第85話 フィルム

授業がお盆休みに入った。と言ってもまだ本格的なお盆には数日早く、迎えた月曜日もまだ平日だった。この日は珍しくなんの予定もない日だったが、快晴の空にじっとしていられない私はオシャレと機能性を兼ね備えた格好で自転車に跨り、目的地のない小さな旅に出た。しかし目的地がないというのは大嘘で、最初からしっかりと海を目指して進んでいた。

どうせ汗だくになるからと思い、化粧はせずに日焼け止めの三重塗りで防御体制を取ったが、そもそもそれなりに焼けているので二重でも良かったのではないかと出てから気付いたのだった。


見渡す限り人で埋まる海水浴場の横を抜け、サーファーくらいしかいない海岸の入り口に自転車を止めた。この時点で既に汗だくなことは、制汗剤の匂いからもすぐにわかった。化粧をしなかったのも、今日の服装を白基調にしたのも大正解だった。みんな濡れることを前提とされた服に身を包まれてそれぞれの形で海と戯れる中、私は水着類はおろかタオルすら持たずに海岸を散策していた。


しかし私以外にもう1人、海で遊ぶには程遠い格好の大人の女性がいた。彼女は左右に筒状を大きな何かを背負い、真剣に周囲の様子を伺っていた。次の瞬間、私も無意識のうちに目が合ってしまった。気まずくなるのが人間というものですぐに逸らしたが、私より一回りくらい上の彼女は視線を切らすことなく、熱された砂の上を懸命に小走りして近づいてきた。

彼女はわたしの前に来て一言、写真を撮らせて欲しいと言ってきた。突然すぎて分からなかったが、海をテーマに写真を撮りたかったようで、海岸を歩く涼しげな少女はいい構図になるからと頼まれた。ふたつの黒い筒はよく見ればカメラ。海岸で誰かと話すことすら想定外だったが、せっかくならと思い同意した。


撮影は暑いからと30分ほどで終わった。遠くから手が上がるのを見てポーズを決める場面から、レンズと挨拶できるくらいの距離で撮ってもらう場面まで様々なシチュエーションのもとで撮影が続いた。まるでモデルの気分だ、と思ったが実際に紛れもなくモデルだ。

撮影後はギャラ代わりにと海の家でアイスをご馳走された。今日の気分はメロンシャーベット一択だった。

アイスを食べながら様々な話をした。彼女は大学を卒業後、カメラを作る会社に就職したものの、撮ることへの魅力に気付いて今の道を選んだそう。後に1度だけテレビで名前を聞く機会があった時に、写真で稼げるプロフェッショナルだったのだと知った。

私は高校生で部活はしていないが体力自慢で、大学には行きたいと言った。これ以外に話せることなんてない。しかし私の話を、アイスを放棄してまで聞いてくれているその目を見て、どこか不思議な感覚に陥った。もちろん知らない人、さっき渡された名刺の名前も全く聞いたことがない。でも他人のような気がしなかった。今ならなんでも話せる気がした。私は勢いのまま、アイスを放置して私の今までの全てを話した。


私の話を聞いた彼女は当然ながら口をポカンとさせていた。目の前の女子高生の過去が男の子だなんて驚かない方がおかしい。

しかしすぐに口を開いて、今が楽しいかと聞いてきた。もちろん楽しい、男の子だった12年間も、それからの5年間も全てが楽しい日々だったと答えた。

彼女は続けざまにこうしちゃいられないと、追加の写真を撮るからアイスを食べるように催促してきた。もうベタベタなメロン味の液体を放り込んではすぐに準備した。

追加の写真は直ぐに撮り終わった。1番好きなポーズをだとか、無になってだとか少々難しいお題だったが必死についていった。今日の私はモデルだから。


2度目の撮影後、お昼も近いからと再び海の家に行き、今度はお昼ご飯の焼きそばをご馳走された。2度目の撮影は、誰よりも女の子な貴女を撮りたかったの。さっきのは普通の女の子で撮っちゃったからね。写真は贈るから楽しみにしていてね。と言われ、後日送ってほしいと同意書を手渡された。

同意書をしまったタイミングできた焼きそばを食べながらした話は、友人関係だ。私の話を聞いた当初、孤独なのではないかとかなり心配していたようだが、そこは少しも心配要らないと張り切って言えた。


良ければ今後も時間があるときにモデルをやってほしい。そう言われることは何となくわかっていたが、いつかお友達との写真も撮らせてね、ともお願いされた。ひと月もしないうちにその機会は訪れ、私服制服両方で貴重な貴重な5人でのショットを撮ってもらった。


私たちは日々変わる生き物だ。でもフィルムの中の私たちはその姿を変えることなく笑っている。

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女子学生服で6年間を過ごした僕の実話 ネイビーさん @skiski

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