道は違えど


 翌朝。

 アーカムは窓から差しこむ朝日の静けさを見つめていた。

 窓の外では小鳥がちゅんちゅんと鳴いている。


 隣人を残して、部屋をでた。

 朝の冷たい空気を肺一杯に吸いこむ。

 ルールー家の施した治療は傷の急速な回復を可能にした。

 使用したポーションが市場では流通していないような一流の錬金術師の治癒霊薬だったこともあり、腹の穴の痛みはずいぶんと和らいでいた。

 

 アーカムは勘で3日くらいで動けるな、と体の具合から予測を立てる。


「おはようございます、アルドレア様」

「おはようございます、ビショップさん」

「今朝はおはやいですな」

「はい。旧友が朝早起きだったもので」


 時計を見やれば午前8時少し前。

 ゲンゼディーフはこれくらいにはもう身支度を整えて、毛並みもセットし、完全な状態になっていたな、とアーカムはふと思い出した。

 

 火急の問題がないゆったりした時間だ。

 朝から忙しそうなビショップと別れて、アーカムは屋敷の中庭へやってきた。

 朝露に濡れた芝生で足首を湿らせながら、噴水近くのベンチに腰掛ける。

 ニャオ──猫型の益獣モンスター──が寄って来た。

 膝にのせてあげると、彼はその毛並みをもふりながら、冷たい明るさを称える空を見上げる。

 ごく自然と吸う。ニャオ吸い。

 この世にはニャオを吸うことでしか摂取出来ない成分が確実に存在する。


 アーカムは、空はどこでも変わらないんだな、などエモーショナルなことを思った。


「どこの空も変わりませんね」


 ちょうど思っていたことを言われて、アーカムは隣を見やる。

 アルハンブラが穏やかに微笑みながらやってくる。


「おはようございます」

「おはようございます、アルハンブラ神父。朝が早いですね」

「実はこの町を発つことになりまして」

「早いですね。悪魔を討伐する大仕事を成し遂げたばかりではないですか」

「たった一匹や二匹ですよ。ああ、いえ、あなたの功績を含めれば三匹でしょうか」

「教会への報告では、エレントバッハさんの功績にしておいてください。僕は通りすがりの旅人にすぎません。名誉は必要ないです」

「謙虚な姿勢には好感を覚えますね、アルドレア様。それは美徳です」


 アルハンブラはアーカムの隣に腰を下ろす。

 ニャオがもう一匹来て、神父のたくましい太もものうえでゴロゴロ言い始める。


「ビショップ殿から聞きました。ローレシア魔法王国への旅をはじようとしているとか。旅の道具はおろか、冒険者の資格すらつい最近まで持っていなかった貴方が」

「そういうこともあるでしょう」

「どうでしょうか。どうにも、訳ありのように思えてなりません」

「たいしたことはありません。ご心配ありがとうございます」


 アーカムはアルハンブラを完全には信用していなかった。 

 狩人協会とトニス教会の深い溝。宣教師の異常性。

 なにより、アンナにもテニールにも、狩人が教会にたいして、狩人協会をはさまずに接触することは危険だと言われた経験があった。


「旅はいいものです。私も若い頃は多くをこの目で見ようと、各地を放浪しました。ローレシア魔法王国へも行ったことがありますよ」


 アルハンブラは聖典を開いて、そこに視線を落とす。

 空気が変わった。ひりつくような圧をアーカムは感じていた。


「教会の権威が強い地域で活動してはいけない。協会は教えてくれませんでしたか」

「……」

「大陸の各地の聖教特区、そして聖神国、ここはあなたのような若い狩人がうろつくにはいささか以上に危ない」


 ニャオが毛を逆立て、狂ったように鳴いて逃げていく。


「もっともこういう意識を持っているのは教会のなかでも権威にうるさい者ばかりですがね」


 アルハンブラは穏やかに微笑む。 

 丸メガネの奥にはいつものような柔らかい糸目があった。


「これを」


 差し出されるちいさな冊子。

 どうやらトニス教会の聖書の簡略版らしい。


「布教用のミニサイズですが、内容は十分です」


 アーカムは恐る恐る、冊子を受け取り、ぺらぺらと目を通してみる。

 なんのことはない。第何節第何章と、永遠とつづき、聖神トニー・トニスのお言葉が連なっている、ザ・聖書である。


「それはある種の教科書です。あなたは卓越した魔術の才能をお持ちだ。それが”狩り”の助けになるでしょう。もっとも、主のお言葉に感銘を受けたと言うのならば、教会はいつでもあなたを歓迎しますよ」


 アルハンブラは分厚い聖典を閉じて、懐にしまうと、ベンチを立つ。

 そのまま、無言で歩き去ろうとする。


「あの」


 アーカムは声をかける。

 ふりかける神父。


「お仕事、頑張ってください」

「……。ええ、ありがとうございます」


 穏やかに微笑み、踵をかえして去ろうとし──アルハンブラもアーカムへ一言。


「聖トニスの祝福があなたにあらんことを。ライプン」

「神父様に祈っていただけるとは」

「はは、効果は絶大ですよ。ではこれで。若者よ、いい旅を」


 たまたま運命が交差しただけだ。

 白い戦士と黒い守護者は異なる道を歩く。


 アーカムはアルハンブラが去った後、静かに聖書を読みはじめた。

 朝の静かな時間。

 ニャオ達に囲まれ、主の言葉を読み終える。

 後半になると、内容は教えから、信仰の魔力に移っていき、そして具体的な魔術的指南へと移っていく。

 

「主よ、暗黒を焼きたまへ──《アークライト》」


 光の玉をつくりだし、それを指先で回転させ、短剣へ形状変化させる。

 以前、アーカムは悪魔を討つためにこの魔術を使えたが、それは一時的な学習だった。『聖刻』を抱きしめていたから使えただけだ。

 

 だが、もう違う。

 

「やっぱり、信仰心なんてあんまり関係ないんだな」


 アーカムは光の形状をいろいろ変えて練習しながら、自分がトニス教会に入ることは決してないだろうと思った。

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