終着点
━━アリスの視点
アリスは朦朧とした意識で、何かに導かれるように歩みを進めていた。暗い、腐った、呪われた洞窟の中をひたすらに前へ前へ。
腹部から広がる焼けるような痛みに耐えるのは、幼い少女には言い表せない苦痛に違いなかった。
持ち物はランタンがひとつだけだ。
魔導具『火種』に類する品なため明かり自体は申し分ない。
しかし、それだけで闇を進み続けることは危険にすぎる。
アリスは判然としない思考で、自分がどうしてこんな目に遭っているのかを思い返そうとした。足がもつれる。膝に力が入らなくなり、泥に座り込んだ。
泥が意識を持ったように波打ち、アリスの足首を握った。
ビクッとしてランタンを泥の中に落とす。明かりが水面に浸かり、あたりが一気に薄暗くなる。
「こらこら、座り込んではいけないよ、お嬢ちゃん」
怪しげな男の声に振り返る。
黒いローブを着た者たちがいた。
一団を率いるのは小柄な老人だ。
白い髪を生やしており、歪んだ口元には黄色く不潔だ。
右目は焦点があっておらず、長年の使用からか黄ばんでおり、それが作り物であることは見る者には明らかだった。
老人は義眼の位置を指でほじくるように調節し、黒目の位置を調整する。
アリスは老人の顔を見た瞬間に、彼らのことを思い出した。
数刻前、義眼の老人こそが鋭い得物を用いて、アリスの腹に穴を穿ったのだ。なんの目的でそんなことをしたのか推測することもできなかった。
ただアリスは傷つけられ、陰湿で亡者の蔓延る洞窟へ解き放たれたのだ。
アリスは必死にもがいた。足首を掴む泥の腕を振り解き、ランタンを拾い上げ、お腹に開けられた傷を握るように押さえて、再び闇のなかを走った。
怪しげな鉄扉にたどり着き、体重全てを使って寄りかかるように押した。
隙間を通り抜けて、さらに走った。
アリスは「強くあれ、強くあれ、死んじゃダメだ」と自分に言い聞かせ……闇をかけ、また扉を押し開き、泥に汚れて、最後には走ることができなくなった。
体力の問題ではなかった。
否、それもあった。彼女は血を流しすぎていた。
アリスが立ち止まったのは、そこが行き止まりだったからだ。
荒く息を吐きながら、ランタンを掲げる。灯りの照らす先、暗黒のなかに湿った黒い大きな顔面が現れた。埃かぶり、かび臭く、そこに忘れ去られて久しい様子だった。
アリスは息を呑み、自分が何か恐ろしいものの元へ辿り着いてしまったと悟った。ランタンで広い空間を右から左へ照らして、どこかに道が続いていないかを探した。道はなかった。
振り返るとあの義眼の老人と黒いローブの一団がランタンを掲げて、自分が先ほど通ってきた通路を辿ってついてきていた。広間への唯一の入り口が塞がれた。アリスは終わりを悟った。
疲労はピークに達していた。
アリスは階段に腰を下ろす。
階段の中腹に横たわる黒く湿った得体の知れない巨体に背を預ける。
「タスク『サバイバル』失敗……お姉様、申し訳ありません、アリスは、ここまでのようです……」
呼吸が短くなっていく。
手に力が入らなくなっていく。
ランタンを握る力が失われ、落として、階段をコロコロ転がった。
「素晴らしい。これほどの湿り気を持った巨人を見つけられるとは。ラインハルト卿もお喜びになられる」
「おめでとうございます、ウィーブル様」
「学会長、はやく拝領いたしましょう!」
「あの生贄はどうなさいますか?」
「案内役はもう必要ない、処分しておきたまへ」
怪しげな者たちは興奮した様子であった。
うちひとりがアリスの元へ近づいてくる。
自分は処分される。アリスは最期を覚悟した。
最後に思ったのは、不甲斐なさであった。
偉大な兄のようになりたい。
偉大な兄の代わりに、自分がしっかりとする。
涙が滲み、ほろりと白い肌をつたった。
(アリスはお兄様の代わりにはなれませんでした、申し訳ありません……)
ガゴンッ
遠くの方で物音がした。
ガゴン、ギャン
それは重たい金属音であった。
強力な力で打ちつけられる卓越した剣士たちがぶつかりあう時に響く音だ。
アリスも義眼の老人も黒いローブの者たちも音がだんだん近づいてくることに気がついて「ん?」と皆、疑問を抱きながら視線を入り口へ向けた。
その時だ。
暗闇が1回2回、火花で照らされたかと思うと、白い毛並みを携えた男が血まみれになって飛び出してきた。
義眼の老人は「ロレンス!」と叫んだ。
「狩人だっ!」
ロレンスが叫んだ直後、暗くて狭い通路から燃え盛る炎の剣と、凍てつく氷の剣が次々と投射されて、凄まじい勢いで飛び出した。
ロレンスは巧みで力強い剣裁きで、投射される剣の乱舞をバゴンガギャンッ! っと大迫力に凌いだ。
「リーサルキサラギあたっく」
「クソガキがあ!」
飛び出した少女をロレンスは口汚く罵倒しながら蹴り飛ばす。ここまで散々攻撃を浴びせられた鬱憤もこもっていた。
蹴りを繰り出した直後、少女の影から黒い外套を靡かせ狩人が飛び出した。
「《イルト・ダイアモンド》」
狩人の周囲に氷と水と風の魔力が生成され、高度に、複雑に重なり合う。
凍獄魔術。それは天才の編み出した範囲攻撃高等魔術である。
片手で剣を振り、もう片方の手を腰の杖に置きながら、魔術を行使することで、敵に接近を許さず、同時に自分の周囲に触れれば最期、凍てつき死ぬ領域を展開する攻防一体の隙のない完全攻撃である。
ロレンスは長年の戦闘勘からそれが自分の剣でどうにかできるものではないと悟り、咄嗟にその場を飛び退いた。
だが、狩人の背後から飛んできた水の弾丸によって宙に跳んだ瞬間を狙い撃ちされ、ロレンスはそのまま胸に穴を開けられ、吹っ飛ばされてしまった。
乱入者たちの大立ち回りを眺めていたアリスは、朦朧とした意識を覚醒させつつあった。冷たい氷の嵐のなか、佇む青年の姿から目を離せなかったのだ。
「お、兄様……?」
狩人は腕を横に振り、氷の嵐を解除する。
天井高くまで炎の球を打ち上げ、広い空間すべてを暖色に照らし出した。
狩人はアリスの姿を認め、驚い顔をしたのち、すぐに優しい笑顔を浮かべた。
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