147話「それぞれ」
「あ、おかえり卓也、さっき彩音がうちに寄っていって卓也にって」
家に帰ると、母さんが少しニヤつきながらそう声をかけてきた。
そんな母さんの手には、綺麗にラッピングされた小包が握られており、見た瞬間それが何なのかはすぐに予想がついた。
「ちょっとゆっくりしてったらって言ったんだけどね、忙しいからってすぐに帰ってったわ」
「そっか、まぁ仕方ないね」
俺は母さんからその小包を受け取りながら、まぁ無理も無いなと返事をする。
何故なら、今の彩音さんはこの短期間ですっかり有名人になってしまったからである。
大学ではミスコンに輝き、そして元々この街では美人で有名人だった彩音さんだけど、今ではファッションモデルとして世間から注目され始めているのだ。
これまでも、彩音さんぐらいの美人になれば何度かスカウトされた事とかもあったようだけど、彩音さんは興味が無いと言ってその全てを断り続けていたらしい。
でもそんな彩音さんが、何故か突然モデルになったと聞かされた時は正直驚いたもんだ。
きっと、彩音さんなりに心変わりするような出来事があったのだろう――とか言ってみるけど、まぁそれは十中八九、あの時会ったしーちゃんの存在が大きいと思っている。
従弟である俺に、しーちゃんという誰もが知ってるような有名人の彼女が出来た事を知ったあの日から、彩音さんは変わってしまったからだ。
あれから暫くして、彩音さんが「わたし、モデルになったから!負けないからっ!」と一言だけ言いに来た時は本当に驚かされた。
そしてそれから、忙しいのか全然うちには遊びに来なくなってしまったのだ。
でもそんな彩音さんが、バレンタインデーにちゃんとチョコを用意してくれていたとは思わなかった。
毎年彩音さんは、こうしてモテない俺に義理チョコを欠かさずくれていたのだが、流石に今年からはもう無いだろうなと思っていたのだ。
――この街の有名人で、今ではファッションモデルの彩音さんに毎年チョコ貰ってるとか、普通に考えてそれだけでも恵まれてるよな
なんて、そんな出来過ぎた従姉の存在は俺の中では昔から自慢の存在だった。
また今度あった時にはしっかりお礼しないとなと思いながら、今日は色々あったし早めに休む事にした。
◇
そして次の日。
バレンタインデーも終わりまたいつも通りの日常に戻った朝、俺はしーちゃんと待ち合わせをして一緒に学校へと向かう。
「昨日は色々とありがとね」
「ううん、むしろわたしがはしゃいじゃってたよね」
改めて昨日のお礼を伝えると、そう言って少し恥ずかしそうに微笑むしーちゃんは今日も朝から可愛かった。
まるで可愛いを濃縮還元したような、可愛いが服を着て歩いているようなもんだななんて、我ながら朝から意味の分からない事を考えながら、そんな大好きなしーちゃんと今日も仲良く一緒に登校するのであった。
そして教室へとやってくると、昨日の色めき立った様子が嘘のように、またいつも通りの空気に戻っていた。
でも、やっぱりチョコを貰えなかった男子達の落胆は隠せないようで、男子達の顔付きはまちまちであった。
まぁ俺も、去年までは従姉の彩音さんからしかチョコなんて貰った事無かったから、彼らの気持ちはよ分からなくも無かった。
でもそう言えば、中学生の頃一度だけ下駄箱にチョコを入れられていた事なんかもあったのだが、残念ながらそのチョコには名前が書かれておらず、結局誰から貰った物か分からないまま終わってしまった事もあったなと、ふと昔の出来事を思い出した。
「おはよう、一条くん」
「ああ、おはよう錦田さん」
そんな事を思い出していると、今日も少し遅れて登校してきた錦田さんから挨拶をしてくれた。
こうして毎朝、俺にだけ挨拶をしてくれるのは何故だろうと思わなくも無いが、それからまたいつものように本を開いて自分の世界に入ってしまうため、まぁあまり深い意味は無いのだろう。
「錦田さんってさ、いつも何の本読んでるの?」
「えっ?」
「あ、いや、言いたくないとかだったらいいんだけど、いつも何読んでるのかなって」
「いえ、そんな事はないけど――ライトノベルだよ」
そう言って錦田さんは、読んでる本のブックカバーを外して見せてくれた。
するとその本は、たしかに錦田さんの言う通りライトノベルで、俺も好きで読んでいる人気ラブコメ作品だった。
正直、錦田さんはもっと本格的な小説とか読んでるものだとばかり思っていたから、まさかそれがライトノベルだとは思わなかった。
「意外でしょ?普段は一般小説を読む事が多いんだけど、このライトノベルだけは新巻が出たら買ってるんだよね」
「ああ、いや、そうなんだね。俺もそのラノベ好きで読んでるから、ちょっとビックリしただけ」
俺の考えなどお見通しと言うように、錦田さんはそう言って微笑んだ。
だから、見透かされた気がした俺は慌てて誤魔化した。
そのライトノベルは俺も好きで読んでいる作品だから、決してこれは嘘ではない。
「――知ってるよ」
「え?」
「面白いよね、これ。同じ高校生の男女の恋愛模様がリアルで、もどかしいけど微笑ましいっていうか」
「めっちゃ分かる!正直早くくっついちゃえよって思うんだけど、そのもどかしさも楽しいっていうかね」
好きな作品の話題のため、思わずテンションが上がってしまう。
そんな俺に対して、錦田さんもちゃんと読んでるんだなと分かる感想を返してくれるおかげで、それから朝のホームルームが始まるまで俺達はそのライトノベルの話題で盛り上がったのであった。
ちなみにこのライトノベルに登場するヒロインの子は、とにかくいつも自分の恋に一生懸命で、だけど好きな人の前では時折挙動不審になってしまうところなんかが、しーちゃんと重なる部分も割と多かったりする。
だからそんな、自分の好きな作品のヒロインがまるで現実世界に飛び出してきたような、地でヒロインしているしーちゃんの方へ視線を向けてみる。
すると、そんな俺の視線にすぐに気が付いたしーちゃんは、嬉しそうに微笑みながら小さく手を振ってくれるのであった。
だから俺も小さく手を振り返すと、それがまた嬉しかったのかパァっと嬉しそうな表情を浮かべたしーちゃんは、振っていたその手をピタッと止めると何故かその手をキツネに形に変えて向けてくるのであった。
それが一体どんな感情で、何を意味しているのかは全く分からなかったけれど、何だか今日もしーちゃんが嬉しそうで可愛いから全部オッケーだなと思いながら、俺もとりあえずキツネをお返ししておいた。
こうして何故か俺達はキツネを向け合うと、しーちゃんは何かに納得したようにうんうんと満足そうに頷いていたのだが、やっぱり全く意味は分からなかった。
でも、これが俗に言う『考えるな、感じろ』ってやつなんだろうななんて思いながら、今日もこうして一日が始まるのであった。
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