幕間:お疲れ様でした。あとは大丈夫です。


 新暦3060年 冬一月

 ヨルプウィスト人間国

 首都エールデンフォート


「彫刻のようだ。芸術を知らないが、芸術を感じる」


 この地を訪れた第二代ゲオニエス帝が残した言葉は都市を、繁栄の都市を端的に言い表した言葉として有名だ。


 洗練された石造建築により、世にも美しい建物がならぶ永遠の大都市エールデンフォート。

 セントラ大陸最大の人類国家ヨルプウィスト人間国の首都である。

 偉大なる狩人の名を冠したこの大都市は、人間国だけでなく、文明文化を誇る人類全体にとって象徴的な都市でもある。


 日が落ち、暗きのなかで明るく色づく夜の街。

 冷たい風に人々が肩をすくめる。

 そんな彼らを高い場所から見下ろせる場所がある。

 エールデンフォート有数の高級レストラン『黄金の角笛ゴールドホルン』のVIP席である。

 

 VIP席で品のある貴族や商人が楽しげに会食するなか、ひとり微動だにせず、懐中時計の秒針を目でおいかける変わった紳士がいる。


 彼の名はアヴォン・グッドマン。

 狩人協会が誇る最強の狩人たち。

 当代の筆頭狩人、そのうちのひとりである。

 年齢は40代前半。

 渋い顔つきだが、かなり若く見える。

 20代と自称しても通用する若さである。


 銀色の髪をガッチリとオールバックで固めている。

 聡明な青い瞳をしており、丸いメガネがよく馴染んでいた。


 アヴォンは料理の皿が運ばれてくるなり、懐中時計をしまい、純白のナプキンを胸元に押しこみ、赤い血の滴るブルーレアのステーキを噛み締めた。


 赤ワインを口に含む。

 一息に頬張ると、鼻から香辛料で味付けされたジューシーな香りがぬけていく。

 アヴォンはこの感覚が好きだった。

 贅を尽くした食事でしか味わえない。


 文明を持つ人間だけの特権。

 闇に潜む怪物ではたどり着けない品性。

 美味い料理と酒は、人間の素晴らしさの象徴だ。


 心と体の満たされるディナーを終えて、


「11万マニーになります」


 金を払いレストランをあとにした。

 庶民ではとても足を踏み入れることすらできないその店の前には、馬車が止まっている。


 黒い外套を翻し、馬車へ足速に乗った。

 

「最近は冷えるな」

「ああ」


 馬車のなか、アヴォンは相乗りになった同業者へそっけなく応える。

 同業者の名はタイタン・アークボルト。

 アヴォンより2回りも身体が大きく、逞しすぎる肉体は、黒い外套を張り詰めさせている。


「報告が残っているが」

「絶滅指導者の話以外はしなくていい」

「だとしたら、何も報告できなくなるぞ」

「なら、何も報告する必要はない。私は狩りを選ぶ」


 淡々とした声は冷徹だ。

 雪の降るエールデンフォートを、青い瞳が馬車の窓から眺める。

 

「雪を見ると故郷を思いだす」


 30分ほど馬車に揺られていると、アヴォンは珍しく自分から口を開いた。


「ローレシアはいつも寒い」

「恋しいのか」

「いいや。あそこにはもう何も残っていない」


 それ以降、馬車内で言葉が交わされることはなかった。

 

 彼ら狩人は、その過酷な運命を受け入れた結果、死別を前提とした人付き合いをする傾向があった。


 アヴォンもタイタンも、例外なくお互いの死を隣に感じながら日々を生きている。

 

 2人を乗せた馬車が大きな建物の前で停車する。


 ゴルディモア国立魔法大学。

 ウィザーズ半島から優れた魔術師たちを迎えて、神秘の研究をおこなっている国家機関だ。

 魔法王国や魔術王国に引けを取らない権威ある名門魔法学校である。

 エールデンフォートの一等地に建てられており、大変に広大な敷地を誇る。

 多くの国家から積極的に留学生を受けいれる姿勢は、魔法学校留学ブームの火付け役となり、他の魔法学校の先駆けとなった校風の根拠でもある。

 

 ここには多くの人間が出入りする。

 例えば狩人協会関係者たち、とか。


 アヴォンは校舎へとつづく夜の寂しい並木道を歩いていく。

 ふと、たちどまる。

 タイタンもわずかに遅れて足を止めた。


 2人はおもむろに空を見上げて──それが落ちてくるのを目撃した。


 人だ。

 人が落ちてくる。

 寒空から落ちてくる。

 どれほどの高さから落下してきたのかわからない。

  

 アヴォンはわずかに膝をたわませて、ピョンっと軽い調子で跳躍した。

 空中でキャッチする。

 衝撃は薄く張り巡らせた鎧圧へ逃して、完全に殺し、無傷で人を受け止めた。


 音もなく着地。

 アヴォンは人を確認する。

 そして、驚愕した。

 なぜなら、空から落ちてきた珍客は、数十年前に離別した師──テニール・レザージャックであったからだ。


 動揺した様子のアヴォン。

 冷静沈着・無感情で有名な男がこんな顔をするとは──とタイタンは珍しい物を見たと感心する。


 ところでこの老人は誰だ、とタイタンは黙したまま見下ろす。

 

 テニールは身体中ボロボロで、顔は青白く、血を吐いた跡はすでに乾いている。

 アヴォンはその様を見て、終わりを悟る。

 

「あ……アヴォン……っ、はは、これは、なんたる幸運だ……」

「師匠、なぜ空から」

「──ぁぁ、気をつけろ、まだ、やつは死んでいない……」


 テニールの虚な視線。

 アヴォンは灰色の瞳に、空からふってくるソイツを見つけた。


 崩壊する身体から蒼い炎を吹いている。


「お前だけは私の手で殺してやるぅぅぅウッ!」

「吸血鬼だと!? なんで空から……!!」

「タイタン下がっていろ。私が滅ぼす」

「そうか、では、お手並み拝見だ」


 タイタンはテニールを預かると、一足で距離を置いた。

 滅ぶまで秒読みを迎えたクトゥルファーンは、燃えながら翼を広げ、テニールへ向かっていく。


 あと少しで赫糸が届く。

 この指先を届かせ、身体を千切り、破壊してやる!


 手をうんと伸ばし、血を発射しようとし──前腕が斬り飛ばされた。


 怪物は地面に激突した。

 学校の並木道を薙ぎ倒しながら、芝生にクレーターをつくって沈んでいく。

 クトゥルファーンは立ちあがる。

 突貫してくるアヴォンを見据える。

 

「木っ端の狩人がッ!!」


 凡百な狩人に用はない!

 ただ一撃で屠ってやろう、

 人間を殺すにはそれで十分だ。

 

 クトゥルファーンが殺意で動作を開始しようとした瞬間──彼の首は斬り飛ばされ、視界は三枚に卸された。


 アヴォンは銀の剣を斬り払い、眉根をしかめる。


 心臓がすでに破壊されている?

 師匠がやったのか。あの年齢で……流石は師匠だ。


 テニールは近くのベンチに寝かされていた。

 アヴォンがそばまでやって来ると、テニールは霞をつかもうとするように、あてもなく手を持ちあげた。

 力が抜けて落ちていく手を掴み止め、アヴォンは膝を折った。

 

「アヴォン、また強くなったねぇ……」

「師匠、喋らずに」

「いいや、喋る、それしか、もう……できない……」


 テニールは一つ呼吸をして、最後の力を振り絞る。


「あれは……絶滅指導者、だ……名はクトゥルファーン、第七席次の不死身さ……」

「ッ」

「まさか!」


 タイタンは驚愕に大きく目を見開いた。

 アヴォンをして、この報告には動揺を見せた。

 超厄災級の怪物、弩級の中の弩級、最大の怪物として恐れられる厄災の王。

 800年間止まった時間が動きだした。


「誰が絶滅指導者を」


 アヴォンは淡々とした声で聞く。

 ほかにも訊きたいことは無数にある。

 だが、おそらく時間は残されていない。

 無常にも、熟達の狩人であるアヴォンには、命の終わりが手にとるようにわかっていた。


 テニールはもはや何も見えていない瞳を歪ませて「ぁぁ、それでぃぃ、それでこそ狩人……」と、情より、狩りを優先するアヴォンに大きな誇りを感じた。


 君は若い時の私にそっくりだよ、アヴォン。


「アーカム……アルドレア……彼は、王を討てる狩人だ……必ず、見つけなさい……」

 

 アヴォンは冷たくなっていく手を握りしめる。

 師はまだ何かを言おうと口を動かす。

 耳をすぐ近くに傾ける。

 

「私の誇り……よ……あとを、頼む……」

「……。お疲れ様でした。あとは大丈夫です」


 相変わらずの感情のない声。

 懐かしさすら感じるその声に、テニールは全幅の信頼を寄せ、そしてすべてを託し、静かに息を引き取った。


 静寂が寒空の下に舞い降りる。

 

「この老人がテニール・レザージャックだと言うのか……?」

「ああ」

「お前、彼の弟子だったのか」

「ああ」

「……」

「……アーカム、アルドレア」


 アヴォンは静かな声でつぶやいた。

 王を討てる狩人。何者だ。お前は。


 ──その夜のうちに、テニール・レザージャックの死と絶滅指導者の死が狩人協会本部に報告された。


 諦観と停滞を迎えていた戦線が動きだす。

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