第8話
「う、ぐ」
逃げられない。シアラは唇を噛む。
なんでタイミングがいいんだ。なんで――。
(ええい、そんなことをいっていても話は始まらないッ)
もうここまで来たら出るしかなかった。
いりせにうなずくと、彼女は画面のスピーカーボタンを押した。シアラは唾を飲んでから、口を開いた。
「もしもし」
一瞬の間。
『こんにちは東儀シアラ。創楽の魔女ミリィの娘。私の名前は藤峰といいます』
携帯から聞こえたのは、低い男の声だった。
どこかで聞いたことがあるような――そんないたって普通の若そうな男の声。
彼の言葉の内容に、シアラは唾をのんだ。
(お母さまの二つ名を知ってるのか……)
魔女は独り立ちすると二つ名を持つ。
母の二つ名は魔女に通じているものでなければ、知る由もない。つまり、知っているということは、この藤峰なる人物がそれを知ることのできる立場ということになる。
「……私のことを監視していたというのは、本当みたい、ですね」
『そうです。貴女の母上が魔法少女を作ることをあきらめたことも、知っています。ゆえに私は貴方に何をするつもりもなかった。ただ、魔女は常に監視対象なので、担当しています。それだけです』
藤峰を名乗る男の言葉は続く。
『実を言ってしまえば、こちらに魔女の協力者がいないわけではないのです。しかし、彼女らは積極的ではないゆえに、静かに追わせていただいていました。しかし何ですね、魔道具を盗まれた、ですか。今回の件は、いりせも関わっているということですし、落ち度があった。魔女の魔道具の重要性はこちらも把握しています。全面的にサポートします。何しろ、バレてはいけないことは、あなただけではありませんので』
藤峰の笑う気配だけは感じ取れた。
『あなたは魔女とはいえ子どもです。大人と頼ってもいいと思いますよ』
「なんの話……?」
『貴方の生活や今後について、ですよ』
「……」
シアラは息を飲んだ。
『確かに魔女であれば、ごまかしはいくらでも効きます。戸籍も保険も、銀行の口座もない。魔女は流石ですね、極端なことをなさる。それでも大丈夫、ではあるのでしょう。――でも、貴方はこのままでいいんですか?』
「………」
いいわけない。
どこまで知られているのか、シアラは視線を携帯電話に向けたまま、眉を寄せた。
――シアラには戸籍も保険も銀行の口座も何もない。あるのは魔法と母から不定期に送られてくる現金の送金のみ。
今どき、マンションは引き落としで、手渡しでいいといってくれるところはあの安アパートしかなかった。保証人は魔法でごまかした。
それもステッキがあったからできた話だ。
今のシアラには何もない。ステッキがあったとしても――、ただの仮初に過ぎない。
シアラはここにいても、存在しない『人間』同然だ。人間ではなく、魔女だからそれでいいのかもしれない。シアラの母のような、本物の魔女なら確実にやっていける。でも、今のシアラ一人では不安が残るのは事実だった。だからこそ、こんな事態さっさと解決したかったというのに。
『貴方が、私たち調停者に協力する魔女になってくれるのであれば私たちはあなたのことをフォローします。お金も住処も、学校も。あぁ、そうそう、カラスが人間になってしまった件も、問題なくフォローできますよ。貴方さえ良ければ』
「……そんな、うまいはなしあるわけ」
『協力してくれれば、です。こちらにもメリットがある話なので、ご安心を。貴方が心配しているそれらを全て解決する力が私たちにはあるのです。今回のことは協力関係を作るにあたっての一つの試験と考えましょう。しばらく屋敷へ滞在してください。滞在中の対応は全ていりせにまかせてあります。必要なものがあればなんなりと彼女にお申し付けください』
それに、と男はつづけた。
『いりせから聞いた状況と、私の得ている情報を合わせると、貴方のステッキを奪った相手は危険度B――私たちの基準で人間だけで対応できるという存在です。なので、魔女であるあなたとその使い魔がいるのであれば十分対応可能かと』
「危険度?」
『はい。こちらでは対応した転移者案件をもとに基準を設けておりまして。まず下からⅮ、これがこの世界に転移した時点で命を落としかねない無害な存在。次にⅭ。これはこの世界に存在し続けることは可能だが、この世界に悪影響を及ぼすことは不可能な無害な存在。このⅮとⅭは転移者であり外来種とはいえ、転移者の常として一代きり。監視だけ行い、必要であれば保護程度です。人間一人で対応できる程度です』
「……」
『B、これが今回の転移者ですね。いるだけであれば、無害な存在として先ほどの二つと同じく、監視だけでかまわないのですが、彼らは物理的な力のみですが危ないことをすることができる。複数の人間が対応に必要になる可能性があります。話を聞く限り、人間並みの大きさで、行動も何か目的がある様子。ただ、力の発露や使用は見られなかったとのことですので、魔女と使い魔さえいれば、対応可能かと』
「ステッキ奪われた理由に検討は?」
『いくつかあります。まず、裏ルートに流す。これは金銭的な理由ですね。本物の魔女のステッキはマニア垂涎でしょうね。ただ、そのためのルートはこちらが抑えているので、もしそっちに流れた場合はこちらで対応できます』
「……」
ステッキがオークションに流れる――。魔女の名折れ、生き恥、そんな言葉がシアラの脳内を駆け巡る。
『あとは、どこかで魔女の存在を知り、魔女のステッキを使えば――『力』さえあれば、元の世界に戻ることができるかもしれない、という期待でしょうか。ただ、先ほどいったように、今回の対象のレベルはB。望んでも『力』をつかえるものではありません』
気のせいかもしれない。しかし。それは少し寂し気な声だった。
「……」
異世界からの転移者は、元の世界に戻ることができない。
いや、知らないだけでどこかでそんな方法はあるのかもしれない。しかし、それは確立されていない。
(本当は皆、自分の世界に帰りたいはずなのに)
頼れるものは何もない。常識も、物理的法則も、何もかも違う世界に突然やってきてしまう。そんなの想像しかできない。わかるのは苦しいだろう、つらいだろうという同情のみ。何ができるわけでもないのだ。
そんな魔女が狙われるのは、この世界では珍しく『力』を確実に内包し、それを長年の経験の上で、体系化しているからだ。
魔女はこの世界での生き方を知っている。この世界での魔法の使い方を知っている。しかし、そんな魔女も異世界転移について、解明することすらできていない。
(それさえできれば、この問題はすべて解決するようなものなのに)
一人前の魔女になることすらできていない自分に、そこまでのことはできないけれど、『もし』は考えてしまう。
「ちなみに、Aになるとどう変わるの?」
思いを断ち切るように、藤峰に言うと、すぐに返事が返ってきた。
『Aは簡単にいうと、あなた方。魔女の皆さんのような存在です』
「わ、わたしたち」
シアラは体を固くした。
『ええ。ただ、魔女の皆さんは外来種――転移者としてはもう何百年。下手すれば千年をも超える昔にこの世界に来ている存在。意思疎通もできるし、情報共有もできる。なので、監視のみ、直接の対応は何か問題があった時のみ行っております』
「……そうなると、逆に、Aは魔女みたいに魔法が使えるってことか」
『そうです。魔女の皆さんは『魔法』を使うことができる。そして、同じく異世界からの転移者の中にも『力』の概念を持ち、物理的対処だけでは対応できない存在がいます。そういう存在はさすがに数がいないので、調停するときは大掛かりなものになります。魔女の方々と同じように互いに相互理解が進めば、苦労はないのですが、なかなか難しいですね』
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