんだ。数も蓄音器の数しかないから、他に使ったりこれだけで売ったりしないでね」
「うっわー……これ、絶対に欲しがる人が出てくるわー……」
まあ、確かに便利なサイズのミニトートだけどね。量産できるようになったら考えるよ、単品売りは。
ベルデラック工房次第なので、約束はできないけどね。
「ねぇ、次からもう少し、タクトくんの意匠印、大きくしてよ」
「ええー……これくらいの方が良くない?」
「ううん、絶対にあと二回り……いえ、三回りは大きい方がいいわ! そうすれば他のものと間違えないし!」
あ、そうか、忙しい時に袋を間違えて入れてしまわないとも限らないということか。
硝子製品は割れやすいから、全部店の袋に入れて渡しているからな。
いちいち、小さい意匠を確かめるのが面倒な時もあるもんなぁ。
「解った……じゃあ、次からはもう少し大きくするよ」
「お願いねっ!」
俺としては【集約魔法】の指示を書き換えるだけなのでそんなに手間ではないんだけど、ベルデラックさんにも頼み直さなくちゃ。今まで作った分は……うちで使えばいいか。
そうだ、春祭りでお菓子をミニトートに詰め合わせたものを売ろうかな。
ふっふっふー、楽しくなってきたぞー!
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます