脳溶レ

長谷川雄紀

脳溶レ

ロジンバッグを一回、二回と手元に弾ませるように叩くと、白い煙が宙に舞う。その煙の後を追いかけると、宇宙の神秘が見られるというのだが、いまいち唖然としてしまう。僕はスナイパーライフルの脇腹を目掛け、まるで角煮のアンバランスを知るかの如く、黒胡椒と脇腹、それから決意表明の選手宣誓を思わせるような手の挙げ方でタクシーを止めた。後部座席には玉ねぎとニンジンの箱買いが置かれていて、助手席には日本人メジャーリーガーにそっくりな、そっくりさんが座っていた。僕は空手一門に空港までの行き先を告げると、黒帯はかしこまりましたと言ってワイパーを二、三回横に振ってクラクションを鳴らした。その音は大きすぎず、小さすぎずもなく、丁度いい塩梅の効果音で、僕には故郷のしおれたタンポポを思わせる、音の高さだった。五時になれば町内放送で、まるで四時みたいな歌声の声量がやまびことなって、畑の作物たちも元気に踊る。レゲエを中心とした縦ノリのスコアボードには漢字で、たまげた、と書かれており。それを見た年配者達の列が不思議そうにジョギングハイスコア屋さんの前で行列を作る。奇しくもラストオーダーとなってしまった前列の公民館のアゴを狙い、つまりは腰を入れたひねりを食らわせれば、倒れた証である足跡を服の上につけてしまえば、側から見ればスタンプラリーか何かと勘違いを起こした若者達が、流行りに乗って路肩に身を寄せる。ちょっと待って、みんなタヌキのこと忘れている。一日たりとも忘れることはないし、睡眠、食事、セックス後のタヌキだって三つ編みを鬼ハンドルのように持ち上げ、街中を走る。赤信号を待つ間に引いたサイドブレーキが、国語算数理科タヌキだったことを思い出し、車内で笑ってしまいました。


空港に到着すると、降り際に見た運転手の顔がバックミラー越しによるサイドミラーの反射を伝い、こちらを凝視していた。お金を払えと言わんばかりの目と耳と鼻の穴から出ていた脇毛の子供。あれは鼻毛ではなく、脇毛である。まるでご乱心による初期衝動のような佇まいではあるが、僕は財布からカメルーンの国旗を取り出すと、助手席に座る日本人メジャーリーガーのそっくりさんが手を叩いて笑う。手が弾ける音にしては、あまりにも弁当の唐揚げに近いようでいて、母よりの祖母の姉のようでもあったので、僕は後部座席から助手席を覗いてみると、それは夢を握りしめた立派な手だった。運転手は、この道は混んでいますので、というので、僕は、ゆっくりでいいですよ、と言いながらタクシーを降りた。ありがとうございましたという意味を込めて、会釈をしようと振り返ると、タクシーは猛スピードで走り出した。徒競走全国大会出身の僕による熱が沸々と沸き上がり、走り去っていく車体を追いかける。いかにも追いつけそうでありながら、排気口による黒い煙幕を浴びる寸前のところで、サイドミラーに反射した屈託のない笑顔に、僕は安堵した。


一方で魂魚肉でありながらも、あれよあれよと、タクシーと並行して走っていた。僕の額には満車の文字が浮かび上がり、背中に乗せた三十代前半の女性が重みになっている。女性の胸が当たっているという意識と、目の前の信号機が赤になっている関係性を解こうと、二等辺三角形の面積を用いてみるが、信号が青に変わったことでその意味はなさなくなった。僕はブーンと言いながら走る。ブンブーン。ブンブーン。重なるようなブンブーン。僕の耳元に女性が小さな声で言う。ブンブーン。ブンブーン。とても耳障りである。僕は耳を削ぎ落とすと、地面に転がっていく耳がタクシーの車体に絡まりスリップを始めた。その行方を見守るように足を止めていると、沿道で手をあげていたお年寄りが僕の左足にしがみ付き、前の車を追ってちょうだいと言う。僕は満車なのでと言い返すと、お年寄りは服を脱ぎ朝まで踊り明かした。背中の三十代女性が、私が先に乗っていたのよ、と言い争いになり。お年寄りによる高速ステップで翻弄し、その足捌きは全盛期を思わせるような移動速度だった。僕は思わず、ムーンウォークだと言いかけた言葉をグッと飲み込み、お腹がパンパンである。意気投合した女性達は、行きつけのバーでショットグラスを頼みそうだったので、僕は再び帰路についた。


大破したタクシー会社に電話を掛け、空港に呼び寄せた。僕は自宅にいるというのに、なぜ空港で待っているのだろうという疑問文が湧き上がり、日本刀で言うところの帯を占め忘れるのと同じような気持ちでした。アライグマを抱き抱えながら、晴れているのに雨が降っているお天気雨またの名を狐の嫁入りのなか、タクシーを待ち続けた。五分、六分と素足で歩く人魚姫と同じ格好でいると、その内アライグマの一匹が腕の隙間から逃げ出した。僕の腕には0匹のアライグマが雨に打たれ、急いで近くのゴミ捨て場から段ボールを探した。出てくるのはコスメ商品ばかりで、ファンデーションを一つ手に取り、蓋を開け頭の上に乗せてみると、幾分か雨風が凌げて楽になった。アライグマの頭にも乗せてあげようと、乗せていたファンデーションを逆に折り、蓋と本体の二つに分け、一つを自分の頭に、もう一つをアライグマにあげようと辺りを見回すと、そこには誰もいなかった。その時丁度、野良のタクシーがやってきたので、僕は答えを完璧にわかっているときだけにあげる手で呼び止めた。これは後ろにいる保護者に向けてアピールしたいだけの厳ついやり方である。タクシーに乗り込むと、運転手が開口一番に、先ほどたぬき轢きそうになっちゃいましたよと言うので。僕も開口一番に空港までと言い、帳消しにした。


卵かけご飯。そう何度も口にする運転手を横目に、紛い物である風を装ったカステラ風ソース仕立てであるが故のことなのだが、僕はどこかで財布を落としていた。脇道を順調に進むタクシーは、一方通行を逆走したばかりである。前から迫ってくる従兄弟の姉ちゃんが乗るような丸みを帯びた自動車とタイマンを張っていた。ハザードを先に切ってきたのはそっちだろ、と言わんばかりの眼差しのぶつかり合い。僕は足元のボッコリを中心にマジックテープ財布を探していたのだが、見つかる気配はなかった。運転手は相変わらず、ワイパーを先に切ってきたのはそっちだろと言わんばかりの眼差しで丸み自動車を見ている。逆光により、こちらの顔が見えないのをいいことに、ネット住民のような横柄な態度を駆使している。実際に会ってみたら、気弱な青年でしたとでもなりそうになりながらも、僕の財布は見つからない。アライグマを探していた際に落としたのか。それとも、自宅のチッキン、チッキン、キッチンの上に置いてきたのか。それとも、エベレーター、エベレーター、エレベーターで降りてくる際に落としたのか。そうこうしているうちに、このそうこうはそんな事をしているうちにであって、走る方の走行ではないと自分の胸に刻むように言い聞かせていると、タクシーは後ろに進み始めた。多分知り合いにヤクザがいるとか、警察がいるとか、弁護士がいるとかで言いくるめられたのであろう。運転手はこちらに振り返り、後方を目視しながら、左腕の肘を助手席の肩に乗せ、俺の右腕である右腕一本背負いを使い、僕の目を見ながら後ろに進む。完全に惚れさそうとしていることがわかりながらも、僕は窓の外に視線を移す。街はいつも通りバーベキュー屋さんでごった返している。大学生を装った男女六人のグループが、煙が目に染みながらハメ撮りを始めるも、僕の意識は完全に運転手の方に向いていて、気が気ではなかった。時折運転手が小さな声で、髪切った?と小さな変化に気づいてくれたり、何も言わずカバンを持ってくれたり、さりげなく車道側を歩いてくれたりと、優しさの具現化をしたような態度で接してきて、僕は惚れそうだった。すらりと伸びた腕の先にある白い手袋。手袋とワイシャツの隙間に見せる白い肌。銀色の髪。グリルが覗かせる金色の歯。無事に一方通行から出られたタクシーは再び空港に向け走り出した。またこの場所で会おうなという意味で、運転手は一つクラクションを鳴らすおまけ付きで。


背面ポケットに財布が入っていたことはさておき、僕は運転手にばれない角度でポコチンを出し始めた。バックミラーとサイドミラーの死角に滑り込ませながら、顔はいつだって七枚目の敵役である。僕はまるでポコチンを出していないような口調で、この先っちょを右ポジで、と運転手に言い聞かせるが無視を決め込まれた。流石にもう一度言う台詞にしては恥ずかしく、僕は少しだけポコチンを撫でた。タクシーは信号機に差し掛かると、右に曲がった。僕は曲がらないものだと思い込んでいた為に、車内でバランスを崩しドアの方に押し寄せられた。僕のからだが宙を舞うのと同時に、ポコチンがサイドミラーを通り過ぎた。運転手は慌ててブレーキを踏み、窓の外に視線を移した。チンポコだ。野生のチンポコがいたぞと興奮していた。目の前では飛び出してきた小六の母がこちらを向きながら何度も頭を下げていた。運転手はそれでも、お客さん野生のチンポコがいましたよ、と全くもって理解できないことをおっしゃっていたので無視を決め返せばよかったものの。僕は遠回しに、ポコチンがですか?ポコチンがいたんですか?とレッドカーペットを歩く女性に向けるようエスコートしていた。こんな時思い出すのは死んでいないお袋がいつも枕元に置いてくれた明鏡止水。眠るのが不安な夜は明鏡を足元に置き、止水を枕の下に隠したところで、タクシーは空港に到着した。あの日の夜も今日と同じようなパーキングブレーキだった。ギィー。


別れ際というのは本当に難しい。今、別れられそうだったのにという瞬間が訪れているのに気づかない相手が夢中で話していることによって結局立ち話のような時間が訪れた挙句中途半端なところで急かされるように別れを告げられる。興味のない話なら良いものの、興味をそそられるような話が気になってしまい、帰り道にひとりで悶々としてしまう。料金メーターに映し出されている金額と財布の中身が釣り合わないために、僕はお喋りを始める。世間話から入り、悩み相談、オーラが見えると言って運転手の背後に視線を移す。ぼんやりとブルーハワイのような透き通った青。あるいは、地獄で人間を材料に大きな釜でコトコト煮込んだ血みどろのおペンシャリアン真冬のダッフルコート返り血仕立てのような二日酔いの赤。もしくは、オーロラのようなロラ。嘘から出たまことによる能力が僕に開花していた。僕が僕自身に唖然としていると、運転手は顔面を蒼白にして僕に救いの手を求めた。このまま喫茶ネズミ講に就職し、何も変哲のないブレスレットを高く売りつけることさえできるような、疑うことのない目だ。僕は運転手のツルツルとした白い手袋の上から毛布を被せるようにそっと手を置き、大丈夫、大丈夫、大丈夫と優しく連呼した。運転手はボロボロと涙を流し始めたのをいいことに、僕は大丈夫から、でぇじょうぶ、にゆっくりシフトチェンジしていった。先ほどから感動の人間ドラマを嘲笑うように、野犬が交尾をしている光景が目に映っていて笑いそうになった。僕はこの場の勢いを借りて、手相も見られる、と言ってみる。運転手は是非お願いしますと言って、白い手袋を脱ぎ始める。そう思えば僕は今までタクシー運転手の地肌を見たことがない。いつだって手袋に包まれている。運転手は僕を誘惑するように、中指を口で噛みながら引っ張り出そうとしていた。まるで裸体を見るような緊張が走り、僕は固唾を飲み込んだ。たまに精子のにおいが鼻腔をなでるのかはさておき、あっという間に僕から見て左手、運転手から見て右手が露わになった。僕から見て左手を目の前にかざされると、知っているのは生命線と結婚線と覇王線なだけに、そこだけを見た。じっくりと、じっくりと見続けているのだが、手のひらにオーラが重なりぼやけて何も見えない。これが俗にいう蜃気楼かと伏線を回収をしたところで、僕は、消えるよ、消えるよ、消えるよと言って伏せるように倒れ込んだ。お後をぐっと堪えたよろしさである乗客が乗ってこようとしていたので、僕は何食わぬ顔でタクシー降りた。


乗り逃げと言えば聞こえは悪いが、次の乗客が奢ってくれたと考えれば気持ちがいい。タクゴチをして貰ってことで浮いたお金を使い、空港飯で腹ごしらえをしようと歩き出した。スマートフォンから僕が作った曲が何度も流れている。ポケッツから取り出し画面を見てみると、名前のところに空港に呼んでおいた方のタクシーという見覚えのない電話番号から何度も着信が来ている。僕は頭がいいので点と点が結びつく速さだけは誰にも負けない、というのがファーストシングルで。愛は真心、恋は下心に向かってスライディングをして下半身を取り除けば亦だけが居残り掃除、というのがセカンドシングルで。この二つに新曲が十曲入ったファーストアルバム、手を差し伸べて、が好評発売中である。僕はスマートフォンをポケッツにしまった。それでも鳴り止まないので仕方なく出てみると、空港に呼んでおいた方のタクシーからの電話だった。おそらく怒号が飛び交っていると思うのだが、僕は展望デッキまで来てしまっていたので、ほとんど聞き取れなかった。印籠を見せるようにスマートフォンの電話口を撮影スポットの方に向け、一緒に楽しめないかと企んだ。この時僕は反省の意を込めてカーブからフォークの持ち方に切り替えた。それでも電話は繋がっているので、今度はスマートフォンを飛行機に見立て走り出した。あまりにも忠実に再現してしまったために、本物と勘違いした観光客が僕のフライトを見守っていた。子供がひとり近付いてきて、どこに行くの?と聞くので、僕は耳元で、そういうのじゃないから、と大人の本気を見せてしまった。いつの間にか電話は切れてしまっていて、こうなったらなったで怖くなってしまった僕は急いで折り返しの電話を入れ、タクシーを探しにいった。


躊躇なく額を地面に擦り付け必死に謝った。運転手は、もういいから顔あげて、と許してくれた。僕はゆっくり顔を上げていくと、タクシーの前輪の隙間にネコが挟まっているのが見えた。僕は謝罪そっちのけでネコに近づいていった。万が一走り出してしまった場合のことを考え、逃してあげようとした。僕はニャーと言いながら前輪を覗き、ついでに誰もいない後輪を覗いてみる。僕は前輪そっちのけで、後輪の隙間にからだを入れ挟まれてみる。厳しいようで温もりのある母のような後輪。誰よりもようで腕っぷしのある父のような前輪からニャーという声がしたので、僕も真似をして鳴いてみる。あまりの擬態っぷりにどちらが本物のか区別がつかなくなった運転手は、胸元からキャットフードを取り出し誘い出そうとした。まずは父のような前輪の前でしゃがみ込み、少量のキャットフードを手のひらに乗せ、ゆりかごのように左右に揺らす。なかなかネコが出てきてくれない一方で、北風に乗って誘われるキャットフードの匂いにつられて、僕の上半身が身を乗り出してしまう。運転手はネコに夢中になっていたので僕の地面との同化っぷりに気付いていない。で、あるからにして僕はほふく前進の要領で近づいていき、手のひらにのせたキャットフードに顔を寄せて食べ始める。運転手は未だに前輪の周りを覗き込みネコを探している。僕はその隙を狙い、腹が減っているという理由で最後まで食べ尽くした。運転手はやけに身軽になった手のひらの異変を察知しこちらに振り返ると、二度見ならぬ、三度見、或いは四度見を通り越しての一度見で叫び始める。それはキャーではなく、咄嗟に出たことでつられてしまったニャーである。僕は一世一代の擬態を使い、運転手のすねの辺りに頬を擦り付け、マーキングの擬態でやり過ごす。運転手は僕の頭を撫でながら、なんだここにいたのか、と言って僕の脇腹に手を入れ持ち上げ、そのままタクシーの助手席に連れ込んだ。


しばらくタクシー乗り場でこうしていると、手荷物をたくさん持った旅行帰りらしきカップル達が窓をノックし、乗る意思を見せてきた。運転手はトランクに荷物をしまいに向かう。降りる際に一言、ちょっと待っていてね、と言ったので、それは乗客に対してなのか、それとも僕に対してなのかわからなかったが、一応僕だったら悪いと思い、先輩に対して言う時に使う一拍置いた返事をしておいた。僕はバックミラーに目を移し、運転手とカップル達の様子を見ていた。仲睦まじい姿はまるで、海底どんぶりよっこいしょドーパミン淡水魚、今宵ケツにロケット花火打ち込んじゃってもいいですかライブドームツアー最終日は有明海に乗せてどんぶらこイン肩肘のムニエルのようでいて、練乳パーティー持て余し親子代々カクテルの家系に生まれていますのようでもあった。ガタンという音がしてトランクが閉められたことがわかると、僕はシートベルトをして待ち構えた。運転手が後部座席のドアを開け、カップルを乗り入れる。そして左回りと見せかけて右回りとするフェイントを掛け、運転席に座る。カップル達が行き先をせーのでラブホテルの名前を告げると、運転手は返す刀で高速に乗ってもいいですかと聞き返した。何をそんなに急ぐ必要があるのだろうかと笑いそうになった僕はシートベルトを噛み締め笑いをこらえる。散々トリップセックスをしてきた挙句、帰りしなにもう一発かまそうとする魂胆が憎たらしい。カップル達はネコにも気づかないイチャラブっぷりを見せながら、タクシーはラブホテルに向けて走り出した。


み、み、み、みかん。と、んがついてしまった彼氏の頭を彼女が撫で始める。みから始まる言葉なんてこの世にあるか、と彼氏は雄叫びをあげると、彼女は、それ昨日も見たと言って笑っていなかった。意外にも笑いに厳しい彼女の方に、僕はセンスを感じた。カップル達だからと言っても笑わないこともあるのだと、彼女いない歴が年齢である僕はまた一つ学んだ。しりとりをカップル達がしている最中に、何度も運転手が割り込もうとしていた。ゴール、リール、トール、タールというなんともいやらしいル攻めを試みていた。カップル達は挑戦にすら無関心だったが、僕はこの言葉に隠されたトリックに気付いていた。ゴール、リール、トール、タール。頭文字を抜いてみるとゴリトタ。語尾を抜いてみるとルルルル。これはアナグラムになっており、並び替えるとゴリトタはタゴトリ。ルルルルはルルルル。この二つを合わせるとタゴトリルルルル。これほどまでに早くラブホテルに着いて欲しいと願ったことはない。カップル達は続けて、いっせーのでという手遊びを始めると、運転手は待っていましたとばかりにハンドルを握る手から親指だけを浮かした。カップル達の掛け声に合わせ運転手も上げたり、上げなかったりの心理戦を繰り返し、一番に勝ち上がっていた。すると運転手は僕の方を一瞥し、窓の外を指差しながら、ここのマンション有名人が住んでいるんですよ、と言ってゴシップをくれた。僕は変わらずネコでいるためニャーと言い返していると、後部座席のカップル達が突然静かになった。僕は静寂が気になりバックミラーでカップル達の顔を凝視すると、そう言えば見たことのある顔が並んでいた。ガスマスクをしていたためにわかりにくかったが、目元のほくろが有名人のそれと酷似している。そこから数十メートル先でタクシーは停車した。料金メーターに表示された金額を払うか払わないかの押し問答と水かけ論を繰り返すカップル達は、せーので財布から小判型のICカードを取り出し同時に機械にかざした。誰の残高から吸い込まれるかという今どきのロシアンイチャラブを見せつけてから同時に降りていった。運転手は後方に回り込み、トランクから荷物を取り出すと、キャリケースの角に手を添えながら数回腰を振った。キャリケースを女性に見立てるというスーパーE難度の技を繰り出された彼女の方が、ガスマスクを手で掴み、素早く後方に放り投げ、空を見上げた。まるで無声映画を見ているようで得した気分になった僕は、タクシーを降りてラブホテルで休憩を取ることにした。


カップル達の後を追うようにラブホテルに向かっていると、風になびいてガスマスクが転がってきた。僕はそれを拾い上げ、装着してみた。思っている以上に視界が狭かった為に、僕は思わず、思っている以上に視界が狭いなあ、と呟いた。そんなことよりも、香水のようなシャンブーのような、とてもいい香りがしている。有名人女性がしばらくつけていたことで、ガスマスクに付着した成分を使い、僕は鼻から吸引を試みる。頭が真っ白になり、視界が歪み、呂律が回らなくなり、最後はダイナマイトを飲み込んでしまうような衝撃とチーターが走った。決して隠語ではなく、真っ当なチーターがメスチタを連れて、ラブホテルに入っていった。僕はチーターがどの部屋を選ぶのか気になり、後を追った。僕の人生は後を追ってばかりで、今まで誰かを追わせた経験がない。ガスマスクをしている高揚感からか、自分ではなく他の誰かが乗り移ったような感覚と自信が湧き、僕は早足でチーターよりも前に出ると、後ろを振り向き、チーターのチとタの間にある棒を指差し、甲とあやとりで勝負しろと言ってのける。それに対し乙は爪を立て、ほうきと東京タワーを作ると見せかけ、僕の頭の先から足の先までを真っ二つに折るように引っ掻くと、キャンプ場のテントをモチーフにした部屋を選び入って行った。僕はその場に倒れ込むと、ポケッツからマジックテープ式の財布を取り出し、ビリビリ、ビリビリと死に際に吹かすタバコのように何度も破いてみせた。都会の空はこんなにも眩しいのだと思わせてくれる天井の装飾品を見ながら、カラオケ屋でいうところの床にそのまま寝てしまった。


カチャ。カチャ。カチャ。という音で目が覚めると、僕の顔の前にはマジックハンドがぶら下がっていた。アームの先を閉じたり、開いたりと、からかいながら弄ぶように、開閉を繰り返している。僕はアームの先から根元の方に視線を動かすと、端正な指がするりと伸びていた。僕はそのまま表情を確認しようと思ったのだが、ネオン街にキラリと映し出す指輪が僕の視線の邪魔になった。この人結婚している。歳を重ねてからというもの、街を歩いている際や、レジでお会計をしてもらっている際にも、他人の薬指ばかりに目がいきがちになった。指輪にはイニシャルでMと刻印されていて、僕のイニシャルから五つ隣りだったことに親近感がわいた。僕は小指から赤い糸を取り出すと、相手の小指に括った。ここ最近発売された、運命収納セットを買ってからというもの、生活が随分と楽になった。それ以前は、垂れ下がった糸を小指に巻いて生活をしていた。リボン結びにしておくと、ネイルのような可愛さに釣られてきたギャルに囲まれ、お金をせがまれることもしばしば。僕は嫌がりながらも、頼りにされている興奮から、小指を立て、見せびらかしてしまうこともしばしば。それを見ているギャル達は時折、スレットじゃん、まじスレットなんだけど、スレットウケる、と言ってなぜか爆笑をかっさらっていた。歳を重ねたと思う瞬間は、こう言ったギャル語や若者言葉についていけなくなった夕暮れのデーモンを思わせる。メリットもあれば、デメリットもあるのがこの世の真理で、ほどけていた糸を自分で踏んでしまい転びそうになったり、風になびいた糸が他人の顔に張り付いたり、水回りを使う際にいちいち濡れてしまったりと、なにかと面倒なことが多かった。しかし、防水防風運命の赤い糸セットにかかれば、全てが丸く収まる。マジックハンドに一枚の白い紙を挟んだ状態で、僕の顔の前を左右に行ったり来たりと誘いを掛けられ、僕は手を伸ばし、紙を受け取ろうとすると、その前に開かれたアームからひらひらと波動のサーフィンを楽しむ白い紙が、僕の胸元に落ちた。なんて意地悪なんだと、僕のドM心をくすぐられ、思わずポコチンが勃ってしまった。反射的に、不名誉を隠そうと胸元の白い紙をスボンの上に重ねると、まるでポコチンが死んでしまったような空気が漂い、ふふっと堪え笑いが聞こえた。僕は両手両足を広げ大の字になると、手足をバタバタと動かしながら一緒になって笑った。ラブホテルのエントランスにこだまする笑い声に共鳴したレッサーパンダ達が店外から向かってくるのが見えた。ヨチヨチと歩きながら、入り口の前に立つと、身長が足りないせいか自動ドアが反応してくれず、立ち尽くしていた。何度もジャンプを繰り返すレッサーパンダ達は、上のセンサーではなく、マットの下にボタンが隠されており、それが反応しないがために開かないと思い込んでいる勢いの踏み込み方をしていた。ようやく下ではなく上だと気付き、トーテムポールのように縦に組み始めると、自分たちが住む世界をこの世の全てだと思い込んでいる盲目のカップルがその横を通り過ぎた。突然ドアが開いたことにより、雪崩のように崩れ落ちてくるレッサーパンダ達が僕の胸元に大集合した。僕は立ち上がると、辺りに散らばったレッサーパンダ達を抱き抱えラブホテルを出ようとした。すると、床に一枚の白い紙が落ちているのに気付いたのだが、両手が塞がっていることで拾い上げられなかった。きっと白い紙にはこう書かれていたと思う。電話番号。下四桁の乱雑な並びを考えると、また笑いが込み上げた。


有名人が住んでいると言っていたマンションを一目見てから帰ろうと、少しばかり立ち寄った。さすが有名人だけあって、防犯設備は万全である。オートロックどころか、二十四時間監視体制の警備員も配置されている。僕は野次馬のように、エントランス付近をチラチラと覗いていると、入り口に立つ警備員が一つ咳払いをした。その咳払いすらも優雅でいて、お金があることで生まれる心の余裕が垣間見られた。決して警備員がここの住民ではないと気づくのは二時間後のことである。僕はダメ元で、咳払いの仕方戦国武将みたいでカッコいいですね、と褒めてみる。すると警備員は満更でもない顔をしながら、豊臣秀吉のリズムで、やめろよやめろしと言った。非常におおらかな僕でさえも、そのリズムだけは納得がいかず、マンションを立ち去った。いつかは僕も、有名人と同じように宅配ボックス付きのマンションに住みたいと、志した。抱き抱えているレッサーパンダの一匹が、腕の隙間をすり抜けマンションに向かって走っていき、エントランスの自動ドアの前で何度も飛び跳ねていた。レッサーパンダにはそういう習性があるのだと知った僕は、抱き抱えている全てを野放しにすることで笑顔の輪が広がると思い、社会の荒波に解き放った。しかし、なかなか僕の手元から離れてくれず、一概にも習性で片付けていい案件ではないことに気付き、結局田舎の登校班のように列をなして僕たちは歩き続けた。以前にも同じようなことがあり、その時は確かアライグマだったような気がして、何か共通点があるのではないかと、警備員は住民ではない。首元にぶら下げた懐中時計を見ると、もう二時間も経っていた。懐中時計には家族の写真を貼っていたのだが、あまりにもありきたり過ぎて飽きてしまった僕は、自分の顔写真を何枚もくり抜き、家族全員の顔に貼り付ける雑コラをいつも胸の奥にしまってある。


自宅に到着すると、お金持ちの家を見た後だからか、自分の部屋がやたらとちんけに感じた。おちんけに感じなかったことが不幸中の幸いで、僕の部屋にはテーブルと口から水が出るライオンのウォーターサーバーしかない。早く椅子を買わなければと思いつつも、立ち食い状態でもいけなくはなく、寝る時はテーブルの上で横になってしまえば、後は何もいらない。唯一の悩みは、モグラが庭にいることくらいで。随時の悩みは、家具を揃えたいことにある。ほとんどが夜逃げ屋に持って行かれ、残されたのがこの二つだ。どうせなら全部無くなってしまったほうが、買い替えるなり、引っ越すなりで体制が整えられたのだが、中途半端に残されてしまったことで、曖昧な暮らしぶりを発揮せざる得ないのである。僕はずっと腹が減っていて、デリバリーを何回も頼んでいるのだが、一回も届けられないまま注文完了の文字が毎回浮かびあがる。それもそのはずで、適当に打った住所でデリバリー頼んでみた、という体当たり企画を撮影もしていないのにやっているからだ。急にデリバリーが届く恐怖よりも、案外磯の香りが強いらしく、そのまま受け取るという陳腐な人間ばかりで落胆もしている。僕はウォーターサーバーを出しっぱなしにして床を濡らすと、リビングお風呂だ、やっほっほーいと言いながらセパタクローのように足を上げて、徐々に湧いてくる後悔の念と対峙するのであった。


残り時間から計算すると、まだ間に合うことが分かり、今度はタクシーではなくバスを使って空港に向かうことにした。玄関で靴を履くかどうか一旦悩む素振りから誰よりも迷わず履いて家を出た。ドアの鍵を閉める際は、名残惜しそうに部屋を眺めてから閉めるようにしている。こうすることで、飼ってもいない柴犬がご主人の帰りを待つようで、今日も気合が入る。バス停乗り場までをタクシーで行こうと、スマートフォンのアプリで呼んでみる。タクシーはこうして呼べるくせして、デリヘル嬢は緊張して呼べない自分に腹が立つ。腹が立っては戦は出来ぬが仏の顔も三度まで、これはおばあちゃんの言葉。そろそろこの辺でニヒルな立ちションかまさねえ、これはおじいちゃんの言葉。僕はおばいちゃん子交換こだった為に、今でも電信柱の隅に不敵な笑みを垂れこぼしている。一台とは言わず、かくして二台のタクシーがバス乗り場方面からやってくる。前を走っているタクシーがハザードランプを点灯させると、後ろを走っているタクシーもそれにならいというか真似をしてハザードランプを点灯させる。まるで兄弟のように肩を組みながら走る姿はとても微笑ましく、兄に食らいつく弟のようで可愛げがある。それは僕が末っ子であるがために、お下がりのえこひいきをしてしまうのは致し方ないことだ。二台のタクシーが同時に僕の目の前で停車すると、これまた同時に運転席から助手席側に首を伸ばし何かを言っている。窓を開ければいいものの、僕もムキになって読唇術の立体音響の謎を紐解いてみたくなった。僕は目を瞑り、風の運びを頼りに脳内のトギスマスを研ぎ澄ますと、運ちゃんの声が耳にピアスを開ける。どこまで行きますか、トドまだいますか。俗にいうトドトラップを仕掛けてくる野蛮な中学生のような漆黒と、首元の十字架のペンダントが鼻についているうちに、乗る予定のバスが横を通り過ぎた。僕は急いでタクシーに乗り込み、前のバスを追ってくださいという、今日で八回目の結婚記念日のように慣れた口調で言ってのけた。何かの物語に巻き込まれたと、主人公気取りの運転手はハンドルを強く握りしめ、だろうな、と言って手元のレバーみたいなやつをガチャガチャとやる。運転手は続けて、こういうの待っていたんですよ、みたいなウインクを何度も向けてきていたが、僕の興味は窓の外に映る二人乗りをする双子のハーレーの方に向いていた。よく見ると、サイドカーが両端に取り付けられていて、また違う双子が一人ずつ乗っていた。計四人の双子が一台のバイクを弄び、かくして岩石オープンのような出立ちに興奮した僕は、窓を開け、ブラボーと叫ぶ。カルテット双子はサイドミラーで後方を確認すると、逃げるように速度を上げた。僕はもう一度、ブラボー、ブラボー、ブラボーと叫ぶと、そのまま走り去ってしまった。それもそのはずで、僕のブラボーに合わせ、運転手が声をかき消すようにクラクションを鳴らしていたからだ。タクシーはスピードを緩め一時停止をした。僕は肩を落とし、前方に向き直すと、バスとタクシーの間に右サイドカーだけが澄まし顔で止まっていた。ひょっとすると左折していく際に、右サイドカーを置いていってしまったのかもしれない。しかし当の本人はまだ気づいておらず、残りのトリオ双子に話しかけている様子が窺えた。


ようやくバスを追い抜くことに成功し、バス停付近にタクシーを止めてもらった。だが財布の中身が空っぽなことで、料金が支払えないでいた。僕はマジックテープ財布のマジック音を聞かすように、ビリビリ、バリバリ、バキバキ、ドコドコ、と様々な音色を奏でてみる。運転手はバインダーに挟んだ紙であみだくじをして遊んでいる。スタート位置を決め、棒と棒の間を行き交うように左右に揺られながら降っていく。最終地点である棒の先には何も書いておらず、赤い紅を引いた小指であみだトンネルの外に出られると、今度はバインダーをひっくり返し、またトンネルの中へ進んでいった。バカと天才は紙一重。一見前者のように思えるが、運転手が僕に伝えたいことは、固定観念を破壊しろというメッセージを示唆しているようにも思える。人生に行き詰まった時は、世の中をひっくり返せ。見慣れた景色も視点や形を変えることで、また違ったように見える。毎日が発見だ。それが僕たち人間に与えられた使命であり、生きていく糧にもなり、人生が飽きることのないように授けてくれたこの、発想力、を養うことで、生きることも死ぬことも可能な振り幅を僕たちに与えてくれたのだと思う。僕はただ剥がすことでしか生かせなかったマジックテープ財布のマジック部分を破り、二度と止められなくなった木にぶら下がるナマケモノのような財布を、アゴと鎖骨の間に挟み、バイオリニストの形を作り出した。そして破り捨てた、マジックテープを弓として使い、財布をふるわしてみた。バイオリン処女である財布も、初めは緊張して固まっていたが、徐々に緊張がほぐれると、演技ではなく自然に出てしまう喘ぎ声のメロディを奏で始める。まるでクラシックを聞いているような、草原の真ん中に佇む心地よさと不気味さが折り混ざる情景を思い起こさせる。運転手もそれに感化され、バインダーの角を口元にあてがい、トランペットとして吹き始める。これは音楽なのか。はたまたクラシックなのか。そんなことを疑問に思う時点で、物事は何も始まらない。駄々をこねる子供が机を乱暴に叩く姿も、立派な音楽だ。こうして音の厚みが何層にも重なり始めると、共鳴したタクシーも上下に揺れ始める。まるでカーセックスを思わせる縦ノリは、感動と興奮に満ち溢れていた。窓の外には野次馬が集まってきていたが、それはもうギャラリーと呼ぶべきである。あまりの揺れにトランクが開いてしまい、運転手は慌てて閉めに行こうとしたところ、誰かがそこに小銭を入れ始めると、日本人特有の自分の意思ではなく、他人を気にして行動できないが、誰かがやり始めれば後をついて行く国民性に従い、次々に投げ銭をし始めた。いつかは誰かの後を追いかけるのではなく、自らの力で切り拓いていく足を作り上げて欲しいと願う。僕達クラッシカーは道標を提示しているのではなく、何度も言うように脳内の破壊と再生の手助けをしているに過ぎない。演奏が終わると、既にスタンディングだぜオベーションが湧き上がり、僕達は照れながらもタクシーを降りると、軽く手を上げ、ありがとうございましたと口パクで言いながら頭を下げた。ギャラリーが余韻に浸りながら散っていくと、早速トランクの中身を確認した。少なからずお金は入っていたが、大半は食べかけのソフトクリームだらけで、今度は食のありがたみについての楽譜が頭に浮かんできた。


なんとかセッションでタクシー代をかき集めることに成功した僕は、運転手からの提案で連絡先を交換した。メッセージアプリに続いて、今度は僕の方から電話番号の交換を申し出ると、なぜか断られるというガードの硬さを露呈してきた為に、別れ際は変な空気が漂ってしまった。ギャルや清楚系じゃあるまいし、と僕の顔に刺青が彫られていたかのように悟った運転手は、上三桁、中四桁、下四桁の三つのパートに分け、口頭で言い始める。僕は持ち前の気前さで、アドレス帳の画面を開き、登録する振りをして、何秒で言い終えるかをストップウォッチで測っていた。何度も聞き返すにつれて、運転手の口頭タイムが段々と落ちていく様を見て、アスリートには向いていないと確信した。いよいよ別れ際ようと、僕はバス停に向かって歩き出す。運転手は、その場に正座をし、羽織を一枚脱ぐと、こないだ死神が饅頭怖いって言い出してね、というミックス落語を披露し始める。僕は足を止めずに、背中で死神饅頭を聞いていたが、地方活性化のために大人が夜な夜な会議した結果生まれた、パーキングエリアのお土産感のような題材に、僕は立ち止まって聞き入ってしまった。運転手のこれ以上別れ際させないという強い思いが、噺にも力が入っていた。上手と下手に死神と饅頭を見事に演じ分けるその姿は、まるで、回文で言うところの世の中ね顔かお金かなのよに投影している。そろそろオチとバスが近いてくると、運転手は早く行ってくださいと意味を込めて、バインダーの角を地面に数回叩き、展開を加えてくる。それでも、運転手は語りづづけているため、別れ際ようにも別れ際させてくれない。バスが赤信号に捕まり、停車をする。これでオチを聞いてからバスに乗れると思ったのだが、運転手は明らかにオチ前の文言を引き伸ばし、時間を稼いでいる。もしや、バスが通り過ぎるタイミングを狙い、オチをブラウン管の砂嵐のように消し去ってしまう、いたずらを企んでいるのではないかと予想していたところ、曇天の曇り空から緞帳が下りるどんでん返しが巻き起こり。運転手は羽織を頭に被せ、タクシーに戻りながら、最後のオチはムービーで送ると言って走り去っていった。僕も急いでバス停に向かい、緊急時用の日傘をさす女子高生の傘の中で雨宿りをして、バスが来るのを待っていた。計ったかのように別れ際えた僕達のタイムは、記録には届かなかった。


女子高生とオチザムービーを見ながら高笑いしていると、バスがやってきた。初めての紛いデートに興奮した僕は、着実にポコチンが立っていた。このまま彼女とぶつかった拍子に、ポコチンと中身が入れ替わったらどうしようと、僕はひとり焦り散らかしていた。そんなご乱心を横目に、じゃあ私はこの辺で、と言って女子高生はバスに乗り込んでいった。僕は突然のことに狼狽えてしまい、気の利いたことも言えずに曖昧な返事をしてしまった。そんなご安心を横目に、バスの入り口で右往左往する僕に、運転手から乗るかどうかの確認をされた。僕は当然乗りたかったのだが、雨に振られた女子高生の甘い香りが鼻をくすぐり、乗車拒否をした。すると運転手は豪雨のような舌打ちを降らし、バスの後輪で轢き殺すように、僕の高い鼻に当てるような形で顔面スレスレを走っていった。これはバス会社に連絡をしてやろうと、スマートフォンの画面を開くと、オチがリピート再生を繰り返していて、オチが永遠に落ちていかないという哲学に苛まれ、どうでもよくなってしまった。それよりも、轢き殺し未遂の際にかけられた水しぶきが、僕のお気に入りであるワンピースの蝶ネクタイ型ティーシャツを濡らしたことに腹が立っていた。僕は今一度濡れ具合を確認すると、しぶき柄が何処となく日本海の荒波のような模様を描いていて、これはこれでカッチいいと思い、立っていた腹を胸ポケットにしまった。次のバスが来る時間を確認しようと、バス停の時刻表を舐め回すように足先から見ていき、興奮し、路上に押し倒し、八時五十五分にキスをし、休日の二十一時十二分に指を入れながら、僕の二時五十分を脱がしていると、あと二十分後にバスが来るとわかり、仕方なく抱きしめて待つことにした。せめて雨宿りはしていたいと、バス停とシックスナインの体制になり、止まない雨ならないを待ち続けた。これがあの女子高生だったらと考え、入れ替わったようにポコチンに話しかけてみると、息を吹き返すようにピクリと動いた気がした。


お客さん終点だよ。終点だよお客さん。お客終点さんだよ。という様々な倒置法による独特な目覚まし時計というなの、雲一つない青空、つまりは晴天であるが故の霹靂であるからして、冷たい氷を頬にあてがうように目が覚めた。どうりで僕は、寝てしまっていたようだ。バス停を抱き枕の様に強く抱きしめていたために、そう思った。懐中時計を確認すると、バスが来るまでは残り五分。学生の頃に机にひれ伏して寝ていると意外に短い時間でもすっきりとした気持ちになる。あるいは、仲のいい友達がお休みだったを理由に、たいして喋る相手もおらず、たいして眠気も襲ってきていないのだが、今日一日をやり過ごすにはこの方法しか策略がないといった様子で寝ていた学生の頃を思い出した。ふと首を横に動かすと、様々な職種達が僕と同じように寝て順番を待っていた。学生もいるし、悪徳弁護士もいるし、パンナコッタ屋さん店長謙ババロア屋さんオーナーフライ級チャンピョンもいた。僕はまだ寝ぼけているのだと思い、バス停と一緒に起き上がると、様々な職種達も僕の気配で起き上がった。まるで信号機の色を確認せずに前方にいる人間が歩き出したことにより、ついて行くようなスマートフォン目視である。僕は試しに、バス停から離れるように走り出してみると、最新機種が生んだマリオネット達は疑うことなく僕の後を付いて来た。これはどこまで従ってくるのだろうと気になり、僕は近くにあった橋に左足を立てかけてみると、やはり同じように左足を橋に立てかける。もはや自分の意志で動いていないことすらも気付いていないスマリオネット達を連れてバス停に戻る。その際に僕は服を一枚ずつ脱いでいき、道に迷わないための痕跡を残すようにしていった。その時丁度バスがやってきたので、これは運転手の驚いた顔が見られるだろうとワクワクしながら全員の衣服を確認しようと振り返ると、僕だけがポコチンにティッシュがついていた。僕は世の中にある恥部のなかでこれが一番恥ずかしく、顔が風鈴の音色を思わせるほど熱くなってしまった。学生とパンナコッタ屋さん店長謙ババロア屋さんオーナーフライ級チャンピョン現在は二児のパパであり将来は転売ヤーを夢見る二人は、興味がなさそうにいつまでも手元の通信機器をいじっていたが、悪徳弁護士だけは僕と同じように手作りの風鈴を鳴らし、それを隠すように人を騙していた。もしかすると共感性羞恥による動揺が隠せていない様子で。どんな悪党でも性格や育ちの良さは隠しきれないのだろうと思った。きっとお箸の持ち方は誰よりも丁寧でいて、お魚は食べやすいように骨のある部分は綺麗に残せるだろうし、いただきますとごちそうさまでしたはどれだけ臭い飯を食わされようが必ず手を合わせるだろうと思った。


本来の目的とは測り直すたびに違ってしまう体温計のようにずれてしまったが、僕は腹ごしらえの前に服を買うことを決意していた。バスが走り出すと、窓際の席から僕の服が道の上に乱雑に置かれているのを見届けた。全身限定品であったが、これでもう道に迷わない確固たる自信を置き去りに出来たかと思うと、決して限定品ではないような気がした。降車ボタンが押され、様々な職種達、およびご来賓、ご歓談の皆様が次々に降りていき、車内には僕ひとりだけとなってしまった。地元ではないが故の目的地以外の場所で人が多く降りていくと、僕も一緒に降りた方がいいのではないかという不安に襲われる。入れ違うように乗車してきた人間が空席だらけの車内で僕の隣の席に座り、まるで全裸でも見るようないやらしい目でちらちらと覗いてきた。最初はアクロバティックな変態かと警戒したのだが、胸元の名札をよく見てみると、職業の欄にファッションデザイナーを主に言い伝えている人と書いてあった。確かに奇抜な出で立ちである第一印象で、偶然ではなく運命に導かれるように居座った第二印象である。僕は勇気を生絞り、グレープフルーツのような甘みでコーディネートをお願いしようとすると、ファッションデザイナーを主に言い伝えている人はそれよりも早く、被っていたテンガロンハットを僕のポコチンの上に被せ、もう大丈夫だよ、と言った。もし僕が人を愛する野心を持っていれば間違いなく、この人を好きになっていただろう。しかし過去にも同じ経験をしており、その時は確か、カウボーイハットを被せられたはずだ。人の優しさに触れ、目から鱗涙を流した僕は、カウボーイハットを恋愛映画やラブソングを自分の人生と重ね合わせ、まるで私のために作ったのではという勘違いを嘲笑うように濡らしていた。すると、弁償代として十万円を請求され。優しさに漬け込んだカウボーイハット詐欺に引っ掛かってしまった。まさか自分がカウボーイハット詐欺に引っ掛かるだなんて思っておらず、大きな落とし穴を目の前に手持ちのお金がなかった為に、赦しを祈願した。するとすると、十万円から七万、五万、三万とテレビショッピングばりのお値打ち価格を提供され、奇しくも安く感じてしまう心理テクニックで追い詰められた僕は、バスの窓を突き破り、反対車線で走るボートの上に飛び乗り逃げるという香港逃走術を使う他なかったのである。またあの時と同じ場面。詐欺はいたちごっこだと聞くが、ハット違いを用いる可能性は十分にある。しかし、ファッションデザイナーを主に言い伝えている人は、僕の心配の他所よりも早く、嵐の静けさのように消えていなくなっていた。先程よりもなぜか風通しがいいと感じた僕は、ふと自分の真横にある窓を見てみると、そこにはもう伊達ガラスしか残っていなかった。せめてお名前だけでもお聞かせ願うよりも早く、テンガロンハットに十枚の付箋が貼ってあり。の、ほど、いま、のる、では、せん、のも、ござ、な、と文字がバラバラに書いてあったので、読み解くまでの時間がいい暇つぶしになった。


片手の塞がりを避けようと、僕は八年前に見た近所の奥様によるだらしない胸元を思い出し、ポコチンをポールハンガーの代用として使った。オシャレは我慢というように、我慢をしたければオシャレしろ、我慢をした分だけの見返りがオシャレに現れる。つまり今の僕は、オシャレを通り越し、オシャンティを通り越し、オシベリアンハスキーと言っても過言ではないのである。バスが空港に到着し、タクシー乗り場付近を旋回している隙に、僕は突き破られた窓からの脱出を試みた。タクシーのボンネットをクッション代わりに使用すれば、それほどの痛みはないはずだ。勢いよく出るというよりは、ベランダの縁においたところてんのように滑り落ちる感覚。僕は飛行機に興奮した子供を装い、窓際に顔を貼り付ける。もちろん伊達ガラスなために、まるでそこにガラスがあるようなパントマイムを駆使しなければならない。まずは手のひらで壁があるような形を作り出し、顔を歪ませ、近くで見ていることによる豚鼻の姿になった。パントマイムに必要な技能を着実に着飾っていくと、これが僕なりのファッションであって、雑誌や誰かの意見を着回している時点で、それが本当に自分が求めている姿なのかとブルゾンとの追いかけっこが始まる。僕は伊達ガラスから離れ、まだ停車していない車内の中で立ち上がり、ランウェイを歩くスーパーモデルのパントマイムで、左右に揺られながらも何とか前に突き進み、つま先から、背筋から、頭部にかけてピンと襟を正し、さもキセルをしていないようなカリスマ性で、エスカレーターをくだる模写でバスを降りようとした。その瞬間、運転手から声をかけられ。僕は家に帰るまでがパントマイムであるように振り返ると、運転手は、帽子落としましたよ、と言って教えてくれた。それは、緊張のあまりポコチンが萎縮してしまったことを残す証拠になってしまい。僕はありがとうございますと言ってテンガロンハット拾い上げると、人間として生活している癖で、そのまま頭に被せてしまった。こうして脳みそは衰えていくのかと思うと、手に職をつけるべきなのかもしれない。


手に職をつけた僕は、空港内にあるセレクトショップの意味も知らずに探し回り。ようやく虹色のサロペットを見つけると、試着室で袖を通した。見事に全身を隠せる布にご満悦した僕は、鏡の中の自分と姿見を合わせ、テンガロンハットのツバを親指と人差し指の腹でつまみ、深く被った。なかなかの虹色男に、女豹のポーズや、腕組みをするラーメン屋のボーズと様々なポージングで、その虹色を濃くしていった。カーテンの向こうから店員さんが、お似合いですよと言うので。まんまとそのガールズトークにやられてしまった僕は、鏡の自分に指拳銃を突きつけ、買いますと言いながら、指拳銃を撃った反動で少し上に傾けた。すると店内の照明が落ち、停電が起きた。老若男女のお客さんとニットとカーディガンが次々に毛羽立っていき、パニックに陥った。僕は試着室の中からザワつきを聴きながら、原因は僕の指拳銃による弾が照明に当たってしまったのだと、責任を感じていた。とりあえずカーテンから顔だけを出し、上下に移動することで浮遊するマジックで落ち着きを取り戻そうとした。そんなマジシャンを他所に、暗闇の中でも方方から、お似合いですよという店員さんの声がしていた。緊急事態でも、褒めることを忘れないプロ根性を目の前に、いたたまれない気持ちになった僕は、指拳銃をこめかみに突きつけ、バーン、と言って打ち抜いた。続けて額にも指拳銃を突きつけ、同じようにバーンと言って打ち抜いた。僕がいつまでもロックスターになれないのは、バーンと言いつつも、中指による引き金をいつまでも引けないからである。そんな情けない自分に苛立って、いらっしゃいませ、どうぞごらんくださーいと頭を掻きむしりながらシャウトしてみると、次々にやけに長いあいづちがこだました。まるでギャル店員による気になっちゃう大合唱が店内に地響きを鳴らしたことで、とてもエモーショナルな気分になれた僕は一歩だけロッカーに近づけた。本当に背中に翼が生えたような、どこまでも飛んでいけそうなイメージに。両手を広げ、飛行機と一体化となり、そのまま店の外に羽ばたいていった。あわよくば女性のからだに触れられないかと、きたいに胸が膨らんだ。


喫茶店でメロンソーダと付属のさくらんぼを食べながら、食後のたまごサンドウィッチを楽しみに待っていた。隣に座っている女性も僕と同じようにメロンソーダを頼んでいて、もしかすると僕の飲み姿に購買意欲を湧かせてしまったのかもしれない。すると突然女性は立ち上がり、僕の席に来て、相席よろしいですかと言ってきたらどうしようと考え、悶々としていた。おそらく僕は、いいですよと言うのかもしれない。或いは、どぅうぞと格好つけるのかもしれない。正しくは、声が震え、挙動不審になり、あ、あ、あ、と言うのだろう。僕はグラスを左手で持ち上げ、右手の親指と人差し指の腹でストローの先を持ち、リスがどんぐりをかじるようにチビチビ飲み始めた。この吸引方法はフェイクであり、本来の目的は辺りを見回すための口実を作るための策略である。いかにも海に溶けるような淡いネックレスがゆらゆらとグラスの底に沈んでいく姿を恋人との重ねてきた時間を見つめ直す振りをして、実際は隣に座る異性の顔をハッキリと見たい為だけのグラス持ちである。僕は視線を着色料、女性、着色料、女性、女性、女性、女性、女性、着色料着色料着色料着色料に移した。若干のゲシュタルト崩壊に気分が悪くなった僕は、グラスをテーブルに置き、目を瞑った。バラバラのパズルを組み立てるように、何度か確認できた女性のパーツを頭の中で並べていった。もちろん思い出補正によるズレが生じてしまうのは致し方ないが、与えられたチラ見パーツによる顔が完成すると、初恋の女の子にそっくりだった。隣の女性は金髪ロングヘアで、初恋の女の子は黒髪ショートヘアなのは致し方なく。隣の女性はきつね顔に対し、初恋の女の子はたぬき顔なのは丁度致し方ない。わざとではなく偶然致し方なくなってしまったのは、本当に致し方ない。ただ、目元のほくろに関しては文句なくそっくりであるので、トータルで言えば五分である。僕は偶然の出会いから巻き起こる運命的なこじつけによって幸せを得た選ばれし能天気な夫婦の軌道に乗れるのではないかと、ゆったりと目を開ける。隣には女性と、犯行に使われた男のような人が座っていて。やはり僕の生きる道には、恋が付き纏ってこない人生が設定されているのだろうと、さだめを恨むしかなかった。僕は伝票を持って立ち上がり、お喋りに夢中であることを利用し、カップルのような人達のテーブルに置いていった。これだから恋は盲目と言って揶揄されてしまうのだ。僕はレジに立つ店員さんに声をかけ、店内にいる人達をランダムに指差しながら、伝票はこの中の誰かに渡してありますのでと言って撹乱し、煙に巻いてみせた。すると店員さんは、じゃあ誰にしようかなあ、と言いながら笑顔を振りまいた。僕は、どきっとして、バカになっている一目惚れメーターが左右に揺れ始めたが、そこは客と店員という立場をわきまえ堪えるのに必死だった。今度来た時は、お代は頂いているのでという顔で店を後にしようと決めた。


空港内では怪獣が上陸してくるように、ゲリラだ、ゲリラ豪雨だ、とくちぐちに声を揃えていた。外は確かに暗雲が立ち込めていて、僕はこの瞬間にベランダに干していた洗濯物を思い出した。ここ最近の読めない天気に振り回される人びとのひとりとして責任を感じていた僕は、急いで自宅に帰ることにした。バスはトラウマに定評があり。やはり信じ抜くことができるのはタクシーだけと改心し、タクシー乗り場に向かった。しかし、人類皆ともだちであるように考えることは一緒で、お友達もタクシーに乗ろうと、長蛇の列ができていた。僕は最後尾と書かれたプラカードを持つ男性の横に並び、順番を待ち始める。先頭が見えないほど人間の頭部で埋め尽くす姿を、まるで人気アトラクションであるかのように比喩してやろうと思ったが、その安直で使い古されたリユース比喩表現では、物足りない気がした。僕は新しい例えを考えながら、お迎えが来るまでの死を待つような雨足の中で、時間を潰すことにした。プラカードの男性が、最後尾はこちらです、と言いながら僕の視界から外れる。列はさらに長さを増していくので、元最後尾である僕は先輩風を吹かせ、後方に並ぶ絶対的な一回り以上歳上のサラリーマンに声をかけ、自分のことを親指で指しながら、俺、元ここの最後尾、と言って横柄な態度を取ってみせる。さすがにサラリーマンも初めはネットに晒されてしまう正真正銘の狂った人、通称くるんちゅの一派だと思い込み怪訝な顔したが、そこは体育会系ならではの圧倒的な下下関係に、サラリーマンは慌てて背負っていた、社会人としての責任や覚悟、プライドや気にしすぎた世間体、日々のストレスをおろすと、溢れ出る涙を堪えられずに膝から崩れ落ちてしまった。側から見れば、後輩にパワハラをする先輩の構図として成立してしまい、僕はサラリーマンの背中を吐瀉物がスムーズに流れ出る為の補助役のようにさすってあげた。それでもサラリーマンは嗚咽が止まらず、僕はサラリーマンと背中合わせになり、背筋を伸ばすためのストレッチの要領で持ち上げ、人生は何度でもやり直しが効くという意味を込めて、再び、最後尾に並び直した。列から外れて行く際に見た、自分さえ良ければいい人間達の蔑むような表情。僕はサラリーマンに悟られないよう、話題を最近あった激おもしろすべりしらずエピソードはないかと振る。肌に伝わる熱が温かみを増していくなかで、サラリーマンは背中越しでこう言った。あ、はあ、はあ、ああ。


話は十年前に遡ることもなく、先頭から数え三番目、最後尾から数えおよそ二十四番目となった。どうせなら喫茶店のサンドウィッチでも、サンドウィッチです、サンドウィッチです、サンドウィッチです、と言いながら俯き感傷に浸ること十五分。いよいよ僕のバンバンとなり、待てない気持ちを首を長くすることで魅せる獅子舞のような首まわりと首まわし使いの表現者で、無邪気さを逃していた。タクシーが目の前で止まり、僕は最小限の濡れに抑えようと、とりあえず後部座席のドアを開けてもらった。そして歩幅を合わせるように二十メートルほど後ろに下がると、両手を真上にあげながら走り出し、観客に手拍子を求める。どれだけ凶悪な犯罪者でさえも手拍子を求められてしまえば、自然と手と手を合わせざる得ない。あいにく空港全体に及ぼすギャラリー達からは誰ひとり手を合わせることなく、無常にも僕の奏でるクラップ音だけが飛行機に負けじと響いていた。すると観客の中から誰かの声で、ハンドクラップ王子だ、という絶対に流行ることのないキャッチフレーズが飛び交い、僕は満更でもない顔をしていた。タクシーまで五メートル手前まで近づくと、体育座りの要領でからだを中心に折りたたみながらジャンプし、シート目掛けて飛び込んでいった。足先から頭部に向かって順番に車内へと乗り込んでいくと、まだシートに着地していないというのに、行き先を運転手に告げた。そしてそのまま新記録となると、空港全体が無理をして盛り上がった。運転手は僕に向かって行き先の確認をしてきたが、一語一句間違えていた為に、僕はもう一度ベランダまでと告げる。けれど運転手は、ラベンダーですか?とか、オランダですか?とか、西荻窪ですか?とか、的外れなことばかり抜かすので、今度はゆっくりとした口調で、ベタンダ、とヒント多めに抜かし返してみる。すると運転手は、察しの良いスナックのママのようにアイコンタクトで僕に示しをつけると、カーナビの行き先に田町と入力し走り出した。とりあえず三代目一件落太郎となり、シートに深くもたれ掛かると、左肩だけが異様に濡れていることに気がついた。


運転手から、お客さんテレビで見たことありますよ、という鎌をかけられた僕は、運転手さん不倫しているでしょ、という脈略もない鎌を振り返すと、タクシーは信号無視を繰り返した。冗談のつもりだったが、自然と心当たり屋となって運転手のメンタルを破壊してしまった。まるで人に迷惑をかけることが面白いと思っている人間のクズを投影した自分にバチが当たるように、左肩だけに一定の間隔で雫が落ち続けている。僕は車内が雨漏りに見舞われているのだと思い、天井を確認してみるが濡れている痕跡はなかった。次に窓からの隙間雨が入ってきているのだと思い、顔を左に向けると、そこには髪の濡れた女が座っていた。一瞬でからだが硬直し、何事もなかったように顔を正面に向け直したが、意識は左肩に集中していた。髪の濡れた女によるボブヘアの毛先に伝って滴り落ちる雫。前髪ぱっつんによる、ぱっつんのための、ぱっつんに、僕は恐怖よりも興奮の方が若干上回っていた。いつからいたのだろうという心霊要素。傷んだ髪を早く補修してあげたい恋愛要素。怪談話界のレジェンド、いつまでも受け継がれ続ける伝統芸能という心霊要素。最終的には消えていなくなると、シートがびっちょり濡れているという恋愛要素。先程から髪の濡れた女は、腰をしならせながら何度も何度も人差し指を前に突き出している。僕はそれを横目で見ながら、もしかすると怪談話における肝であり軸を担っている、お前だ、という決め台詞で、からだをいわさないように肩を作っているのではないかと想像していた。運転手はいつの間にか田町へのルートを外れ、山道を超え、ヘアサロン街を彷徨っていた。いくらボブヘアだからといっても、中身は透明感のある幽霊だと改めて思い知らせられると、まだ余裕のあった僕の恐怖心が地を這うように飲み込んでいった。唯一自我があるのはルートを何度外れようと、目的地である田町までの行き先を変更し続けるカーナビだけで。もはや案内などどうでもよく、僕達の意識を取り戻すために叫び続ける魂のルート変更を担っていた。


運転手とバックミラー越しに見つめあっていると、タクシーは大通りにあるヘアサロンの前で止まった。これは止まったのではなく意図的に止めさせられたのだが、運転手は異変に気付いていない。ヘアサロン街をグルグルと巡回している間に、髪の濡れた女は手当たり次第に電話をかけていた。幽霊も電話越しでは他所行きの声の高さで話し、電話を切る際はうらめ失礼いたしますという、ファンの期待を裏切らない裏表のないキャラクター作りが徹底されていた。恐怖心が最大に高まったところで、髪の濡れた女は咳払いをひとつして、準備に取り掛かった。いよいよ、怪談家によるゴーストオマエダーではなく、生の現場に立つ幽霊からのお前だが響き渡ろうとしている。髪の濡れた女は、人差し指を大きく上に振りかぶると、そのまま天井にぶつけ、突き指をした。小さな声で、いたっ、と言って、痛みに悶えるように歯を食いしばりながら笑い始めた。あまりの痛さに逆に笑けてきてしまうことがある。どうしようもなくなったからこそ、笑いが止まらなくなることがある。自分の手の長さを見誤った髪の濡れた女は、恥ずかしさのあまり消えていなくなった。予定通り運転手が後部座席に振り向くと、びっちょりと濡れているシートに驚いた。それはここに幽霊がいたことではなく、僕がお漏らしをして汚してしまったように映ったからである。運転手から弁償代を払え、と言われ。僕はここにいた髪の濡れた女の仕業だと弁解した。しかし、そんな怪談話は信用してくれるはずもなく、窮地に立たされた僕は人差し指と中指を立て、お前だ、と言いながら運転手の目潰しにかかり、うなだれている隙に逃げ出した。雨はすっかりと上がっていたことで、濡れ損ねたリーゼント男になってしまった僕は全速力で行方をくらましにかかった。せっかくなのでポマードでも借りようとヘアサロンを覗いてみる。こんな日は世界中のシートがびっしょり濡れてしまえばいいのに。僕は彼女に声をかけてあげられなかったことが心残りだった。


どうせなら胸でも揉んでおけばよかった。それか、タクシーの揺れを利用して手を繋いでおけばよかった。生粋の童貞である私くしめに後悔の念がしわ寄せとなればなるほど、僕は路地裏に迷い込み、完全に迷子になっていた。風向きを調べようと、人差し指の第一関節を舐め、空中に掲げた。これで肌に冷たく感じる方向から風が吹いていることがわかる。僕は格好と知識だけは誰よりも負けるために、これをしたところで指を臭くしただけに終わってしまう。次にスマートフォンの第二画面までを舐め、空中に掲げてみる。まるで電波の悪かった時代の携帯電話のような懐かしさがあり、僕は久しぶりに携帯ストラップを馬鹿みたいに付けたくなった。ドブネズミのような臭いになってしまったスマートフォンの残量は五パーセントしかなく。頼みの綱引きで張り切る父親を見て若干引いてしまう覚悟で、検索ワードに流星と入力し、星が流れている画像を見ながら願いを込めることにした。また彼女と会えますように。充電が切れませんように。洗濯物が濡れていませんように。ヤンキーに囲まれませんように。財布が取られませんように。中身を確認して一文無しだったばかりに、飛んで確認させられませんように。ジャラジャラとした音が小銭ではなく家の鍵でありますように。結局はらを一発殴られ、俺たちの縄張りに二度と入るなと言われ、あてもなく歩いていた先が大通りでありますように。こうして願い事を込めていると充電が切れた。真っ暗な画面へと切り替わり、そこに映る自分の顔は欲望の塊である鬼の形相でいた。まるで自慰行為姿をアダルトビデオ鑑賞中の暗転によって見えてしまうような必死さがあった。まさにとびっきりのブサイクと言った感じで、不敵な笑みに光るよれたティッシュが歯茎の間に挟まっている潔さがある。


童貞を失った暁には迷わず赤飯を炊きます。という公約を掲げ、こっそり選挙活動に勤しみたい我々一同を引き連れて、最寄りの駅まで送ってもらった。危うく願い事が叶っていくと四季の大三角形を恨むところであったが、地元のヤンキー達による軽のシャコタンに攫って本当にヤバい先輩に見つからないよう匿ってあげる集団、鬼には死を与え女には制裁を与える男、鬼死女男と書いて、きしめん、と読む、幅と広さと薄さに提供のある平たいおうどんのような温かみのある彼らに命を救われた。ヤンキー達は別れ際に車内の窓という窓を全て開け、仲間に贈る応援歌のように、それぞれの節にのせて歌い始めた。人生と一緒で路頭に迷うこともある、しかし諦めければ出口は必ず見つかる、そこまで一生懸命に歩いてみろ、もし倒れそうになっても俺たちが後ろで見ているから大丈夫だぜ、とありがちな輪唱をしている彼らに、僕の通常時の表情がどれかわからなくなった。駅に着いたのはいいものの、お金を持っておらず。彼らの歌詞通り、線路内に立ち入るという十六歳なりのジャーニーにでも出ようと思ったが、彼らの想いを汲み取り本当にやめておいた。路線図を見て、現在地と自宅までの距離間を測りながら、何と無しに股間に手を入れると、陰毛に絡め取られた何かが挟まっていた。僕は恐怖のあまり目を瞑りながら拾い上げ、そのまま太陽にかざした。手触りでは紙切れのような、あわよくばお札であって欲しいような期待値の上がる薄さである。僕はゆっくりと目を開け、何かを確認しようと思ったのだが、太陽が放つ光に邪魔され目が開けられなかった。この時間が曇天ならば目を瞑らず済んだのに。まるで任侠映画に影響され、口調や態度が変わってしまうように、不覚にもヤンキー達といたことによりタイマンを張りたくなった僕は紫外線にメンチを切り、愛する女や仲間達を守り抜く視力を犠牲にして戦いを続けた。


この街にも夢や希望や欲望がまみれていて、花壇のパンジーを一輪紡ぎだすかのようにビルの角をつまんでみる。そのまま引っこ抜いて別のビルの上に違法建築してみると、それぞれの安定した職業達が騒ぎ出す。上空の飛行機を紐で括り、謎のマスコットキャラクターから貰える風船のように遊ばせてみる。結局は凧揚げの要領で遠くに離れていくと、スチュワーデスの吐息からこぼれるビーフオアチキンでさえも、セックスオンザビーチに溶ける氷が時の流れを教えてくれる。この街は僕にとって第二の故郷であり、第三の刺客であり、第四のテーマパークだ。帰り道はこうして窓の外に映る景色を眺めながら、遊んでいた日のことを思い出す。久しぶりに乗った電車は金木犀の香りが充満していた。その甘い蜜に誘われ痴漢に勤しむ輩達を横目に、僕はポケッツに忍ばせたIC定期券を握りしめていた。結局はヤンキー特有の見栄によって、旧一万円札が陰毛に挟まっていた。僕はそれを二度と来ることのない街と連結させた。向こう一ヶ月間は自宅と用のない街が架け橋となって生活を続ける。食事中、自慰行為中、入浴中、睡眠中、いつだってICカードに用のない街が刻印されている。僕がふと思い出すたびに、思い出のない街の風景を思い浮かべては、何も思わないのだ。時間が経てば文字は薄れていくが、いつまでも消えることのない刺青は永遠に残り続ける。いずれ、更新のお知らせが寒暖差のようにやってきて、ようやく残暑からの解放と共に、終わりを意味する季節が恋しくなり、推しのメンバー登録期間が延長していく嬉しさに重ねて、僕はまた用のない街に用事を作るのである。ひと昔前は駅員によるアナウンスで駅を知らせてくれていたが、最近では録音された機械に変わっている。あれはどこかのスタジオを借りて録音されたものなのだろうか。それとも音声そのものを開発し、打ち込まれたものなのだろうか。こうしてアンドロイドを日常に刷り込ませておくことで共存を図る振りをして、本来の目的である侵略が水面下で行われている。そんなことも知らず、性に貪欲な人間達はアンドロイドに夢中になり、若者達はロイドと呼び、ロイドフェチなる新たな性対象が生まれる。無駄のない曲線美に興奮したり、沢山並べることでコレクター魂に火を付けさせたり、パーツを舐めたり、パーツを分解したり、芸能人そっくりな違法アンドロイドが出回り、お手持ちのアンドロイドに顔のパーツを交換するだけで、我が家に憧れの芸能人が手に入ったりする。車内アナウンスが目的地を知らせると、僕は勃起したポコチンを隠すように膨らみをもたせた。起立の号令がかかる寸前に勃ってしまうような危機ではあるが、腰をかがめて歩くよりも堂々としていた方が怪しまれない。ただ猶予はあるために、十字線に並べられたおじさん達が手を振りながら笑っている映像と一緒に東京湾も思い浮かべ沈めていった。


きちんと可哀想な自分へのご褒美をあげようと、駅前にあるクレープ屋さんで生地だけを買って帰ろうと決めた。本音を言えば間違いなくチョコバナナを食べたいのだが、蕎麦屋でカレーを注文するような、粋でいなせな食通ぶりを見せつけ、店員さんに覚えて貰いたいのだ。そのうち裏で、三面生地、という洒落たあだ名の陰口を叩かれたい。誰が三面生地やねん、少しこんがり焼いたろかというようなエセ関西弁ツッコミに生クリームをかけて包み込みたいものである。通路の長い改札を抜けると駅ビルであった。喧騒の足音と重なる。獣臭。獣臭。獣臭。アスファルトを靴底で鳴らし、デパ地下へと消えていく。エスカレーターを下る際に、スキージャンプと同じように膝を曲げて乗ると気持ちが良く、しまいには着地後の余韻によってデパ地下を駆け抜ける。上りのエスカレーターに乗っていた女子高生達が、ラージヒル、ラージヒルとこちょこちょ話をしていた。僕はK点を狙いつつも、ラージヒルではなくノーマルヒルでしたあ、という知識マウントを頭脳明快に取っていた。滑空の途中で、母親が抱きかかえる子供と目が合い我慢比べをしていた。どちらが先に恥ずかしさのあまりそっぽを向いてしまうか、という男と女の子の戦いは、男の子である僕に軍配が上がった。女の子による二つ結び、右髪左髪の右髪が風に乗って僕の頬を刺していき。それは薔薇のように棘のある毛先で僕を誘惑し、いわゆるパパ活の、いわよらないマザ活による洗礼で怯まされていた。そんなエスヶ原の戦いの最中、歴史が生んだ負の産物片側空けによって歩行してきた、六十代前半、身長は百七十センチ後半、黒のハンチングを目深く被り、茶色のタートルネック、風神雷神のバックプリント短パン、紺のデッキシューズを履いている日焼けした男女が駅弁をしていた。今思わなくとも、女の子の中でうごめいた感情によって、デパ地下に現れた異端児、という認識が生まれ、そっぽを向かされたと考えても勝ちは勝ちである。


ご満悦。にっこり高笑い。あの日みた夕暮れの背中にバトンタッチ。ただし、排水溝のネズミはお咎めなしよ。物忘れが激しくなってきまして。などの生地を食べながら、今夜の枕を決めかねていた。結局は、自分に合ったオーダーメイドマクラっちゅうのがありますわな、という枕を使って本題に入ると、自宅に辿り着いた。さながらベランダの洗濯物は乾いていた。しかし、一度雨に濡れたものは汚れがついているので洗い直した方がいいという噂を聞きつけた隣人のマダムが、ベランダの縁に寄りかかり、葉巻を咥えながら、そう言ってのけた。僕は初めて葉巻を吸っている人を見た。隣人のマダムはごきげんようといった感じで、さらにもう一本葉巻を咥え、ほらこれがイノシシなのよ、イノシシの牙なのよ、と説明していた。マダム故の圧倒的ざます感に支配されたベランダの向こうで、不思議そうにカラスが通り過ぎた。僕はおパンティ類の皆様を洗濯カゴに入れながら、マダム渾身の形態模写を横目で見ていた。あまりにもクリソツなために、真正面から捉えたい気持ちはある。しかし昨日の晩に、セイウチなのよ、トラなのよ、カバなのよ、と牙のある動物をいろいろと試していた声が聞こえていたために、僕の方が恥ずかしくなっていた。このネタを引っ提げて日本中を回るのかと思うと、僕は今試されている立場にある。いや、言葉がいらないとなれば世界も視野に入れているに違いない。マダムはさらにもう二本を取り出し、鼻の穴に入れ込むと、今度は向かいの音楽教室に向かって叫び出した。バビルサ、バビルサなのよというソラシドは、音楽教室にはないドレミファによってかき消されていた。葉巻見バージンを乱暴に奪われた僕は逃げるようにそそくさと、部屋の中に入った。マダムが叫んでいたバビルサという言葉が気になり、スマートフォンを取り出しみるが、充電がないことを忘れていたために、調べることができなかった。


観測史上初の気になりを求め、洗濯カゴの中から立ち上がり、キッチンに向かい、冷蔵庫の前に立つ。僕は木に引っ掛かった風船を取ってあげ、それを目の高さに合わせ子供に渡してあげるように屈み、冷凍庫を開けた。中には、チキンライスとチャーハンが入っていたので、僕はチキンスライスに、後で食べてあげるからねと目配せをしてチャーハンを取り出した。そのままフライパンなり電子レンジなりで炒めてあげてもよいのだが、僕といえば通、通と言えば僕ともなれば一夜を共にしてから食してあげるのだ。まずは優しく抱きしめ、開け口にキスをする。いきなり舌を入れるような不潔なアプローチではなく、優しく、優しく、触れるか触れないかの距離が肝心である。そこで燃え上がる炎を焦らすように、封は開けず、デートついでの買い物に出かける。この時点である程度の解凍は済んでいるが、そこから遊園地に行きジェットコースターに乗せるもよし、観覧車に乗せて回るも良し。もしくは水族館に行き、イルカやペンギンのエサやり体験の際に、わざと中身をすり替えようとするイチャつきで楽しんでも良しである。僕が一番好きなのは、帰り際に寄ったスーパーの冷凍食品コーナーで他の食材を褒めるやり方だ。あざとくも嫉妬させることで油を注ぐことになり、本番を迎える頃には道具を使うまでもなく、ふやけている算段だ。今夜はカレーピラフの枕で眠るとして、僕はフライパンでチャーハンを炒めた。美しさとは美を追い求めないことにあり、まさにチャーハンを意味する。どれだけ盛り付けを半球体に近づけるかによって美味しさが変わってくるように、理想と現実の差に気づけた瞬間からが自分自身なのだ。と、裏のパッケージに書いてあった。


親指を立て続けること一時間。空港までと行き先を書いたダンボールを掲げること一時間。ようやくハザードランプが付いた自動車が止まり、僕は駆け足でベランダから部屋の中へと移動した。無事にベランダヒッチハイクが決まったことで、僕の中に溜まっていた安堵が漏れ出しそうになっていた。まるで右心房、右心室、左心房、左心室の四枚なでおろしをしたかのようである。鮮魚コーナーはさておき、二階ファッションと暮らしフロアはさておき、屋上駐車場はさておき、先ほどさておいていたものを居間にさておいたところで、昨日の晩にさておいておいたものがどこかに消えてしまった。ときどきリモコンの各種がどこかにいってしまうこともあるが、僕はさておいたものは確実にさておきに戻すようにしている。もしかすると、飼っていないスコティッシュホールドのホップちゃんの仕業なのかもしれない。なんてことを思っていないと、窓の外からクラクションが鳴った。僕はカーテンの裏やソファの下に隠れたホップちゃんを探していないと、丁度一緒のクラクションが鳴らされた。最近流行りのあおり運転者モデルかと思い、証拠を残そうとカーテンの陰に隠れ、目一杯腕を伸ばし、スマートフォンのカメラを窓の外に向けた。クラクションは自分をコントロールできない老害のように喚き続けた。これで、SNS上でバズることができる。何万いいね。何万リツイート。お前有名人じゃんか笑い、てきなリプライも飛んで来ることだろう。だが、わかっていた。録画されていないことに。本当にさんざんである。振り返れば安堵もどこかに消え、挙げ句の果てには、よれたお弁当から汁がこぼれ落ちる次第だ。何度こうしてチャンスを逃してきたのだろうか。僕は腹を括り充電をおこない、祈るような気持ちで手術を待っていた。いつかのスリーマンセルがここに来て機能し始め、ようやく玄関を出ると、お得意の土下座ほふく前進を使って突き進んだ。尋常ないほどの冷たさを誇るコンクリートの上を、ただがむしゃらに、ほぼがむしゃらに突き進んだ。僕は人間ではない、キャタピラーだ。これが僕の最後の言葉でありたい。


運転手のご陽気なアメリカンジョークを皮切りに、僕は指ピストルを運転手のこめかみ付近を狙い。動くな、ヒッチハイクジャックだと言って脅すつもりだったのが、緊張のあまり、文房具屋、筆記体風カートゥーンだ、と噛んでしまった。恥ずかしさのあまり、指先が震えだし、膝が笑いだし、アゴがしゃくれだし、かつお昆布だしでシチューをつくりだすように、からだが痙攣した。引くに引けなくなくなったことで更なる混乱を招き入れ、下手では指ピストル、上手ではしゃくれアゴ使いとして、ヒッチハイクジャックとケイシャチュになってしまった。これで僕も白い白馬のように重複してしまうのだろうと思っていた。しかし、運転手は何も言わずサービスエリアに立ち寄ると、口パクでトルネードポテト買ってきますね、と言い降りていった。僕は運転手の背中にプリントされているペガサスの刺繍を見ながら、指をしまい、アゴをしまい、ポコチンをしまった。毎度のことながら僕の陰毛がデカいばかりに、社会の窓とは言わず惑いの釈迦に挟まってしまう。車内でひとりとなり、がら空きの運転席を狙うために三列シート目から移動を試みた。ゴールデンペーパードライバーであることは関係なしに、後席特有の乗り降りに思いのほか手こずってしまい、辿り着くことが出来ないでいた。せっくすの逃走のチャンスなのに、親に行けと言われ、お金まで出して貰ったので仕方なく取りに行った自動車免許は身分証明書と化してしまったゆとり免許であることは別として、トルネポの帰りを待った。まだかなあ、まだかなあ、と言いながら起き上がり小法師のように体育座りでゆらゆらと横に揺れた。子供の頃に親の買い物について行かず、車内で留守番をしていた興奮を思い出す。大音量で音楽を流したり、カラオケをしたり、エロ動画をスピーカーから流したりと、普段家の中ではできない欲求をここぞとばかりに満たしていた。僕は吐息で窓ガラスを曇らせマルバツゲームをしながら待ち続けた。タイムカプセルは切ない気持ちになるのに対し、カプセルタイムと言い換えるだけでおっぱいパブ感がでるのは何故だろう思いながら、右上にマルを描いた。


はい、これ。と運転手からトルネードポテトを手渡され、聖水を飲み込むように舌を突き出しモグしていた。本当は粉ミルクをたっぷり使用したベイビーソフトクリームが気になっていた。それなのに、香ばしい匂いとカリカリとした食感、それでいて見た目も面白く味も美味しいトルネードポテト如きを前に僕は黙らされていた。自動車は指示通り空港へと向かっていて、揺れも少なく安心安全を心がけている人質に対し、この身を預けても構わないと心底信頼させられていた。僕がかつて人質だった頃に、可愛がってくれた誘拐犯がいた。元催眠術師の腕を使い、つぎつぎに動物に変えていく一方で。なぜか僕にかけた催眠は、あなたはギンギンに起き続ける、という聞いたことのない暗示だった。初めは擬人化したカフェインかと胸の内でツッコミを入れていたが、時間が経つに連れてその言葉通り、だんだんも眠くならず怖くなってしまった。後になって僕を逃してくれるための策略であり、それ以前に僕のメイク姿がマンドリルそっくりなばかりに、本当に危ないやつだと思い早めに対処したかった。と、誘拐犯のオフィシャルブログ、奇声と一緒に手上げな、から一曲書いてあった。それから僕は誘拐犯になるため故郷を捨て東京に出た。拉致専門学校オープニング誘拐犯の募集要項に誘われ、門を叩いた。服装自由と書いてあり地元で盗んだスーツで行こうと思ったが、これはどれだけ誘拐犯を着崩せるか試されているのだと勘付き。今日のラッキーアイテム、ハムスターの親玉、に合わせ上下黒のもこもこルームウェアで恐怖を表現した。何の因果か僕以外ちくびに蝶ネクタイのかんざしで現れたときは、どちらも不合格かと思った。アメリカンドッグと同じように棒についた焦げを貪りついていたころ、空港が見え始めた。卒業記念にさらうはずだった女子高生は、童貞を悟られないよう意識するあまり肌に触れることもできなかった。


また何かあればこれに連絡してよ、いつでも待っているからさ、今度時間が合えば飲みにでもいこうよ、それからキャンプなんてどうだい、みんなでバーベキューしたりしてさ、肉なんか焼いちゃって、そしたら夜は肝試しだな。お前は好きな人いるのかな、もしいないのであれば俺が紹介してやるよ。純粋、純白、純金の三三七拍子揃っている女の子最近彼氏と別れたらしいんだよ。いわゆる純金だけにメッキが剥がれたってやつだな。じゃあ、またね。また何かあればこれに連絡してよ、いつでも待っているからさ、今度時間が合えば朝まで語り明かそうよ、それから旅行なんてどうだい、みんなで温泉卓球して、得点なんか決めちゃって、そしたらチョレイはマイタケだな。お前は働いているのかな、もしニートであれば俺が紹介してやるよ。きつい、汚い、危険の三三K拍子揃っている派遣入れ替わりが激しいらしいんだよ。いわゆる危険だけにあぶねえってやつだな。じゃあ、またね。また何かあればこれに連絡してよ、いつでも待っているからさ。と、渡されそうだった紙にそう書かれていそうだった。僕は本当に心の底から会いたいと思う人以外と連絡先は交換しない。意味のない交友関係を作ることで、どうでもいい悩みに縛られ、時間を無駄にするからだ。僕は運転手と連絡先を交換し、すぐさま消した。恩を仇で返したことで、これから待ち受けるバチに期待を寄せる。走り去っていく自動車の運転席から手だけが顔を出し、挨拶をされた。僕はそれに応えるようにナンバーを何度も大声で叫ぶと、ハザードが五回点滅した。


空港に戻ってきたのか、それとも帰ってきたのか。自宅という枠に縛られずいまを生きる。体調はすこぶる悪い。まるでトルネードポテトに腹を下されているみたいだ。僕は空港内のトイレを探し回りながら、空弁を吟味していた。空弁が体位であるとすればどんな形だろうか。男が影絵で保安検査場を作り、その下を女がくぐり抜ける。アラビア語で言うスィッタティサァに近い形を造形してくれと一生のお願いをこれに決めた。正直今日まで使わずいたことを我ながら誇りに思う。お菓子もおもちゃも友情も約束に目もくれず、一生のお願いを胸ポケッツにしまっておいた。僕はいかめしとケバブ弁当を手に取りサイドステップでレジに並んだ。子供の頃から勉強も運動もできず、肩を落として歩いてた歌舞伎町で、黒い絨毯を颯爽と歩くホスト達を避けるために使ったサイドステップを偶然貢いでいたおばあちゃんが褒めてくれたことで自信に繋がり。どれだけの肩を落とそうと、サイドステップだけは辞めずにいた。おばあちゃんの葬式はミラーボールに、シャンパンタワーが焚かれ。ホスト達による弔辞は、おばあちゃんが大好きだったという一気コールで綴っていたことを覚えている。そのあとナンバーワンホストらしき人物が訪ねてきて、名刺を渡された。力と一文字だけ書いてあり、その上にパワーと源氏名が振ってあった。なんて潔い名前なのだろうと感心する上で、おばあちゃんの心が力で奪い取られたことを思うと、少しだけ寂しかった。まるで昨日の今日のように思い出していると、番号札エプロンをかけた女性がこちらに手を振っていたので、僕も同じように手をふり返した。胸元の番号はかつて僕が呼ばれていたものと同じで、誠に僭越ながら記憶を辿るようにレジへと歩き出した。お会計はもちろん、キャッシュレスで。


薬指の第二関節に仕掛けたエビのレプリカ。なんちゃって、うそぴょんである。いや、うそぴょんなのだ。こうしてもどうしてもいかめしもケバブも食べられないと言うのに、一個前の僕は二歩先の自分を何も知らなかった。まさに持て余した空弁片手に、とりあえず座れそうな場所を探し、ひとまず空港の外に出ると屋根付きの椅子を見つけたので座ることにした。年齢を重ねているうちに、いつの間にか食わず嫌いが治っていたりする。以前はハンバーガーに挟まっているピクルスを抜いて食べていたが、今は好んで食べている。成長が止まらない現時点での僕も、いかめしとケバブが克服されているかもしれない。膝の上をテーブルに見立て、お弁当を広げた。箱を開けるとイカックスナインの対位に入れられた二つのいかめしがお披露目した。見た目は水風船を膨らましたようにイカ臭く、万が一玄関に置き忘れてもなくさないほどの重量がある。隣に座っている人妻がこちらを一瞥し怪訝そうな顔をした。本当は好きなくせに、隠し通せるような性癖などこの世にないのだ。僕は早速食べようと袋の中の割り箸を平泳ぎでかき分けるように探したのだが、一膳も入っていなかった。僕の泳ぎ方が悪いのかと思い、バタフライ、背泳ぎ、クロール、ドルフィンキックのドリームメドレーで再び泳いだとしても、一膳も入っていなかった。俗に言う困ったちゃんであり、困ったくんでもある状況にて今晩はお開きでと言いたいところではあるが、ブロロロロン、ブロロロロン、と川上から助け舟がやってきた。人妻はセカンドバッグ風ポーチポシェットの巾着型ブランド小物から、国産杉で作られたような細長い箱を取り出し、よかったら使ってください、と言って口移してくれた。僕はキスで受け取りながら唇を震わし吐息で語りかけるように、ふぁりがほうほざいはふ、と言うと、飲み込めなかったよだれが虹を描くように糸を引いた。箸箱を開け、人妻のマイ箸を取り出した。なぜ隣に居合わせただけの僕に優しくしてくれるのだろうと考える余地もなく、僕自身にありったけの母性本能をくすぐらせるほどの雑魚感が全身に滲み出ているからだと知っていた。完璧な人間よりもどこか抜けていて、私がいないとこの人は消えていなくなってしまうと思わせるだらしなさと、それでも憎めない可愛さを兼ね備えたナマケモノに女性は弱いのだ。イチコロ、ニコロ、サンコロリとダイスを転がすように躍られせてあげるのだ。人妻のマイ箸、今は僕の他人箸を使いいかめしを持ち上げてみる。ニスが塗られたような光沢のあるいかめしを四方八方から覗き込む。まるでお宝を鑑定するように細部まで目を光らせると、照れに照れたいかめしは恥ずかしそうに全身を真っ赤にした。いまさらながらなぜ人妻だと気づけたのかと言えば、薬指にじゅわりと光るイカリングをはめていたからだ。


膝の上に置いておいたケバブ弁当がどこかに行けば桶屋が儲かる。儲かった桶屋はその足で駅前に行けばパチンコ屋が儲かる。儲かったパチンコ屋はその足で他店のパチンコ屋に行くので永久的にパチンコ屋が儲かる。昔からの言い伝えで、結局どこから引いても辿り着くのはパチンコ屋と決まっているという意味だ。景色は一変し、空港にいたはずの僕はその言葉通り一階にパチンコ屋が併設されている邪悪なマンションに辿り着いた。人妻は旦那と思われるスーツの男性にお金を貸してあげると、屈むようにして椅子から離れていった。僕はいかめしを舐め回していたところで、どこかに行ってしまう人妻に箸を返そうと急いで後を追いかけた。人妻は一直線にパチンコ屋へと向かっていて、僕は後ろから、はし、はし、はし、と息が漏れるように合図を送り続けた。ようやく人妻の背中に透けるブラを捉え、片手でホックを外しかけた瞬間に、店内からパチンコ玉を身に纏った男性が現れた。オールバックにグラサン手元にはセカンドバッグという、あまりのはんしゃっぷりに、一瞬自分自身がパチンコ屋にいたのかと見間違えるほどだった。人生はギャンブルとでも言いたげな出立ちで、男性は辺りをキョロると、人妻の背後をとり、股の下に顔を入れ、そのまま持ち上げ肩車にしてから、組体操のサボテンを作り出した。突如現れた赤組に店内の雑音もホイッスルのように聞こえ始める。上に乗っている女性も戸惑いを見せたが、最後はピンと腕を伸ばし、大きく胸を張って堂々としていた。あくまでも主役は女性であり、男性は縁の下で支える。新しい愛の形、いや、これからは女性が時代をリードしていくのだ、というメッセージのようにも聞こえ、見た目に反して筋の通ったサボテンがこれからの未来を教えてくれた気がした。


赤組はそのまま店内と消えていくので、僕は箸を指揮杖に見立てマーチングバンドの要領で上下に振りながら行進を始めた。精一杯白組になれるようイナズマのモノマネに力を入れた。すると僕の軽快なステップにつられ、ロバ、イヌ、ネコ、ニワトリが一緒になってついてきた。僕は嬉しくなってパチンコ屋狂想曲を奏でながら店内を歩き続けた。老い若いおとこおんな達がひしめく狭い通路を即席マーチングバンドの音楽隊がリーチに負けじと行進を続ける。しかし、老い若いおとこおんな達は目もくれず、勝負に挑み続ける。僕は悲しみがばれぬよう指揮棒を振り続ける。それでも腕の垂れ下がりを抑えきれず、そのまま店外へと出てしまった。僕は近くに止まっていたキッチンカーの前でうずくまり、柄にもなく機嫌を損ねてしまった。音楽隊達の心配をよそに人差し指で何度も地面に、ちぇ、と書くことで、上空から見ると舌打ちのミステリーサークルになるよう書き足していた。そんなミステリーサークルをよそに、音楽隊達は僕を勇気づけようとキッチンカーを囲み、歌歌い始める。ワンボーカル、スリーボイスパーカッションというヘンタイの構成ではあるが、その透き通るようなボイ声は僕の胸をスクラッチさせた。しばらく聞いていても全くわからなかったが、サビっぽいところに差し掛かってようやく曲名がわかった。愛は真心、恋は下心に向かってスライディングをして下半身を取り除けば亦だけが居残り掃除。これは僕がセカンドシングルとして出した十三枚目のアルバムに収録されているファンの間では六枚目のサードシングルとして知られる日本限定のミニフルアルバムである。レビューには総じて耳越しが悪い、不協和音の方がまだマシ、カラスよけとして使っていますなどの言葉が寄せられている。僕はそれらを目にするたびに悲しみによるおすそ分けの夜明け前に明け暮れ、絶望にウツボの思う壺に精神を追い詰められてしまう。ただ、今は違う。僕には仲間がいる。泣け、泣くんだ、今泣かなくていつ泣くのだ。思い出せ、好きな子に告白したメールが返って来ずにそのままブロックされた日のことを思い出すんだ。僕は嘘泣きの顔をあげ、立ち上がり、メニュー表に頭をぶつけ、よろめいた勢いでねぎまのタレ二本、つくねのタレ一本の絶妙に分けにくい数と品を注文した。


お待たせいたしました。こちらがパイナップルパイナポーで、こちらがつくねですね。わかりやすいようにパイナポーの方にキラカード貼っときますね。そう言われ白い袋を開けてみると、つくねが一本、タレ二本に大将のキラカードが一枚導入されていた。何が正解で何が不正解だったのだろうか。唯一の救いは、これがノーマル大将であったならば不正解だということだ。もしこれが世間に知れわたれば、俗に言うカード欲しさにお菓子を買ってしまう状態だ。僕は焼き鳥が欲しいか、キラカードが欲しいかの相談を音楽隊に持ちかける。最悪ジャイケンか、或いはタイショウデッキを使い勝負するか。二つに一つ、みつつに一つ、タイショウの女神は誰に微笑むのか、この時はまだ知る由もなかった、知る由もなかったいしょう。そんなことを芸能人のダイレクトメールに送りつけていると、手元のキラカード大将のからだが半分消えていた。目の前ではロバがむしゃむしゃと口を動かしていて、この時はまだ何も思わなかったが、洗い立てのワイシャツを思い起こすと、ピンときた。あれれ、食われたのだと。決しておよよ、食われたとは思わなかった。それはまるで、まるでその、あれのあれが消しゴム、消しゴムじゃない、消しカスの主人、主人だったかそんなのだからだ。ヤギでもあるまいし、ましてや音楽隊の軸を担っているロバが職務を放棄し、本能に身を任せるはずもない。僕はまだ現実を受け止めきれず、悪い夢から覚ますようにほっぺたをつねってみる。痛くない。もう一度つねってみる。痛くない、むしろ気持ちがいい。さらにもう一度つねってみる。僕は見つけてしまった、自分の性感帯を。今じゃなきゃだめでしょうか。そう言って神様に手を合わせると、日サロで焼いた肌に白髪白髭の神様が三歩前に歩いたのちに、上半身だけをこちらに振り返り、今なんだぜ、と言ってキザな空間に消えていった。文字通り僕の想定の範囲内であるが。


焼き鳥だけはせめて死守しようと、白い袋をランチョンマットの代用としてコンクリートの上にひらりと置き、その上につくねとタレを重ね、僕たちはスクラムを組み、臨戦態勢に入った。顔を見上げれば、季節外れの雪が降っていて。顔を見下げれば、常識外れの串が白く染まってきている。この場合の季語は、スクラムになるのだろうか。それともランチョンマットになるのだろうか。僕は一緒に季語について考えることにしたが、音楽隊達は音階が上がっていくようにあくびをし始め、飽きている様子だった。まもなくして、方向性の違いで解散をすることになると、僕は少しだけ積もった雪をかき集め、大将のキラカードに弔いの意を込めて、串を立てるように刺し、手を合わせ、右目から頬を伝う涙を流してみせるのだった。僕は手のひらに吐息をかけ、太古の火の付け方で擦り合わせ温めた。口笛を吹くと蛇が出る、夜に爪を切ると親の死に目に会えない、手のひらを擦り合わせると結婚が遠のく。いわゆる迷信というやつで、僕が好きなのは挫折を知った主人公が全てを捨て一からやり直そうと奮起する、という言い伝えである。雪はシンシンだか、シャンシャンだか、ランランだかと降り、行き場を失った人類は散り散りと寺のように駆け込んでいく。言わば結婚線が擦り減ってしまうことを言い伝えたいらしいのだが、それならば感情線や生命線の立場はどうなるのだろうと、慌てふためく人類を横目に僕はまた世の中を斜めから切ってしまった。


子供の頃は雪が降れば、雪だるまや雪合戦に明け暮れたものである。できた雪だるまを冷蔵庫で保管しておけば永遠に生き続けると信じ、まるで人体の冷凍保存と同じような現象を夢見ていた。現実は悲惨にも、汚れが詰まっただけの塊を撒くという不衛生極まりな行動の一種だ。平気で地べたに座り込むし、背負っていたリュックを砂利の上に放り投げるし、泥だらけの服を洗濯機の中に入れるしの、もうやんなっちゃう状態だがそんなところも愛くるしいのよねを含めた成分を配合し、職人が一手間一手間丹精を込めた一品。一日に七個しか生産できないために、再来年まで予約でいっぱいだが長年愛用できる商品。お値段はエーマン価格を抑え、デーマンプライス。本日はこちら孫の手のご紹介でした。今ならゴルフボール付きの孫の手もプレゼント。お電話お待ちしております。最近目撃する水商売系宣伝カーの紛い物版、長年愛され続ける絶妙にいらない系宣伝カーが通り過ぎていった。僕はゴルフ付きの孫の手も持っているし、限定カラーの赤の孫の手も持っている。いつかは世界に五本しかないと言われているゴールドの孫の手も手に入れたい。ときどき玄人ぶって、まごのて、ではなく、そんしゅ、と言ってしまうのは当然のことながらご愛嬌だ。僕は虹の根元が気になり探索してしまうように走り出した。もしも今日が遠足だったのならば、肩にぶら下げた水筒が放物線を描き、しんぴ倒立してしまうのは余裕で想像できる。どのくらい余裕かといえば、四方八方からハイエナがじりじりと迫ってきているその中心で、ビンゴカードのフリーを開けずとも、サバンナにトリプルリーチの影がさすくらいの余裕である。とのくらいのハイエナかといえば、東京に置きかえると狛江市以上台東区未満である。


ハプニングバーと曲者の違いを考えながら、あてもなく歩き出した。どちらも何かが起きそうだという点には辿り着けたのだが、そんな安直なことではなく、もっと核心に迫るような深い意味を持つ真鯛のようなシンセサイザーを知りたかった。雪は不覚にも幕が下りるように降り続き、終わりが近づいていることを僕の腰にあてられた拳銃のように知らせてくれていた。本部の人間がわざわざ殺しに来たとでもいうのだろうか。僕は顔を確認しようと一塁に牽制を送ってみるが、かろうじて見えたブラウンのケープコートに身を包んだ人間に、こちらを見るな、と書かれたアイドル用の手作りうちわを手渡され、それ以上は確認できなかった。しばらくグリコをして歩かされ、パイナツプルのプに差し掛かろうとした頃、沿道に先月オープンしたばかりのポップコーン屋が目に止まった。その瞬間、慌てたように標準の定まらない拳銃で腰を強めに押され、列の方に追いやられた。こやつの目的は何だろうか。不安と焦りとお腹いっぱいになりたい僕は、そのままキャラメルの香りに誘われ並ばされた。買ってこいというわけでもなく、一緒に横になって並ぶ姿はカップルのそれと似ている。ただこやつが男性か女性か判断できていない。限りなく女性寄りではあるが、甘党男性の可能性もなくはない。列は少しずつ前へと進んでいく。その間も腰にあてられた拳銃は離れない。おそらくそれに気付いた背後の女性達が、なんか拳銃あてられているし、ウケる、と言いながら手を叩き笑い合っている声が聞こえた。僕は殺されたくないが、こいつらを今すぐにでも殺してやろうという強い思いを殺されぬような殺意で隠し、やり過ごした。


店外から店内へと足を踏み入れ、そろそろ順番が回ってこようかとしていた時に、こやつからアイドル用の手作りうちわを手渡された。そこには新聞から切り取った脅迫文のような並びで、し、お、キャラ、め、る、と書かれていた。僕は続けて、Sサイズでよろしいですか、と小声で聞いてみる。するとこやつは、水切りをする犬のようにブンブンと顔を横に振った。僕は続けて、Mサイズでよろしいですか、と聞いてみる。するとこやつは、また同じように顔を横に振った。僕は続けて、チーズ味でよろしいですか、と聞いてみる。するとこやつは、手足をばたつかせ、僕の持っているうちわを拳銃で数回叩いた。ああ可愛い。可愛すぎる。なんて意地悪したくなるリアクションなのだ。もう殺されてもいい。いや、ある意味殺されているようなものだ。間違いなく、彼女、と呼んでしまってもいい。いや、ある意味呼んでしまっているようなものだ。僕は興奮して彼女の拳銃を奪い取り、こめかみにあてて、引き金を引いた。パーン、という銃声が店内に響き渡るが、大半はポップコーンが弾ける音だと思い、気に留める様子もなかった。僕は薄れゆく意識の中で、彼女にLサイズの塩バターを買ってやれなかったと思った。それは、僕がこの世界に置いてきた二番目の心残りとなった。後日天国への階段を上る途中で事務員と肩がぶつかり役職が変わってしまうのだが、この時はまだ天井の染みを彼女の素顔に重ね始めたばかりである。

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脳溶レ 長谷川雄紀 @hasegawayuki

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