第11話 ジルという青年

「熱があります。私の心配なんてしてる場合ではないですよ、陛下。なのにさっきは髪もきちんと乾かさないで……」

 

 私は陛下に熱があると確信した。サーシャが子供の頃に熱を出していたときとそっくりだ。具合が悪いのを隠そうとするところも。


「それは、あんまり遅くなってサーシャを訪ねるのは悪いかと急いだから」

「髪を乾かさないと冷えますし、髪も傷むのですよ。それはともかく、陛下はもうお休みになって下さい」


 私はジルを呼びに部屋を出る。廊下に椅子を置き、本を読んでいたジルが驚いた様子で立ち上がった。


「お早いですね? 今夜の語らいはもう終わりですか?」

「陛下が熱を出しているようです。陛下の寝室にお連れしないと」

「え?!」



 慌てふためくジルと一緒に、私は陛下の寝室まで同行した。陛下の寝室があるこの翡翠宮には、侍医が常にいるので一応診てもらった。


 疲れが溜まって、体の抵抗力が落ちているのだろうという侍医の所見には胸が詰まされた。私が呪いの件で、ルカルディオ陛下の負担を増やしている自覚があるからだ。


「――今夜と明日は静養なさって下さい。それでは」


 侍医は薬を処方して、退室した。やはり専門家に診てもらえるというのは安心感がある。


「ルカ、ごめんね。僕が気付かなくて……」


 3人だけになると、ジルの態度が急変した。ルカルディオ陛下を馴れ馴れしく愛称で呼び、抱き着くので、驚きに口が開いてしまう。怪しいとは思ってたけど、そんな関係だったの?


「大したことのない熱だ。自分でもわからなかった」


陛下はベッドに半身を起こした状態で、慣れた様子でジルを受け止めた。私がいるのもお構い無しって訳??


「ルカ、明日は休んでいいよ! 後は僕がやっとくから、ね?」

「まあ、とりあえず寝て明日の朝それは決めるよ」

「うん」


 ジルは体を離して、陛下の熱があっても美しくてかっこいい顔を両手で挟んだ。今にもキスとかしそうに近い。「はわ……」と私は変な声が出た。


 私は何を見せられているんだろう。ジルは目がぱっちりと大きくて、かわいらしい顔立ちをしているから、絵的にはきれいだ。でも、見ちゃいけない感じもする。今すぐ魔法で透明な存在になりたかった。そして静かに立ち去りたい。


 私は、バレッタ卿から聞いたジルの情報を思い出した。ジルは、本当はジルベールというらしい。家門は不明だ。ルカルディオ陛下が11歳で皇帝に即位して間もなくどこからか連れてきて、可愛がってきた少年、それがジルだという。


 片目は青だが、片目は最高の魔力を現す緑の瞳を持つジルは、表向きは侍従だが、彼にしか出来ない特別な仕事をしているという。


「あの、それでは私はおいとましますね……ごゆっくり……」


 限界を感じ、出ていこうとする私の背中に、陛下の声がかかった。


「待て、サーシャ」

「は、はい?」

「お前ともう少し話がしたいんだ。ジル、すまないがはずしてくれ」

「あ、そうだね。じゃあお休みなさい」


 ジルは軽い調子で返事をして、私の横を通りすぎて部屋を出た。ジルの視線にぞくっとしたのは、私の考えすぎのせいか。


「お話とは、何でしょうか」

「何でもいい。私が眠くなるまでサーシャの話をしてくれ。私は病人なんだから我が儘のひとつくらい許されるだろう。それから、ジルとはお前の思ってるような関係じゃない」


 陛下はわざとらしく具合の悪そうな素振りをした。額に手の甲を当て息を吐く。どうやら、私が陛下とジルの関係を疑っているところまでお見通しらしい。


「熱のせいで我が儘になられましたか」


 陛下に合わせるていで私は答える。


「ああ。だからもっと注文していいか? 素のときのサーシャの話し方が好きだから、そっちで。騎士風ではなく」


 ルカルディオ陛下は緑の瞳がとろんとしてきていた。侍医に処方された、炎症を抑える薬の副作用で眠くなってきたのだろう。


「騎士風ではない私の話し方ですか」

「そうだ。前も言ったがサーシャは気が緩んでいるときは特に女性のような柔らかい話し方をする。だが、お前のは聞いていて心地好い。私に優しかった乳母のようだ」

「あ、あはは……」


 笑って誤魔化すけれど、そんなに女性的な口調になっていたかと動揺する。でも、そう言ってもらえるのは嬉しい。女性が近付くと具合が悪くなる陛下だけど、本心から女性を嫌いな訳じゃないようだ。


「ええと、それでは私の子供の頃のお話でもしましょう」

「うむ」


 さっきジルが座っていた、ベッド横の椅子に座って私は子供の頃を想い起こした。


「私と……サーラは、好きなものがいつも違っていました。私はピンクが好きで、サーラは青が好き。私はぬいぐるみ遊びが好きで、サーラは外で走り回るのが好きでした」


 名前を間違えないように気をつけて私は語る。私とサーシャの話だ。陛下は目を瞑って、口元に微笑みを浮かべる。


「でも、先帝陛下の誕生祝賀会でルカルディオ陛下に出会ってからは、初めて同じものを好きになりました。それが陛下です。取り合いになりましたね」

「私はものじゃないし、どうやって取り合いになるんだ」

「私は陛下に似せた人形を作りました。それをサーラが欲しがって引っ張るので、真ん中から裂けてしまったりして。二人して泣きましたよ、あのときは」

「やめてくれ」


 ふふっと笑って、陛下が薄目を開ける。


「誰かに似せた人形を傷つけるのは呪いの一種だぞ」

「ちゃんときれいに直しましたよ。そして、もう二度と陛下を傷つけまいと鍛練を重ねて、こうして近衛騎士になったのです」


 サーシャがきれいに繕った人形を私は覚えている。私も裁縫や刺繍はある程度出来るが、サーシャは好きこそものの上手なれというやつか、段違いで上手い。


「そうか、なら良かった……のか?」

「良かったんです。さあ、もうお休みになって下さい」


 私は立ち上がり、陛下のかけ布団を直した。


「サーシャが、サーラ嬢だったら良かったのにな。お前とだったら私は……」

「何をおっしゃっているのですか」


 私は魔導ランプを1箇所だけ残して消し、部屋を出た。


 すぐに待ち構えていたかのように、ジルが足音もなく駆け寄ってくる。


「あの、フォレスティ卿……ちょっとこちらへ。お話したいことがあります」

「え、はい」


 調子乗るなよとか言われるのかなと私は覚悟して、誘われるままついていく。それほど離れていない扉をジルは開けて、私を招く。やっぱりジルはかなりの魔法使いらしく、魔法薬の材料が部屋のあちこちにあって怪しげだった。


 後ろ手にしっかり扉を閉めて、ジルは微笑んだ。


「やっと二人きりになれましたね」

「え、まあそうですね」


 椅子を勧めもせず、私とほとんどくっ付きそうな勢いでジルは接近してきた。だけど身のこなしからして、ジルに武術の心得は無さそうなので特に恐怖感はない。ジルがもしも魔法を唱えるとしたら、すぐに私が口を塞げる距離――ということはむしろ、親切だ。警戒する必要はないと暗に示している。


 元々、魔法使いは対人戦に弱い。魔法の発動には呪文が必要だが、呪文を唱え切る前に口や、呼吸を止めて阻害する方法がいくらでもある。だから最高の魔力を持つルカルディオ陛下に、常に近衛騎士が付いている訳だ。


「フォレスティ卿。僕とルカの関係を、どうお感じになりました?」

「親密だとは思いました」


 それ以外に答えようがない。やっぱり私を牽制してるのかな?ジルはいつもの怪しげな微笑みを見せる。


「ふうん。ルカは言わなかったんだ。でも、嫉妬しなくて大丈夫ですよ」

「嫉妬はしてませんけど……」

「僕とルカは、異母兄弟なんです」


 は? 何言ってるの? なんて聞き返すところだった。ジルは戸惑う私の顔をじっと見て、おかしそうに笑い、身を震わせた。異母兄弟というと、お母さんが違うやつ――だから先帝陛下が浮気してたってことだ。

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