256話「体育祭前日」

 気が付けば、早いもので体育祭前日となった。


 体育祭本番に向けて、これまでずっとリレーのトレーニングをしてきた俺は、明日の本番に備えて今日と明日はしっかりバイトを休みにしている。

 思えば中学の時の俺であれば、こんなに体育祭に本気になるようなタイプではなかった。

 だが、今の俺はリレーへ出ることが決まって以降、体育祭に向けて日々準備を続けてきたのだ。


 それもこれも、俺の思いはただ一つ。

 それは、しーちゃんの前で恥ずかしい姿を見せたくないから……というのは、もう違うな。

 正直に言えば、しーちゃんの前で良いところを見せたいのだ。


 だから俺は、中学で辞めた陸上部時代にやっていたトレーニングを思い出しつつ、やれる範囲で所謂コソ練を続けてきたのである。


 そんな日々のおかげで、トレーニングを始めた最初の頃は筋肉痛を感じていたのだが、今では現役とまではいかないものの、筋肉痛もなく大分当時の感覚を取り戻してきている。

 そんな感覚を実感出来る程度には、やれることをこれまで積み重ねたという結果が自信に繋がっているのであった。


 そして学校の帰り道。

 今日も俺は、しーちゃんと一緒にいつもの帰り道を歩く。



「あっ! たっくん見て! あそこにクレープ屋さん出来てるよ!」

「お、本当だね」

「クレープかぁ、良いなぁ美味しそうだなぁ……ダメ! 明日は体育祭!」


 新しいクレープ屋さんを見つけたしーちゃんは、物凄く行きたそうに自然に引き寄せられていくのだが、道を渡る寸前のところで足を止めて思い留まる。


 そう、明日はしーちゃんにとっても体育祭なのだ。

 その前日にスイーツを食べる余裕なんて、戦い前夜の俺達には有りはしないのだ。


 だから、そのクレープ屋さんの出しているテラス席で、健吾と三木谷さんが仲良くクレープを食べている姿なんて、俺達には関係ないったら関係ないのだ。



「た、たっくん行こう! あれは、明日のご褒美だからねっ!」


 鼻息をフンスと鳴らしながら、鋼の意志でクレープを我慢するしーちゃん。

 かつては国民的アイドルとして戦っていたけれど、今ではこんな都会から外れた町のクレープ屋さんと戦っているのだから、そのギャップは未だにちょっと可笑しくて笑えてくる。


 こうして、今日の帰り道はどこにも寄り道をすることなく、俺はしーちゃんをしっかり家まで送り届けたのであった。



 ◇



 その日の夜。

 今日は前日だから練習は休みにした俺は、代わりに明日の本番に向けてしっかりと準備することにした。


 とは言っても、することとしては明日の身支度と天気予報の確認ぐらいだ。

 ちなみに明日の天気は晴れ予報。

 今年こそは、無事に体育祭が開催されるであろうことに、俺はほっとする反面、緊張もしていた。


 たかが学校の体育祭。けれども、もしかしたら中学時代の部活の大会の時以上に緊張してるかもしれないことに、我ながら笑えて来てしまう。

 しかし、それだけ今回の体育祭は、自分にとって重要性と本気度が高いということの表れなのだ。

 きっとしーちゃんならば、どんな俺でも受け入れてくれると思う。

 でもそれは、あくまでしーちゃんからの気持ちの話であって、俺の気持ちの話ではない。

 思えば何時だって、凄すぎるしーちゃんに対して俺は、与えるよりも受けることばかりだった。

 だからこそ俺は、このたかが体育祭だけれど、俺はしーちゃんに良いところを見せられるように、現役の運動部の奴らにも負けたくない一心で準備をしてきたのである。


 そんな覚悟を決めていると、スマホの着信音が鳴り出す。

 誰からだろうと思えば、それはしーちゃんからの着信だった。



「もしもし?」

「あ、たっくん! 夜にごめんね」

「ううん、どうした?」

「えへへ、ちょっと声が聞きたいなって思って」


 まだしーちゃんを家まで送ってから、二時間ぐらいしか経っていない。

 それでもこうして、声を聞きたいからと電話してくるしーちゃんのことが、もうそれだけで愛おしくなってきてしまう。



「明日はいよいよ体育祭だね」

「そうだね、しーちゃんは玉入れと借り物競争だっけ?」

「うん、実はね、リレーは断っちゃったんだよね」

「え、そうなんだ?」

「だって、わたしもリレーに出ちゃったら、当日は特等席で応援出来なくなっちゃうかなって思って」


 恥ずかしそうに理由を教えてくれるしーちゃん。

 俺はその言葉に、照れ臭くなりつつもとても励みになった。



「そっか、じゃあ恥ずかしいところは見せられないね」

「大丈夫だよ。だってたっくん、一緒に公園で遊んでた時、すっごく足が速かったんだもん」

「そ、そうだっけ?」

「うん、あの時のわたし、たっくんについていくのに必死だったんだよ」

「それはなんていうか、今更だけどごめん」


 今更過ぎるそのカミングアウトに俺が平謝りすると、何だか可笑しくなって二人で笑い合う。



「でもね、わたしはそれが嬉しかったんだ。わたしよりずっと足が速くて、わたしのことをいつだって引っ張ってってくれるたっくんの背中が、わたしの憧れだったから」


 あの頃を思い出すように、しーちゃんは噛みしめながら当時の気持ちを教えてくれた。

 その言葉に、俺はやっぱり照れ臭くなってしまう。



「……そっか、じゃあ何て言うか、さ。俺、明日は全力で頑張るから、その、見てて欲しい」

「うん! ずっと見てるよ!」


 いざ口にしてみると、物凄く恥ずかしかった。

 けれど、嬉しそうなしーちゃんの返事のおかげで、恥ずかしさの代わりに俺の中で闘志が生まれる。



「あ……でも、たっくんばっかり応援してたら、やっぱりクラスのみんなに怒られちゃうかな」

「あはは、そうだね。しーちゃんはクラスのアイドルだからね」

「違いますー。今のわたしは、たっくん専属でやらせてもらってまーす!」


 そんなしーちゃんの冗談に、お互い吹き出すように笑い合う。


 こうして、体育祭前日の夜。

 俺はしーちゃんからの電話のおかげで、十分にリラックスすることが出来た。


 明日はついに体育祭――。

 良いところを見せたい気持ちがあるのはもちろんだが、何よりしーちゃんにとってこの体育祭。

 普通の女の子として、また一つ新たな思い出になるよう楽しんで貰いたいなと思いながら、俺は眠りについたのであった。



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