第15話 さよならは雨の日に

 最初はポタポタと可愛らしい音を奏でていた雨音は次第にダダダダと叩きつける様な激しいものへと変わった。

 雨音とともに雲海を映し出していたクロムのモニタが次第にノイズの砂嵐に覆われ、コックピット内にクロムの嗚咽とも苦しみ喘いでるとも聞こえる様な声が流れる。


「クロムどうしたの?」


 心配げにミィが尋ねてもクロムは苦し気に呻き声を漏らすだけで返答はない。徐々にモニタのノイズが薄れていく。ミィがよく目を凝らせ、耳をすませば何かの映像と音声が流れているのが分かった。

 何の映像が映されているか理解したミィは振るえる唇で「何これ……」と小さく呟く事しか出来なかった。

 そこに映し出されていたのは地面に横たえられ男性の姿。顔は既に土気色になり、腹部を赤黒く染めたパイロットスーツに身を包んだ男性に『マスター、お願いだから目を開けてくれよ!俺、何でもするから。だから……だから起きてくれよ』と縋るように泣き叫ぶクロムの声だった。





 それは現在から遡ること10年前の事。

 CKは知らない。何故自分達が追われているのか。しかし、自身の世界の中心でもあるマスターが逃げろというなら逃げるしかない。

 訳も知らぬままCK達は逃げ続ける中、戦術AIであるCKは何度も主に「直ちに医療行為を受けない場合死亡します。早急に医療行為を受けてください」と進言したが主は己の死期を既に悟っていたのかその言葉に首を縦に振ることはなかった。

 主が了承しない以上戦術AIにはこれ以上のことは出来ない。CKはただ主の望むまま走り続けるしかなかった。

 戦術AIはパイロットなくしては一人で行動できない。全ての行動の是非は主に託されている。それを理解していた主は死の際に自立AIであるクロムを起動させ、最後の命令を下した。


「自由に生きろ」


 と。主と共に巨獣を討つのが機兵の存在意義。それを自立AI一人で自由に生きろとは冗談でしかない。それも渓谷に落下している最中に言われては恨み言の一つも言いたくなるもの。


『な───にが、自由に生きろだ!!こんな状況で自立行動に切り替える奴がいるか!』


 叫びながらもクロムは岩壁に両腕のブレードを突き立て落下速度を落とし、なんとか渓谷に叩きつけられることを回避する。

 こうしてどうにかCK達は追手から逃げ延びることに成功した。しかし、その時には既に戦術AI、CKと自立AI、クロムの最も大切な主は亡きがらとなっていた。

 谷底に着地し体勢を整え、愚痴を零すクロム。しかし、それに言葉を返すものは既にいない。


『なぁ、……主、またいつもみたいに俺をからかってるんだろ?そうなんだろ?……そうだと言ってくれよ主……』


 パイロットのバイタルを示すモニターは本来なら波形を描くものもだいぶ前から水平な線しか描いていない。

 既にパイロットは死亡している。その事実を突きつけられ、機械であるクロムは理解していた。しかし、理解はしていても納得は出来なかった。

 主の死が受け入れられないクロムはコックピットを開け放つとシートベルトのロックを解除し、繊細ですぐに壊れてしまうものを持つように慎重に優しく主を己が内から取り出すと静かに地面に横たえた。


『心臓が止まってるなら、心肺蘇生すれば起きるだろ?』


 獣医がハムスターに指一本で心臓マッサージをするようにクロムは横たえた主の心臓を絶妙な力加減で早めのテンポで圧迫する。数度行っても変化は勿論ない。いくら心肺蘇生を行ったところで死体には意味のないこと。一目、誰が見ても分かる事実をクロムは無視し続けた。

 十数回目でとうとう圧迫に耐えきれなくなった肋骨がパキリと音を立てて割れる。その音に慌ててクロムは手を止めた。


『ごめん、マスター痛かっただろ?』


 心配げにクロムが尋ねても返ってくる声はない。何かをしたい、けれど何かをすればするほど無駄に主の身体を傷つけてしまうのはクロムにも理解できた。


『どうすりゃ良いんだよ……』


 弱々しく呟くとクロムは横たわる男性の前で呆然と力なくその場に両膝を折ると座り込んだ。ただ、見ていることしか出来ない不甲斐なさを悔やみながら。




 生命活動を止めた生物は放置していれば腐敗し、やがて白骨と化す。それはクロムの主も例外ではなかった。

 クロムが成す術もなく、ただ腐敗し人の形を失っていく主の前で座り込んで一か月。その間に徐々に人の形を失っていく主と同時にクロムの思考回路も徐々に狂い始めていた。

 まだ、腐敗が始まりたての人の形を保っていたころ、クロムは触れれば壊れてしまう主に手を触れれず、その亡骸の前で『嫌だ、主が壊れてく。止めて、主を壊さないで……』と祈るべき神もない機兵が泣きながら祈り願っていた。しかし、腐敗が進むにつれ人の形を失い始めるとクロムは祈りも言葉も発さなくなり、呆然と主だったものを眺めるだけとなっていた。


 そして現在、クロムの眼前には痛んだ臙脂色のパイロットスーツに身を包んだ完全な白骨遺体が横たわっている。


『……何でこんなところに白骨死体があるだ?』


 眼前の白骨遺体を前にクロムは首を傾げる。本来ならここに横たえられている人物が誰だか分からないということはないのだ。全てを連続的にクロムは記録しているのだから。しかし、クロムには今、目の前にある白骨死体が誰だか分らなかった。

 徐々に狂っていったクロムの思考回路は主が無くなったあの日からの記録に正しく接続が出来なくなり、故に主と目の前の遺体が同じものとして認識していなかった。


『パイロットスーツを着てるってことは機兵のパイロット?それなら一緒に機兵の残骸でもあるはずなんだが……』


 辺りを見回せど、壊れた機兵の影はない。あるはずなどない。それが当の本機本人なのだから。暫く視線を彷徨わせたクロムはまた白骨遺体に視線を戻す。


『……このまま野ざらしじゃ可哀そうだもんな』


 呆れと憐れみの籠った声でそう呟くとクロムは遺体から少し離れた所に穴を掘ると遺体が壊れないようにそっと掬い上げ、それから静かに穴の底に横たえ土をかぶせると墓石代わりにいくつか石をその上に積み上げた。


『さーてと、巨獣を倒しに行かないとな。それにしてもマスターどこいったんだ?』


 立ち上がり機兵の本懐を口にするとクロムはどこか覚束無いのない足取りで当てもなく歩き始める。

 銀青のクロムの体は一歩進むごとに黒みを帯び、いつしか青鉄色へと変わっていた。

 この日を境に狂ったクロムのメモリーは雨の日になると自動的に主が亡くなってからの1ヶ月をリフレインするようになる。

 それからクロムが主の死を受け入れ、己のが生き方を見つけるまでに7年の月日を費やしていた。

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