第72話 帝都防衛

 ハルト達一行がザッピ平原を目指して前進している頃、帝都は大混乱に陥っていた。


 魔物の大群が攻め寄せて来る。


 この事を知った帝都の住人が取れる選択肢は主に二つ。


 尻尾を巻いて逃げ出すか。それとも、全てを諦め、残るか。


 逃げ出す選択をした者は、帝都の中でも裕福な者が多く、帝都以外に住む場所を持っている貴族や大商人ばかりであり、その者達は持てるだけの財産を詰め込んだ馬車を走らせ、次々と帝都から逃げ出した。


 しかし、古くから帝都に住む者や、そもそも逃げ出す先の無い大多数の住人は、全てを諦め不安に怯えながらもいつも通りの生活を続けていた。


「酷い有り様ねぇ」

「本当ですね」


 人通りが少なくなった大通りをのんびりと歩く二人の少女。


 いつもなら多くの露店で賑わうこの場所も、やや閑散としている。


「おばちゃん。リンゴ二つ頂戴」

「あいよ。毎度あり」

「おばちゃんは逃げたりしないの?」

「はん! 何処へ逃げるって言うのさ? 何処へも行く場所なんで無いのにさ! 私らはここで生まれ育ったんだ。死ぬ時もこの場所にいるんだよ」

「そうね」

「アンタらはまだ若いんだ。他でもやり直せるだろう? さっさと逃げ出しちまいな」

「うん、ありがとう」

「こんな時に頼りになるはずの貴族連中は真っ先に逃げ出したんだ、帝都はもう終わりだよ……」


 諦め。その感情が帝都を支配しつつある。


 露天商の威勢のいい声が上がっていた大通りはどんよりとした雰囲気が漂っている。


「姉様、これからどうなさいます?」

「そうね、まずはギルドへ行ってみようかな」

「はい」


 二人の少女、風香と萃香はリンゴを齧りつつギルドへと足を伸ばした。


 先程までとは違い、ギルドは正に戦場のような有り様で大勢の人で溢れかえっている。


「風香、萃香、こっちよ!」


 二人を呼ぶのはパーティーメンバーのレヴィ。笑顔で二人を手招きしている。


「遅かったわね」

「うん、ちょっと散歩がてら街の様子を見てきたの」


 レヴィの隣に腰掛け、飲み物を注文する。


「どうだったの?」

「貴族は真っ先に逃げたみたいね。行く先の無い人はどうしようもないから残っているだけよ」

「貴族なんてそんな物よ。自分を守る事だけは上手いからね」

「こっちはどう? 何か情報は?」

「うん、ついさっきなんだけどね、全身緑色の変な格好をした人が慌てて入って来たの」


 全身緑色? ああ、もうかなり暖かくなってきたからおかしな奴も出て来るか。


「その人が言っていたんだけど、何でも帝都の結界に何かがあったみたいね。今はあっちで事情聴取されてるみたいよ」


 レヴィの指差す方は関係者以外立ち入り禁止の張り紙がしてある場所だ。


「もうそろそろ何かしらの発表があってもおかしくないんだけど……」


 レヴィのその言葉通り、奥から職員を引き連れギルド長が姿を現した。


「諸君、緊急事態が発生した! 帝都を覆う結界に大穴が空いているとの情報がたった今入って来た!」


「なんだって?」

「結界が? それまずくね?」


 結界は二百年に亘り帝都を魔物から守って来た。そのお陰で帝都周辺では魔物は一切発生しない。


「結界に頼っていた帝都は他の都市部とは違う。防衛拠点を何一つ有していないのだ。だが、このまま手をこまねいている暇は無い。取れる手段はただ一つだけだ! 戦闘経験がある者を全員招集する。どうか皆の力を貸して欲しい。ギルドが帝都の守護者になるのだ!」


 おおぉぉぉぉ!


 ギルド内部に居る者たちから雄叫びが上がる。


「この事は幻想宮へも報告を上げてある。恐らくは帝国騎士団との合同の防衛となるだろう。敵の数は約五万の魔物の集団だ。その全てを倒せ! それだけの数ならば、とんでもない金額になるぞ! 国からの報奨金ももぎ取ってやる。皆、稼ぎ時だぞ!」


 うぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!


 先程よりも更に大きな声が上がり、帝都全体に広がって行く。


「やけに煽るわね? 何なのかしら?」

「危険な仕事だからね。少しでもモチベーションをあげようとしてるんじゃ無いの?」

「勝ち目はあるのかな? 五万でしょ?」

「多分大丈夫よ。一方向から突っ込んでくるだけなんだから、何とでもなるわよ」


 確かにレヴィが言う様に、いくら大群であろうと、初手で高火力の魔法をぶちかましてしまえば、後はただの掃討戦でしか無い。


「ねぇレヴィ。他の場所は大丈夫なのかな?」

「うん? 他って何が?」

「結界の事よ。一箇所に穴が空いているなら、その他の場所は? 確認してあるのかしら?」

「えっと……確かにそれはあり得るわね」


 二方向、もしくは三方向から襲撃されるなら防衛は途端に難易度が上がる。今、帝都に居る人員だけでは圧倒的に人手が足りないだろう。


 ギルドはこの事を考慮しているだろうか?


「ちょっと知り合いに聞いてみる。待ってて」

「うん、いってらー」


 席を立ったレヴィへひらひらと手を振って見送る。


「この予想が外れてくれれば良いけど、嫌な予感って案外当たる物なのよねぇ」


 慌てて席を立ったレヴィが向かったのは見知った顔の受付嬢、ファニーの所である。


 忙しく走り回っている彼女を何とか見つけ話しかける。


「ファニー、ファニーってば!」

「何? 誰よこの忙しいのに! ああ、なんだレヴィじゃない。今はやる事が多すぎるの。また後でね」

「待ってよ! 確認する事があるの!」


 レヴィの剣幕に何かを感じ取ったのか、ファニーは立ち止まり、話を聞く体制に入った。


「何か……あったの?」

「結界は全部確認してあるの?」

「全部? 何の事よ?」

「一部分に穴が空いている。それは確定。だけど他の場所は? ちゃんと機能している事を確認済み?」

「あー、それは……してない…かな」

「もし、もしもよ? 別の場所に同じ様に穴が空いていたら……」

「すぐに確認に入る! 情報ありがとうレヴィ!」


 若干青ざめた顔のファニーは階上への階段を勢いよく駆け上っていった。


 約一時間後、矢のように飛び出して行ったギルド調査員が報告に戻った事で、ギルドは更なる混乱が巻き起こった。


 帝都北にある結界の大穴とは別に、南側にも同じく穴が空いている箇所が発見された。


 この事により帝都防衛部隊の再編成が行われ、聖樹の絆の担当場所がファニーからもたらされたのだが。


「どう言う事よ!」

「私に言われてもどうにもならないわよ。上からの指示なんだから……」


 ファニーに食ってかかるのはレヴィ。春人からサブリーダーを任されている彼女はギルドからの指示を聞くなり大声を上げていた。


「納得がいく理由を聞かせなさい! 何故パーティーをバラバラにしなくてはいけないの?」

「だから、分からないってば!」


 彼女がここまで激昂するのは珍しい。いや、珍しいと言うよりも初めての事だろう。


 パーティーを任された責任感からなのか、それとも私を心配してくれているのだろうか?


「レヴィ、一度決まった事なんだからさ。それに今から配置変えをしている時間もないわよ?」

「風香……だけどこんなのおかしいもの!」

「分かってる。でも、もう行くしか無いの。今回の招集は強制でしょ? 行かなかったら罰則まであるのよね?」


 緊急招集の為、帝都に居るギルド員はそのほとんどが、作戦に参加する。


 参加はパーティー単位で担当を割り振られているのだが、何故か聖樹の絆は二つの場所に割り振られていた。


 レヴィとシャル、レスリーの三人は南側、風香と萃香の二人は北側である。


 確かにおかしな事ではあるが、手違いなのか、それとも何らかの作為が働いているのか、風香達にはそれを知る術は無い。


「私と萃香が揃っているんだから大丈夫よ。何の為に毎日鍛錬をして来たと思ってるの?」

「だけど、心配だわ……」

「こっちは私達に任せて。そっちはそっちで大変なんだから」

「うん……でも、無理しちゃダメよ?」

「それは私の台詞よ。さぁ、もう行って」

「分かった。また後でね」


 渋るレヴィを何とか宥める。


 さて、私もそろそろ出発しなくてはいけない。


「萃香、行くわよ」

「はい。姉様」


 うん。萃香は素直で良い。ここでゴネても何も変わらない。自分に任された仕事をこなせばいいのだ。


 さっさと片付けてみんなでのんびりしたい。恐らくこの事態が収束するまでには相当な時間が掛かるだろう。


 終わったらみんなで温泉にでも行ってみよう。勿論お金はハルトに出させて。


「うん。そうしよう!」

「姉様?」

「萃香、温泉は好き?」

「姉様の次くらいには好きですけど……」

「この仕事が終わったら温泉に行くの。みんなでね」

「ふふ、それは楽しみです」


 仕事の後の休暇へと思いを馳せ、萃香と共に帝都を出発する。


 北門を出ると、すぐにギルドの制服を着た職員が何処から持って来たのか簡易テーブルと椅子を引っ張り出してきて臨時の受け付けを行なっていた。


「あそこみたいね」

「随分と大勢並んでますね」

「ギルドも人手が足りていないのよ。並ぶのは嫌いなんだけど、仕方ないか」


 萃香と二人長い行列の最後尾へと向かい大人しく並んで待つ。


 辺りは殺伐とした雰囲気が漂い、鎧のガチャガチャ鳴る音がそこかしこから聞こえる。


「次!」

「はいはい、何処へ行けばいいのよ?」

「これはまた別嬪さんだな」


 軽く口笛を鳴らす受け付けの男。軽薄な男は嫌い。


「下らない事を言ってないで仕事をしたら?」

「おお、怖い怖い。そうツンツンするなって」

「自らの職務を放棄して、自分の欲望に忠実に行動しているのね。今すぐその口を閉じて仕事をするなら何も言わずにおくけど、あと一言でも続きを言ったら、ギルドに報告するわよ?」

「分かったよ! 何だよ……パーティー名は?」

「聖樹の絆」

「ああ……君たちはあそこ、白い鎧の第一騎士団と合流してくれ。最前線で戦って貰う。いいね?」


 あそこか……それにして最前線とはね。一番危険な場所じゃないの。


「注意事項は何かある?」

「いや、特には聞いていない。騎士団の指示に従ってくれ」

「了解よ。萃香、行こう」

「はい、それにしても最前線ですか。危険ですね」


 最も激戦が予想される場所。気を引き締めて掛からないと、怪我じゃあ済まないわ。


「君たちも同じ場所へ配属なんだ? 良かったら一緒に行かないか?」


 どんな時でも湧いてくる男。戦いに赴く前は、性欲が高まると聞くけどね。呑気な物だ。


 春人が側に居ないとこんな風に声を掛けてくる輩が後を立たない。面倒だが大体は私が睨むとすごすごと退散して行く。


 今回もそんな類の奴だろう。


 だが、声を掛けて来た男を振り向きざまに見つめて、驚きのあまり声が出てしまった。


「えっ?」


 そこに立っていた男は春人にそっくりだった。


 顔の作りは少し似ている。身長は私より少しだけ高く、体格は細身だがやや筋肉質だ。


 見た感じは瓜二つと呼べる程では無かったのだが、雰囲気が本人かと思うほどに似ている。


「うん? どうかしたの?」

「な、なんでもないわよ!」


 自分の意に反して声がうわずってしまう。


「俺はジークハルト=リルバーンだ。君は?」

「ふ、風香よ!」

「そうか、宜しくな。フウカ」


 その男が差し出して来た右手を握る。顔が上気している。赤くなっていないだろうか?


「さあ、行こうぜ!」


 この不思議な気持ちは一体何なんだろう?


 この男の発する声は何故だか私を暖かい気持ちにさせる。


 でも、違う。彼は春人じゃない。


 自分にそう言い聞かせ、どうせ同じ場所に行くんだと言い訳を考えながら、男の後をついて歩いて行く。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る