第4章 神童と怪童と……悪童

第35話 迷宮へ招かれて

 迷宮の入口を守っている門番は、俺を見て一度だけ腰を落として構えたものの、俺の背後を見て、肩の力を抜いた……。

 足音はさっきから聞こえていたのだ、誰なのかは分かっていた。


「……本当に一緒にいくつもりかよ」


「兵士でもないあなたが、生身で、しかも単身で迷宮へいけば死ぬに決まっています……ここであなたを見送ることは、見殺しにしているのとなにが変わりますか?」


 アリンだ。


 彼女はぱんぱんに膨らんだカバンを俺に投げ、


「ユニフォームと暗視ゴーグルだけでは心許ないでしょう……、いえ、どれだけ準備をしても万全なんてありませんから……。

 荷が重くなるだけで、心許ないことは変わりありませんが……それでも」


 ゼロよりはマシだ、とでも言いたいのかもしれない。


「一緒にくるならお前が持てよ。

 荷が重いなら尚更だ、命綱が手枷になっていたら本末転倒な気がするぞ」


「私も同じ分量、持っていますし。それに迷宮へ同じタイミングで飛び込んだとしても、同じ場所に落ちるとは限らない……知っていますよね?」


 だったらついてくる意味もない気がするが……と思ったが、やはりゼロと一は違うのだ。

 たとえ違う場所へ落ちたとしても、合流が成功すれば生存率は上がる。


 ……アリンからすれば、見殺しにはしていない、というポーズが重要なのだろう。

 共に迷宮へ向かえば、手助けをしようとしたけどダメだった、と理由ができる。


 手を伸ばさなかったのと、手を伸ばしたけどダメだった――、

 結果は同じでも抱える罪の重さは違う。


「別に、知り合いを失うのは初めてじゃないだろ。兵士なら散々、見てきたはずだ――多くの人間を迷宮に殺されたはずじゃないのか? ……まだ慣れていないのか?」


「あなたは慣れましたか? 迷宮で失った『あの子』たちのことを」


 まるで見てきたかのように言う……――リッカ以前の、『怪童パートナー』たち。


 リッカほど長い関係を続けたわけではないが、それでもペアだった少女たちだ……、迷宮に奪われ、未だに再会が叶っていない……叶うことはないかもしれない。


 全てが俺のせいである、とは、客観的に見ていた者からすれば言わないだろうが……だが、指示を出したのは俺なのだ……。


 視覚が使える者と使えない者……怪童の独断専行が理由で迷宮に命を奪われたとしても、俺の指示が不適切だった、という理由もある……――罪悪感は、当然ある。


 失ったのは一人や二人じゃない……慣れるわけがないだろ。


「なら、一緒ですよ。

 いくらこの目で見ても――仲間が死ぬことには慣れません」


 慣れてはいけないと思っています……と。


 慣れたら終わりだな……そして。


 それに慣れてしまったのが、この時代の俺なのだ。


「……無理して俺を助けようとしなくていいからな? 行動を共にする、と言っても、チームじゃなく、ソロだ。仲間を助けて自分が死んでいたんじゃ意味がないだろ……。

 俺とお前、どっちが生きていた方が利益があるか――お前に決まってる」


「リッカなら、果たしてどっちと言うでしょうね」


「…………」


 即答できなかったのは、リッカから向けられる好意を自覚しているからか?

 それともアリンのことを想い、気を遣った結果だろうか……?


 リッカなら……と、その前提がつくだけで答えを即答することはできなかった。


 価値は人それぞれによって決まっていく。


 社会全体に利益を出せる人物が、必ずしも特定の誰かの中で価値が高い人物とは限らない。……仲間を殺した俺に、それでも価値を見出してくれる人は、いるのだ……。


 だからこそ、俺はその子のためであれば――命を差し出す覚悟がある。


「さあな」


「嘘ばっかり……分かってるくせに……」


 後ろでくすくすと笑うアリンを無視し、門番の前へ――。アリンの視線を受け、俺の進軍を止める素振りを見せなかった二人の門番の間を抜け、重たい鉄扉に軽く触れる。


「今、開けます」


「いや――その必要はなさそうだ」


 鉄扉の隙間から虹色の光が漏れている……やがて、その漏れ出ている虹色が大きくなっていき、内側から力が加わったように、鉄扉が開いていく――。


 まるで、迷宮側から、俺を招くようだった。


「……っ!? なぜ、扉が勝手に――」


「そうか……待ってる、か」


「――ッ、グリットさん! その手は、」



「アリン、お前の手はいらなさそうだ。……この荷物、助かったぜ――これがなかったらと思うと、急に戦場のど真ん中へ放り出されていたってことだ……ありがとな」


「いえ、私も一緒に!!」


「必要とされているのは俺だ……、この手がお前のことまで握るとは思えない」


 虹色の腕が伸び、その手が俺の手を掴んだ……小さな手だった。


 


 忘れもしない……望んだ手である。


「グリットさんッ!!」


「アリン。もう一度、ここへ戻ってこれる保証はねえ。偶然ならいいが、望んでこようとすれば必ず迷宮を通る。……命を懸けて会いにいくほどか? 元々俺は、この時代にはいなかった人間だ。……会いにくることを理由に死んだら、お前が一番、嫌がるだろ?」


 アリンの不安そうな顔を最後に……、


 この顔を笑顔にするのは、今の俺の役目じゃねえな。


「じゃあな、未来で会おうぜ」


 そして。


 虹色の腕が、俺の体を引きずり込んだ――。







 迷宮内。


 三つ首のドラゴンの群れに追いかけられたリッカ、サタヒコ――そして名を持たない銀髪の少女は、足を滑らせ滝の下に落下した……。


 だがそれが幸いし、追ってきていたドラゴンを撒くことに成功している。


 水流に乗って運ばれた三人は、すぽん、と横の穴から飛び出して通路に落下する。

 サタヒコ、リッカ、少女の順に積み重なり――、

「うえ」と声を漏らすサタヒコが、同時に口から水を吐き出した。


 ……迷宮の内部構造が変わった気配はなく、水流に乗って迷宮の別のエリアへ移動した、というわけでもなさそうだった……。ドラゴンの叫び声はまだここに届いている。


「……厄介な問題に巻き込みやがって……っ」


 犬のように首を左右に振って、髪から滴る水滴を振り落とす少女……。

 彼女はどうしてか、見えないはずの迷宮内で目が見えている……、サタヒコのように秘宝から得た技術で作られた『暗視ゴーグル』を使っているわけでもないのに、だ。


「ごめんね、えっと……」


 名前がないことに気づき、迷うリッカ……。名前は? と聞いても答えてくれないことは彼女の態度からも明らかだった……、なので銀髪、というヒントから名前を決める。


「ギンちゃん」


「それはオレのことか? ……似合わねえ『ちゃん』付けはやめろ。別に名前なんていらねえ……。名前を呼ばれるほど一緒にいる予定もねえんだ、もう放っておいてくれ」


「気に入らなかったの?」


「そうじゃねえ。そうじゃなくてだな――」


「じゃあ。『サクラ』」


 はあ? と少女が不機嫌に吠えた。


 サクラ……、『桜』がどういうものかは、分かっているようだ。


「……それこそ似合わねえ。オレにそんな名前が――」


「あたしが知る中で一番綺麗で、力強いと思う花の名前だよ。

 だから似合うと思ったんだけど……」


「強いは分かる、が……綺麗は分からねえ」


「その髪の色……綺麗だよ?」


「……ただの副作用だっつの」


 銀色だから桜じゃねえじゃん、とも。


 そこで彼女は、しまった、と舌打ちをした。

 自身の情報を与えてしまったことを悔やんだのだ……、知られて困ることではないが、一つでも情報を与えると、ぼろぼろと情報が出ていってしまいそうな気がしている……。

 リッカを相手にすると、口の締まりも悪い。


 乱暴に扱ってくれた方が対立できるのに……。

 この女は優しく接してくれている……、それが少女からすればやりにくかったのだ。


 怪物でもなければ人間でもない彼女リッカのことを、気になっているのは事実だった。


 彼女は――リッカは、なんなんだ……?

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