第93話 手記

 私の名前はシャルナ。今年、大宇宙立神大学の大学院修士課程を卒業した、ピチピチの24歳だ。


 今は卒業後の配属先も決まり、安心して荷造りに励んでいる。


「あー、こんな所にあっあんだ。無くしたかと思ってた」


 チェストの下から昔無くしたと思っていた、お気に入りのピアスを見つけ、ちょっとした幸運に頬が緩む。


 段ボール箱でなんと10箱にもなった荷物を引っ越し屋へ引き渡し終わり、家具が無くなりガランとした部屋で大学生活を思い返す。


 最初の二年間は田舎から出てきたばかりという事もあり、周りの環境に馴染む事で精一杯だった為、成績も散々な結果に終わった。


 田舎ではお目にかかる事が無いような、珍しい物ばかりで新しく出来た友人達と遊び呆けてしまっていたからだ。


 しかし、このままでは奨学金を借りてまで大学に通う意味が無いと思い直し、一念発起して学業に専念した。


 そのお陰か、三年が終わる頃には成績は上位をキープする事になる。


 ゼミでの評価も上がったが、教授から目をかけられてしまい、後輩の指導までする羽目になったのは予想外だったが、充実した大学生活を送る事が出来ていた思う。


(あの……エドさん?)

(何だよ。話の腰を折るんじゃねぇよ)

(大学って……)

(いいから黙って聞いておけよ)

(アッハイ)


 四年になり最初の筆記試験ではなんと二位を取ってしまった。


 自分でも驚いたのだが、周りの人間の驚愕はそれを遥かに超えていただろう。


 そしてある日突然、背後から声を掛けられた。


 思えばここがターニングポイントだったのだろう。そのせいで、アイツと知り合ってしまったのだから。


「最近頑張っているわね。シャルナ」

「えっと、エスカディースさん?」

「あら、エスカで良いのよ。私達は同期なんだから」


 神大学始まって以来の才女、成績は常にトップであり、どの学部の教授からも高い評価を得ている、私にとっては雲の上の存在。


 成績だけで無く、見た目も美しく誰にでも優しく接し、服装にもかなり気を遣っている、まさにパーフェクトな人。


 そんな人に声を掛けられるなんて思いもしなかった私は、エスカにどんな風に接して良いのか全く分からなかった。


 彼女のオシャレな服装と私のいつも通りの野暮ったい服。女としての差を見せつけられた様で、何故だか顔が熱くなっているのを感じた。


「今度良かったら私と一緒にディスカッションをしない? 貴方との議論は面白そうだもの」

「アッハイ。時間が許せば構いません」

「そう、いつなら良いかしら?」

「えーとですね……」


 次に空いている日を調べる為に手帳を開いてみたのだが、一月以上空いていなかった。


 学費は奨学金で賄っているが、生活費の為のバイトが忙しすぎて自由になる時間が全く無かったのだ。


「ええっ、そんなに先なの?」

「ごめんなさい。予定が詰まっていて……」

「ふぅ、いいわ、その日私の家まで来てくれる?」

「はい、お伺いします」


 忙しい大学生活では一ヶ月なんてあっという間に過ぎて行き、エスカディースとの約束の日もすぐに訪れた。


「いらっしゃい。待ち遠しかったわ」

「お邪魔します」


 エスカディースの住む家は私の住む小汚く狭い部屋とは大違いで、あまりの広さに目がクラクラしたものだ。


 初めはそのオシャレ過ぎる空間に戸惑ってしまい議論らしい議論は出来ていなかったのだが、私の興味のある話題になった時、思わず喋り続けてしまいエスカディースから待ったを掛けられる程だった。


「ふうん、やっぱり貴女面白いわ」


 やってしまった。そう思っていたのだが何故か彼女に気に入られてしまったようで、その後も何度も家に呼ばれて議論を交わした。


 大学院を卒業する頃には一番の親友と言っても良いくらいに仲が良くなっていた。


(エドさん、女子大生物語なんですか?)

(シャルナの手記だって言ってるだろーが!)

(神要素、無さすぎなんだけど……)


 エスカディースとの楽しい学生生活もやがて終わりを告げ、大学から斡旋された赴任地へ向かう旅が始まる。


 星々を渡る星船での旅は何も起こらないので割愛。


 無事に赴任地であるディスダイルへ到着した。


 入社前のオリエンテーションを受け、同期ともわりかし仲良くなり、連絡先の交換も無事に乗り越えた。


 これは私に取って快挙だった。


 人と仲良くなる事が苦手で会話もまともに出来ず、興味のある話題になると途端に饒舌になり、周りはいつのまにか私の前から居なくなる。


 これが当たり前だったのだが、大学生活で少しは成長出来たようだ。


 そして、最終日に配属先を知らされたのだが……


「えっ、何故ですか?」

「うん? どうしたんだい?」

「私は生命管理課に配属の筈なんですけど……」


 大学でも専攻していたのだ。その旨を伝え、了承を貰っていたのだ。


「んー、まぁ良くある事だよ。今から変更は出来ないからね。そこで精一杯頑張る事だ」


 私が配属となったのは気象管理課。全くの畑違いの分野であり、更にはエリートコースから外れた部署。


 何でこうなったのか?


 不満を持ちつつも初出勤の日を迎え、本社へと向かったのだが、気象管理課の場所が分からない。


 案内板を見ても何処にも名前が無く、恥ずかしい事だが受付で聞くことにした。


「ああー、気象管理課ね。あそこは分かりにくいからねぇ。本社を出てすぐに右に曲がったら左手に狭い路地があるから、そこを真っ直ぐに進めば見つかるわよ。頑張ってね、新人さん」


 事前に気象管理課の場所を調べていなかった自分のミスなのだが、受付の先輩は優しく場所を教えたくれた。


 言われた通りな路地を進むと、古びた建物が見えてきた。


「あれなの? まるっきり廃墟じゃない」


 何かの間違いであって欲しい。そう思いながら、恐る恐る近づいて行くと、入り口にある古ぼけた看板に書いてあって欲しくない物が書いてあった。


 気象管理課。


 今時珍しい木造の建物の軋む床を踏み中へと入り、気象管理課のプレートが取り付けてある部屋へ向かった。


「おはようございます……」


 部屋の中にはくたびれた中年の男性とやたら化粧の濃いおばさんが手持ち無沙汰に座っていた。


「貴女、誰?」

「はい、今日からここに配属になりました。シャルナと言います。宜しくお願いします」

「貴女ねぇ……いくらなんでも遅すぎよ! 明日からはもっと早く来なさい」

「はぁ……あの、他の方は?」

「何を言っているの? ウチはこれだけよ」


 私を入れて三人。これで気象管理課のメンバーはお終い。


 そして、私の輝かしい未来もお終い。例えようのない絶望が襲ってきた。


(エドさん、この話まだ続きます?)

(今、良いところなんだぞ?)

(どこら辺が良いのか分かんねぇよ!)

(仕方ねぇな……少しだけ端折ってやるよ。お前は我が儘なんだよなぁ)


 気象管理課に勤務して九ヶ月が過ぎた。その間小さなトラブルと大きなミスで私は気持ちが落ち込んできていた。


 大きなミスとは、雨を降らせる為の蛇口を開き過ぎてしまい、翌朝出社すると一つの種族が丸々全滅していた。


(蛇口ってなんだよ……)


 これは単純なケアレスミスで、課長とお局様にこっ酷く怒られて、始末書まで書かされてしまった。


 そんな落ち込んでいる時に年末の忘年会の話が回って来た。


 強制ではないのだが、本当に外せない用事が無い限り全員参加が当たり前らしい。


 何故、休みに入ってまで会社の人間と関わらないといけないのか? 


 そう考えただけで更に憂鬱になってしまった。


(今、会社って言いましたよね?)

(言ってねぇ! 黙って聞けよ!)

(えぇ……)


 全ての神が集まる忘年会に嫌々出席したのだが、良いこともあった。席順は決められておりその場所には同期達が顔を揃えていた。


 あの地獄の研修を共に乗り越えた面々と久しぶりに会い、落ちていた気分が少しだけ上がったものだ。


 私の席の隣は空席になっていた。誰が来るのかと思っていたのだが、やって来たのはアイツだった。


 主神の長い演説中に遅れてやって来て、私にニコリと笑いかけて来る。


「お久しぶりね。シャルナ」

「エスカ、遅かったわね」


 エスカは元々美人であったのだが、今は更に垢抜けていて、今の私にはそれが眩しくてしょうがない。


 主神の演説も終わりに近づいて来た頃に飲み物が運ばれて来た。


 次々に手渡される生ビールのジョッキ。


 よし、今日はもうヤケだ。思いっきり飲んで全てを忘れてやろう。


 そう決意してビールを待つ。


 隣の同期がビールを受け取り、後は私とエスカの分のみになる。


 ここで予想外の事が起きた。私の目の前に置かれたのはジョッキでは無く、細長いグラス。その中にはややオレンジ色をした液体。


 何が起こったのか分からずにフリーズしていると隣から軽やかな声が上がる。


「私、ビール苦手だから変えて貰っちゃった。シャルナのもついでに頼んでおいたからね」


 こいつの仕業か。私は無類のビール好きなのだ。こんな甘ったるい飲み物は酒とは認めていない。


 だがここは公の場。私はもう大人なのだ。騒ぎを起こす訳にもいかず、ぐっと堪えてグラスを掲げる。


「それでは、乾杯!」


 主神の一声と共にグラスを上げ、カシスオレンジを一口飲む。甘い!


 乾杯の後料理が次々と運ばれて来た。大きなボウルに入った美味しそうなサラダ。


 早速頂こうと、取り皿に手を伸ばしたところでエスカがとんでもない暴挙に出る。


 サラダを受け取ったかと思うと、右手がすすっと、ある物に向かう。ドレッシングだ。


 いや、待て。


 それはいくら何でも無いだろう。


 止める間もなく三本の内の一つを手に取りボウルに直接ドバドバと掛けてしまった。


 何故それをチョイスした! せめて他の二つならまだ許せたのに。


「私、このドレッシング好きなんだぁ」


 間延びした声に更に怒りが湧き上がる。


 何故イタリアンバジルなんだよ!


 そこは胡麻ドレ一択だろ? それかせめて和風にして欲しかった。


 仕方なくサラダを取り分け一口頬張るが、やはり酸っぱい。胡麻ドレを掛けてみたが、味が混ざり合って更なるマズさを醸し出している。


「シャルナって変わった味覚なのね」


 煩い。お前のせいだ。


 ヤケ酒を煽っていると尿意を催してしまい、トイレへと向かう。


 軽く化粧を直して席へと戻る。


 通りがかりで焼き鳥が運ばれているのを目にした。若鳥、ネギマ、ぼんじり、つくねの四種類。これは早く戻って冷めない内に食べなくては。


 ルンルン気分で席に戻ると、惨劇が起こっていた。


「あ、シャルナ。何処に行っていたの? 焼き鳥、串から外しておいたからね」


 ニコッ、じゃねぇよ! 何してくれたんだ!


 串から外したお陰ですっかり冷めてるじゃないか。


 冷めてしまって油のキツイ焼き鳥をもそもそと食べたが、マズイ。


 そしてとうとう決定的な出来事が起こる。


 誰もが大好きなあの至高の食物。茶色に輝く私の大好物。大皿にこれでもかと盛られたソレに私の目は釘づけとなる。


 その脂っこさを味わいながら、ビールを流し込むの瞬間が堪らなく好きなのだ。


 箸を構えソレを待つ私。幸いエスカは何処にも居ない。勝った。


 そう思っていたのだが、なんとソレが運ばれて来たタイミングでエスカが戻って来たのだ。


 そして店員の手から大皿を奪ったかと思うと、右手が動く。


 待て、頼むから。それだけはやめてくれ!


 だが、むなしくもその願いは叶わなかった。


 エスカの右手に握られた黄色い果物の果汁が至高の食物に満遍なく注がれる。


「やっぱり唐揚げにはレモンだよねー」


 こんな世界なんて滅んで仕舞えば良いのだ。そう思った瞬間に私の感情は無くなっていた。


 唐揚げにレモンをかける世界なんて要らない。


「エスカァァァ! 死ねやオラァ!」


 私の右手が勝手に動いていた。


 全ての神々を巻き込んだ大戦争の始まりである。


「と、まぁこんな感じだ。シャルナの気持ちも分かるだろう?」

「まったく分かりませんよ! たかだか唐揚げにレモンを掛けたくらいで、ねぇ? ハルトさ……ええっ、号泣してる!?」

「わがるぞぉ……ぐすっ、なんて不憫なんだ。シャルナぁぁぁぁぁ」


 唐揚げにレモンをかけるなんて、とんでもない暴挙を目の前で見せつけられたんだ。世界を滅ぼそうと思っても仕方ないさ。


「あー、鼻水垂れてるじゃないですか。ほら、これ使ってください」


 チーン。


「大体、レモンをかける人は何で全部にかけるんですかねぇ? 自分が食べる物だけにしておけば世界は平和なのに……」

「そうだろう? 俺たち獣人は鼻が良いからな。レモンの匂いがキツ過ぎてなぁ」

「その他にもタン塩にもぶっ掛ける奴も許せないんですよね! 熱々を食べたいのにレモンなんて掛けたら冷めちゃうじゃ無いですか」

「うんうん、分かる分かる。最悪だよな?」

「私はレモン好きだから、気になりませんけど?」


 ここにも居やがったか。レモン教の信者め!


「良いかレスリー? もし僕の唐揚げに手を出したら、一切の容赦はしないからな!」

「えぇ……そんなに言わなくても……」

「ハルト、お前なら分かってくれると信じていた。レモンは全人類の敵だ!」

「その通りです!」


 ひょんな事からシャルナが世界を滅ぼそうとした理由が分かった。


 その想いに共感出来るから、ある意味仕方ないとは思うが……


 僕が生きるこの世界をまだ滅ぼして欲しくないなぁ。

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